第三章 再来の王都 第三章59 『絶望に抗う賭け』

Re:ゼロから始める異世界生活

http://ncode.syosetu.com/n2267be/

「――このぐらいの絶望で、俺が止まると思うなよ!!」


第三章 再来の王都
第三章59 『絶望に抗う賭け』


世の中は、格差がある。強者は、ずっと強者のままであることが多い。そんなに甘くはないからね、現実。


でも、弱者には強い力が一つあって、それは、絶望に慣れていること。最も悲惨な撤退戦で、心を折らない方法を知っていること。


とはいえ、そんな誰もかれも、特に強者が、絶望に陥ることなど、そもそもあまりない。世界は格差があるのだから。


でも、それでも、こういうのが見たいんだよ。


全ての強者が等しく絶望に心おられるとき、もっとも弱く、最もダメだったやつ叫ぶことを。


絶望に慣れている、ほんとうの絶望を経験していることをなめるなよ、と。



閑話休題



ふむー。脚本としては、決して、そこまでオリジナルというわけではないんだよなぁ。けど、エピソードの積み上げが、非常に安定感あって重厚なの。センスオブワンダーとしての「まだ見たことのないもの」というのがあるわけではないが、このレベルの複雑さで、このレベルのキャラクターとエピソードの積み上げがあると、そういう水準を超えるんだよね。このあたり表現するのがとても難しい。どういう風に、表現すべきか・・・・。


これって重要だと思っていて、批評みたいな視点でやっていると、


何か目新しいものはあるかどうか?


というのと、


時代の文脈や自分の批評的文脈に接続できるかどうか?


というような、「自分の視点」に引き付けて読んでしまいがちです。それがないと、新しさや新奇さがないって判断になりがち。えてして、それは間違っていないんだけれども、、、。けど、物語の面白さって、それだけではなくて、そもそも基礎的なものがあって、演出やエピソード毎の「積み上げ」のレベルが、もう少し言い換えると基本的な技術のレベルが高く維持されているか?ということがあると思う。もちろん、それだけでは、おもしろい、ということになるわけではないんだけれども、エピソードの構成(これってマクロの仕組みの部分ね)やキャラクターの積み上げ感や、関係性への高い観察力と描写力などが、全部一つの方向で結集してくると、破壊的な「そこにある感覚」というものが生まれる。これって、物語が、世界の再現をする装置であることからくると思うんだよね。これって、小説の基礎中の基礎であり、奥義なんですよ。「これ」があれば、あとは、基本的にパクリでもオマージュでも、何でもよい仕組みさえ採用すれば、凄い作品ができるんですよ。そしてこの「実在感」を作り出せる技術がある人は、実は、かなり少ない。これは、もう才能だから。


目新しさ、という意味で言うと、この作品はたぶんない。今の時点では。。。。これが、全部書き上げられれば、あるともうわかっている(マクロの構成はだいたいわかってきた)が、まだかなり初期の段階だもの(って、初期でこんだけ長いと、いいねぇ!)。この作品のコアは、異世界ループもので、いってみれば、マブラブオルタを頂点とするあのパターンのオマージュというか、同様のパラフレーズにすぎない。そこにベースとなっている主要なテーマも「ヘタレな自己を叩きのめす」という例のテーマだ。ようは、繰り返す世界のテーマは、どれだけ、現実認識がない奴が世界に関わると悲惨なことになるかという、その「落差」を見せることにある。


第三章のテーマは、まだ分析できていないが(ちゅうかまだ白鯨のところです・・・)、読む限りは、スバルに「俺は自分が嫌いだ」と言わせることだろうと思う。


なぜならば、それがこのテーマの基礎であり、このことの本人の(=感情移入する)読者の納得を積み上げられるかどうかが重要だ。そして、僕は、物凄いハイクオリティで、それが成立していると思う。そして、当然このテーマの落差とカタルシスは、では、自分の否定という部分を「受け入れる」ことができた時に、何ができるのか?ということを見せることであり、それも、鮮やかな落差として見事なまでに表現されている。もちろん、抽象的には、特に目新しい脚本構成であるわけでもない、といえる。


・・・・・けどねぇ、、、、これ、震えない?これ、胸が熱くならない?こんだけ見事に積み上げがなされてて、どかんと物語られると、僕は感動するよ。素晴らしいです。


・・・なんか、オリジナルではないという言い方だと、マイナスに書いている気がしてしまうんですが、例のフレーズとマスターピースの評価と、それと記事の数から、いかにこの作品を僕は凄い好きかはわかると思います。そして評価自体も。★5つです。主観も客観も。こんな素晴らしいレベルの小説をなかなか見ないです。



・・・とか思ったのですが、ループものの自己幻想と現実の落差を描く物語の解説を、もう一度やってもいいのかもしれない、と最近思うようになってきた。ループものの類型の丁寧な分析はやってもいいような気がする。ループものの構成とその手法が、どうもあまり共有されていないような気がする。この仕組みを使ったものが、たんだら死んだらループとしか認識されていない気がするんだよね。この脚本類型は、単純にそのの仕組みだけ出して評価するものじゃないんだもの。そんなことを思った、今日この頃でした。


まぁ、物凄い、、、、好きになっているので、ちゃんと解説してみたいです。こんなに感動したのは久しぶりだもん。


毎日、耽溺するように読んでいます。