日常と切り離されて異なる日常へ


ふと思うのだが、こうしてそれなりの長い間、、、基本的にな日常のやらなければいけないことから、感覚的には、3-5日以上切り離されると、身体は、どうも非日常というか、異なる日常へシフトとしたと感覚が捉えるように思う。

これはぼくの持論で、だからこそ、学生の時間がある時に、バックパッカーを薦めるですよ。もちろん、一人でなければ意味を持ちません。近くに日本語あるのもダメです。本当は、今の僕のように、目的があるのもダメです。だから最初の大学生の時バックパッカーをした時は、地球の歩き方のような情報誌も持って行きませんでした。ツーか、そんなものがあるとは知らなかっただけですが、(苦笑)。そうした目的レスで、かつ異郷にずっとほおりこまれると、感覚が凄い変わるんですよ。そういうのを若いうちに経験しておくことはすごく意味があると思う。環境が激変したりすると、信頼できるのが、自分の感覚や判断の見になるので、内なる声というと宗教ちっくですがそういうものが、感じやすくなるので、とても興味深いです。人間、なかなか、自分が本当にしたいことや、自分が環境が超激変した危険な状況になった時の自分の強さや弱さって、わからないからね。

ということで、もう会社に入って十数年が経過して、こんな学生的な身分に戻るとは思いもよりませんでしたよ、、、(笑)。会社に感謝です。まぁ、仕事物凄い量をこなして、後任が楽にカバーできるように、してきたので、まぁ少しの間だし、問題ないとは思うけどね。。。。個人的には、奥さんと、こんなに離れて暮らすのは、初めてなので、、、、、超寂しい、、、けど、まぁ、それは仕方がないよね、、、。中のいい夫婦が片方が死ぬと、もう片方もしんじゃったりおかしくなったりするというのはわかるなぁ、、、あれって自我が共有とか、依存を超えて、シェアしているだろうなーとおもう。まぁ、僕はそこまでではないけど、やっぱちょっと違和感ある。側にいないなんて、、、、

といいたいところだが、実は、驚いたんだが、、、、LDさんや海燕さんとは話したからわかると思うけど、Skypでただで、タイムラグぜんぜんなく、しかも映像つきでいくらでも長時間話せるだよね。こうなると、何か離れている気がぜんぜんしない。しかも、スタバでもどこでも、wifiどこでもつながるし、、、、こうなると、もうぜんぜん違うよね、昔とは。僕が学生でバックパッカーをだった頃は、海外に出たら最後、手紙くらいしか連絡を取る方法がないので、事実上音信不通になったものだもの。友人のロシア人が、毎日ガンガン長時間家と話して、ヨーロッパの友人とSkype、もちろんiphoneではなしているのをみると、ふへーもうSFだよってかんじ。これが映像は、今後拡張現実になっていくわけだから、、、、、。

コミュニケーションコストが、物理的には、ものすごく下がっている時代なんだよな、と感心した。けど、これって、その分、その他の感覚が、おかしくなる可能性は高いな、、、と思う。物理的に国境や言語の壁自体の大きさは無くなったわけではないんだから、、、、。不思議な感覚です。