第18話「なおの想い!バトンがつなぐみんなの絆!!」

今週は、マーチの回。・・・・なんだけど、主要なポイントは、黄色と緑の二人に焦点を当てたお話でした。この二人の、性格的なポイントは、二人とも自信がないところにつきますよね。曲がったことが大嫌いと剛毅な姿を見せてみんなを引っ張るなおですが、意外に彼女も、気が弱い。虫が嫌いと言う件もあるんですが、そんな気がします。

ちなみに、やっぱりというか黄色にとてもフォーカスした話作りですが(笑)、見どことろは二点です。一つ目は、やっぱり今回の単体の脚本で言いたったのは、「勝ち負けでという目的を排したところにある仲間との関係性」もっといえば、絆の提示です。やよい(黄色)のコンプレックスの克服は、なんか、とってもロングスパンで描かれていて、脚本におけるフォーカスが感じられて、なんかひいき?(笑)を感じるんですが、今回の会も彼女がドラマが主軸に置かれている。それは、自分にはできないと思いこむ自信の無さ、です。これって最初のころから提示されている(まぁ性格ストレートに気弱ですもんね)もので、その自身の無さを克服して、「できないことにもチャレンジする」ということが彼女にとっての要求されている成長への試練です。


この要求は、このスマイルプリキュアのたぶん全体のコンセプトである「どうせできっこないという物語のバットエンド」を予期してしまうという、あきらめの気持ちをみんなが持っていることへ、どう抗するか?という、たぶん全体のテーマへをリンクさせていくつもりなんだろう、と勝手に考えています。今回は、そこまでそれが明確ではないが、何となくっすら、それへのリンクを予感させてきた感じがします。というのは、この回でのポイントは、やよいが、自分の足が遅いという事実(これは短期では変えようがないものだ)に、クラスメイトが、「彼女が足が遅い」ことが「リレーの負けにつながる」ということで、やよいを陰で非難していることを聞き、彼女は非常に傷つき、リレーを続けることが嫌になります。

これには、二つの問題が隠れていて、1)そもそもやよいが足が遅いこととリレーでひいてはクラスが運動会で負けることは、本当は関係がない話。わかりますか?。だって、リレーで勝ちたければ、もっとリレーで走れそうな人が立候補すればよかったし、そうクラスの雰囲気で促すこともできたのに、「誰もしなかった!」でしょう。これは、別にクラスで勝てる方法を考えよう!という前向きな意思がクラス全体にはなくて、あきらめている、その諦め感を、やよいというわかりやすい弱者に押しつけただけの「ダメなことへの理由さがし」のスケープゴートにあげられただけなんですね。こういうことは、世の中ではしょっちゅうあります。


もう一つは、2)クラスメイトが運動会で勝てない理由をやよいに押し付けたからといって、そんなことは、やよいがチャレンジしたり努力することとは無関係なのに、、、って、無関係なのわかりますよね?。そんな「他者の期待」なんてものと、自分が努力したり行動することとは何の関係性もないのに、周りの期待に応えられないからやりたくないなんて言うのは、何その依存性は???って思います。ようは、ビューティーの時と同じで、内発性がないっていっているんですね。ただ、やよいの内発性の無さはわかるんですよ。だって、「走ること」は彼女が好きなこと、じゃないんだもの。そこに内発性がないのは、当然のことです。


その彼女にとって関係ないことに、彼女が巻き込まれた理由は、なおが「みんなでやりたい」というわがままを言いだしたからです。これは、はっきりいって、なおのわがまま(笑)。自分のわがままに巻き込んでごめんね、という彼女の言葉は非常に正しい。なんで、運度音痴のやよいが、そんなことに加わらなきゃいけないのかは、理解に苦しみます。が、ここが「絆」の関係性の提示の話なんですね。みんなでやること「そのもの」に意味があるんだ!と、なおは主張しているわけです。もちろん、ここには勝ち負けなどの話は、関係ないのは当然です。みんなでやれば、テキトーでいいというわけではありません。「みんなでやる」というのは「みんなで真剣に勝ちに行く」ということが要求されます。ただ目的の上位概念が「勝ちに行くことそのもの」ではないところが重要です。勝ちに行くなら、やよいをはずして、もっと早い人に変えるのが妥当です。そうではなくて、、、、と、それはやよい自身にとって、なんの駅もないものなんですが、、、、だって、彼女にしてみれば、なんでわざわざ苦手分野で興味もないことをがんばらなきゃいけないのか、あまり功利的には意味がありません。けれども、この脚本がよくわかっているな、と思うのは、やよいが、がんばって、がんばって、歯を食いしばって自分の苦手分野にチャレンジして、逃げていない姿勢が、「あきらめていたクラスメイトの心を動かす」ことになるポイントですね。やよいを批判していた裏で陰口を言っていた、その当の男の子が、最初に、頑張っているやよいに、がんばれーーと大きな声を上げることになります。この掛け声が、ドラマトゥルギー的にに二重のピークを持ったことになると思います。一つは、1)のクラスメイト全体が持っていた「どうせ無駄だというあきらめの心」をブレイクしたこと、2)やよいのほとんど無駄ともいえる(実際足は全然早くならなかった(笑))行為が、足が速くなるという直接的な結果はもたらさなかったにせよ、1)の結果を引き寄せたという、やよいの内発性が現実に影響を与えた、、、ここでは、彼女が「他者の失望」ということに怯えていることを、「勝つことに貢献する」でも「実利的な結果(−足が速くなる)」ことのどちらでもなく、「他者の希望」に変換させうることができた、というやよい自身の自己の自信の無さへの克服の契機、になった、という部分です。この掛け声は、素晴らしかった。


・・・・ふつうは、これで充分なんですが、これは脚本がすごく練られているなーと感心したのは、


そして、なんといってもこの話の肝は、ラストシーンのリレー競争で、なおが、転んで試合に負けてしまう、というところです。これは、素晴らしく見事だと思いました。というのは、今まで強気で、仲間を巻き込んでいたなおでしたが、「その強気」は何によって担保されていたんでしょうか?。それは、簡単。彼女が足が速いからです。自らの得意領域で、強気を担保する人間は、実は弱い人間であることが多い。だって、特異なことが得意なんて、当たり前じゃん!!(笑)。人間の真価や、その人が本当に成長できる人間かどうかが試されるのは、自分の弱みの領域や、下り坂や、自分が弱い面に直面した時です。そういう意味では、「弱さの克服」をした、やよいは、非常に価値があることをしたのですが、なおはなにもしていません。漠然と、『みなでやることには価値がある』という価値観の提示はしていますが、しかし、それへの裏付けが全然ない。あるといえば、自分が足が速いから、人を引っ張れるという実力の有無だけです。ちなみに、実力だけでは、人は絶対についてきません!。…おれ、何マジで女子中学生の人間関係について、解説入れているんだだろう…(苦笑)。


えっとね、その「強気の担保の無さ」が、彼女が転んで、実力の足の速さによって、物語をグッドエンドに導けなかった、という事実が、とっても現実をよくあからさまに出してくれるんですよね。話としては、あれで勝ったら、いい話だったんだけど、それってなおの問題点が何一つ出てこない。やよいばっかりひいきして、、、、って僕は試練を与えて、一番苦しいことを抉り出すことが「ひいき」だっておもうんだな、、、、(苦笑)、、、、まぁ、成長への契機だからなー。やっぱ、なおファンの僕としては、彼女に幸せになってほしいもんなー。。。


とかそれはいいんだけど、ようは脚本がとてもよく考えられてて、ここでなおが負けることによって「みんなでやること」に仮に「勝つこと」が達成されなくとも、何が関係性にもたらされるか?ってことを、はっきりと描写しています。それは、やよいのがんばりがクラスメイトのバッドエンドへのあきらめを粉砕して、そのできないことへチャンレジするという「ある意味無駄な努力(笑)」を感染させることによって、一つは、全体のムード(=空気)を変えることに成功していることです。ほんとうは、こういう「連帯感」が最初からあれば、やよいみたいに、そもそも無理であまり意味のない努力をせずに、運動会をみんなで楽しめる適材適所ができたはずですし、やよいのような運動が得意でないものに、そんな過酷なことを要求しないですんだわけです。勝ちたいのなら、リレーぐらい立候補しろよ!!!って思います(笑)。ちなみに、ぼくは、ずぅぅぅぅぅと、運動会でリレーのアンカーばっかりやっていたので(足早かったんですよ)、このことはよくわかります。えっと話がそれた、一つは、この全体の共同幻想(=空気)を入れ替えたこと、それと、これらの勝ち負けにつながるとは限らない明らかに非効率な「積み上げ」が、逆に、それほど不可能なことであるからこそ、プリキュアたち5人の「絆の構築」にとても意味を与えたということです。仲間って、そういうものでしょう?。そこで、それが、笑顔につながっていく、、、、というのは、ずっと書いているからわかると思うのですが、ここで「勝ち負けにストレートに直結する合理的な努力や目標」であってはダメ!なんですよね。だってそれは、「目的に直結した努力」であって「一緒にいる仲間との積み重ねの価値」とは別のベクトルの価値です。これが重なるのが素晴らしいのですが、人生にはそんなことは往々に少ないし、なによりもこの目的合理性の社会の中では、、、これはようは共同体をどう作っていくか(=絆の構築)ことの方が、ウェイトが重視される社会になってきていると思うのです。だって、資源は希少な方が価値が高いという経済学の法則に従えば、目的が存在しない関係性の価値の構築(=共同体の構築)が、非常に価値が高いです。日本では。だって、そんなもん、ほとんどないんだもん。


とかなんかとか、考えた感じです。ということで、なおが負けて、それで凹んでいるところへ、まずは5人が駆け寄り、それをクラスメイトが祝福するというのは、テーマと物凄く合致しているうえに、視聴者の感情のドラマトゥルギーに凄く重なるので、今回の脚本は、素晴らしかった、と僕は思いました。



スマイルはこれまで欠点や失敗を許容してきました。優秀だから、有能だから友達でいられるのではな く、友達だから失敗や欠点を受け入れられるという関係性の提示です。ここ最近はそこから一歩踏み込ん で、自分一人では落込んでしまうようなことでも友達と一緒ならハッピー(笑顔)へと変えられるという積 極的提示を行っています。他者の存在が比較や摩擦、自己否定を生むことに変りありませんが、同時に人の 心を癒し強くするものであることも事実です。人の心は移ろいやすく、不安と安心、失望と希望をひっきり なしに繰り返す。人はその波にただ戸惑い条件反射のように同じことを繰り返すだけなのか? 否。人は自 分達で逆境を糧へと変えて笑えるようになるのだ、という意志を本作からも感じます。それはプリキュアシ リーズが受け継いできた意志です。それをどのように証明するか。その方法論の違いがシリーズ毎の違い、 個性とも言えます。


六畳半のすごし方 
http://www.geocities.jp/isshuu_a/smileprecure.html#lcn001

非常に同感です。