「結果」を出すってどういうことなんだろう?

最近思うのは、すべては「結果」だよね、とよくビジネスとか社会人の世界ではいわれるけど、「結果」ってなんだろう?って思うんだよね。


正直、大きな組織で長く仕事をしていると、「何が正しいことなのか?」ってのがよくわからなくなる。


たとえば、IFASの導入とか世界のコンプライアンスの高まりで、企業の内部統制って凄くきつくなっている現実があるじゃないですか?。バカみたいに監査が続く。管理のための管理に凄く実務者は疲弊してくるんだけど、じゃぁ単純に「そんなこと意味ないんだ!」と上に立てついて不満ばかり言っていればいいかっていうと、それもなーと思う。


なぜならば、しょせん組織に使える身としては、「不満ばかり言って」いても、どうせやらなきゃいけないんで、まずは、前向きにやるしかないじゃんと思うんだよね。そもそも不満ばかりは健康に悪い。


もう一つは、そはいっても、世界的なコンプライアンスや内部統制の流れは、さまざまな世界の大事件(エンロン事件とかね)や大きな危機に世界的に対抗するマクロの使命があってやっていることなんだよね。なんの使命かって?。それは、未完成の資本主義社会というスキームをよりよくして人類を前に進ませるためなんだよね。英米の法律はパッチ主義(慣習法のつぎはぎで対処して前へ進む)んだけど、それはしかたがないことだよね。何が正しいことはさっぱりわからない暗中模索の中で、頑張っているわけだから。「こんなの何の意味があるんだ?」と問えば、それは、世界で起きた大きな問題に対処をして、その中から本当に「正しい対処方法」を模索している渦中にあるんだ、としか言いようがない。本当は、「そのルールを作ること」「プラットフォームを作ること」自体に参画しなきゃいけないんだが、そういうグローバルプレイヤーというか普遍性を追求する気概は日本の組織には弱いよね。だから、上から下りてくるものについて、どううまく戦術的に対応するかがいいところ。

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とすると、こういう流れに、ただ不満ばかり言っているのって、しょせん意味がないことなんだよね。


とはいえ、現場で仕事をさせられる身としては、物凄く不毛な過剰適応に見えなくもないし、チェックのためのチェックや管理のための管理が暴走して官僚主義化していく。



いい加減、さすがに疲弊してくるしね・・・・・。


うーん、、、いつも思うけど、結果って、正しさってなんだ?って思う。