『一緒に暮らすための約束をいくつか』 陸乃家鴨著 

一緒に暮らすための約束をいくつか 1 (芳文社コミックス)一緒に暮らすための約束をいくつか 2 (芳文社コミックス)

評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★☆3つ半)

この方はとても好きなので、いつも見つけ次第買ってしまいます。キャラクターが等身大で、読んでいて満足感があるんだよなー。基本的にワンパターンだし、極端な倫理的などの逸脱はないし、設定とかマクロの新奇さがあるわけではないので、基本的にキャラクターの魅力とマンガ、演出の魅力が安定しているんだろうと思います。Hな漫画の系統では、女性がこういう作品を書く人が時々いて、こいう人は量を書き続けてい限り、一般紙に出てくる傾向が強い気がします。まぁ、なんでもいいのですが、この人が好きなんですよ、とても。なんか読んでいてあたたかい気持ちになる。Hな漫画でこういうキャラクターの等身大が描けると、ぐっといい話になる傾向が強いんですよね。理由は、そもそも一般のものよりも表現の幅が広いからなんだろうと思います。SEXって感情や関係性に及ぼす影響は、絶大で、特に何が影響するかといえば「やっている最中に身体が感じたこと」とか「距離がゼロの状況で身体と心が感じていくプロセス」なんですよね。いや別に、マンガの話じゃなくて、経験としてこれは事実だと思うんですよ。ここを描けなければ、実は男女の(男女に限らないんだろうけど)愛とか関係性は、描けないと思いますよ本当は。ちなみに宗教家になるような人は、肉欲におぼれまくってその果てに、正反対の概念に到達するケースが多いようです。宗教家の暴露的な伝記を読んでいると。


さて、大親友の夫婦が死んでしまい、その娘(小学生)を引き取るという、ありがちな設定です。この血がつながらない娘を引き取って、一緒に暮らす、というシュチュエーションは、定番ですよね。これって、たぶん女性から見ても魅力的な設定で、『年上のおじさん』にあこがれるのは、少女マンガの教師ものとかそういうのの系譜を見ても、よくありますよね。けっこう普遍的な設定なのかもしれません。


僕の陸乃家鴨さん評は、もう最初にいったことに尽きるし、とにかく、好きなんです。見つけ次第、ちゃんと、自費で全部買っています!というので十分でしょう(笑)。一票の投票行為をしているので、(いやーぼくだって、小遣い少ない中で選ぶのは選んでますよ!!)それにつきます。


なので、このシュチュエーションについて、ちょっと考察してみたい。というのは、この話は2巻で完結して、超ネタバレですが、最後の最後で高校を卒業したその日に、ひきとった紗那と藤木君は、結ばれてしまうわけですが、、、、もちろんね、この設定は、実際にSEXをするかどうかは別問題として、同居にまつわる様々なエピソードをHな視点で見ているってのが魅力なんじゃないですか(笑)。まぁ極論ですが、近しい異性とのちょっとしたやり取りの暖かさや気恥ずかしさ、という関係性をHという言葉に込めるのならば、ね。


うさぎドロップ』で考察したので、凄く思い出したのですが、、、、自分の「娘」として長く育てた女の子を、女性として異性として見れるものなんだろうか?という疑問にあたったわけですよ。そして、かりに見えるというのならば、その感情的なカタルシスというか感情的なプロセスをどう理解すればいいのか?と。この系統の物語を書くときに、レベルを上げるポイントは、「ここ」への理解があるかどうかだと思うんですよ。設定に対して、誠実であれば、ここは問わざるを得ないはず。ちなみに、小学生、、、はポイントだろうと思います。たぶん赤ちゃんから小学校の低学年までは、まぁ動物を世話するのと一緒なので、一緒にトイレに入ってちゃんとおしっこができるか見ている(笑)とか、一緒にお風呂に入りますよね。いや「そもそも入らないと危険でなので」、それって日常行為なんですよね。このプロセスを経ると、僕は、そういう相手を異性として見るのは、ほぼ不可能なんじゃないかと思うんですよ。だから、そのくらいからりんを育てているだいきちが、、、『残酷だぜ、、、』とつぶやく気持ちは、物凄くよく理解できました。娘を持つ父親として、共感が。まぁ、たぶん、せっかく育てた娘を、自分以外の男にかっさらわれる宿命の父親として残念と、それが自分であるというのが、絡まってわけわかんなくなったんでしょうが…このセリフは、1本!と思いました。


うさぎドロップ』 宇仁田ゆみ著 もっとも純粋で安定した愛の形とはどんなものですか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110903/p3


ちなみに、、、、、うーん、、、この問いとは別に、今回の『一緒に暮らすための約束をいくつか』は、違和感全然ないんだよなー。なんでだろう?。ああそうか、、、たぶん、感触からいって、上記の「問」とは違う視角で、この作者は、納得させているんだろうと思う。えっとね、この主人公?の藤木君は、子供のころから父親(母親はいない)の転勤に付き合わされて、繰り返される転勤によって、人と深く付き合って関係性を作るということが全くできなくなっているというトラウマを抱えているんですよね。(その反動で異常に社交的ではあるんですが…こう人いますよね、、、)このトラウマの癒しのポイントが、彼の親友夫婦とその娘の紗那だったんですよね。という動機設計上の根拠、があるので、彼の物語としては、紗那を家族として、自分の最も近しい「大切な人」としてそばに置く根拠は、十分にあって、それは家族愛ではなく、彼個人の内的動機から出てきているがゆえに、異性愛になりやすい。個別の執着だから。だいきちには、こういう執着が全然設計されてなかったので、、、、なかったよね?感じなかぅたもんなー。。。そういう場合は、何というか包容する家族愛になるんだよね。だって、個別に執着する根拠はないわけだから。


えっと、たとえば、僕には娘がいますが、僕は僕自身の内的な動機から発する個別の執着として、娘は愛しません。というか愛せません。だって、そんな中身がないもの(笑)まだ四歳だし。そういう個別の執着としての愛情は、一心に妻に対して向けられます。理由は簡単で、自分の中に「こいつを自分のものにしたい!」という動機があって、それに個別具体的に当てはまったから、結婚しているんですよね。たぶん、異性愛のなんというか、エロスというか肉体的なSEXへの欲望も、「ここ」に発するんじゃないかと思います。じゃあ、娘に対する愛は何か?といえば、というか、愛の根拠は何か?と問えば、それは、内面的には特に理由がないんですが(あるはずがありません)、毎日生活をし続けているその密着と事実、あと、子供(=動物)が保護を求めるための無償の愛情(=まあ動物の反射ですよね(苦笑))に対して、それを返しているうちに愛情が形成されるんですね。日常生活において、継続的に安定して、無償の愛情を他者から向けられるようなことは、まずふつうはありえません(笑)。まぁ、鳥の子供が餌をせがむだけの行為でしょうが(苦笑)。その愛情の無償交換の事実性が、愛情を作るのかなーと思います。「これ」をベースにした愛は、家族愛なんだろうと思うんですよね。内的動機から発せられている欠乏なのではないので、事実性に依拠するものなんだろうと思います。だから、この藤木君は、最初から、ポジション的に、小学生の高学年で引き取っていることもあって、位置づけ的に異性と見やすいポジショニングとなっているわけです。これは、紗那ちゃんのほうも、同じなんですよね。まぁ娘にしてみれば、ストックホルムシンドロームで、異性の自分を守ってくれる人を好きになる理由は十分ですので、あまり理由は説明する必要ないなー(笑)。

まぁ僕も読み解けているわけじゃないんですが、このシュチュエーション多いじゃないですか。でもこのシュチュエーションの魅力をもう少し論理のパーツに分解すると、どうなんだろう?と思うのですよ。『高杉さんのおべんとう』とかもそうですが、どこに落ちを付けるものかなー、と。おお、でも考えると、シュチュエーションや関係性の設定もどんぴしゃで同じだな。娘が大きくなるまで、男性の大人の相手がいるという設定まで同じだ、、、まぁこれは、まだ女になりきれてない少女が嫉妬心を燃やす相手を作って、、という設定上どうしてもそうなるんだろうなー。『マイガール』とか『PAPATOLDME』なんかもこの系統ですねー。

うさぎドロップ 9  (Feelコミックス)

高杉さん家のおべんとう 5 (フラッパー)