読書の仕方や順番についての考察〜 masapguinさんへの返答


masapguin 2012/08/28 15:59
突然のコメント申し訳ありません。
好きな本がよくかぶっておりまして何年もブログ楽しく読ませていただいております。

本記事なんですが、うちの子供も本を読む年齢になってきまして、まおゆうのこのあたりは読んで欲しいし身に着けておいてほしい思考だなーとよく思うんですが、一方まおゆうは、それまでに初期のドラクエなど王道に十分に触れた上でこそ最高に面白いのかな、というようにも思います。
そのあたり、子供の手の触れるところに置くタイミングなどなにかプランがおありでしょうか。
自分も子供の頃は乱読だったものですから、好きなものを好きなように読めば良いのかな、とも思いますが、せっかく面白いものですから最高に楽しんでほしいな、という思いもありまして。
ご意見伺えれば嬉しいです。

とても興味深い質問でした。コメントありがとうございます。というのは、僕も双子の子供がいて、教育方針をどうしようかなーと、ずっと考えているので、たしかに「読む順番」は重要だよな、と思ったので、そういうの考えたことなかったなーと思ったからでした。


まず第一に、僕自身は、実は「読む順番」はあまり意識していません。本にも、人にも、「出会い」があると思っていて、とにかく片っ端から撃破していると、「後から気づいて」こういう順番がいい順番なんだな、と思うことが多いからです。実際に、量自体も凄まじいものがある中で、自分の皮膚感覚や、出版スピード、人に勧められるタイミングなどを考えると、『選んでいられない!(笑)』というのが実感です。とにかく「こなしまくっていれば」おのずとその中に秩序が見えてくるようになってきて、自分の皮膚感覚や選択の本能が、正しい方向へ向かってバランスしていく、と僕は思っています。量と質のバランスですね。ああ、佐藤優さんが『読書の技法』でいっているんですが、一番いい読書方法は、本当に自分にとって読む価値のある、超難しい本を、1年以上かけて(←ここは僕のオリジナル)超熟読して、読み込むことが、羅針盤になるようです。本を速読したり選別する「眼力」は、難解な本の超熟読から生まれるというのは、僕も同感です。「それ」を経ないで、速読や量に走ると、本当に下品な多読になって読み散らかすことになってしまいます。

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門
読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

超深い熟読をした経験のある本を何冊か持っていると、自己の確立、ものの考え方の基準になります。僕にとっては、たとえば、それこそ書き抜きまでして暗記までしていた、中島梓さんの評論の本『文学の輪郭』『ベストセラーの構造』『道化師と神』などや、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』とかがふと思い出されます。これらの本を、中学生の時に死ぬほど熟読したのが、僕の読書歴を決定づけました(笑)。いま思うと、さっぱり中身を理解していなかったと思います(笑)。なんで、あんなに食い下がったんでしょうねー。何かの真理が、そこにあるという気がしたんですよねー。


おっと話がそれました。


では、子供にどうするか?。僕も悩み中ではありますが、こういうのは知りながら、よくよく子どもと対話していかなければ、いけないもので、きっと普遍化しにくいんだろうと思います。だって、個性がかなりのウェイトを占めるので。うちはまだ、小さいのでそこまで、深く考えてないですが、いくつかの指針をお話ししておきます。ぜひ意見があったら、皆さんも教えてもらえると嬉しいです。僕は、記憶と物語体験が、その人の内的心象風景を豊かにして、充実した人生に結びつくと信じているので、子供にもその方向でヲタク・エリートの教育を施そうと(笑)気合を入れています。


方針その1 : 読み聞かせはとにかく徹底して〜たくさんの物語類型をあの手この手で刷り込む


とにかく、まぁこれはものの本でも、よく言われますが、「読み聞かせ」はめちゃめちゃ頑張っています。夫婦で。僕も可能の限り、いくつも本を読んであげていますし、自分で勝手に作った物語(いまパスタ王子の大冒険はドラゴンと友達になり、参謀のスプーン君を連れて、スープの国の内乱を制圧しています(笑))とかも、よく話してあげています←読むのめんどくさいときとかに(苦笑)。まず一つは、絵本を何度も読んでいると、僕自身の物語体験が、非常に強固かつ豊かになって強度が上がるということがわかってきて、これは人生をもう一度やり直せるようなものだ!と、読んでいます。実際に口に出して、子供に読んでみないと、この「感覚」は得られません。自分にとってもすごい得なようです。masapguinさんがいうように、順番があるというのと同じで、神話的なシンプルな物語構造は、再確認して刷り込めば刷り込むほど、内的な物語世界のスキームの補強になるようで、感受性がすごく強度が上がるようです。ましてや、子供に紙芝居や読み聞かせをしていると、その注目度や、彼らの息遣いなどで、凄い感情移入が高まります。これ、凄くいい体験のようです。あと、僕は子供のころから、東北出身の母に、悪いことをすると風のまたさぶろうがやってくる!と脅されて育ったので(←なぜ??)心の奥底に、あのどーどどどどどというセリフと風のまたさぶろうが夜まどからやってくるというイメージが強固にあることにきづいて、これはおもしろい、とせっかくだから伝統にしようと、子供に、よる脅しかけています(笑)。こういう共通の体験が家族の絆を作るのかな、と思っています。


えっと、また話がそれた。ということで、定期的に図書館にいって片っ端から紙芝居や本を借りて読み聞かせをしています。まぁ、奥さんに頼るところ大ですけどね。あと、グリム童話、日本昔話とか各国で有名な民話や説話はできるだけ、繰り返して刷り込むようにしています。あと、うちの場合は、テレビの見すぎはよくない(子供のころに受け身に慣れすぎるのはよくない)と思っているので、いまのところは、日曜日の朝の例のやつ、プリキュアとライダーと戦隊ものしかみせていません。けど、これらはとにかく見せて、子供に質問攻め!にしています(笑)。4歳の子供に、なんで戦うのかなぁ?とか、オオカミさんいいやつじゃねぇ?この人と友達になれないのかな?とかとか、とにかく、なるべく考えてみるようにしようと、話すようにしています。ピースのママかわいくない?とかとか(笑)。あと、ゴーバスターズの秘密基地って、住宅地にあるけど、あれどこかなぁ?。なんであそこにあるの?とかとか、、、。僕は、基本的に、子供が普通に体験するサブカルチャーを、普通の順番に摂取していれば、、、、いいかえれば、3歳まではあんぱんまんとかですよね?それが、も少し大きくなるとプリキュアやライダーモノ戦隊もの、小学生でポケモンなどなど、、、これって、貴兄が言う『王道』そのものの順番になっているんですよね。僕は、何でもかんでも見せるのはよくないけど、読書や読み聞かせなど、内的メディア(=内的な解釈を伴う情報摂取)の体験さえ得色濃くあれば、あとは徹底して、好きなものを好きなように大量に与えていけば、子どもってちゃんと育つような気がしています。ちなみに、小学生低学年までに、読書の習慣と考える習慣、そして基本的な物語類型に対する刷り込みに終了(笑)さえ終われば、僕は子供に寄生するつもりは全くないです。エロでも暴力でも何でも勝手に見ろ、と思っています。まぁ、まだ僕は経験が親としては浅いので、この辺は自分の過去の体験と考えなので、これが後は現実になじむのかを、試行錯誤中です。えっと、ようは、子供向けのサブカルチャーを順番に、摂取していれば、僕はあまり順番は関係ないって思っています。子供に理解できるのは、善悪二元論的な、敵を倒す!とか友達と仲良くする!とか、シンプルな概念にすぎませんから。どうしても、王道に寄るはずです。少なくとも、「それ」以外は、なかなか理解しない。読み聞かせをしていて、そう感じます。だから、本の棚に置いておけば、自然とみていくようになるんじゃないかな?と思います。


方針その2 : ペトロニウス家家訓〜グインサーガはすべて読め!(笑)


あと、小学校高学年から中学の多感な時期については、僕は、読まなければいけない本があると思っていて、それは歴史です。歴史のアーカイブを持っていないと、物語体験解釈度が、凄く下がります。僕はこの時期に呼んだ、『マンガ日本の歴史』(何回読み込んだかわからない!)が自分の原体験の一つになっていて、教科書よりなにより、これで歴史を学びました。この体験からベースとなる歴史観や、歴史の「流れという概念」はこの時期に刷り込まれていると、一生を支配するパラダイムになると思っています。基礎的な歴史としては、ギリシア・ローマに、西洋史、中国史、日本史この4つは、必須ですよね。これを、小説、映像、マンガなどメディアミックスで手を変え品を変え刷り込んでおくと、あとの人生がすごく豊かになると思うのです。なので、塩野七生さんの『ローマ人の物語』さっきの『マンガ日本の歴史』、『風雲児たち』や中国の古典や歴史、この辺は何を選ぶか?というのはありますが、とにかく受験がない小学校4−5年、中学1−2年は、徹底的に刷り込もうと意欲を燃やしています(苦笑)。ちなみに、教育は、よませりゃいーというわけではないので、「実際のその場所に連れて行く(=聖地巡礼!)」、「自分で講義する」、それからそれに類似した楽しい物語を教えてあげる!(まおゆうとか!)というのも計画しています。・・・子育てって、わくわくしますねぇ。。。ちなみに、おもしろい物語はどんどん尽きることなく生まれるので、僕は、手に取った「その時」が読み時、だと思っています。まおゆうは、ほんとうは、それなりに西洋史が知っている状態での中学真ん中がベストだと思っていますが、読むのなら小学校低学年でも、僕はいいと思っています。すべては出会いだから。あとで、その凄さに気付くこともあるでしょう。出会いまでを親がコントロールすることはなかなかできません。とはいえ、『ローマ人の物語』や『グインサーガ』や『まおゆう』など、わが家には、わが家に連なるものは「読まなければならない!」ルーツとして、強制するつもりです(笑)。基礎教養はあって、損はないし、絶対人生楽しくなるからです。こういうのは、親がその楽しさを知っていて、生きる態度に関係していれば、あとは理念としていっていれば、浸透すると思うのですよ。


方針その3 : 子供の意見は知ったこっちゃねぇ!


あと、僕はこどもはスパルタで強制すればいい、と思っています。基礎概念は、刷り込みと反復でしか、身につかないものだからです。あと、自分が読み聞かせや勉強を教えていて思うことですが、子供に強制する時の条件としていくつかあって、



1)親自身が、その概念をいくらでも多方向から教えられるほど深く理解していること
  楽しく、いろいろな手法で教えられない人は教師の資格があんまりありません


2)親自身が、勉強の姿勢や物事に対する勉強し姿勢を示して生きていること  
人に何かを要求するのに自分がそういう「背中」を見せてないのは、言う権利なかなかないです


3)子どもがどのような感受のパターンを持っているかについての観察と応援が深くあること
  相手に対する深い愛情と分析がなくては、物事はそんなにうまくいきません


4)そもそも子供と信頼関係を含めた「関係性」が濃く深く作られていないと、話を聞いてくれません
  子どもといっぱい遊ぼう!(←時間がないよね、、、、)


5)怒るときは、めっちゃ怒ろう!
  怖くない人の言うことは、人は聞きません(←怒った3倍は、甘く優しくしてあげましょう。出ないと口をきいてくれません(笑))



6)合理的な教育方法の戦略戦術はちゃんと練っておこう

  僕なんか未経験ですから、いろんな人の話を聞いて、本人からも話を聞いて、深く考える


7)徹底的に付き合ってあげよう(デイシィプリン=修行は毎日の継続から)
  理解のテイクオフ前は、物事は本当に理解できません。わかるまで、横に座って一緒にいてあげないと、理解しろっていっても無理です。   
  自分で方法論を探して、自分でテイクオフできる習慣がつくまでは。



というようなのがあれば、あとは、自分の好みの押し付けでいいと僕は思っています。どうせ個々の個性は、すぐ出てきますので、文句があるなら、おれの屍を超えていけ!といえばいいと思っています。まぁ、個性を伸ばしたいのならば、中学以降ですね。僕はそれまでは親の奴隷でいい!と思っています。社会で生き抜く、サバイバルし、人生を楽しむ基礎スキルは、ここでつけるしかありません。この親のいうことを素直に聞いて、個性が弱い時期に、そういう習慣がつけられなければ、人生アウト!だと僕は思っています。だって、自力で獲得するのは、物凄くハードル高いもの。また中学高校の時期に学ばなければいけない情報量って、多すぎだもん。


などなど、徒然なることでした。