『オールラウンダー廻』 遠藤浩輝著 絶望の底の後に、あきらめきった乾いた明るさが生まれる時、人は何をするんだろう?

オールラウンダー廻(3) (イブニングKC)

総合格闘技修斗をテーマにした物語。なんというか、「ああいい題材を見つけたんだなー」と5巻まで読んでほっとしている。5巻まで進むということはそれなりに人気も維持しているということだし、読んでいて、マニアックな部分と「らしさ」の部分がバランスがあって、とても面白い、いい物語になっている。主人公の動機やキャラクターなどでエッジを利かせるでもなく、たぶん、この作者本人が好きな淡々とした世界の中で、それでも日常が続いていく感じで、たぶん作者は書いていて凄くほっとしているじゃないだろうか。


短編集を読むと、といわなくても、『EDEN』を読めば、この人の世界観は暗い。でも、、、なんというか、貧困、、、というのでもないだろうが、、、低所得者の世界と言っては、差別的になるのかもしれないが、南米の低所得者の世界とか「上に這い上がるのがほとんど不可能な世界」ってあるもんだと思う。高度経済成長という、続いていく経済成長と「明るい未来」という幻想が失われてしまった日本の中流階級もほとんど実はここに入るんだと思う。


実は、中流なんてないんだよね。一億総中流というのは大ウソだ。実際に、あるレベルの所得を超えなければ、家自体が高所得で続いていくなんてことはほとんどない。あるレベルというのは、まずは「ストック」だ。フロー所得ではなくね。給料でいかにたくさんお金をもらっても、人に雇われている限りは、いつでもその「家」自体は没落の可能性がある。だから資産でもっていないと、中流とはいえない、、、ってこれは、イギリスでホームステイしたときに、そこお父さんにいわれたことだ。イギリスでは、中流とは、牧場とかマンションとか、働らかないでも給与所得のある人を指すんだっていわれた(ほんとかどうかはともかく)ことが、良く思い出される。フロー所得では、、、、そうだなぁ、手取りで!年収で二千万をこえないと、こういうレベルにはならない。・・・つまり、日本の中流といわれるほとんどの人は、フロー所得(サラリーマンが多いからね)であって、中流じゃないんだよ。経済の変動、特に景気の変動や成長率によって人生が簡単に激変してしまうから。僕にしても、給与所得者としては相当のレベルにはあると思うけれども、自分が中流だ、と思えたことは一度もない。日本社会がインフラが整っていて高い経済成長率とパイが大きくなる社会だったから、そういう夢が今まで人々は見られただけだとおもうんだ。だって手取りで二千万レベルって、凄まじい特殊専門的知的スキルがないかいぎりありえない。僕はホワイトカラーとしては、まぁそれなりに優秀だと思うけど、しょせん、そういう技術はいくらでも代替がきくと思う。この日本社会では、たぶん、非常に安定したエスカレーターに乗っているこの僕がそれほど悲観するのだから、そもそも、の中は凄い真っ暗だと思うんだよ(苦笑)。


いままでの日本人は、「終わりなき日常」の苦しさに、、云々と言ってきた。だから今まで自意識の病が頻発してきた。でも、1980-2010は、それでも、まだ日本は「未来には復活する!」という信仰があったと思う。そして実際にGNPの成長率も2-3%台を目指してきた(これは後期資本主義国としては凄い以上レベルですよ!!!)。つまりは、まだまだ絶望が甘かったと思うんだ。けど、人口が劇的に減っていき、財政は破綻寸前、そして、FUKUSHIMAの存在によってエネルギーに深刻な問題がもたらされ、かといって欧米のように他国を犠牲にして事実上の経済侵略と圧政をひいても石油資源を確保するほどの野望もない。。。


この成熟した後期資本制社会のリベラリズムが行きついた価値が真っ白な薄い社会に、それに合わせて、経済的な未来の成長が期待できない「いつまでもいま居る自分の世界から抜けられな絶望」が重なる。そして、その影響を受けるのは、ストックではなくフローによって経済を回すことを選んでいた日本社会全般に覆いかぶさってきます。もちろん、戦後70年以上の平和は、日本に凄まじい額の金融ストックをもたらしました。だから、この下り坂は「緩やか」であろうし、その余裕によって、先進国のフロントランナーたるさまざまな知的高付加価値の産業やビジネスモデルも生まれるでしょう。けれども、それは、アメリカにおけるアメリカンドリームのようなもので、かなりの確率でありうるものではあっても、ほとんどパンピーにとっては無縁の世界。ビルゲイツやジョブスが生まれる傍ら『ボウリングフォーコロンバイン』の世界が続くのです。

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そこで、それでも、どう生きますか?


っていうのが、今後の、僕らの文学の物語の課題だと僕は思うんです。いやまー文学でもなんでもなくて、「僕らの社会の課題」ですね。そういう時に、僕はいつも思いだすのが、この遠藤さんの『EDEN』のケンジとその兄貴のいた世界と北野武監督の『キッズリターン』なんです。そして、この『オールラウンダー廻』はまさに同じ舞台で、この経済の成長が閉ざされ真っ白で価値もない薄い世界の中で、それでも、何をやりますか?という前提が、匂いがある。僕は総合格闘技は、ほとんどわからないが、そういう意味で、とてもとてもいい作品だと思います。あまりに暗くなりがちなテーマで、作者は、このマニアックな世界で読者を失ってしまう方向ばかり書いてしまうかな、、、と思っていたが、ある種の、「あきらめきった後の朗らかさ」がこの世界にはあり、これはとても僕もシンクロする。そう、ある程度絶望が、そこまで落ちると、諦めによる明るさが戻ってくる。屈折しているけど、とても前向きな世界だ。それが描けていて、僕はとても好きです。そして楽しいし、明るい気持ちになる。こんな絶望的な世界なのに。そして、世界って、そういうのがグローバルスタンダードのような気がする。中国とか高度成長に乗っている一部の新興国は、例外なのだ。


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