『あまい声』 ハルミチヒロ著  ふとつらつら思ったこと

あまい声 (バンブーコミックス COLORFUL SELECT)

最近、本当に忙しい上に、またまた風邪なのか疲労なのか、いつものごとく咳が止まらなくなって四苦八苦です。健康が維持できないなーーー。。。。ふひー。なので記事を書くパワーがほんとなくて、、、悲しいです。ストレスたまっている分だけ、物凄い本やマンガを消費しているんだけれども、、、思うところが溢れて書きたいことがいっぱいなんだけれども、なかなかできなくてー。明日からちょっと南部のほうへ出張だしー。


さてさて、短編集ですが、『17(セブンティーン)』がよかったなー。何がよかったかっていうと、この話って唯一Hシーンがないんだよね。34歳のサラリーマンと17歳の女子高生が登場人物。何がよかったかっていうと、Hな漫画で、僕の世代だと(世代は関係ないのかな?)すぐ援助交際とか、Hなことを連想しちゃうじゃないですか?。JKって、こういうところでは記号の一つだから。なんだけど、Hな漫画のカテゴリーで別にタブーはないはずなんだけど、この34歳の主人公、凄い抑制的なのですね。最後まで、触ることすらしない距離感。相手の女の子は、明らかに彼に惚れているのに。。。うーん、、、なんか、ほかのやつがいちゃこらラブラブのHシーン満載だけに、物凄い清々しさを感じたんですよね。それにね、、、たぶん、僕が34歳ぐらいのリーマンだったら、ほぼ同じ行動をするよなーって、思うんですよね。実際のところは。もちろん、本物の恋や愛には年齢は関係ないから別のストーリーというかファンタジーもありうるのは否定しないんだけれども、いやーこれいいなーって。


僕、ハルミチヒロさんとっても好きなんですけれども、彼の恋愛ってすべて対等な感じがするんですよね。対等な感じがしないところでは、僕の中ではエロ度が下がるんです。対等な関係性がないところでは、なんというかそういうエロって、ファンタジーになってしまうんですよねー僕の中では。ファンタジーを楽しむってのは、もちろんあるし、否定しないんだけれども、やはり対応感があったほうが圧倒的にエロ度が上がる(笑)。そして対等感があると、ストーリーが生まれる気がするんだよね。エロを示すためのフォーマットというか、約束事が優先じゃなくて、対等であるがゆえに相手の気持ちのほうが優先されるので、物語が生まれる。。。。特に長編の『ベルベッド・キス』は超お勧めです。ヒロインのかのちゃんが、これがまったかわいーーーーんだ。この子どう定義しても、ビッチ(笑)でしかないんだろうと思うだけど、でも清楚でかわいく見えちゃうんだよねー。いやーハルミチヒロさんうまいよなー。かのちゃんかわいいよなーーー。

ベルベット・キス  4 (バンブーコミックス VITAMAN SELECT)

・・・・・そして、こういう対等感覚を持つ人だから、34歳と17歳という年の差や立場の差を前提としたときに、34歳側が「触らない」と意識してだろうなーと思うんですよ。こういうのって、凄いこういう業界だと珍しいと思うんですよね。ファンタジーなんだから、それでいいじゃないか、と型にふつうは入ると思うんですよ。けど、そうじゃないのを絵が言ったてのは、そういう感覚が作者に強くあるってことなんだと思うんですよねー。なので、この人の対等感あふれる男女関係が、めっちゃ他の作品と違って、エロく感じたのは、なるほどなーーーーって思いました。


ふと思いだしたのが、サトウナンキ+きづきあきらさんの『いちごの学校』これ、非常にきつい話だなーと思うんですが(彼らの話は全てきついですが・・・)、これ、じゃあ、実際に手を出したら、どういうことなの?というのを描いたものです。この場合は、学校の教師が教え子に手を出して、子供を作ってしまったという話です。これを見ると、こういう格差を利用した行為が、どういうやばさを抱えているのか?ということが凄くよくわかります。要は、年齢が低いほうの未来をすべて奪ってしまうことになるんですよね。その自覚があるかどうかで、、、、いいかえれば、その時だけの欲情や衝動ではなく、相手との未来も含めてものを見ている人であれば、何が重要か?ってのがわかるはずで、そこで自制や、逆に、もっと行くぜ!(笑)ということの判断が生まれるってことです。『Oh! myダーリン』とか、いっちまうぞ!といったほうがいいって突き進んでますよね(笑)。あれは子供のころから見守っていて、相手のことを生涯すべてを含めて守りたいと思っているから、もう伏線ありすぎで(笑)、完璧ですよねー。まぁ、運命の相手だ(笑)。

いちごの学校 (ヤングキングコミックス)

なので少女漫画で、これも教師が教え子に手を出したケースですが、『Oh! myダーリン』とかも併せて読むと、いろいろ思うところがあって楽しいです。とはいえ、こういう話でちゃんとその「深刻さ」を扱うと、えらい暗い話になるんですよねー。Hな漫画って、欲望が原初にあるものなので、それを赤裸々に書いているものが多い。僕はそれは、多様性があるという意味でもいろいろなものがごった煮であるのならば、あっていいと思うし、そういうのは大好きです。でも、「それ」を起点にしてどんな未来が生まれていく可能性があるのか?という、時間の経過を見る視点って大事だと思うんですよね。そうでないと長い物語は書けないし、また人生も同じで、脊髄の条件反射だけで生きている人はほとんど幸せになれません。

Oh! myダーリン(1)

僕が思いだすのは、高見まこさんの『いとしのエリー』もすごく思い出されます。これは、女性教師と男子生徒の恋の物語ですね。ようは、この格差を超えるには、相当のお金とか世間的な力とか、、、言い換えれば包容力がいるってことです。『いとしのエリー』は、主人公の男の子が、どん底まで落ちていく様は、、、、恐怖すら覚えました。それだけエリーのことが好きなんだろうといえば、そうなんですが、、、好きなんて感情は野獣の感情なんですよね。それ「だけ」に振り回されると、とんでもないところまで落ちていく。奇跡的に主人公は、そこを抜け出すけれども、、、いやーーーこれって、超危険だったんじゃない???って思うんですよね。


そうえいば、LD教授とルイさんと、『フタイコイ・オルタナティブ』を見ている時に話していたことを思い出しますが、ハーレムメイカーの話なんですが、ハーレム状態になった時に、「誰か一人を選ばなければならない圧力が生まれる」と僕は提案したんですが、それって、僕の倫理的な思い込みも入っていて、全員を選ぶという選択肢をもあるんだ!とLDさんに喝破された時は、目から鱗が落ちる思いでした。その条件は、ただ一つ。男側に甲斐性があるかないか。ぶちゃけていえば、男にお金を稼ぐ力があれば(お金ではありません)、それで、全員を養う空間をこほできれば、ハーレムは成立して安定しちゃうんですよ(笑)。これは、なるほど!って思ったのを覚えています。イスラム教が一夫多妻を認めているのは、当時戦争に次ぐ戦争で(という遊牧民の生活は苦しいので)未亡人が増えまくったり、食べていけないで苦しむ女性の救済が目的にあったとか何とか、、、というのを歴史の本で読んだ覚えがあります。ようは、失業対策とか、福祉とかそういうものの一環だったわけです。しかし逆に言うと、甲斐性とか金を稼ぐ能力で、養う空間を確保できなければ、それは成り立たないということでもあります。お金だけじゃなくて、『いとしのエリー』なんかは、本当に世間の壁というのの怖さをこれでもかと見せてくれるので、いやー凄かったです。逆に、これをすべて乗り越えきったカップルは、それは「ほんもの」だったんだね、と本当に感じました。

いとしのエリー (1) (MF文庫)

ふとつらつら思ったこと。


まぁ、ここで一番強い思いは、かのちゃんは、かわいいなって、てことです。