やっぱ趣味と友達がないと、しあわせになれんよねー

巴マミの平凡な日常 (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

この漫画思わず手に取ってまぁ一瞬に読み終わってしまったが、、、なんか、要は前から日常と非日常という対比で僕は文脈を読んでいる部分があるんですが、非日常に呑み込まれてた悲劇だった本編のスピンオフの作品でこういうの見ると、しみじみ、あー平和っていいなーとかそういうの思うんですよねー。ただ、、、まぁマミさんって、真面目でスペック高そうなんで、こういうふうになってしまうのは、ありえないことないなーと、とおもってしまう(笑)。ただ、もっともっとスペック高いんで、こうはならないとは思いますけどねー。


それでね、下記のを偶然読んで、いろいろ思うことがありました。


40代独身の会社員です
http://anond.hatelabo.jp/20131025021240?utm_content=buffer9992c&utm_source=buffer&utm_medium=twitter&utm_campaign=Buffer



ようは、この記事もこの本も、家庭も恋人も家族もいないと、寂しくて仕方がないでしょうーというのを言っているわけですが、、、これってとてもよくわかる話だけれども、実は少々ステレオタイプなんじゃないのか、、、特にいまでは、、とおもってきたんですよね。というのは、妻の友人で会ったことある人なんですが、、、もう定年退職されて、いまは悠々自適の生活を送っているはずなので、、、もう60歳ぐらいなんですが、、、その人がですね、まさに派遣で、結婚してなくて、、、、たぶん仕事もかなりできなくて(笑)という人だったんですよね。たぶんとっても美人だったのは顔を見るとわかるので、結婚できなかったというよりは、あまり興味がなかった感じではあるんですが、、、その人が50歳真ん中ぐらいにあったんですが、、、、あのねーもうめっちゃ、人生楽しそうなの。ジャニーズの追っかけて、サッカーは熱狂的なファンで、音楽も趣味でやっていて、、、もう友達は溢れんばかりに溢れるほどいて、いつも笑顔で、人生楽しすぎて困っちゃうって感じで。その人の周りには、人が集まる。集まる。趣味があまりに楽しすぎて、婚期のがしたなって感じなんだけど、なんというか、後悔というかそういうのをみじんも感じないの。だって、いまが楽しいからっ!ているオーラでまくりなの。そして老後も、友達に囲まれて、楽しく過ごすであろうことは、その時を見ていればもうよくわかるの。別に特別お金があったわけでも、恵まれた人でもなかったと思うけど、まぶしいほど幸せオーラが出ていました。


あれを見ていて思ったのは、しあわせな人生にもっとも重要なのは、趣味と友達なんだなっ!


ってことでした。世の中で、言われて知るスペック・・・・結婚して、会社の安定した地位があって、とかそういうのとは全く関係ないの。友達がいて趣味があって、やりたいことがあってということとは、そういうスペック的なものとは全然関連しないんだなーと。上記のマミさんの話は、なんというか、要はやりたいことがない人が陥る無気力の状態のステレオタイプなんだよね。もしくは、40歳何チャラの書いてある内容も。


僕はスペック的には、リーマンレベルとしては(どんなれべるだ?そりゃ?)、まぁそれなりに持っていると思うけれど、、、会社でいい仕事して、愛している妻と子供に恵まれて、友人も多くというリア充的な言い方で言えば、けっこうそろっている。けど、、、それでもなかなか満たされないものがあるんだよね。いや、はっきりいって、なかなかというよりは、それだけではしあわせにはなれないんだよね。僕は自分のオタク趣味とそれを共有する友達ができて初めて、いやーおれの幸せってここにあったんだなーと、心底ほっとしたのを覚えている。たぶん、海燕さんとか、普段僕とコミュニケーションとっている人は、僕のかけている時間と熱力を考えると、その意味と深さがわかってくれると思いますが・・・・人生、しあわせは、本当に何が本当の幸せか?ってわからないものです。ただいえるのは、スペック的なものは、ほとんどその人個人にとっての実存と絡まないので、しあわせとは関係ないなーと思う今日この頃です。


そんで、一番幸せにからむもの、、、個人の実存とからむところって、趣味なんだよね。好きなことがあるかどうかで、人生が決まる。というか「ほんとうにやりたいこと」なんだろうけれども、そしてそれを通じて「仲間」とつながること、これが一番幸せなんだよね。まぁ、ほんとうにしたいことと、仕事か重なることってなかなか難しいし、本当にしたいことでも、「自分のしたいやり方でできる」かどうかはまた別のこと。なので、趣味が一番妥当なターゲットというか、言葉なんだろうと思う。



何が言いたいかというと、上記の話もそうだし、マミさんのマンガ見てて思ったのも、この人たちってのは、やりたいことがぜんぜんないのね?ってこと。もう一つは、好きなものの仲間を探して、それを大事に育てようという根気というか行動力がないのねってこと。そういう人は、結婚しても、子供ができても、結局は、不幸せなままだろうなーと思ったのだよねー。。。。


けっきょくは、何が帰ってこなくても、それだけやっていれば楽しい!!と思えるようなことを見るけること、好きという内発性を見つける努力をしていないければ、人生は不幸せになる一方なんだってこと。


あっあと、いろんな人を見てて、この人がなんで結婚できたのってぐらい顔がひどくて(男性です)ちんちくりんなんだけど、、、、ほぼすべてのケースで、同じ趣味とか仲間内でって感じだんだよね。この40代の人も、結局やりたいことがなくて、しかも、それで仲間を作る努力を怠っているから、そういう機会がおとずれなかったんじゃないかね?という気はする。もちろん、好きなものを探すことや、、、好きなものを素直に探せるようになるには大人になることが必要で、言い換えれば実存問題点をきちっと昇華する必要があるので、なかなか難しいこともわかるし、同じように、仲間を探してそれを育成していくことは、才能とまではいわないけれども経験がすごく左右することなので、なかなか難しいとは思うけれどもね、、、、。



でもどうなんだろう?。今の時代、こういうステレオタイプが主流かというと、僕はもうそうじゃない気がする。


だって繋がれるためのインフラは過去よりも格段に増えているんだもの。


また日本は、いつまでも続く日常をそろそろあきらめて、いつまでも日常続くんだからいっちょ祭りを自分たち起こそうぜ!モード(=近代の黄昏モードと僕はよんでいます)に入っているので、やりたいこと、好きなことが自由にできる時代です。もちろんお金の問題とか貧富の差とか大きな問題はありますが、全世界で日本が最も平均的に豊かなのは事実、またユニバーサルデザイン田中角栄の列島改造計画じゃないけれども、フリーライドできるインフラストラクチャーが全国ユニバーサルにあるのなんて、地球上でここだけです。「ここ」で自由に幸せに生きられなければ、いまの地球で幸せに生きれるところはないと思います。しあわせは与えられることはあり得ない。自分で獲得するしかないのだもん。個人の問題で物質水準とはほぼ関係ないから。


なんか、そんなことを思いました。