『ドキドキ!プリキュア(Dokidoki! Precure)』 第2話「ガーン!キュアハートの正体がバレちゃった!!」 共に倒れても他者を巻き込む気概が絆をつくりだす

Happy Go Lucky!ドキドキ!プリキュア


スマイルの最終回をまだ見ていないのに、次へ移り気なペトロニウスです。

とはいえ、この前の海燕さんのニコ生ラジオで、ハトプリから今までに続く、僕的な(って六畳半の過ごし方と朽木倒さんの受け売りだけど)プリキュアの「見方」ってのを示して、いかに僕が、ハトプリのつぼみちゃんをエロい、、、じゃなかった、いいと思っているかを、切々と語ったのですが(笑)、録音がうまくいかなかったみたいで、聞けなそうです、、残念です。まーこれまでの記事(タグでプリキュアで見てもらえれば)全部読んでいれば、何となくわかるでしょうから、今日はその話には行きません。

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ふと思ったのは、


他人に迷惑かけなければ何をしてもいい!


というリベラリズムでよく言われる言説なんですが、これ自殺や売春なども含めた愚行権の行使と自己責任論とセットになる言説なんですが、なんというか、、、リベラリズムの基本だし、言葉的に日本のメディア空間でも違和感なく使われています。なんか、文句が言いにくいんですよね、この言い回し。でも、ずっと、僕には違和感があって、本当にそうか?実際、人生って違わないか?って凄く思うんですよ。けど、「人に迷惑をかけてもいい」、とは言いにくいじゃないですか。実際、特に迷惑な人はたくさんいる社会なわけですし(苦笑)。自立と自己責任のポイントのようなものだしねーこれ。。。


そんでね、ふと思ったんですよ、この流れで今回のドキドキプリキュアの2話を見ていて。


この2話の物語の根幹というのは、プリキュアになって世界を守るという非常に苛酷な仕事に六花を巻き込むかどうか?という設問が設定されているんですよね。これについて、マナはすぐに六花をに話をしようとします。これってさっき言った「他人に迷惑をかけない」というルールからすると、非常に酷い行為です。妖精たちが言っているのは、とっても重要なことで、非常に難易度の高い課題に、能力もない一般人を巻き込んでしまうと、その人たちにとって地獄でしかないし、対処できないことに押しつぶされて不幸になるといっているんですね。


僕はこの設問を、特に切実に受け止めました。というのはいま、友人にすすめられて『フルメタル・パニック!』を読んでいるんですが、この6−8巻がまさにこの内容だったんですよ。これは、サガラ・ソ−スケという傭兵の男の子が、ある大きな世界の謎に関わる千鳥かなめという女の子を守るために学園に潜入してくるというドタバタコメディなんですが、下記の記事にも書いたのですが、

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130209/p1

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この作品6−7巻を転機に、物凄いシリアスな方向に振れるんですね。たぶんアニメーションの存在とか、さまざまなメディアミックスの展開を見ていれば、この物語の商品的な価値は、むしろ、シリアスではなく、永遠に終わらない日常の楽園ドタバタラブコメディであったような気がするんです。

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けれども、作者は、そこから話を急展開させます。その時のロジックが、とても誠実で、ああーこの人は物語の「終わらせつ方向への圧力」のドラマトゥルギーに誠実なんだな、と感心しました。ちなみに、この楽園を終わらせる圧力について、読め、と友人が言っていたので、その友人の審美眼は、素晴らしいと唸りました。きみだよ!きみ!!(←本人にしかわからないコメント)。そこで語られているのは、そもそもアフガンで幼少期生き抜いたサガラ・ソースケは現役の軍人で、主に暗殺などの仕事をこなしてきた人間で、その数優に3ケタの人間は殺しています。また、千鳥かなめも、世界の大きな謎に関わるが故に、世界中の様々な秘密組織や舞台から狙われるという超危険人物です。・・・・そんな彼らが、日常生活を普通に過ごそうなどとすることは、欺瞞以外の何物でもない。そもそも無理なのだ、ということでした。そして、その無理を続けようとするために、学校はテロで崩壊し、かなめの親友は、かなめを脅迫するために誘拐され、殺されそうに重傷を負います。そのほか、ソースケに関わった人間は、バタバタと命を落としていきます。。。。。それまで全く人は死ななかったのに、、、、。


けど、それが真実=当たり前、だと思うのです。


どう考えても、そんな異常なレベルの物事に直面し関わっている人間が、一般の力ない人を巻き込めば、その人たちが悲惨な目に合うに決まっているのです。その深刻さに打ちひしがれていたのが、昨今の僕でした。


さて、それで話をドキドキプリキュアに戻してみましょう。まぁ視聴者は、六花がプリキュアダイヤモンドになるのはわかっていますから(笑)、そこはスルーするのかもしれないですが、しかし、マナが六花に話そうとすることは、こうした上記で言ったような危険性をはらんでいるわけです。それが、僕には、そのテーマを考え込んでいただけに、ぐっと迫ってきました。いったいこの二人にはどういう倫理が、どういうロジックがあって、相手(=自分の大切な人)に迷惑をかけようと考えているのか?って悩んでしまったのです。

「トランプ王国から来た妖精があたしに不思議な力を与えてくれたのよ。あたしはその力で変身してジコチューな人達と戦ったの」(マナ)
 

「だったらあたしは白ウサギの後を追いかけて世界の真実を暴きに行くわ」(六花)

いきなりマナが言ったセリフに、六花はこう答えます。信じていないんですよね(苦笑)。けど、この答え方、僕胸を貫きました!。この後のセリフもそうなんですが、物凄く頭の回転が速くて教養がないと、こんなセリフさらっと出てきないからです。幸せの王子の話を、さらっとさしてくる、比喩の才能とか、、、いやー六花さん、まじで出来る子です。しかも、メガネっこ!!!・・・・僕は、もう六花さんにメロメロです。


けど、最初からマナはなんの疑問もなく、六花にこのことを話そうとしていますね。六畳半の過ごし方のプリキュアマイスターいっしゅうさんも、これって、重要なポイントだと書いています。僕もそう思います。

http://www.geocities.jp/isshuu_a/dokidokiprecuretop.html

基本的にマナの暴走に対して、ブレーキ役を演じている六花なんですが、ただひたすらにブレーキの機能だけを求められていたら、この二人の関係は破綻してしまいます。スイートの初期の響と奏での関係がこれですね。特に、このプリキュアのメインコンビかつ正妻カップルには、このなんというか、ロマンチック・ラブ・イデオロギー(←超長文書いているので、今度だします)における核家族の夫婦の関係性と同じ問題点があって、A)外に出て行って金を稼いでくる人と、B)家でバックヤードを再生産する人の二つの機能に分かれるんですが、このパターンって、B)のバックヤード側が、自分をちゃんと見てくれてないと思って関係性につかれて破綻してしまうケースがほとんどなんですよね。スイートの時思ったのですが、響があまりにハイスペックすぎて、奏って必要ないんじゃないか?というのが全編、僕には感じられました。もちろん感情的には響は相当奏でに依存しているんですが、しかしスペック的にバランスが取れていないと、それって気味悪くなってしまうのです。客観的に釣り合いが取れていないから。さっきの話で言うと、相良君やかなめが、いかに日常を愛していても、そこに生きることはできないのです。だって彼らがいることそのものが、日常を破壊してしまうから。それでも、相手が必要とも強者の側の響が思うのならば、それって、DVの関係にも似た共依存の関係に思えてしまいます。まぁもちろん、奏でも才人ですし、プリキュアになるのでこの命題は消滅しちゃいますが、なんとなく、僕は最後まで、その感覚がぬぐえませんでした。読み込みが足りないというのもあるんですが、最初の印象が強すぎたんだろうと思います。少なくともこの命題に、はっきりとした答えを僕は見出しませんでした。まぁ、完璧に集中してみていないので、もしそれがあったのなら、ごめんなさいです。まぁ少なくとも、同じレベル感で似たような問題に直面していない人が「一緒にいる」というのは、それほど難しいのです。昔の見合いが家同士で、同じくらいに財産規模以外は認めなかったというのは、年齢を経てくると、なんとなくわかります。理想論をどう言おうが、それはある種の事実であって、人間は似た原風景を持ち、似た世界に生きていないと、一緒に生きるのは凄く難しいのです。その難しさを前提にしないと、ダイヴァ―シティー(多様性)など絵空事です。


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だから、さっと自分がプリキュアになったことを話そうとするマナって、、、、六花に依存していないか?ってふと思いました。ブレーキ役の子にそういうことを全面的に、その能力も考慮せずに要求するのは、ちょっち考えが足りなくねぇ?って。いや、マナさん、だから躊躇して、途中で止めてしまうんですけどね。まぁとはいっても、絆ってのは、ウソや隠し事って無駄なので、わかっちゃうんですけどね。マナって、神をくるくるいじる癖がありますが、これって確実に、ウソをつくか隠し事をしているとかそういうしるしで、明らかに注視しているので、六花は気づいていますねー。でも、それでも言わないということはなんか背景があるんだろうな、と六花は流します。まぁ、なかなか言えないのはわかります。




けど、、、

「この幸せの王子!広場に立っている王子の銅像には困っている人達に金箔を配るツバメが必要なのよ! あたしはあなたのツバメにはなれない!?」(六花)

これって、うむ、正妻の死が二人を分かつまでの、愛の告白ですよね(笑)。童話の内容知っていれば、そうとしか取れません。相当ヘビーな愛の告白です。メガネっこの美少女でかつ、正妻貫禄たっぷりだから許されるほどの(苦笑)。よく文学青年とかで、ひねりすぎて何言っているかわからない告白する話がありますが、そういうくらいに教養のいる告白です。ツバメは、現実認識溢れるやつでしたが、あまりの王子の真摯さをほっておけなくて、死んでしまうまで付き合うことになってしまいます。←私、死ぬまであなたのわがままに付き合うわ、という意味です。とはいえ、プリキュアの初期メイン2名は、まさに正妻感たっぷりの安定した愛を語りますが、この二人のずっとある絆感の主張も半端ないですね。さらっと、私たち、歴史が違うんだからっ!的な発言が多い、六花です。しかし、ツンツン紫に、いかにもマナを理解してそうな黄色と、これからも正妻の座を虎視眈々と狙いそうな奴らの登場もありますから、、、。ちなみに、この六花の教養感あふれる受け答えは、彼女の才能を強く存在感として出していて、僕はとってもいいです。いや、頭のいい子が好きってのはあるんですが、それは、マナの才能や「底知れない存在感(=他者をのべつまくなく救済したがる)」に相対する過剰感を感じるからですね。スイートの初期に、この過剰感を奏でに感じなかったことが、のちにどうしても関係性が対等に思えない、というバイアスを作り出してしまいました(僕には)。


とはいえ、ここで言われている倫理は、ようは、深い絆がある場合は、仮にお互いの「巻き込み」によって、死ぬようなことがあっても、それはそれで本望だ!という、共に倒れる意識です。はっきりと、六花の側に自覚がある。それに、マナは当然のごとく、自分が地獄を見る時に、一緒につきあわせて、六花が死んでも、それは仕方がない、、、とは言わないが、共にその苦しみを迎え撃ち、それを苦しむことこそが、二人の絆のコアにあるということをよくわきまえているようなんですね。ここでは、他者に迷惑をかけなければ何をしてしまえばいいなどというような小ぎれいでレベルの低い倫理はぶっ飛んでいます。そこでは、本当に愛して絆を刻んできた相手とならば、共に運命の苦しみを立ち向かい、たとえそれによって滅びることがあろうともそれはそれで、やったろうじゃぁないかぁぁ!という決してマイナスの受け入れではない、ポジティヴな強い使命感があります。それは、、、なるほど、、、と思います。僕も奥さんに対してそう思うのですよね、、、。マイナスとかそういう、功利的な考えは、愛の前では無駄なんですよね。功利や合理主義は、非常に冷酷な世界のルールですが、しかしの次元を、ゲームのルールをひっくり返そうというのが愛の話なんだなーと思いました。・・・・なんか、キリストの隣人愛の概念とか、愛の戦略的な設定は、、、なるほど、これかぁ、、、と最近キリスト教やっぱすげぇな、と感心しています。。。。話がそれた、、、、その愛をコアにして、結ばれるのが、絆。ちなみに、スマイルプリキュアでは、一貫して、ここの人間の自立が語られており、にもかかわらず絆の構築はあり得るんだということを主張していました。これが、スイートの後の物語に来るのは、けだし理解できます。

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ちなみに、同じ話が、化物語シリーズの暦がいっていましたよね。月火フェニックスだったかな?(たしか、うろおぼえ)。家族は迷惑かけあうのが家族なんだよ的なセリフが。あと、似た話は、吉田秋生さんの『イヴの眠り』も同じテーマがあったなー。この視点は、おもしろい視点かもしれない。

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まぁ昨今の近代社会は、自覚的でない共同体の家族は、生まれる前から崩壊しているケースもあるので(苦笑)、単純に家族という言葉を使うと、再帰的ではないのかもしれないですが、、、、。小池田マヤさんの描く作品は、もうそういうのはすでに壊れてるようね感が漂いますなー。『聖★高校生』のジュンの家とか、もうどうしよーもないもんねー。その場合は、逃げることこそ、重要なんだよね。そこって古き共同体と自覚的共同体の大きな違い。リベラリズムによって参入だけではなく退出の自由が世界に生まれたからなんだよね^−。あとは山本直樹さんの『ありがとう』とかも、家族の自明性を疑う作品としては極北ですねー。まあこれらのアンチテーゼがあっても、もう一度本義に戻ると、、、、

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ようは愛に支えられた自覚的親密圏の絆は、迷惑かけあってこそという、、、言い換えれば、死なばもろとも、ともに滅びる覚悟的な、人生を共有し、その絆とともに生きられなければ、生きている意味感の消失がある、、、。


そういう時にもっとも許されないことは、ウソをつくこと、なんだろうなー。だって、ほら、それぞれに才能や能力が違うのだから、「何が起きているか?」という状況についての情報交換があってこそ、ともに困難を闘えるわけじゃない、、、、ああ、それがチームってやつなのかもなぁ、、、。サガラくんやかなめも、もっと早い段階で情報公開ができていれば、、、その戦略があれば、全然違ったはずだ。いろいろな理由はあるにせよ、彼女、彼らを縛っているのは、人を信用、信頼できないってポイントだと思う。だって、いっさい、人に情報を公開していないんだもん。だから、孤独に戦うことになる。。。

「本当に反省してる?」

「してるしてる」

「ならよろしい。あたしも本当のこと伝えてくれて嬉しかったよ。ありがとう」

「六花……六花!」

これが、ラストシーンですよね。・・・・・凄いセクハラですが、、、これが夫婦ならば、この後、夜は激しいはずですよね(笑)。ああ、うん、なんか、すっごく安心して、セクハラ出来る気がするなぁ、今回のは。なんでだろう?。デザインかな?内容かな?。スィートはなんか話的に受け付けなかったし、スマイルは、もうなんか娘を見ている気でそういう気持ち全然おこらなかったけど、こんかいはー(笑)。プリキュアマイスターのいっしゅうさんではないですが、ずっと僕も、マナのニーソとスカートの間の絶対領域が気になって仕方がありません(笑)。

赤い妖精が、なんじゃこりゃ!的なポーズがいいですよね。