『ダークナイトライジング(The Dark Knight Rises 2012)』 Christopher Nolan監督 局地的な終末論の果ての「希望」を描く物語

評価:★★★★★星5つのマスターピース
(僕的主観:★★★★★5つプラスα)

■根拠のない絶対悪の物語の袋小路について〜“市民”の物語上のプライオリティが低いこと

この作品について、前作の『ダークナイト(2008)』と比較して、ダメになった的な発言は多いのではないかと思う。僕は他の意見やブログなどをほぼ見ないので、実際何が言われているかわからない(なので、もし面白い意見があったら、コメントとかメールで教えてくれる人がいたらうれしいなーといつも思っています)。けれども、この作品が、前作の『ダークナイト(2008)』で描いたギリギリの際の部分から、後退した印象を受ける部分があるからだ。

ダークナイト ライジング・・・・・評価額1800円
ノラネコの呑んで観るシネマ
http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-564.html

しかし、バットマンというスーパーヒーローを描く活劇としては満点と言って良い本作も、やはり前作ほどの衝撃は感じられないのもまた事実。
その理由はただ一つ、“市民”の物語上のプライオリティが低い事だろう。
ダークナイト」は一般市民の究極の選択が、最終的にジョーカーという絶対悪を打ち負かすのだが、今回は前作からテーマを受け継いでいるにもかかわらず、市民の存在は背景にとどまっている。
実際に葛藤しクライマックスで戦うのは、バットマン率いる警官たちとベインらの私兵で、これは要するに米軍vsアルカイダみたいな物であり、明確な理念と理念の対決だ。
実際に歴史を作ってきたのは往々にして物言わぬ大衆ではなく、覚悟を決めた過激派であるのは確かだし、警官たちを市民の代表として描いたと言えなくもないが、願わくばそれぞれの良心に従って立ち上がる一般の市民に触発され、萎縮していた警官たちが合流し矢面に立つという展開にした方が、このシリーズの結末としては相応しかった様に思う

このノラネコさんの意見が、まさにその部分を説明しつくしていると思う。またもう一つ言うのならば、ジョーカーという絶対悪の造形には、底知れなさがあった。思いつくアイディア、行動、結果、それぞれに「根拠のなさ」があったからだと思う。

物語の作劇場、ラスボス、敵対者を設定する時に、一番悩むのはその動機です。「なぜその行動を起こすようになったか?」「なぜ悪という存在になったか?」という部分です。ここがなければ、内面を説明する近代文学に慣れた我々目の肥えた観客には、納得感が訪れません。「悪い奴だから悪いんだ」が通じたのは、1950年代ぐらいまでです。なので、じゃあその動機を説明しようとすると、「悪者も悪者なりに理由があった」とか「子供のころのトラウマ」がとか「親に虐待を受けたとか貧困で地獄を見た」とか、なんというか、この世界に普通にある出来事だと、凄くしょぼく感じられてしまうのです。だって、「同じような目」にあっても、雄々しく前向きに生きる人もたくさんいるからです。もちろん、その悲惨さは、それを体験をした人にとっては耐え難い苦痛と苦しみをもたらすものかもしれませんが、その程度のこと(あえて、こういう露悪的な言い方をすれば)は、歴史上いつに時代にも普通にあったことなのです(by超鈴音/「魔法先生ネギま」より)。このように悪の強度を作り出すには、動機を説明しないと観客は納得しないけど、説明するとしょぼくなるというアンビバレンツが常に存在しています。これは今でもある、作劇場の重要なルールです。

しかし、ジョーカーには、動機を説明しないでも、絶対悪たる強度が存在していました。ヒース・アンドリュー・レジャー(Heath Andrew Ledger)の演技が素晴らしかったというのもあるが、市民という存在、もっといえば人間という存在の悪意を引き出そうとする、その行動原理の規模の大きさと容赦のなさに、強烈な強度が宿った。こういう根拠のない絶対悪を、キャラクター(=人格)として表現できるケースは稀です。その凄さにしびれて感染した人は多いでしょう。ジョーカーの存在は、本当に凄かった。映画史上稀に見る、絶対悪です。

そういう意味では、この「根拠のない絶対悪」というものをどう表現し、どうそれを解決するか?(=倒せるか?)という課題は、たしかに『ダークナイトライジング(2012)』では、後退しているし、真正面から挑んでいるとは言い難い。むしろ『ダークナイト(2008)』の文脈から、『バットマン・ビギンズ(2005)』の善と悪を二元論の問題に話が戻り、そことの接続性が強くなっている。

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しかし僕は、これは、仕方がないことだと思う。その理由は、「根拠のない絶対悪」は、根拠がない故に、これを解決することができない。また、人類存在の悪意、大衆という悪意が問題になってしまうと、そもそも、人間は善と悪の両面があって、それを自由意思で統御している存在であるのだから、悪自体はあるに決まっており、その側面をクローズアップすると、人は生きていても仕方がないと思えるくらい悪に満ちた存在だ。そうすると、ここでは、ハルマゲドンではないが、神が人類を滅ぼす根拠といってもいいくらいに、人類の存続を否定できる理由が生まれてしまう。こういう「悪の側面のみ」を切り取ることは、やってしまうと際限がない否定なので、これは袋小路の物語ロジックなんだと思う。典型的な例が、この類型の最後まで行きついたものの一つが、永井豪の『デビルマン』だ。ラストシーンの世界が滅びた後のシーンは圧巻だが、それは、それまでに信じていた人間の、悪意をこれでもかと見せられたデビルマンの絶望があったればこそ、すべてを無に帰す正当性が感じられ、滅びに「美」が見いだされるのだ。しかし、これはドラマトゥルギーとしては収束してしまい、これ以上の展開がない袋小路の物語だ。だって人類は滅びちゃうんだから。

絶対悪ってなに?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090705/p4

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では、こちらの「根拠のない絶対悪」、人間存在の悪の側面だけを切り取らないで、もう一度、この「系(=ダークナイトドラマトゥルギー)」ではなくて、そのスタート地点であった『バットマン・ビギンズ(2005)』の問題設定に戻ってみようというのが、監督が意図していたことだと思う。それは、善悪二元論的な、善と悪が対立して、、、、そして???という物語設定課題だ。しかし、ここでは、ダークナイトで考えられたように、悪役の動機を解体するというような陳腐なパターンには、クリストファー・ノーラン監督は向かわなかった。やはり、人間存在の悪という、絶対性の悪へ物事が向かうシナリオを選択している。そして、このジョーカーの系統ではない方向性で、この善悪二元論の袋小路の脱出と解体を志向している。そして、僕はそれが成し遂げられていると感じたので、この『ダークナイトライジング(2012)』は傑作だと思った。デビルマン』的なハルマゲドン(=善と悪の最終戦争)の果て、世界が無に帰すシナリオではない方向で、もう一つの解決を、このバットマン三部作シリーズに見出している。これは、本当によく考え抜かれている、と思った。先にも言ったように、まだダークナイトの先の系は、現実の世界にも、政治哲学でも、宗教にもないと僕は思っている。それは、聖書に載っているハルマゲドンの記載とその研究を見れば、それ以上のものがないといえると思うのだ。少なくともエンターテイメントでも、僕は見たことがない(何かあると思う人は教えてください)。であれば、3部作で、このバットマンという物語を、エンターテイメントとして終わらせるには、それ以外の方向を探すのが正しい方法だろうと思う。・・・・ただし、「それ以外」は、たいてい陳腐で、つまらないものに戻るケースが多い。悪に理由を見出すと、すぐに、陳腐になってしまうからだ。しかし、このどちらでもない結論を、クリストファー・ノーランは見せてくれた。それは本当に凄いことです。


■都市の退廃を描く果てに、人はすべての破壊と革命を夢見る〜無に帰すことを望む民衆のゼロベースクリアへの渇望


結論から言うと、それが何か?と問えば、それは革命(=レボリューション)です。


ゴッサムシティ、これはニューヨークのアナロジーの都市ですね。この映画のポイントは、ここに「解放区」を出現させたということがこの映画の本質です。解放区というのは、革命によって人民の手に渡ったという意味で考えてくれればいいのですが、ここでいう解放区は、共産党などの指導するエリートやリーダー勢力が存在しない、真の意味での解放区です。それが何かといえば、ホッブスがいった「万人の万人に対する闘争」が局地的に出現することにほかなりません。あの、市民による人民裁判カリカチャアライズは、まさにそれを体現している。ちなみに、僕がよく引用する永福一成さんの『チャイルドプラネット』なんかも、この系統の「解放区」というか、秩序が消失した状態で、人の群れがどうなるか?というテーマの類型の一つです。解放区って、興味深いテーマだよな、、、。『ぼくらの七日間戦争』とかなんか思い出すな、、、。あとは、やっぱりソ連中華人民共和国の革命だよな、、、。もしくは、20世紀の社会主義の系譜を追うと面白いのだろう。

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さて、絶対悪は、人類存在の悪の体現者となるので(だから根拠がないし、動機がない=人間じゃないので)、ジョーカーのように「状況」を作り出すことを真摯に追及します。その結果として、人類存在が「悪」なのだということを引き出していくのです。たとえば、『セブン』などは、この「状況」を作り出すことを志向する典型なんですが、これが、ジョーカーのように市民を巻き込むような、「人類全部」というような、人間存在まで巻き込んだ設定を作らないと、しょぼく話が収束してしまいます。

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だから、ジョーカーは、市民に「決断」をゆだねることでその強度を演出しました。同じように、この『ダークナイトライジング』も、橋をすべて破棄し、島を物理的に隔離状況に追い込んで、同時に外部権力の手が届かない状況にした上で、人民に統治をゆだねるのです。基本ラインは、同じ構造です。「状況」を作り出すのです。ちなみに、このアイディアは、押井守監督が『機動警察パトレイバー2 the Movie(1993)』で東京に出現させた状況と同じです。見ていて、絶対連想した人は、日本の映画やアニメーションファンには多かったはずです。こういっては、言い過ぎですが、ああ、やっと日本のエンターテイメントの到達していた領域に追いついたのだな(笑)と思いました。逆に言うと、これをもう何年も前に体験している我々は本当に幸せだし、最先端だなと思います。これって、あまりに映像がそっくりなので、ぜったいにオマージュとしてやっているんだろうと思います。もしやっていないとすれば、この系統のシナリオを追求すると、やっぱり、こうなるのだな、と思います。

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このイメージ。都市の空間を丸ごと解放区にしてしまい、人間から秩序を奪い、本来の姿に返してしまおうという欲望を局地的に出現させること、、、、これを映像で、しかもニューヨークという都市で!(ちなみにTOKYOでは、僕は映像で見たことがありますよね!押井監督の手で)見せてくれたことだけで、圧倒的なカタルシスと、超弩級のエンターテイメントを見せてくれた満足感がありました。ちなみに、これを、地球規模でやってしまおうというのが『ファイトクラブ』でしたね。

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さて、この解放区を出現させるというのは、何か?といえば。革命です。革命とは何か?といえば、なんといっても、僕は、民衆が現在の秩序を破壊しつくすことを望むこと、だと思っています。それ以外の何物でもなく、効果としてもまさにそれそのものだと思います。この機能は自体は、古代社会のハレとケを峻別した、聖なる祭りみたいなものと考えてもらえればいいと思います。ようは、停滞して固定化した階級階層を破壊しつくし、富を徹底的にシャッフルして再分配すること、ということです。民主主義社会の根本的な特徴は、変化が漸進的なこと、です。漸進とは、ゆっくり、わからないほどゆっくりと物事が変化していくことです。だから「今生きている自分の世代」や「今生きているこの時の不満感や不遇感」は、解決されません。解決されるのは、次の世代であり、少なくとも自分の「今生きているこの時」が過ぎ去った、少なくとも10−30年後に変化が訪れます。まぁ、中世の数百年停滞した社会に比べれば、資本主義と技術革新が、社会をイノヴェートするので、仮に、戦争による「現状のシステムの破壊機能」がなくとも、かなり人類は見事に変化していきます。必ずしも進歩とは言えないかもしれませんが(苦笑)。けど、これは、『機動戦士ガンダム00』の記事の時も書きましたが、この「漸進的」なこと自体に耐えられないという人は多いのです。


機動戦士ガンダム00』 ソレスタルビーイングの動機が分からないなぁ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081219/p1

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昔は、社会のシステムの不安定さで、それが社会混乱に結びつき、共産主義革命という形で、過去の秩序を無に帰しました。しかし、社会工学的に、なぜ革命が起きるかのシステムを管理することがそれなりにできるようになった現代では、なかなかそういった極端な暴発は起きにくくなっています。少なくとも、富を蓄積し、社会を管理する技術をブラッシュアップしている先進国家では。また資本主義に代わるオルタナティヴなシステムが構想できていないので、「次世代のシステムとしての共産主義」に魅力がなくなったこともあるでしょう。

しかしながら、だからといって「漸進的」なこと、社会が既得権益で雁字搦めになっていること、そういったことに「耐え切れない感性」というのはいつでも存在しますし、それが強烈な「閉塞感」として人々を縛るのも事実です。僕は、こここでガンダム00ソレスタルビーイングの動機に、それはおかしい!と思ったのと、あと赤木智弘さんの戦争を規模するという例の意見を思い出しました。ここれでも、要求は流動化、再分配でした。

丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。
http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html

この「閉塞感」には、善悪二元論の対立で、僕が話してきた到達点でも訪れるもののようです。このへんは、何度も書いている僕の思考の原点なので、興味ある人は、いくつか読んでもらえると、わかると思います。

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ヒックとドラゴン』 ディーン・デュボア クリス・サンダース監督 エンターテイメントを外さない善悪二元論の克服としては到達点の脚本
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110123/p2

二元論の超克〜三国志のパワーポリテクス/数字は2よりも3がすごい!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100429/p2


さて、善悪二元論の果てで、ではどうするか?ということが、わからなくなってしまって、立ち止まって閉塞感になるという構図は、上記で説明する革命を、現在の秩序を無に帰すことの欲望と一致するとは思いませんか?。少なくとも、僕の中の「納得」としては、これが重なりました。この辺りはまだまだ思考を深められていはいないのですが、このイメージの重なりには、もっと奥が深そうだと思っているので、コツコツ考えていきたいと思っています。


さてアメリカのヒーローものの系譜は、アメリカそのものの正義が信じられなくなったベトナム戦争以降、常に、そうしたメタ的な視点が諧謔なり、さまざまな表現として出てきています。そして、ええーーーい!もうそんなグダグダ考えるのは耐えられないっ!全部ぶち壊してしまえっ!!!という思想は、もちろんリアルにもありました。そして『ファイトクラブ』などの物語になっています。けれども、『ファイトクラブ』などは幼稚な思想として、アメリカの批評界には黙殺されたのですが、それはよくわかります。だって、破壊してそれでどうするの?と思いますでしょう?。人類を原始時代に戻して、もう一度同じ進歩を繰り返すのならば同じことじゃないか?と思えるからです。つまりいいかえれば、いまがつらいから、「今」を破壊してしまいましょう、では、破壊だけが目的なので、何にも建設的ではないのです。

でも、どうでしょうか?。終末的破壊ではなくて「革命」だったら?。これは、微妙に否定するのが僕は難しい気がします。というのは、これは、古代社会における「聖なるお祭り」と同じ機能で、秩序をシャッフルして、人心を一新する機能を持っているだけで、本質(物質や社会のしくみ自体)は何も変わっていないのだけれども、人の心の次元では大変なシャッフルが行われる機能があります。ようは、局地的な終末論になるわけです。それは、いってみれば、再分配をする!ということです(←極論だし微妙に違うっ!=けど機能はそうなるはず)。

これらの終末的なホッブス的闘争空間が、NYのある隔離された地域だけで行われていて、アメリカ自体には何の影響もない局地的なことであることは、僕は重要なポイントだと感じました。これって、その後の世界でも、世界の仕組みは変わっていないと思うのです。けれども、あそこであのゴッサムシティでの体験を経験した数百万の人間は、、、、どうでしょう?。ある種の激しい秩序の逆転、唯物主義というか、暴力のような直接的なものが秩序の軸となるわかりやすい空間、そしてそれに抵抗する互助共同体の絆の強烈な自覚、、、、それらを経験した人が、同じ日常を同じように生きるでしょうか?。僕にはそうとは思えない。それは、「聖なる祭り」で秩序が逆転し、生と死の境界がおかしくなるイニシエーションの体験と同じ効果があるからです。


この局地的な終末論としての革命という「見方」は凄く面白いなぁ、と思う今日この頃です。いつものごとく僕の勝手な妄想ですが(笑)。ただ、まぁそういった文脈読みとは別に、「これ」を映像で、見せてカタルシスと納得をもたらしてしまう、クリストファーノーラン監督の手腕は、本当に素晴らしかった。またなによりも、これが善悪二元論の果てにある、袋小路的な終末的破壊を描きながら、それでも尚「次の世代がありうる」という「希望」を描けて、感じさせるところに、見事だよ、とうなりました。終末論の大問題点は、「そこ」で時間が終わり人類が終わるか、もしくは人類の歴史をやり直すというような、袋小路の円環が物語の類型としては、問題点だったからです。少なくとも、そこを超えたものを見せてくれたことに、感動を覚えました。

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