『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』 第2話 長井龍雪監督 岡田麿里脚本 ノスタルジーはどうやって発動するのか?、その感情は何をもたらすのか?

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

2話視聴終了。


微妙なところで演出が上手いなぁ。ぽっぽが、じんたんに、「やっぱかえっけー!」と叫んだ途端に、じんたんは、ふと肩の力が抜ける。これって、過去の関係性、自分が強く承認されていた時の感覚がよみがえったので、生きるのがしゃべるのが楽になったからだ。


またメンマの「一人成長から残される」というエンドの部分をより切なく情感込めて描くためには、彼女がスタンドアローンで、話者として独立して話しているシーンや、一人で行動するシーンを描けば描くほど色濃くなる。こういう演出は小さいけどうまいよなー。彼女の存在が、どういう意味を持つのか?ということを物語の全体構造から理解していないと、こう小さい演出は積み重ねられないんだよね。


こういうのって、同じシーンを、他の話者から見たらどう見えるんだろう?というのを繰り返すことで、世界の豊饒さを感じさせるんだよね。ああ、、、なんかマクロ的環境設計は自分でも、パズルのパーツを埋めるように追い込んでいけるんだが、、、、それぞれのポジションがどういうい気持ちで、それが絡むとどう動いていくか?というような積み上げの分析が、へただなー。。。まぁ基本的に、おれって不器用な人間だからなー。集中力高めて、外部環境から埋めていかないと、人の気持ちがよくわからないんだ(苦笑)。そういう意味では、さらっと読みこむルイさんとかは感受性高くて、羨ましいなーと思う。まぁ人の気持ちは感じることができれば、「理解する」ことは僕はそれほど必要はないとは思うけれども・・・。


僕は、この物語に「何」を見るのだろう?。結局は、「何かを見る」ってこういうは、そういうことだろうと思う。たとえば、僕には過去に対するノスタルジーがない。なぜなら、僕の人生で最も幸せな時期は、今であり、僕が死ぬときに最も感じるノスタルジーは、妻と出会って結婚するまでと、今までだろうと思う。だって、それが人生で一番濃密な時間だもの。それ以前の、中学から大学までは、僕にとっては、頑張っていた自分への誇りはあっても、二度と戻りたいとは思わない。あんましいいことなかったしなー。僕が人生を、、、人生半分くらい過ぎた自分の人生を肯定するとしたら、やはり妻に、、、大好きな女の子に出会ったことだろうと思う。そして彼女の過ごした時間が、僕にとっての幸せの到達点。そうすると、過去の関係性に、夢や希望を持っていた子供時代にノスタルジーを感じるというメカニズムが、一般的には働いても、個人的にはほとんど発動しない。栗本薫が、私は絶対に若いころに帰りたいなんて思わない。今が、今小説を書ける今が、人生でいちばん最高だ!ということを、40歳ぐらいの時にいっていた評論を読んだ思えがあるが、同じように思う。


このへんの日常とノスタルジーの概念を整理するには、そもそも自分がどのようにノスタルジーを感じるか?という部分、自分のルサンチマンを確認しないと、どうしても自分の実存にひきずられるので、このへんを、少し考えてみるかなー。


ノスタルジがーどのように発動するか?
というのは、いろいろな思考の重要なポイントのような気がする。分析にとっても、自分自身の心をよく把握するためにも。