NHK 原発危機 第一回を見て

http://www.nhk.or.jp/special/onair/110605.html

■思考を複数化して、常にその他の代替選択肢を考える全体網羅感が必要

初見で思ったのは、「その他の代替選択肢」を、MECE的に考えていないことが致命的な「後手」を生んでいることだ。最初に、「電源車を確保できれば」となり次は「ベントを開けば」となり、常に思考が一直線。それも、総理、東電本社、原子力保安院などなど、出てくるプレイヤーが一律に、「全体としてどういう選択肢があるのか?」という「選択肢の網羅」を行っていないなんだな、と思いました。


自分が高い視点からそれが悪いと批判するのは無駄なので「なんてバカなんだ!」というような思考停止は避けて考えてみると、緊急事態の思考というのは、「代替選択肢」を考えにくいということなんだろうと思います。では、指揮官級のリーダーたち(総理、東電の指揮者だった常務、原子力保安院のトップ)など、大きな物事への指揮権限を持つ人々が、そうした緊急時にまず「代替選択肢」を同時並行に進めるという思考をもてなかったのはなぜか?と考えてみると、、、、なぜなんだろう?。


ふと思いつくのは、縦割り行政的な官僚思考は、日本のほとんどすべての大組織を覆う病なので、やっぱり「現状の与えられているリソース(=与えられたゲームのルール)のみを根拠として、最適化のゲーム」をするというのが身にしみついているので、ゲームのルール自体を変えようというメタ発想が、現実の行動において生まれにくいとても多いということが言える気がする。


それと、もう一つは、「緊急事態の指揮」というものに慣れていない人が多すぎるんだろうと思う。これは、やっぱり軍事関係者、軍での部隊展開など緊急状況での指揮を経験した人が、政治でも産業の分野でも、とても少ないことが大きなマイナスポイントになっている気がします。僕は専門ではないのでわからいのですが、肉体的に、精神的に追い詰められている状況下では、指揮に対する「やり方」が凄く歪んだり、思考が一直線化しやすいということを前提に考えてものを考える訓練をしている人が、ほとんどリーダーの分野でいないんだろうと思う。


■大組織を動かす時の情報の混乱、意思疎通の遅れに対する非常事態の技術について

基本的に311以後の5日間の「初動」が非常に後手に回ったことが、事態を深刻化させている。その中で一番大きいのが、やはりそれぞれの組織間での情報連携がほとんどうまくいっていないことだ。


現場→東京電力本社→原子力保安院→官邸


と、これを見ただけで、ほとんど機能しないことはわかる。だって伝言ゲームになるに決まっているじゃないですか。まずは、全ての情報集約社を一か所に集める「統合連絡室」みたいなのを、すぐに設置して、、、たぶん、これは、東京電力の本社に持っていくのが一番良かったんだろうと思います。日本社会はそうでなくとも、各組織が共同体化して、縄張り争いをしやすい伝統を持つので、常に指揮官は、情報の共有がスムーズに行われるための「組織を動かす技術」を意識しないとダメなんだな、とやはり痛感しました。


現場からの情報の信憑性の確認をしていて報告が遅れた、と原子力保安院のトップの方がいっているが、、、これって、指揮者の宿命であって、バイアスがかかって報告される情報の中からどうやって、本命の情報を整理して現実に対して指示を出せるかが、指揮官の最も必要な技術なんですよね。それで、こういう「自体が刻一刻と動いている時」というのは、途中の組織が情報を取捨選択を行うのって、凄く無駄な気がします。というのは、この情報のスクリーニング作業を、東電本社、原子力保安院、官邸と3か所で行うわけでしょう?これって時間かかりすぎると思う。少なくとも3者が一堂に会して、同じ場所で検討しないとバイアスがかかり過ぎて話にならない。現場からの情報が3者同時に同じだけ到着して、それぞれがスクリ−ニングして、その後3社で調整して、総合指揮者に報告すればもっと混乱が減ったはず・・・。たぶんここではあまり出ていなかったが、国民に対して、どういうふうに情報を公開していくか、という公開のルールやノウハウもあまりなかったにちがいない。


この2点は、指揮するものとして、「緊急事態」の時に、常に考えておくべきなんだな、、、、とかそんなことを思いました。