何かを判断したりするときの基準をどう持つか?

いろいろな記事を読んでいて思うことは、ようは危険なのか、そうでないのかが、さっぱりわからない、ということだ。その理由は簡単だ。低レベルの放射線に関する研究ってのは、まだ科学的にはそれなりにあいまいな部分が多い。っていうことだ。だから、ここが論争の場なんだな。政治的に偏向させるために、ここを捏造しあっているのが今なんだろうなー。原子力の否定派も肯定派も。まぁ、ちなみに言えば、現行の科学力でわかるレベルで言えば、かなりの確率で問題はなさそうだけどね。ただ、ここに「あいまいな」部分があるというのは、重要な論争ポイント。

しかしながら、1986年から始まった低レベルの放射線に関する研究によって明らかになったこともいくつかある。そのひとつが、長期的な放射線被曝に対する反応は種によってさまざまである、ということだ。例えば、針葉樹よりもカバノキのほうが放射線に強い。渡り鳥であるツバメは放射能に非常に敏感のようだが、移動しない鳥はそれほどでもない。また、事故の数日後に制限区域で採れた冬小麦の種子は、汚染されていない土壌で発芽させたにもかかわらず、多くの株に突然変異が見られた。それ以降の世代もやはり遺伝的に不安定で、事故から25年たったいまでもそれは変わらない。ところが原子炉付近で育った大豆に関する2009年の研究は、放射線から身を守るための分子レベルの変化が大豆に起きたことを示している。一方はDNAが損傷し、一方はやがて適応していく。人間がそのどこに位置するのかは誰にも分からない。「それこそが知りたいことなんだ」。モレールは言う。「放射線による突然変異が起きたとき、ヒトはツバメなのか、大豆なのか」。

この問いに対する答えが出るには数十年、あるいは数百年かかるかもしれない。これまでの研究でも、長期的な放射線被曝が遺伝子に与える影響はしばしばとらえがたく変化に富んでおり、はっきりした結果が出るまでには何世代もかかっている。除染作業員たちの子どもの世代がいま子育てを行っているということは、まだ3世代。人間に起こりうる遺伝子変化が十分に解明されるまでには数百年かかるかもしれない。



チェルノブイリのいま – 死の森か、エデンの園
http://wired.jp/2011/06/03/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%81%AE%E4%BB%8A_%E3%81%9D%E3%81%AE1/

僕は、しょせん素人だし、死ぬほど情報をあさっているわけでもない、食べるためにあくせくしている普通の市民なので、実際とのところはよくわからないし、また政治的な活動をするほど余裕がある人生を送っているわけでもない。


そうなると、情報があふれかえっている中で、それなりに基礎情報(=科学的に事実と会いきれるレベル)を整理して、オピニオンリーダーの意見をフォローしていくしかない。


では、この原子力のリスクに関する問題で、なにが見るべきポイントか?といえば、どうもこの「低レベルの放射線に長期にさらされた場合」ってやつがポイントのように思える。ここの主張の差を見ると、発言者の政治的立場が透けて見えるの。オピニオンリーダーたちは、基本的に自説に人を誘導しようとする洗脳合戦を繰り広げているので、信仰するかしないかは別として、事実を検証しようとすると専門家じゃない限り多大なコストがかかって、それは一般の市民には無理だ。その場合、論争の「軸」となる部分を見つけ出し、そこを極端な立場の人で、それなりに一貫性のある人の意見を相互比較すると、問題の全体像が見えてくることが多い。もちろん、コストをかけて分析したり、基礎事実の確認、オリジナルソースの取得、裏取りなど、まぁ情報の真偽を確認する手法はたくさんあるけれども、何度も言うが、それはいパンピーにはコストが大きすぎてやり切れるものではない。かくして、市民は、大衆化して、空気に飲まれることになる。まぁ、ぎりぎりのラインが、このオピニオンリーダーたちの論争点を探る、ということだと思う。


原子力に関する議論はあまりにテクニカルすぎて、理系でない僕にはさっぱりわからない。けど、なるほど、そういう仕組みか!と理解が進んだのは、池田信夫さんのブログと小林よしのりさんのマンガだ。この二人の差異とポイントを見ていて、なるほどここらへんに問題があるのか、と納得がいった。小林さんは、リスクの無限追求型および大衆ポピュラリティー迎合型で、池田さんはリスクを現状の科学情報とリスクベネフィツトで評価するというオーソドックスな視点。先ほど示したように、低レベルの放射線についての意見だ。ここは原子力をめぐるリスクの議論で、最もポイントとなって論争となっているように僕には見える。


低線量被曝で発癌率は下がる
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51808436.html

「年間1mSv」はなぜ決まったのか
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51808606.html

派手なマンガで飾っているが、中核的な主張は単純だ。要するに「低線量被曝の影響はわからないのだから最悪の場合を想定して原発はゼロにせよ」ということだが、この主張は(今までも書いたように)二重に誤っている。

まず、低線量被曝の影響はよくわかっている。100mSv以下のリスクは統計的に有意な影響が出ないほど小さいということで、世界の研究は一致しているのだ。この場合、瞬時(acute)被曝と持続的(protracted)被曝の区別が重要である。前者の疫学調査としてもっとも信頼できるのは放影研の第14報だが、このデータではリスクは今までより大きく、100mSvで5%以下となっている。これは受動喫煙や野菜不足とほぼ同じだ。

しかし原爆のように大量の放射線を日常生活で浴びることはない。微量の放射線を長期にわたって浴びた場合の持続的被曝の影響については、先月の記事でも紹介したように、ほぼ一致して低線量被曝で発癌率は下がるという結果が出ている。本書はそれを「安全デマだ」と糾弾するのだが、それを反証するデータを示しているわけではない。


小林よしのりの『脱原発論』池田信夫
http://blogos.com/article/46844/

まぁ、僕はこの科学的真偽を追求できるほど資料を読み込めません(苦笑)。けど、これだけ強気な意見をして、かつオリジナルソースを提示して、そしてマスコミや世論で押しつぶされないで長期にポジションを得ているとすれば、この意見は事実性は高いのだろうと思う。


僕は中身を自分で検証できないとすると、この人がいった「ゼロか1かの判断」を見るしかない。けれど、それって信仰(笑)(=盲目的に信じる)っていう意味なんだけど、それは情報公公開されている情報は、長期のマスコミや世論の中で真実性や事実性が、検証されていくはずというロングタームの視点で、見ている。いや、淘汰されないでマイナーで残る場合も多々あるので、どこらへんの嗅覚の判断は、どういう条件だと信頼できるかは、個々の人間のメディアリテラシーに依拠すると思う。


オピニオンリーダーとして意見を参考にする時に、まぁ、専門家ではないのでほとんどが、偶然目についた、ぐらいにしかならないが、、、あえて自分なりの基準を考えると、以下の点が思いつく



1)その人が何の専門家か?が重要〜科学的実証主義的態度がベースにない意見はだめ

いろいろな記事や本を読んでいると、その人が専門的に学んだ分野、専門的に職業としてかかわった分野以外は、ほとんどの意見が碌なもんじゃない、というのがわかる。佐藤優さんは外交に関することを書かせたら天下一品だと思うが、それ以外はかなり?ってモノが多い感じがする。たとえば、社会学ではとても好きな宮台真司さんだが、、社会学の分野以外では、ほとんどが確かに頭はいいけど非常に偏っている意見にしか僕には見えない。特に政治に関する意見は、あまりにずさんだと素人目にも思う。現代は非常に複雑化しているので、そのすべてをきちっと解釈するには、専門的にその分野の積み上げを経験がないと、かなり「自分の感情と空気」を垂れ流しやすい、ということ、というか、ほぼ7−8割のケースで基礎が積まれていない意見だと思った方がいい。基礎が積まれてない意見は、偏ってる自尊心のたれ流しになるケースがほとんど。もしくは「政治的な洗脳活動」に堕してしまう。もちろん、その「垂れ流し」こそが有用という場合もあるので、悪いとは言い切れないけど。



2)「顔」が見える一貫性〜ようはその人間を信じられるかどうかは、時間の経過に耐えられているか?ということ

もうほとんど、読むことははないし、(1)に凄く反するんだけれども、僕は小林よしのりさんがすごく好き。ちなみに、10年以上前から、ほとんどの意見は全く僕には受け入れられないし、なにいっているかわからんン(苦笑)と思っている。政治的な立場も僕は全く理解不能。しかも反対。・・・でも、好き。凄く好き。基本的には、肌が合わない件なので、いまは読んでいると、凄く苦しい気になるけど、、、(苦笑)。特集?というか、一つのテーマを絞った本が出る時はたいてい買って読んでいます。

それは、過去の作品を集中して読んでいて、彼の意見が現実に正しかったかどうかがいろいろ試されてずっと10年以上追っていることから「小林よしのりさんの自尊心のエゴ」がどのような形で出てくるか?、そして、その自尊心のエゴがどこまで貫かれるか(=人間は金をもらえたり生活のためにすぐ転ぶので)ということが、非常によくわかっているので、コストをかけて分析をせずに、彼の意見のポイントがすぐわかるからです。

継続モニターしている人は、信頼性が高いのです。信頼性とは、いっていることが正しいではなくて、その人が、出来ごとに対してどのようなスタンスで立ってそれが継続するかが読みやすい、ということです。極端なことを言えば、政治的スタンスがはっきりしていれば、ちゃんとバイアスかけて意見を聞けるので、安心できる。


それと、「顔」の一致も重要。オピニオンリーダーとして、長期間マスコミ媒体に顔を出している人は、激しい攻撃と中傷にさらされているので、その人が、どういうスタンスで物事を発言しているかとかは、すぐわかる。ちなみにジャーナリストと呼ばれる人の意見は、大抵聞くに堪えないものが多い。(1)専門家でもなければ、(2)会社やライターという隠れ蓑で物事を発言している人が多いので「自己をさらす」という覚悟がないままに捏造を繰り返していたり、科学的検証やバッシングに耐え切れない情報を流す癖がついていることが多い。だから、何かの大きな出来事に登場してくる、ライターやジャーナリストの意見は、まず信じないほうがいい、と思う。ちなみに、だから僕のブログの意見なんて、まぁ、信じる人はいないと思うけど、信じてはいけない最右翼みたいなものです(笑)。けど、その人の「自尊心とエゴ」のパターンと、過去の出来事に対してどんなスタンスだったかを、数年以上を追えば、まぁ信頼性は、良くわかると思いますよ。


3)わかりやすさ〜人に伝えられる「導入」の能力

これも小林よしのりさんが典型的なんだけれども、専門家が専門家として話されると、物凄い省略と専門用語の嵐になるので、なにが事の本質なのか?何が論争のポイントなのか?ということが、さっぱりわからなくなることがあります。というか、ほとんどわからない。(1)でいったように、学問的基礎教養をよく積み(=時間の経過を分析できている)そして、専門家として横の意見を幅広く網羅して相互比較できている、なんてい人が、「読み手」「受けて」であるはずがないじゃないですか、この大衆社会で。先ほども書いたように、僕らはパンピーで、食べていくのでやっとな小市民。

これらブタ的な大衆化をしやすい小市民を、それでも市民(=シティズン)であれ、というのならば、第四の権力たるジャーナリズムが、きちっと社会的に機能する必要性があります。また同時に、ワークライフバランスではないですが、政治と宗教(というか家族共同体)にコミットする時間的余裕も必要です。ちなみに、日本社会は、「ここ(=大マスコミ)」が一番腐っているというか、日本社会の空気に飲まれる構造に適合的なのが、日本社会が暴走しやすい一番の理由のような気がします。


話がずれた、、、ようは本質がどこかわからないので、本質をズバッと拡大して主張してくれて、感情や絵(=視角情報)などなんでもいいのですが、導入に入りやすい形式をとって、整理して伝えてくれないと、ようわからん!となるのです。


僕のブログ的に言えば、できれば、主観的に追体験できる物語構造をとってくれることが、最も望ましい。これが、ゴーマニズム宣言のスタンスと凄く重なるのはわかりますよね(笑)。まぁ、たとえば、継続モニターで追っている人は、僕はたくさんいて、池田信夫さんのブログやちきりんさんのブログなど(それ以外にもたくさんありますが)、継続的に時事問題を取り上げてくれて、分量が少なくて読むコストが低いこれらブログ形式のをモニターするというのも、凄く有用。けど、まぁ著者にあったり、イベントに関わったり、一方向からの受動だけだと、信頼性が確保できないので、もっと多面的に関わって理解する姿勢が必要ですけどね。


ちなみに、僕はさっぱり原子力の問題についてはわからなかったんですが、リスクに関しては、低線量被曝の影響が重要なポイントで、科学的にはほぼ影響がないという実証データの方が優勢に見えますね。ただし、人間で確認したわけではないので、リスクゼロとは言い切れない、というところか。このポイントがわかるようになったおかげで、世の中の意見の対立が、かなりクリアーになった。。。


次は、もう少しエネルギー問題と原子力の科学技術の進み具合についてのポイントを知りたいな、、、と思いつつ、何かにうまく出会えればいいな、と思いつつ。



ゴーマニズム宣言SPECIAL 脱原発論