『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』 7巻 バッファーが無さすぎる裸でむき出しの心で付き合うからこそ、世界は輝きを増す

俺の妹がこんなに可愛いわけがない〈7〉 (電撃文庫)

アニメがとても良くて、一気に7巻まで見ました。残念ながら、個人的には後半の方からアニメはかなり失速して面白くなくなってしまったのですが(なぜだろう?)、とにかく最初の数話は凄く良くて、いったん読むのを止めていた小説をすべて読みとおしました。凄くすごくよかったです。


なんかね、ふと思ったことがあるんですよ。


こいつら楽しそーでいいなーーーって(笑)。


別にたわいもない日常の話・エピソードなんですよ。僕のように30を超えたおっさんの自分からすれば、あーそういうのあるよねーみたいな、凄く過去の若かったころの思い出・・・・なんだけど、こういう「打算のない仲間の付き合い」っていうか、友達関係って、いいよなー青春っぽくて凄く羨ましく思ったと同時に、なんかどっかで既視感が?って思ったんですが・・・・僕の中では、こういう「友だちの関係性」って、はっきりとブログを通しての趣味を共有した友人たちでワイワイしゃべっているときのものと凄くシンクロするんですね。つまり、これってもうノスタルジーではなく、いまここで自分が体験していることに近いというか・・・。


なんつーか、たしかに、ここまでむき出しのやつはなかなか無いけれども、「自分の好きなもの=趣味」みたいなものを通した「利害の無い関係性」ってやつ。僕にとって、たぶんここはある種の「楽園」で、、、、というのは、僕にとってやっぱり人生のほとんどの時間をすごすのは「社会人としての自分」なわけで、、、、なんというのかなぁ、、、子供のころから僕は、どっちかというと本心を外に出さない子供だったので、そういう「利害による関係性で距離感がはっきりしている」関係性が、自分にとって非常に親和性のあるというかなれているものなんです。まぁようは、素直じゃない、現実にちゃんと触れていない気がするようなうちにこもる子だったんですよね。・・・体育会系でしたが、たぶん凄く自意識が複雑に内にこもるんですよ、僕は。ぜってー理解されねーって、達観がいつもつきまとっていた。


たぶん「素の趣味」や「素で考えていること」が理解されたり、共感してもらえたりしたことが、僕の人生で学生時代では一度としてなく(笑)、、、、。僕の子供時代、特に、中学高校までのころまじめにしゃべると「お前の言っていることは意味がわからない」というのがよくある反応でした。まぁそりゃー体育会系とかシゴト命とかいう人間の中に、物語、特に、漫画や映画、小説なんていう文系テイストの趣味が共感されることってほとんどないですよね(苦笑)。僕は、どーも自分の好きなことと生きる世界が凄く乖離した人生を歩んでいる人のようです(笑)。確かに人が引くくらい考え込んでいるのは重々承知なので(笑)、もう小学生ぐらいのころから「他人にわかってもらう」とか「共感する」とか言うことははっきりと諦めておりました。←やなやつですよねー。


昔は、俺くらい考えているやつって、素人ではほとんどいないんじゃねぇ?無駄だし、キモいよ、ぐらいに自分のこと思っていたんですが(笑)、ブログで知り合った人は、それをあっさり超えるつわものがたくさんいたんですよねー。そして、ブログやtwitterのみならずリアルでもぐっつと仲良くなって、ほんと人生が楽しくなってきました。昔は、ゆうきまさみさんの『究極超人あーる』とか『げんしけん』みたいな世界って、僕からすれば、ある種の『手が届かないファンタジーとしてあこがれるものでした。まぁ、そういうのどこかにあるらしいぜ、見たいな感じの「自分とは関係の無い世界」。


けど、よくよく気づいたら、仲間内に女の子こそいないけれども(笑)、いまの普段のブログを通して知り合った友達(僕はリアルもノンリアルもあんまり区別しません・・・深ければ何でもいいのだ関係性のあり方は)とかとの関係性とか日常って、自分が憧れていたものそのままジャン!俺、実はいま幸せ???(笑)みたいな。。。。ほんとインターネットって関係性に激甚の影響力を与えたよなーと思います。こういったn×nメディアは本当に凄い社会的影響を与えていると思います。新しい関係性を開く凄い力があります。それまであった社会とは、本当に関係性構築のあり方がかなり変わっている。。シゴトをしていながら、こんな風に新しい世界が開かれるなんて、数年前までは思っても見ませんでした。ましてや社会人はわかると思うけれども、社会人になってから新しく友達や自分の「仲間」ができることって、ほとんどありえないことなんですよね。ましてや、自分の仕事や肩書きとかそういうものと、「まったく関係が無く」なんてことはありえません。ましてや、いまや親友と呼べる人間までできました・・・。海燕さんのように、誰にも理解されなかったグインサーガ栗本薫への深い思いを共有できる人まで現れました(←これ、自分史にとって奇跡級のこと)。こうした友だちとの趣味を通して、穏やかな日常の楽しさ。日常をテンション高く、他者と共有する喜び。



それを、凄く思い起こさせるんですよ、この物語。無理をしていないで、非常に等身大で



最初は1巻で、ヲタクの自意識の反映のくさみが、、、という意見を書いていましたが。。。。見事でしたね。「ここ」を、「友だちとの関係性と絆の構築」にもって行くことで、ここの持っていたアイディア勝負の問題点を完全に包括してしましました。簡単に言えば、こういった「剥き出しの自意識」に対する揺れ動きの部分・・・いってみれば、個人として「イタイ」部分を、イタイものとして「だけ」ではなく、自分が新しい世界と仲間と絆を作っていく「契機」として据えたことで、この世界がぐっと深く、そして広がりと豊かさをもったんだと思います。もう後半の巻では、キリノのヲタク趣味は、一つのアイテムでしかなく、そこに集う「仲間たちの話」になっています。そして、その仲間たちとの青春物語という非常に陳腐でよくある話(話自体は、本当によくあるもんです)が、ぐっと広がりと豊かさを持つのは、それは、80−00年代を通じて行われてきた「自意識の解体」のイタさを、「イタさ」としてではなく、それは、実は新しい自分や新しい仲間、そして世界への契機なんだ!という前提を踏まえた話になっているからだと思うのです。ああ、時代は変わったんだなーとか思ってありしちゃったりしました(笑)←考えすぎですね(笑)。


ここに僕は凄い新しさを感じました。


げんしけん(1) (アフタヌーンKC (1144))

究極超人あ~る (1) (小学館文庫)


というのは、80−00年代の「自意識の解体」というものは、痛さを伴う告発の物語でした。それは、いってみれば、それは、「そげぶ(=その幻想をぶち壊す!)」的な肥大化した自己幻想を解体することを志向していたんですよね。この時代は、幻想が膨らんだモノを、負のものとして、告発して解体することが、なぜか凄く望まれました。


その典型的なものは、きづきあきら&サトウナンキさんの『メイド諸君!』や『ヨイコノミライ』なんかに良く出ています。ああ、自意識の書いた鋳物で言えば最高峰は、アージュの『マブラブオルタネイティヴ』や『君が望む永遠』なんかもそうだし、なんといっても『新世紀エヴァンゲリオン』の旧映画版までは、まさにまさにです。小説で言えば、やっぱり村上春樹なんかは、まさにですよね。日本映画はそういうものオンパレードでした。

メイド諸君! (1) (ガムコミックスプラス)

ヨイコノミライ 1 完全版 (IKKI COMICS)

メイド諸君!』 きづきあきら + サトウナンキ 実存とストレートに結びつきすぎる生き方
http://ameblo.jp/petronius/entry-10019668890.html

きづきあきら+サトウナンキさんは、けっこう好きで追っている作家なのだが、何が面白さの核心なのかが、どうも言い表せなかった。が、ある程度、この作品で、最終的な分析が出た気がする。

①バッファーが無さすぎる裸でむき出しの心

この人の作品に出てくるキャラクター(登場人物)というのは、実存がクッションなしに現実世界とリンクしすぎている、というのが特徴なんだ。結論から言うと、その脆弱な自意識を、これでもかってエグって告発することにカタルシスを得るという作風なんですよね。

中略

人間の自意識って、

A:自意識(実存、プライド)

B:自分の意見

A=Bなんだとします。A=Bだと考えると、意見を否定されることは、Aの人格や生きる意義そのものを否定されることとイコールになってしまうんですね。人間として、これは、ある意味殺人より重い宣告です。だから、Aの否定に対しては凄まじいリアクションが帰ってきます。でもさー、、、、ちょっと考えるとわかるけれども、A=Bってのは、すっごく薄い人間なんですよね。というのは、ほんとうは、Aというものは、Bの意見だけではなくて、それ以外の例えばCとして人生の経験深さとかに保証されているものなんです。つまり、A:自分が自分であることの証明や自信というものが、どんなものに裏打ちされて生きているか?と考えた時に、Bの自分の意見という人は、体験や経験の価値がひどく少ないということを証明しているようなものなんですね。


前にこんな記事を書いていました。基本的に自意識の痛さが、悪いもの、負のもの、として攻撃の対象だったんですよね。



けど、それがそうじゃなくなってきているものが自然で等身大で描かれるような時代になってきたのかなーという気がします。なんかそんなことを、この本を読んでいて思いました。



ちなみに、だからこそ、僕は黒猫が大好きです(笑)。


あの痛さが、ちゃんと自分が成長していくことに繋がっていくのは、スゴクスゴク感動します。基本的にああいう痛い系は、自分の鏡を見るようで大嫌いのはずなのに、なぜかすごく愛おしい。。。。マヴラブとかエヴァでは、人類が滅びる瀬戸際まで追い詰められないと、自分を変えられない(=自意識を超えられない)のに(笑)、ちゃんと編集部でワナビー自意識をぶち壊しても、自分の美意識をちゃんとつら抜けるし、一人の世界に逃げないで闘って仲間を得るし、ちゃんと告白までして、逃げないで好きな人までゲットかよ。。。。黒猫偉いよ!、とか思ってしまった。

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