永遠の日常を楽しく生きるライフスタイルを追求すること、それが日本(のライフスタイル)が世界を支配する第一歩だ!(笑)

ゆゆ式 (6) (まんがタイムKRコミックス)


ちょっち今月は、めっちゃめちゃ忙しいので、まったく記事が書けてませんーさすがに。この記事ほっといたままなんで、新鮮さがなくなりそうなんで、まだざっくりだけど喘げて起きますー。


ゆゆ式』(2013) 原作:三上小又  監督:かおり 関係性だけで世界が完結し、無菌な永遠の日常を生きることが、そもそも平和なんじゃないの?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140504/p1

ラスボスのいなくなった世界では、日常が続いていく関係性の物語へと変化する
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130622/p4


このあたりの記事の思考の続きです。コンセプトを理解していないと、たぶん何言っているかわからないと思います。エネルギーがないので、そこまでわかりやすく書けませんので、申し訳なく。ちなみに『ゆゆ式』の話を書いたら艦隊コレクションと中国の反日暴動の話になったので、こりゃ同じ記事ではないわ(笑)とおもって、分割して捨て置かれているものですが、せっかく面白いので、再構成してみています。まぁ、いつもの物語三昧クオリティなので、わけわからんでしょうが、ずっと読み続けている解釈力の合う人には、わかるかも?知れません。


ハーレムメイカーから永遠の日常を楽しんで生きる無菌系に至る物語の類型の系譜
http://www.ustream.tv/recorded/47099287 


これは、LD教授と、現代日本の物語の中で、物語のドラマトゥルギーの構造が、どのような展開がされたのか、その系譜を話したものでした。

一対一のラブコメのヒロインの序列が崩れていく中で、その最終到達地点として、ハーレムメイカー(男の子に対して多数のヒロインがいて、そのヒロインの一人を選ぶという圧力が存在しなくなってしまう状態)という物語類型があるんですが、この「その後」がどうなるのか?というところで、男性視点が去勢されて、女の子だけの関係性にシフトしていって、、、、これは、日常四コマ系でアニメ化されている『らきすた』や『けいおん』などの女の子だけで永遠の日常を関係性だけで戯れて生きる類型と接続しているのでは?という、僕らの系譜の理解の一つです。

この話は物語三昧や海燕さん、LDさんらの界隈では基本フォーマットのような話なので、みなさんご存知かと思います。ようは、ラブコメという物語の形式が、1対1という関係性から、三角関係(3人)に変化して、それが、1対多(=ハーレム状態)になってという系譜の展開をしたという話です。論理的には、僕はらは、この1対多(=ハーレム構造)からどこへ行くか?と考えたときに、2つ考えました。


1)多 対 多 (男女同数の対置構造)


2)1 対 1 物語の王道、基本に回帰する


この二つです。しかしこの二つは同じことを言っていて、1)の多対多になった場合は、それが、男女同数でいる場合は、結局「どこをフォーカスすするか?」ということで、2)の1対1になってしまうからです。これらの方向性を、ペルソナや『恋愛ラブ』などの作品ぐうにその可能性を見出していましたね。


しかし、現象としては、こうした論理的な展開以外に、まったく別の系に突入したものがありました。それは、僕らが、空気系、無菌系と呼び、これらの日常系の頂点と考えている『けいおん』や『ゆゆ式』などの作品群で、それは、男の子(=視点)がなくなってしまう!というものでした。


これは僕の宮崎駿の履歴を追った批評の展開と全く同じロジックの話だと僕は最近感じています。

これが、何を表しているかといえば、宮崎駿が、今の時代は少年を主人公にする物語が描けなくなったといっていたことです。ようは、良かれと思い善意溢れる努力を突き進むと、それがどうしてもマクロ的にコントロールできなくなり、世界を全体主義や戦争へ突入させて滅びに結びついてしまう。そうした構造が見えている中で、男の子的な少年の夢を成就させる、自己実現させる方法が宮崎駿には見いだせなくなったのだと思うのです。そうして、少女ばかりが主人公になっていくことになります。未来を夢見て生きる(=少年の夢)ではなく、現在の日常を楽しむ視線に変化したことを指しているのだろうと思います。このあたりは、永遠の日常をめぐる言説というか、解析は、物語三昧とLDさんとは、散々やり続けているので、つながりを実感していただけるのではないかと思います。


風立ちぬ』 宮崎駿監督 宮崎駿のすべてが総合された世界観と巨匠の新たなる挑戦
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130802/p1

無菌系とは、、、、『けいおん』や『ゆゆ式』のような、女の子の視点だけで構成された、関係性の微細な揺らぎの身を追っていく世界観です。系譜的に言えば、それまで男性的視点を仮託する『俺の妹がこんなにかわいいわけがない』や『らきすた』のような、ヲタク的な男の子の視点が中心の軸にあったものが、それが失われたもの、ともいえると思います。


この男の子の視点が失われるという現象は、そのまま宮崎駿監督が「女の子の視点でしか世界を描けなくなった」という話と、非常に共通しています。


さて、この先については、まだ現象が確認されていませんし、論理的にも特に、これっていうものもないと思うので、少し思考をずらして、物語の世界ではなく現実の世界の話に、この現象の構造的な類似点を見てみたいと思うのです。


全く違うのですが、えっとね、最近(もう半年も前の話だ・・・・・)、半藤一利さんの昭和史の講義録をじわじわ聞いているんですね。けどね、面白いことに気づいたんですよ。日本の戦争責任のことについていろいろ考えていた時のことです。海外に住んで、海外の視点で見ると、世界の共通した認識に、日本は過去、枢軸国側の一員として世界征服(苦笑)を企んだというフレーズがよく出てきます。ポツダム宣言にも書かれていることなので、これ、世界の歴史の共通見解です。枢軸国のナチスドイツと一緒に並べられて絡まっている話なので、事の真偽とか、日本側がほんとうにどうだったか?、いわんや、日本人がどう認識しているか?とかは、どうでもいいことです。ようは、国際政治の舞台では、基本的には、日本はそうだったよね!ということを前提として語られるのです。日本人が、これに反論したければ、まず「この前提」を前提として理解して、知識として強く持ったうえで、国民的な統一意見として反論するなり、説明しなければならないんですが、、、この日本以外の国が共通として認識している歴史に日本のマスコミ、民衆は非常に無知ですね。このあたりが、日本の極端な右翼化や、世界の動きと全く見当違いの方へ暴走する、明治建国以来の日本の構造の様で、1945年の敗戦で一度国が滅びても、それでもまったくかわっておりません。これって日本人の文化的な気質なんでしょうねぇ。。。こういう構造を変えることこそが、選良の義務だと思うんですが、、、なかなかねぇ、、、。


『なぜ日本は〈嫌われ国家〉なのか ──世界が見た太平洋戦争』 保阪正康著  せっかくなので反対方向の意見を同時に読んでみよう!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140412/p1


おっと話がそれた。←いつものこと。


なので、うん、諸外国は、旧枢軸国の悪の帝国として、世界を支配しようとした日本は、いったい公式のストーリーで、その次に何を目指したのか?ということです。


それは外に暴発して膨張しない平和国家として生きる、という道でした。


石原莞爾が当時新聞で(どのつらさげていう!とは思いますが)東洋のスイスを目指す!といっていますよね。スイスが傭兵国家で国民皆兵の凄い軍事力の強い国であることとかは、無視したのかもしれませんが、、、それともよくわかっていっていたのかな?。大前研一さんも、ずっとスイスの国家としての在り方を注意している言動をいっていますよねー。


この路線は、非常に諸外国に支持されている、と僕は思います。なんといっても、当時の毛沢東周恩来(日本にめちゃくちゃに侵略された当事者たち)が、これを高く評価している言動が多くみられることです。また、戦後、50年以上たって、この路線が、非常に真摯に追及されているということは、世界中の人がよくわかっている事実です。戦前の非常に極端な危うい国であるということがまだ払拭さてはいないものの、それでも事実として平和国家を追求していることは、基本的にはわかっているはずです。何せ、事実ですから。


日本側からしても、吉田茂が作ったこのスキームは、凄い意味があるものでした。アングロサクソンとの同盟スキーム、、、言い換えれば、日米同盟を根拠して、米軍に日本の防衛を肩代わりさせることです。いろいろ矛盾はあるし、問題もあるのですが、この50年に日本が達成したものは、戦前の日本がどれほど望んでも得られないものでした。


それは、大日本帝国の建国の理念、そしてその国体の維持のための基本構造に置いて致命的な問題点があったことを解決したのです。


なんといっても、


1)石油の確保(資源確保) → 全世界のシーレーン防衛、自由貿易体制の確立(強大な海軍による世界の海の制圧)


2)生産力が極端に小さく、アメリカや列強から比べると、爪に火を点す様な生産力を何とか全体主義的に傾斜するしか列強としての強さを維持することができなかった。この生産力を何とか上げたい。


3)中国のような巨大な大陸の消費市場を自分専用として確保する → 中国はできなかったが同じ大陸であるアメリカ市場を全面開放してもらえた!


これ、米国との同盟によって、すべてが成立してしまいます(苦笑)。特に、2)は圧巻でした。いまでは歴史になった過去のことですが、1980年代の設備投資は2倍以上もあるアメリカをはるかに上回り、日本の生産能力は全世界に対応できるほどの規模を誇りました。事実上の世界一です。また、日本が満州や中国に夢見た大陸の巨大市場は、アメリカ市場を本気で開放してもらえたがゆえに、そこの攻略をすることで、2)の生産力の事実上の世界一レベルの達成を成し得ました。


これってすごいことですよね、これによって、アメリカの産業の中核であった自動車産業、エレクトロニクス産業は、ほぼ壊滅に追い込まれて、自壊していくまで追い詰められることになります。僕は将来は、GMは、トヨタに買われるんじゃね?と思っています。この懐の深さ、そして、気前の良さは、いかに物凄い富める国であるといっても、アメリカすげぇ!と思います。アメリカは、日本を思想的にもかなり支配し、相当の影響下、事実上の軍の支配下に置いているといえども、、、それでもここまで!!!いろんなものを日本に気前よく渡していること、、、また同時に、日本が、それに答えうる能力を持っていること(アメリカ市場を開放しても、アメリカ市場を支配し、イノヴェーションを起こし、わずか30年ぐらいで全世界の生産力を握るほどの規模に成長するなんざ、簡単にはできません)。こう思うと、歴史的に、日本はアメリカとの同盟は、めっちゃ相性がいいんだな、と思います。気質的にも、全世界で、たぶん勤勉さという意味では、アメリカ人と日本人は、とても共通しているように実感します。いや、これって、精神的には結構ツンデレ気味に喧嘩し続けているんだけど、身体の相性はよくて困っちゃう(苦笑)とかそういう感じなのかなーって思います。いや、どっちも、巨大文明(=ヨーロッパや中国)の辺境に位置する鎖国気味の国なので、とっても純朴で真面目なんですよね。また、とっても民主主義的気質(=民主主義は、分権的なので、お互い自立しようとして非常に個人同士や派閥同市はケンカっぱやくなる)で国内で殺しあっているほど仲が悪いんだけど、いざ戦争になる怖いぐらい一致団結して、戦争がめっちゃ強い。アメリカは憲法(=大統領)、日本は天皇に、何かあると狂信的に統合するので、この辺も似てるなって思う。しかも両国とも基本的に海軍国(←これもの凄い重要)。


ということで、日本の1945年後の世界は、この平和国家として、経済専念するという、戦略目標を十分に満たす基盤を備えていました。吉田茂すげぇな。というか運がいいな。日本。


そして、戦前の日本の目標として、列強の最先進国としての文明レベルに到達する!という物理的目標は、なんと、1980年代に達成してしまうのです。経済的には、物質基盤的には、日本が欧米に遅れているというのはもう言えないでしょう。80年代に世界一になってから、既に20年以上が過ぎ去りました。30年を過ぎれば、それもストックとしてこなれて安定すると思います。現在競争力では、世界27位ぐらいに位置づけられる資料を見たことがあるのですが、こういう統計資料は、たとえば、資産の多さで見たらどうか?とか前に書いた部分は、ほとんど考慮されていないフローの、言い換えれば現在の現状だけを見たものばかりで、僕これを見て一喜一憂するのは無駄だと思うんですよ。会社が、株価だけを見て一喜一憂しても(重要ではあるにせよ)仕方がない部分と似ています。


世界中の誰もが、日本が、衰退しつつある構造があるとはいえ、人類のフロントランナー的な最先進国であることに疑問は持たないでしょう。いまの日本の構造は、政治システムがかなり新しい時代に抵抗するのが遅れていたり、高度成長期の環境からの変化に対応できなくてスタックしている等の問題はありますが、西ヨーロッパやアメリカで起きる出来事とほぼ同じ現象が起きます(移民反対に対する右翼の台頭や社会からはじかれたものの世界に復讐するような劇場型犯罪の頻発など)。また最先進国に共通する、ベビーブーマー世代、高度成長期のボリュームゾーンが、80歳を超える超高齢化のステージに突入していく人口構造の逆ピラミッド型の形成など、、、その部分に関しては、むしろ前人類史の中で日本が最初に突入している状態にあります。また、WW2以降は、人類史に置いて最も戦争が少なくなった時代ではありますが、こうした戦争による既得権益の一掃など、戦争の効用というべきものがなくなった世界において、どのように生きるのが、社会を壊さないで行けるのか?という挑戦も、日本はフロントランナーだと思います。

戦争の功罪について、米国で大論争「米国は戦争が大好き」と説く論客も 堀田 佳男 2014年5月14日(水)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140512/264387/?P=1

War! What Is It Good For?: Conflict and the Fate of Civilization from Primates to Robots
War! What Is It Good For?: Conflict and the Fate of Civilization from Primates to Robots



ところがですね、、、、そう1980年代に物質的な「坂の上の雲」だったヨーロッパ文明の導入がほぼ終わると、じゃあ、次は何をするの?ということが問われるんですね。


そこで、1980年代から日本は迷走をはじめます。ちなみに、日本だけが迷走しているわけではありません。西ヨーロッパやアメリカなど、フロントランナーの国は、すべてどっか狂って迷走しています(苦笑)。賢明な国などありません。みんな生き残るので精いっぱいなのです。そうすると、自分の頭で考えて、自分の文化的な根源にフイットして、そして、現代文明の基礎構造にマッチした、もういっちょいうと後期資本制の社会に適応した「なにか」が必要になるわけですよ。僕はその答えは、もうわかっていると思っています。それは、



永遠の日常をどう生きるか?



ってことなんだろうと思います。成熟と成熟の違いを僕はいつも考えているといういましたが、成長はここ数百年、ヨーロッパ文明が追及して全世界のスタンダードになったので、みんなよくわかっていて、これをシステム的に安定させる資本主義も、世界中にインストールが終わっています。


しかし、もう一つの目標である成熟。平和国家として、生活世界の充実を追求していく!という方向性には、まだまだ問題点がかなりあります。過去の人類史のような安定して時が止まった朝鮮王朝の500年や徳川将軍期の300年や、中国文明の在り方では、基本路線、東洋文明のほうが明らかに日常に向いていると思いますが、ダメです。というのは、ヨーロッパ文明、近代文明、資本主義社会との同時並行性がないとだめだという条件が、現代にはあるからです。


でね、、、そうすると、日本社会は、この生活社会の充実、、、普通の人が住む世界での充実ってなんなのか???(ヤンキー化するんだよ!)ってことが凄く重要な裏命題にあったんですよね。1945年から、日本は、米国に外交や軍事を譲り渡したがゆえに、「そこ」に邁進してきたんですよね。

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その結果が、僕は、関係性の微細な動きに敏感になって、世界を肯定的にキラキラ見ながらマクロを無視して生きるという永遠の日常を生きる知恵なんではないか?と結びつくんですよ。1980年代以降の日本は、もう一度、豊かさとは何か?ということを、坂の上の雲の目標が終わったが故に、探しに出るたびに出ます。けど、実は答えはもうわかっています。それは、あとで書きますね。


さて少し戻って、


関係性だけで世界が完結し、無菌な永遠の日常を生きることが、そもそも平和なんじゃないの?


と、こういうことが言いたかったんです。1945年を境に、戦後日本の話になると、とたんに話がつまらなくなるんですね。人類史とか、世界とかとまるで関係ない、内部の内政の話とかばかりになってしまうからなんです。歴史を物語ファンタジー的に考えると、戦前の明治建国から太平洋戦争まで、事の善悪はともかく、物凄いドラマチックで、英雄とか、物語的なことじゃないですか。けど、それ以後って、ひたすら平和で、戦争もしない、マクロは考えない、無視する、日常だけを追求するということですよね?。もちろんのこと、物語として考えたら、おもしろいわけがないじゃないですか?。全然血沸き肉踊らない。

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このこと一つでも、戦前の日本と現代の日本は、全く違う国なんだな、と思うんですよ。



で、平和って何よ?


ということを考えたときに、沖縄の琉球王国の日本併合の時と台湾の植民地政策のことを思い出したんですね。なんで、これがうまくいったの?というと、日本に支配されたの封建領主の上の層が解体されたんですよね。そいつらが権利を奪われた。けど、庶民はどうだったか?というと、日常生活が劇的に改善しているんですよね。この時代の、植民地併合のお題目は、封建社会の打破と、庶民の文明化ですよね。そこには、それを正統性というかは別にして、とても強い効果があったんだろうと思います。昭和史の半藤一利さんの1945年以降の最初の思い出の一つは、ペニシリンです。自分の妹?だかが熱を出して、高価だけれども、ペニシリンを売ったら一発で治った。と。半藤さんの下の妹さん(弟だっけか?)はかんりとしが離れてて、それは、肺炎で何人も死んでいるからなんですよね。けど、アメリカが持ち込んだ、ペニシリンが、それを劇的に変えた。シラミとかで毎日かゆいのが当たり前だった生活が、DDTで一発でなくなった。これが凄い印象的だった、と。


何が言いたいかというと、為政者が求めるもの(=マクロの要求)と、庶民が求めるもの(=ミクロの要求)ってのは、かなり食い違うんだなってことです。


ようはね、普通の人にとっては、一番大事なのは、日常の生活のクオリティなんです。


意外にこれが忘れさられているけれども、というか、これは別物としてちゃんと分けて同時に考えてないといけないんだなーと。


先日、下記のような記事を書きました。

『なぜ日本は〈嫌われ国家〉なのか ──世界が見た太平洋戦争』 保阪正康著  せっかくなので反対方向の意見を同時に読んでみよう!http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140412/p1

ここで目から鱗だったのは、自分自身の海外体験から合わせて、日本人は、日本民族は、ミクロレベル(=日常の等身大の生活レベル)では、先で一番といってもいいほどほぼすべての国に尊敬されて、素晴らしいと思われている。けれども、マクロレベルでは、集団になると何をするかわからない、暴走しやすいとても危険な国家だと思われているという、別の次元で正反対の認識が海外にある、ということでした。ちなみに、中国や韓国だけが、日本を敵視して嫌悪していると思いこんでいる能天気な人は、『レイルウェイ』のような映画を見てみるのをお勧めしますよ。素晴らしい映画ですが、日本人にはとても耳が痛いです。明治建国以来半世紀にわたって西と東で海を分割して支配した偉大なる日英同盟のパートナーですら、こういう風に思う伝統が深く残っているんですよってこと。

レイルウェイ 運命の旅路 [DVD]



まぁ、ほんと、話が全然違う方向に、、、、『ゆゆ式』の話ではなかったのか????。


えっとね、日本民族のもっとも、特質的なところってのは、どうも日常を深く楽しむところっぽいんですよね。最近の仮説。それは、下記の本を読んで、鎖国してマクロが全く関係がなくなって江戸時代の日本が作りだした文明を見れば、よくわかる。もちろん、大日本帝国を形成したり、豊臣秀吉織田信長を見ると、半面、ドカンと外に出て、いっちょやったるでーというような好戦的な面もあるので、半分づつなんだろうと思うのですが。

『逝きし世の面影』 渡辺京二著  「異世界たる古き日本」へ僕らをいざなう最上級のファンタジーにしか思えない
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20101117/p4

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

しかし人々の幸福度は富とほとんど相関がなく、自分の生活に意味があるかどうかが大事だ。江戸時代の平均寿命は40歳前後で平均年収は今の1割ぐらいだったが、人口の圧倒的多数を占める百姓には自治を認め、経済を支える商人には権力はないが非課税で、その富を文芸や美術に使った。その結果、江戸は世界でも最高水準の文化を生み出した。

貧しくても権力と富を平等に分配して幸福度が下がらない生き方を、江戸時代の人々は工夫したのかも知れない。その間接的な証拠は、日本でキリスト教が普及しなかったことだ。それは不幸な時代に流行するので、日本社会の幸福度は相対的には高かったのではないだろうか。ここには、これから衰退する日本が学ぶべき知恵があるような気がする。


長期停滞時代の生き方
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51883137.html

この本は、人生の中でベストといってもいいくらい良い本です。ぜひとも読みましょう。世界観がひっくり返ること請け合いです。同時に、『クアトロ・ラガッツィ―天正少年使節と世界帝国』を読むと、日本人が、日本民族が、変な右翼的なイデオロギーではなく、どれだけ素晴らしいのかって、とても充実して地に足がついたレベルで感じれるはずなので、超お勧めです。

クアトロ・ラガッツィ―天正少年使節と世界帝国


ちなみに、日本人が、日常生活のクオリティを極度に、偏執狂的に追及していく性質がある民族であるのは、日本のとても強みです。というのは、もちろん日本に、世界征服を目指すような悪の帝国のような好戦的な気概や構想力があるのか(アメリカやヨーロッパのように)といえば、僕は十分にあると思います。大日本帝国の形成、満州建国と独立経済圏域構想、大アジア主義など、事の善悪は置いておいて、けっこう実績もあります。けど、こういうのは、できる民族って、たくさんいるんですよね。ある程度民族的に数がいて土地が豊かならば、それなりに自然と帝国まで行くんですよ(滅びるけど)。けど、永遠の日常を、経済のパイがあんまりっ増えなくても、ものすっごくクオリティを上げて楽しんで充実して生きるって、そんなことができる民族や国なんて、ほとんどありません。大衆的なエンターテイメント(貴族層が楽しむだけではなく)を発明して維持運営するような民族や国家も、ほとんどないと思うんですよ。個人的には、いまのところはイギリス、日本、アメリカぐらいじゃね?と思っています。暮らしたことないのでわからないけど、たぶん西ヨーロッパ諸国もそうじゃないかなーと思います。いまはここに台湾や韓国が入りつつあると思います。なので、世界中にリトル秋葉原をつくって、ソフトパワーで世界制圧だってのは、とてもいい平和的な競争力で、僕はいいと思うんですよね(笑)。マジで、ジョークではなく。だって、海外に来ると、日本の子供向けのアニメーションの強さに、衝撃を受けます。これは『逝きし世の面影』にもありますが、日本人が伝統的に、子供をとても大切にしたり、にもかかわらず、大人と切り離して別物として扱うということをしないという伝統があるので、子供向けのエンターテイメントが、信じられないほど高度に発達したがゆえなんですね。いま僕はアメリカに住んでいますが、アメリカの子供への、ポケモンとかの浸透具合、すさまじいですよ。任天堂でもいいですし。セーラームーンとかプリキュアシリーズの、女児が世界を戦って守る!!なんてエンターテイメントは、日本が想像した偉大なソフト・プラットフォームです。これ、世界中の子供が見てる。世界はグローバル化して共通化しているんですが、こと子供向けのエンターテイメントの領域では、日本の作りだした形式が、プラットフォームとして支配的だと僕は思います。理由は簡単。そんな子供向けの領域に、力を割くことなんかしないからです。


中国の「反日カード」を、日本の「日常」で無効化しよう
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140421/263214/?rt=nocnt

「艦これ」の娘たちとはしゃぐ中国の若者
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140325/261694/

日本人の「普通」が中国人の「劣等感」を刺激する
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130702/250508/

細かいが重要な「生活インフラ」が段違い

 たとえば、私は中国出張中、限りなく3つ星に近い4つ星ホテルに宿泊するが、そのサービスや質は日本の5000円以下のビジネスホテルよりもずっと下だ。ロビーには豪華な装飾があるし、Wifiは通じるし、バスタブもある。見た目も設備も、日本のビジネスホテルとほとんど同じだ。

 だが、ポットの横に置いてある紅茶のティーバックを開けようとしても、なかなか開かない。袋の切り込みがちゃんと入っていないからだ。歯磨きのチューブの蓋もきちんと噛み合わず、閉まらなかったりする。お風呂にお湯をためて入ったあとは、排水がきちんとできていないので、トイレの前まで水浸しになってしまう。こんなことは日常茶飯事だ。

一見、日本のビジネスホテルと同じコーヒーやお茶のパック。しかし、味はともかく封の開けやすさが違う。

 日用品で最も日本との違いを実感するのは、ノートやボールペンの品質だ。

 中国のノートはちょっと強く書くと紙に穴が開き、ボールペンはすぐにかすれて書けなくなる。外出先でストッキングが切れたときも、間に合わせで買うストッキングは、価格は日本並みにするくせに、半日穿いたら伝線してしまう粗悪品ばかり。

 「日本で売られている文房具やストッキングも多くが中国製なのに?」。もっともな疑問だが、日本で売っている中国製品と、中国で売っている中国製とは雲泥の差がある。

 以前、香港在住の友人がフェイスブックに「日本のコンビニで150円くらいで売られているエクレアはすごくおいしい。あれと同じレベルの商品は、香港では1000円出しても買えない」と書いていて、思わず「その通り!」と唸ったが、中国でも同様だ。買えないどころか、それだけ「低価格で高品質」のものは中国中どこを探しても売っていない。10万円の高級輸入ワインはよく目にするのに、「日本に普通にある、ちょっといいもの」は中国には存在しないのである。


キャプテン翼の巨大像、香港に出現
http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/08/captain-tsubasa_n_5468025.html


上記の「中国の「反日カード」を、日本の「日常」で無効化しよう」というタイトルはすごくいいなぁーと思うんですよ。まさに正鵠を射ている。もっと広げると、争いが日常の世界を、日本の「日常」で無効化しよう!!みたいな感じです(笑)。いまアメリカに住んでいると、この国も、本当に豊かさが懐が深い国です。その豊かさは、金だけじゃない。日常生活のクオリティです。いうまでもなく、日本の日常の成熟の素晴らしさは、アメリカンウェイオブライフのプラットフォームの上に載っています。上記にも書きましたが、これは資本主義と近代文明のプラットフォームにらないと、安定しないからです。なので、やっぱり人類史におけるアメリカの位置づけは凄いなって心底思います。


まっ、とにかく、これまでは、生活環境の質を上げるということにリソースが回ることは、人類史上それほどありませんでした。まずは国家間の競争とかに勝ち抜かなきゃいけないからでしょうね。けど、実際、もっとも反映している大帝国は、中華帝国ローマ帝国、そしてアメリカにせよ、どの文明も、その時代の生活レベルの高さ、一般の人々が満足を持ってい生きられるライフスタイルの成熟差は、凄い高かった気がするのです。たとえば、ローマ帝国なんかは、現代と生活水準なんてほとんど変わりませんよ。基本的なものはほとんど同じ。まっ、けど、アニメと漫画と映画がないけどね!(笑)。


まぁ、そんなことを思った今日この頃です。上手くまとまっていないけれども、いいたいことは、ずっと僕が考えてきていることの最前線が、マクロでもミクロでも、どっちもつながってくるんだなってことです。


・・・・・という記事を数か月前に書きかけてて、止まっていたので、、、まとまり切っていないけど、とりあえず新鮮さがなくなりそうなので、上げておきます。ついでに、佐々木俊尚さんと海燕さんの以下の記事を読むといいですよー。

自分でつくるセーフティネット~生存戦略としてのIT入門~


海燕の『ゆるオタ流☆成熟社会の遊び方』
『艦これ』は政治的に正しい
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar598269


■参考記事

『シャイニングハーツ しあわせのパン』 2012年 川崎逸郎監督 永遠の日常を生きることは幸せなのか?、それともこれ以上どこにも生きようがない袋小路の地獄なのか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140202/p2

僕は友達が少ない』 原作 平坂読著 いまの若者が求めるのは居場所感とコミュニケーションの戯れなのかな?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120502/p4

第12話 「僕は友達が…」  そうか、恋人じゃなくて、友達が欲しかったんだ!これはびっくり目からうろこが落ちた。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130329/p1

ヒミズ』 (2012年 日本) 園子温監督 (1) 坂の上の雲として目指した、その雲の先にいる我々は何を目指すのか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130419/p1

『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』 原田曜平著 世界はメガリージョン(=広域大都市圏)と地方・郊外の二極化が起きるのか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140316/p1



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