『僕は友達が少ない』 原作 平坂読 漫画 いたち  いまの若者が求めるのは居場所感とコミュニケーションの戯れなのかな?

僕は友達が少ない 4 (MFコミックス アライブシリーズ)

評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★☆3つ半)

僕は小説のほうを読んでいないのですが、たぶん、この漫画ってすごく出来がいいのでは?と思います。オリジナルがあるマンガは、たいてい、うーん、、、というのが多いのですが、これ面白いもん。とても楽しめました。けど、そんでせっかくなので小説の一巻を読んでみたんですが、やはり読みにくい、、、いや漫画の内容を見ても、プロットは良いはずなのですが、やはり僕の好みはマクロの設定があるものなので、完全にキャラクターと日常の関係性だけになっている場合は、ちょっと入るのが難しい気がします。

というか、さっきの記事でも書いたんですが、この系統って、僕のブログを追ってくれている人はわかると思うんですが、ゆうきまさみさんの『究極超人あーる』、『げんしけん』とつながる、目的意識がない(=ドラマトゥルギーのダイナミックな展開がない)日常をどう生きるかのパラフレーズなんだろうと思います。というか、少なくとも僕はそう文脈読みをしちゃうし、「友達の作り方がわからない!」といって、部室でだらだらだべるのって、まさに友達と居場所の問題ですよね。この歳になってやっとわかってきたのですが(笑)、一番、人生で楽しいことの一つは、気の許しあった友人と、だらーーっと好きなこととか、どうでもいいことをだべっていることなんですよねー。昔、『究極超人あーる』を読んで、目的のない旅行をする、とか、まったく何も観光地として見るものがない、何もない温泉を選んでいくとか、「その真の意味!!!」が実感していなかったんですよ、、、けど最近分かるようになりました。海燕さんとのオフ会なんかが典型で、あれって、公民館の何もない部屋で、延々十時間以上ダラダラしゃべっているだけじゃないですか。。。。けど、それが楽しいんですよね。その楽しさは、たぶん初めて来た人とかには、さらにその奥があるのですが、ようは海燕さんととかてれびんとか、なんちゅーか、キャラクターが相互理解されている人が配置されていると、、、なんというのかな「居場所感」がすごくあるんですよね。ぜったい、僕が面白くない!ものしか紹介できないてれびん(笑)とか、なんちゅーかな、長く付き合っていると『キャラクター立ち』されてくるんですよ。それって、マンガや小説で、キャラ立ちするのと同じ話で、そういう環境が整っていると、コミュニケーションのやり取りだけで死ぬほど楽しいんですよね。この居場所感と友達がセットでそろっている感じが、いわゆる幸せちゅーか、たぶん、絆のナルシシズム系統(←マイナスのニュアンスですね)のテンプレートなんだろうと思います。コミュニケーションに戯れるって感じなんですが、これって、物凄い癒しなんだろうと思いますよ。時代的に、こういう関係性を作り出すのは、決して難しいことではないのですが、かといって、簡単にできることでもありません。意外に、意識してこれを作ろうとするのは、すごく難しい。そして、難しからこそ、この系統の物語がライトノベルで乱立するわけです。


なーんていうことを感じました。過去の親友であった!とか、いろいろ物語が動く設定は仕込んでいるようですが、そもそものコアが居場所の獲得の話なので、これって、魅力がそこなんで、、、あまり動かしにくいだろうなーとは思います。というか、そういう意味では、やっぱ『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』とかは、設定がうまかったなーと思います。いや、うまいというか、求めているもの、表現したいことのコアが、設定が同じなんだけど、違うというべきか。あっちは、そもそもが「相手の内面に踏み込む」話になっているので、距離感が等値で安定しやすい「目的がない日常」に落ち込みにくいんだろうと思う。


・・・とかとか、難しいことはいいや。まぁ、おもしろかったです。とても癒されましたー。


僕は友達が少ない 5 (MFコミックス アライブシリーズ)