『米内光政』 阿川弘之著 西郷隆盛のような無口で指導者の風格を漂わせる海軍軍人

米内光政 (新潮文庫)

読み始めた。この人はいろいろなところで登場するが、どうも寡黙な人のようで、非常に存在感が薄い。。。。のに、物凄い意存在感を放っているんだよ、歴史に。不思議な人だ。ということで楽しみで読んでいる。西郷隆盛型なのかなー。いろいろ問題点はあると思うが、物凄く優秀な人であったというのは間違いないようで、彼を追うことはいろいろなことがわかるに違いない。


あとどうもいろいろ読んでいてわかってきたが、阿川さんは、やはり文学者的に「小説」を書いている感じが強いので、技術史や戦略に関すること国際法の常識などが、あまり専門的にはないんだよね。だからもともと一海軍軍人が書いている視点にならざるを得なくて、そうすると、そもそも「すべては陸軍が悪くて、海軍は正しかった」というイデオロギー史観でしかものが見れなくなってしまっている。また、彼ら海の軍事は、確かに国際的視野が広く高踏的な、当時の日本国民のレベル(民度)やマスコミ、陸軍よりもものが見えているのだけれども、それが故の問題点がある。それはそもそも、そういったわが日本人の民度こそ、我々そのもの、という同朋意識が僕には弱いような気がする。ようは国民を意外に見下しているなーと思うんだよね。海軍全般の強いエリート意識は、この共同体の中にいればいいし、戦後は海軍善玉史観に基本的には染まっているので、おかしい気がしないのだが、これは当時としては非常に「高踏的(現実離れしている)」視点なんじゃないだろうか?と思う。とはいえ、もっとおいまの時代的には共感できる、自由主義者リベラリスト)の視点ではあるんだけどね。それと、なんとなくわかってきたが、この当時の日本の官僚には、国際法のステージの違いに関する意識がほとんどない。官僚とは外務官僚と軍官僚。彼らが特に日本の運営をしているわけだから、彼らにないのが致命的。日露戦争当時ぐらいまでとか、日英同盟時代の日本は、物凄く国際法に敏感な国家だったのに、何がどうしてこんな愚鈍になってしまったんだろう、、、、。よほど徳川時代出身のサムライ(笑)のほうが国際法に敏感だったというのはなぜだろう?。これは重要なポイントのような気がする。


というのは問題点として、、、、いま最初の2章ぐらい目なんだが、山本五十六のときにはなかった、見事くらいの、、、まるでヒーロー物語を読んでいるような、わくわく感が物語を支配している。こっちのほうが物語としてもぜんぜん面白い!なんだっていうくらい違う、、、。こりゃーーー楽しみだ。基本的には、日本の戦争の幕を引く人であって、非常に悲劇に彩られる人生のはずなんだけれども、最初からハンモックナンバーですらない、どちらかというと傍流の落ちこぼれが、なぜ海軍大将の中の海軍大将といわれる男になっていくか、、、、もう最初のところだけで、すげぇ面白いっ!。明日も電車の中で読むのが楽しみです!。