『ぷよます』 〜何も社会的な成長や価値にコミットされていないローカルな勝負がもたらす果実とは?・いま目の前に限りなくシリアスにコミットすることの楽しさ

アイドルマスター 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]
アイドルマスター 2 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

そんなにぷよます好きなら、見ろよ!と、友達に怒られました。アイドルマスター。見ないとな、、、。なんでも、とてもいい出来だそうだ・・・。

さて、本題。ぷよますを語るにあたって、この物語持つメタ的な仕組み、アイドルマスターのキャラクターによって形成されている部分などを語ることは、とても興味深いのだけれども、そこは、村上裕一さんの『ゴーストの条件』的な長い説明が必要とされてしまうので、今回は、それは置いておく。

ゴーストの条件 クラウドを巡礼する想像力 (講談社BOX)
ゴーストの条件 クラウドを巡礼する想像力 (講談社BOX)


というのは、僕がこの物語で言いたいことは、もっと違うことにあって、ああ「勝負というもの」ってこういうものだよなーと、いろいろ思うところがあったので、そこを話したい。僕は、ブログのカテゴリーでベイシックスキルというものを作っていて、これって、僕の語りって、すぐ説教的になってしまうので、どうも、どう生きるべきか?ということに、僕はいろいろいいたくなってしまう、うざい人みたいなんだよね(笑)。ただ、これは、聞いてくる人にはいうけど、基本的に、自分にかしているとか、自分が信じていることの表明なんで、まぁ、うざかったら無視してくれればいいんで、と思っています。ただ、意見、というのは、「その人がどんな人か?」「何に喜びとや怒りを感じるか?」ということが、その人のキャラクターがわかっていないと、何をいっているか結構わからないことが多いんだよね。だかた、まー僕のこの垂れ流しのブログも、きっとそういうのを読んで、嫌い、とか好きとか思って、そうして読んでくれないと、ある程度複雑なことは、よく伝わらないと思うのです。

さてさて、では、ぷよます、の何に惹きつけられたか?って。この作品は、ようは、初代ぷよぷよが、アイドル事務所で盛り上がっています、というただそれだけの作品なんですよね(笑)つまり、まず大事なことは、


勝負のフィールドが、何も社会的な成長や価値にコミットされていないという、ローカルな勝負だ、という事が、僕は注目に値します。


というのは、そもそも、僕は、いい大学にいっていい会社に入ってと、スクールカースト的なものからウィンプ議論でもなんでもいいのですが、社会的な価値で選ばれないものには全く意味がない、まずはそれありきなんだ!ということを、ずっと教育されてきた段階のジュニア世代だ、ということです(笑)。だから、抜き難くこの価値観に支配されて生かす。しょうがないじゃん、そう育てられちゃったんだから。また、それで成功して生きているので、疑問の持ちようがないんですよ。また週間少年ジャンプの友情、努力、勝利も、実は背景にこういう「上昇して成功していくこと」に価値があるという高度成長的な価値観がリンクしていたことは、疑いようがありません。現代では、それが変質して、「仲間という絶対的なもの」への信仰にシフトしていると僕は思うのですが、まぁ、それは置いて置いて、そういう前提で世界を眺めている人が、このなんの役にも立たない、なんの社会的な勝利や価値をもたらさない勝負に、普通は、なんの意義も持たないはずですよね。・・・・・しかし、僕は、異常に感動したんです。これに。それは、とよだみのるさんの短編でスロットに死ぬ気でコミットしているうちに、コミットしていることそのもの、集中力が極限まで極まっていくことによって、自由を体感する、という物語がありました。これ、自由の一つの答えなんですよね。人間が、いま、ここ、という環境の奴隷であることから、集中力によって時間と空間を自己コントロールする全能感を得ることが、解放につながるというやつです。チクセントミハイ?だっけ、えっと、フローの概念ですね、これ。

フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)

FLIP−FLAP (アフタヌーンKC)


でも、僕はいつも思っていたんですが、極限の集中力による、こういう解放の解脱って、ちょっと小乗仏教的というか、宗教的すぎるというか、、、あまりに、個人的にすぎる世界観だよな、といつも思っていました。個人として、このかけらを感じる様になると、集中力のコントロールということができる様になるので、非常に有用です。また、「そこ」があれば、社会がどんなに自分にとってツライところでも、頑張れるという個人のサンクチュアリを形成できます。けどさーなんか、ちょっと極端すぎるんだよなーっていつも思っていました。まぁ、日本社会でいう「道」がつくものは、というか東洋的な宇宙観でいえば、これは、ある種、個人がうる最高の解脱なんだろうと思うので、この方向性は、まあありだな、と思います。けど、、、


そう、もう少しそういう極端なのではなくて、何かにコミットすることがもう少しフルーツフルなものをもたらすものはないのかな?という様なことを、僕は考えていたんです。



が、根っからが競争社会で生きているので、どうも、もう少し社会にコミットして、集団で、、、というを考えると、どうしても、社会的になんの価値があるのか?とか、ゼロサムゲームを想定してしまうんですよね。僕は、受験戦争で勝ち抜いた人なので、自身の拠り所が、物凄く「そこ」になっています。受験に意味はない、というけど、勝ち残るために極限の努力をして、勝ち残った人にしてみると、なにを言われようが「おれはやった!」って自負があるはずですもん。その成功幻想は、社会的な有用性は現代ではかなり失われていますが(笑)でも、ペーパーワークなどの現代社会に必須な基礎スキルの鍛錬によるもおなので、そう入っても、。強いです地頭ある人の能力は、ない人とは、断然違いますよ。けど、僕のブログを読んでいる人は、ギリギリの競争の果てにある喜びと同時に、人間には、なんとういか、ゆうきまさみさんの『究極超人あーる』のような無意味に、ただそこにあることコミットする、そういう生き方もあるんじゃないの?と、僕が考えてきたことがわかると思います。でも、それって、どうやるのかが、競争のエスカレーターに乗っている自分には、よくわからなかった。僕の、自分探しの趣味(笑)は、この競争のエスカレーターを「降りないで」どうやって、競争でない価値にコミットできるか?でした。非常に贅沢な設問でした。

究極超人あ~る (1) (小学館文庫)

僕は、これを二者択一で考えていたんですね。ずっと。でも、ここ6ー7年ぐらいで、実は、この二者択一の発想は、極端に偏った自分を矯正するにはよかったのですが、実際に生きていくときに作法として、実は、こんがらがって分けられないものなんじゃないか、と思うようになってきました。特にここ最近。これ、具体的な例は、『ハンターハンター』を見てて思いついたのですが、あれって、『ドラゴンボール』のような強さのインフレがないじゃないですか。これは、勝つということに体する考え方の違いからきていますよね。ドランゴンボールは、勝つことが数字の基準でわかる、わかりやすいものでした。けど、ハンターハンターは、この世の中が組み合わせや、戦略、戦術によって、いろいろな勝ちかた負けかたがあるのだ、という前提があります。だから、物語が長く続くんですよね。また、必ずしも絶対的に強い相手が勝つとは限らない。だからこそ、世界なんですがね。僕らの世界も、そうじゃないですか。人間万事塞翁が馬

DRAGON BALL 完全版 34 (ジャンプ・コミックス)

HUNTER×HUNTER 26 (ジャンプ・コミックス)

さてはて、僕は、どうも、

社会的に無意味だけど競争にコミットして、いいかえれば主観ではなく、第三者と共有される現実にコミットして、


そのときの人間関係の展開の成熟を通して、いまそこにあること、いまここで出会った関係に絆を結ぶこと、


さらには、その競争が、単一基準での競争ではなく、競争を通して多様性が感じられ、ルールを遵守することと、ルールをメタ的な意識を持ちながら克服、改変すること、


ってことに、どうもキーがあるらしいみたいな抽象的なことを最近考えていて、それに、びたってぷよますってはまったんですよね。おお、やっとプヨますの話かよ、俺って本当、意味不明というか、前提長すぎる文章書くよなー。さて、僕が、ぷよますの背後に見ていた、勝負の凄みってのは、抽象的には上記の通りです。そして、これって、僕がいくつか掲げていた人生の設問に凄くはまるんですよね。というのは、ミキが象徴的なんだけど、このぷよます勝負で強くなるほど、芸能界という自分の本流のフィールドでのポジションも強くなっていますよね。なにをいっているかというと、ローカルな勝負でもなんでも、そこに深くコミットして結果を出した人は、勝負強さや勝負において必要な何らかのものを深く学び得て、本流においてもそのノウハウが使用できるようになる、という法則があるように僕には思うんです。なぜならば、勝負という物は、組み合わせなどの戦術でいくらでもひっくり変わるものだし、そもそも、ルール自体をメタ的に更新していくことが、そのときの勝負ではなくとも、生き残って時間軸を長く見れば、いくらでもあり得るものだからです。だから、様々なタイプのルールで、さまざまな勝ち負けの方法を理解して体感している人は、戦略・戦術の自由度が非常に幅広く柔軟に持てるようになると思うのです。


まぁ、ちなみにこの死生観、宇宙観が極まるとネイティヴ・アメリカンの哲学というか生き方になるんだよなーと思います。いま、この時を生きる。そこに宇宙のすべてがある、というやつ。

・・・・・なにがいいたいのか、いまいちわからんくなった、、、、。

ようは、ぷよます見よう!ってことがいいたいだけ。

今日は死ぬのにもってこいの日



いいたいことは、これだけだとおもっていたけど、この記事数カ月泣かせてあるんだけど、、、自分が言いたいことが分かってきた、、、、


「いま、ここ」で頑張れて結果が出せて楽しめないやつなんか、ダメなんだってことがいいたいんだろう、、、、


逃げる正しさもある、けど、にげるただしさ、「いまここでない」ところに行くことの正しさだけが喧伝されるのは、間違っていると思うのだ。どっちも等分の選択肢。