『アマガミSS 上崎裡沙編』 平池芳正監督  並列的に展開する物語と直線的に展開する物語との対比

アマガミSS 13 上崎裡沙&橘美也 (Blu-ray 初回限定生産)

評価:★★★★☆4つ半
(僕的主観:★★★★☆4つ半)


■オムニバス形式の脚本の横糸と縦糸の構成で立体的に仕上げる
ああ、素晴らしい作品ですね。メタ的にも、ある種の締めを、上崎裡沙で行っている。ルイさんの記事が僕の意見とほぼ重なるので、読んでもらえればいいです。僕は個人的には、森島先輩が一番好きでした。戦場の戦術としては、僕の中の一番は彼女。けれども、うん、戦略としては、上崎裡沙の圧勝ですね。この病的なストーカーを戦略レベルのメタ的な脚本の要において、それほど、この子狂っていない?と恐怖を感じさせないのは、スタッフの演出力の繊細な意識故でしょう。もちろん、超病的な恐怖を描きたいのならば、それはそれでありえたかもしれないのですが、まぁそれは『スクールデイズ』で行われたようなので置いておいて…。ちなみに、この記事は、『アマガミSS』の個別の話というよりは、僕が物語三昧で話し続けている「文脈に位置付けて読む読み方」の中の「並行世界の物語類型」や「ハーレムメイカーの物語類型」の文脈から位置づけるとどう見えるか、ということがメインの記事になりますので、文脈を押さえていない人は過去の記事を読むか時々ラジオでも聞いてほしいと思います。でないと、かなり前提をすっ飛ばしている議論なので、なかなか意味が繋がらないかも。まぁもちろん、もっと深く理解したい!と思った場合のみですけれどもね。


アマガミSS』は、繰り返しますが、立派な
オムニバス恋愛アニメです。
各ヒロインの上下編をソフト化し、販売する
その形式が示すとおり、それぞれのヒロインを
独立して評価し、どの話が、どの娘が好き?と
話をできるような、とても理想的な
オムニバス・チューンがなされている。

しかし同時に、今見てきたように
上崎裡沙という縦糸を一本通す事で
本当の愛情を持つケースを選別する
また、それらをチェックし、支配する
上崎裡沙の偉大なる想いの物語としても
十二分に面白い。どちらの視点にも耐えうる
ハイブリッドな作品になったと思います。



【ひまわりのむく頃に:『アマガミSS』上崎裡沙の、偉大すぎるシンジツ】
http://rui-r.at.webry.info/201101/article_2.html


■並列的に展開する物語と直線的に展開する物語との対比
オムニバス形式が持つ「一本の物語性」のなさをルイさんが言及していますが、とても興味深い。これは、並列的に展開する物語と直線的に展開する物語との対比という概念を考えると、とても興味深いのです。並行世界の物語と僕が読んでいる類型は、そもそもの出自が恋愛オムニバス形式の美少女ゲームのケースが一番その出自としては、わかりやすいものです。他にもいろいろありますが「並行性」を強く打ち出すにあたってゲームの媒体ほどそれが極端に演出しやすいものはありません。また、アニメ、マンガ、ライトノベルの受容形式としてのハーレムメイカー(=ピンのヒロインではなく、周りの序列下位にある女の子の優先順位の平等化)もその出自の一つです。このへんの議論は、ルイさんやLDさんとずっと追っている議論なので、その辺りや過去の記事を参照しながら読んでもらえると、分かりやすいと思います。

天元突破!雨宮ゆり子!
http://www.websphinx.net/manken/labo/clmn/j_amemiya1.html


今何処(今の話の何処が面白いのかというと…) by 漫研LDさん

ちなみに、ハーレムメイカーの起源となるサブヒロインに拠る下克上の系譜を追ったきで、LDさんの上記の記事ほど面白くそして感動する論考はないと思いますので、ぜひ未読の人はトライしてみることをお勧めします。『ななな6/17』における天元突破、『GS美神』におけるルシオラ事件と、エポックメイキングな話題を深めた素晴らしい示唆を僕らに与えてくれるとともに、生きる勇気がわきます(←僕これ読むと勇気が物凄い湧きます!)。これは、ハーレムメイカーの概念を読むに当たっても重要な系譜なので、ぜひ読んでおいてください。、リアルタイムで追っていた人々に比べるとインパクトは弱いかもしれませんが、「他作品との比較」や「文脈で読み込む」という「見方」をする種族がどういうふうに作品を読み込むかのエッセンスが凝縮しています。

GS美神極楽大作戦!! 1 新装版 (少年サンデーコミックスワイド版)
GS美神極楽大作戦!! 1 新装版 (少年サンデーコミックスワイド版)

さて、話を『アマガミSS』に戻します。この作品の特徴である、これらのオムニバス形式には、それぞれのオムニバスの断片化された物語の個々の価値や真実性、優先順位といってもいいのですが、と、全体を貫く「ただ一つの物語しか人間は生きられない」といったグランドルールのバランスの中で、物語のバランス性やその最終的に求める価値を模索してきました。この手の美少女ゲームというのは、一番有名な初期のものとしては、『ときめきメモリアル』でしょうが、このへんの作品を経験ある人には、オムニバス形式(=個々の女の子がいいかどうか?)と、物語の一本化(=メインヒロインがすべてをかっさらう)については、いろいろ思うことがあると思います。

ときめきメモリアル4eb!コレ エビコレ+ キミキス


えっと抽象的すぎるので、言い直すと『アマガミSS』でいえば、オムニバスの個々のヒロイン、、、例えば僕にとっては森島先輩が一番好きなので、森島先輩との関係性が、物語が真実だ!といいたいところです。好き嫌いをいうと、こういう思考になります。けど、この作品にはメタ的に全体を貫く(可能性を言及されている)上崎裡沙編という、この物語の基本的な動機であり本質である「橘純一のクリスマス・トラウマを回復して新しい恋をする」ということの背後の構造を司るメタ物語が設定されています。そうすると、戦術的には、個々のヒロインが一番!ということができたとしても、戦略的には、では、この全体を貫く物語(=一本化された真実の物語)とどっち序列が上か?という議論が生まれることになります。

【ハーレムメイカー】『アマガミSS』×『ヨスガノソラ』のヒロイン並列構造の解法http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/62d90819f834954d9ff630fbe25eeb7b


今何処(今の話の何処が面白いのかというと…) by 漫研LDさん

序列の議論は、LDさんの序列の歴史を読んでもらえるといいのですが、恋愛の物語類型には、基本的にメインヒロインが絶対優先の法則があります。理由は簡単で、物語というのが「一つのオチ・目的」に向かって時系列的に紡がれるシステムになっているので、このルールを守らないと、物語が意味不明になってしまうんですね。曰く、目的や意味が不明になってしまう。あと人間が、何かの物語を感受するときには、「同じ時間と並行して何かを体験することができない(=並行世界は現実ではあり得ない)」という時間制の縛りというグランドルールがあります。時間性の縛りは、マルティン・ハイデガーの議論ですよー(笑)。暇ならば『存在と時間』を読んでみましょう(あまりにも議論とかけ離れているお薦めだ・・・)。こういった物語の媒体としてシステム上から、オムニバスと全体を一本でつなげる「真実の物語」には、常に緊張ある関係が生まれます。どっちがほんものやねん??(←なんで関西弁?)というやつですね。

存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)

この物語というOSのシステムバランスについてのメタ的な自己言及性の仕組みを知っていると、いろいろ見えてくることがあります。また監督や脚本などの演出で、「何が伝えたかったことの本質か?」ということの理解の補助線になります。また、クリエイター側でも、メタな自己言及のシステムと物語ることの構造的問題を理解していると、様々な表現の可能性が広がると思います。それ故、このへんを、僕は語りたいなって思っているのです。


この『アマガミ』という作品は、明らかにオムニバス形式に偏った作品です。ハーレムメイカーというには同時性がないし、並行世界というには個々のエピソード世界はほぼ独立化して、相互不干渉です。全体を貫く物語としての上崎裡沙編も、アイディアという域を出ず、確かに見事に花を添えている素晴らしい物語ですが、まぁ、自己言及性のいう意味ではそれ自体の深みは足りません。「深み」というのは、ようは「どっちが本当の物語か?」ということを受け手に強く倫理的に迫るというオムニバス・並行世界・ハーレムメイカー形式の「相対化の中から絶対性を選択決断をする倫理性」が問われないからです。これは、主人公の側、橘純一側に、物語の主題となる動機がないから発生しないんですよね。マクロ(ミドルかな?)的には、クリスマス・トラウマの回復という主題があるのですが、それが純一の内面と自意識と深くリンクして、影を落とす、というほどじゃないでしょう?。だから、彼にとって「正しい唯一性とは何か?」という問題が発生しないんですよ。これは、とても薄い動機の物語だと思う(僕の世代からするとね)。だから、主題がすぐ女の子の内面にシフトしてしまう。もっとも物語として成功しているのは、綾辻さんの話なのは、彼女の内面に抱えている自意識の問題が一番「濃い」からですよね。少なくとも、彼女には誰か本音で話せる人がいばければ、強烈な孤独の中で自分の才能をブースとする日々が続いてしまうので、彼女にとって純一は、かなりの唯一性を持つサルベーションです。いいかえれば、なかなか代替が聞かないってことです。他の女の子は出会いの早い遅いはあっても、誰かには出会うでしょう。けど、綾辻さんは、高校生のこのタイミングで、自意識のサルベーション(=救済)を経験しなければ、この妄執じみた(笑)エネルギーは、よほどのことがない限り、そのままで大人になってしまいます。


■社会の成熟化が進行して「ただ一つのみんなが納得する物語(=マーケットニーズで大多数が支持する最大公約数)」という幻想が解体されること
さて、1980年代からいままでの日本社会の表現のポイントは、社会の成熟化が進行して「ただ一つのみんなが納得する物語(=マーケットニーズで大多数が支持する最大公約数)」という幻想が解体されてきたことにあります。よいいい方にすれば、インフラが整ってきたため、多様性(=ダイヴァーシティ=ニッチで少数派だけどロングテールが可能だよ)が許容される社会が形成されています。

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ちなみに、少し話はずれますが(ってこのブログの読者は、分かるだろう…という甘い期待が・・・)、経済成長というマクロトレンドは、幸福・不幸に非常に基礎リンクするインフラなので、これに対して、「自分がどこにどういうふうにいるのか?」という位置づけはよく理解していた方が人生は幸せに生きられると思うのです。僕は科学教の緩い信者で経済成長を、成長に拠る輝きと影を両方とも目指すべきだと考える人で、その理由は、ちきりんさんの下記の記事と非常に重なります。科学による経済発展は、その強烈で激烈な競争社会や、人に要求する不断の緊張と自己主張によって、非常にしんどいものです。資本制の社会というのは、人の動機を徹底的に欲望に駆り立てることで成り立っていますからね。けど、、、それでも、僕はそれを肯定します。興味深いので、読んでみてください。

2008-02-23 豊かになる意味
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080223


Chikirinの日記

さて、議論を戻して、、、、経済成長が、幸福と不幸の「実感」と非常にリンクするということの意味を説明すると、、、日本の1980年代からの価値観の多様化の中で「選ぶべき基準が多すぎて、絶対性の獲得が失われ」る事に拠り、唯一性や真実性が成立しにくくなっていくことに拠り(繰り返し・・)、実存感覚が弱まることが分かってきたんですね。むしろ選択肢が少ない(=貧・病・苦)がベースにあったほうが、強烈な不幸や不自由があったほうが、自分自身の唯一性に輝きを増す可能性が高かったということが逆説的に分かってきてしまったのです。これは、現代の韓国映画を見ると、その不幸の教諭がどれほど人にダイナミックで深い感情を齎すか、ということがよくわかります。60年代以前の日本映画の美しさと重なるんものです。実存は、選択肢がない状態で追い込まれた方が、選びようがないので絶対性にコミットしやすかったわけです。自分の意思と選択の結果ではないにしても、結果としては、それで大多数の人は幸せを獲得する量が多かったのようなのですね。

僕はここ数年、日本の現代の映画をほとんど見ていないですが、タイトルや予告を見ているだけでも、映画としての濃度がまったく違いすぎるのを感じます。日本社会が希望を失った「ぼんやりとした不安」と「動機LESSで空気にたゆたっている」世界で閉塞している、、、言葉でいうのならば「薄い」のに比べると、その猥雑さ濃密さが信じられない位の「濃さ」です。決して、現代日本に比較して希望があるわけでも、お金があるわけでもないのでしょうが、何か圧倒的な「濃度」の違いがある。現代日本の置かれているポジションと現代韓国の置かれている、何らかの熱量の違いを、その絶望的な質の違いを、感じざるを得ない感じです。キーワードは「濃さ」なのかもしれません。何が違うんだろう?と思う。少なくとも韓国社会の経済レベルは、都市生活のレベルは日本と既に遜色がないと僕は思うので、決して開発途上国の高度成長の持つ楽天的な「希望」というステージは、既に韓国は過ぎ去っていると思うんですよ。なのに何の違いがあるんだろう?と。この違いは映画のクオリティの差だけではなく、例えば、作られるドラマの質量とかを見ても、凄まじい差を感じますよね。


『息もできない(2008年韓国映画 英題:BLESSLESS)』 ヤン・イクチュン監督 繰り返される負の連鎖からの脱出
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110302/p1

息もできない [DVD]

けれども、そういう構造的問題点(=絶対性を選択決断に拠るものでしか得られないので、現代では生得的には得にくい)というものがあるにせよ、多様性は、それまで抑圧されている様々な可能性を花開かせることになりました美少女ゲームでいえば、ようは、いろいろ女の子のタイプを攻略する喜びが増えたとでもいいましょうか?(男性ゲームでもいんですよ)。けど、この形式を追求する、、、言い換えれば多様性、もっと言い換えればハーレムメイカーの出現によるあの子もこの子もかわいい!状態(=IS・インフィニット・ストラトス!)(笑)で、この形式を追求すると、しかしながら、いったい何が真実なのか?という唯一性の問題は、必ず問われることになります。それが、オムニバス形式・ハーレムメイカー形式の果てに、並行世界としてそれを一本の軸にまとめるという荒業が登場することになるのです。このもっとも、ストレートな仕組みの利用者は、アージュによる『マブラブオルタイネテイブ』ですね。最大のテーマは、まんま偽りの世界の中でのの真実の唯一性の獲得、です。ちなみに、この唯一性の演出については、初めて経験した当時、凄まじく感動したため、物凄い詳細に記事を書いたので、ゲームやったことがある人は、ぜひ読んでみてくれれば、ハーレムメイカー(=女の子たちのオムニバス形式を使用した等値距離)類型に慣れ切っていたところに登場した、凄味が伝わるかと思います。ちなみに、ゲーム経験がない人は、やってみないと人生損ですよ、レベルの超弩級の傑作です。その場合は、『マブラブ』無印から、どんなにつらくとも(笑)我慢してやって見ましょう。美の決裁者ペトロニウスの名にかけて、凄まじく面白いですよ。

IS <インフィニット・ストラトス> 第6巻 [Blu-ray]

マブラヴオルタネイティヴ DVD-ROM版 リニューアルパッケージ

その1 アージュ素晴らしいよっ!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10039706627.html
日常と非日常の対比から生まれてくるキャラクターの本質
http://ameblo.jp/petronius/entry-10039733001.html
その3 自意識の告発〜レイヤーごとにすべての次元でヘタレを叩き潰す
http://ameblo.jp/petronius/entry-10039764254.html
その4-① クーデター編は傑作だ!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10043127518.html
その5 多選択肢の構造〜なんでも選べるというのは本当は虚偽なんだ!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10043315057.html
その6 冥夜があれほど気高く見えるわけ/虚偽問題に騙されるな!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10043448983.html
その7 夕呼博士の全体を俯瞰する視点〜真の支配者の孤独
http://ameblo.jp/petronius/entry-10044618054.html
その8 あいとゆうきのおとぎなし〜多選択肢から唯一性へ
http://ameblo.jp/petronius/entry-10047104353.html

もちろん、いやいや、そもそも唯一性なんかいらないじゃないか!という論理的結論もあれば、恋愛漫画やアニメの形式では、1番ヒロインと2番ヒロインの三角関係という定番のなかで、「両方とも俺が面倒見るぜ!」というアラブの王様風甲斐性レベル問題に到着したりまします。けれども、この議論の根底には、多様性と唯一性の綱引きもしくは相対性と絶対性の対立という大きな問題が背後の一番奥底に隠れています。ちょっと『アマガミSS』の話としては長くなったので、これはこのへんにしたいと思いますが、ようは、多様性と唯一性の綱引きがある!ということを覚えておいてもらえると、クリエイターを評価したり、いいたいことの本質をつかむ時に、「どっちの構造を利用しているか」という、目利きの『目』ってやつが養える、というお話です。


こういう文脈で見ると、上崎理沙編という「唯一性の視点」を挿入するところは、演出としては、非常に技が効いている、といえます。しかし、主題として、それが主人公の動機と深く交わる物語を設定しないで、あくまで、「そういう視点もある」という他とのバランサーレベルで置いたところは、深読みはできるけれども、これはある種のサービスです、と僕は思います。ただし、全編にわたって、背後に上崎さんが居たんではないか?ということをにおわせるところは、物語の複雑性に、非常に「奥行き」を与えます。これを考えているといないとでは、それぞれの個々の演出の深みの意識が全く変わってきてしまうからです。これがあるとないとでは、旬の時期が過ぎて、アーカイブとなった時に、時間を無視してその世界をどれだけ堪能耽溺できるか、という奥深さの差になります。ゲームとかいろいろやって、この上崎さん視点やその裏側で陽の視点の美也編などを考えながらもう一度エピソードをやり直すと、ニヤニヤがたまりません(笑)。繰り返しの観賞に耐えうる作品は、世界を、他のキャラクターの視点で見たらどう見えるか?という多様性や複雑性を備えているか、、、他の視点から見ても物語が一つ描けてしまうぞ!というような重層性にあると僕は思います。現代の物語に要求されているのは、こういった情報量の多さです。ちなみになかなか難しいのは、情報量が多いけど、普通に見ると、非常に感情移入しやすいシンプルな物語でなければならないというのも、現代の物語のしんどいところです。

ということで、アマガミSS、堪能しました!!!。『レスター伯の憂鬱』のレスター伯さんに心よりの感謝を!!。彼の『アマガミ』への愛を、ぜひ下記の記事で堪能してください!。この数週間は、素晴らしい時間でした。やっぱり「時」ってあるねぇ、、、無理やりラジオに、敷居さんたちを呼び出した、かいがあったわ…。出会いは偶然からですね、常に。

ヒロインと本気で恋しようじゃないか ―『アマガミSS』全ヒロインレビューのすすめ 前編―
http://d.hatena.ne.jp/pushol_imas/20110120/1295519236

ヒロインと本気で恋しようじゃないか ―『アマガミSS』全ヒロインレビューのすすめ 後編―
http://d.hatena.ne.jp/pushol_imas/20110123/1295774176

上崎さんと本気で恋しようじゃないか ―『アマガミSS』全ヒロインレビューのすすめ 特別編―
http://d.hatena.ne.jp/pushol_imas/20110127/1296139703

サブヒロインとしてのヒロインの在り方 ―『アマガミSS』全ヒロインレビューのすすめ 補論―
http://d.hatena.ne.jp/pushol_imas/20110130/1296381322


『レスター伯の憂鬱』より

では、今度ラジオしましょうね!!!。