リーダーが戦略を設定できない問題点を抱える日本を時系列で少し考えてみる。

半藤一利 完全版 昭和史 第五集 戦後編 CD6枚組


半藤一利さんの昭和史の講演録をずっと聞いています。通勤の時間のお供に最適で、何度も聞き込んで頭に昭和史の一気通貫のイメージを刷り込んでいます。物凄いボリュームがあるので、とてもうれしいです。そうすると歴史の本などがどんどん深く読めるようになり、歴史が超おもしろいです。こういうので、中国史ヨーロッパ史の音声データがあるといいのになぁ、、と探している今日この頃です。塩野七生さんのローマ人の物語なんかも音声があったらなぁ、、、としみじみ思います。ちなみに、2015年は、1945年の敗戦から70年が経過しました。凄い時間が過ぎ去ったのですね。2014年は、WW1から100年目にあたって、アメリカやヨーロッパではそれが話題になっていました。


あの戦争は「15年戦争」ではない 池田信夫 blog
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51924832.html  


毎日講演録を繰り返しているうちに、ふと疑問に思ったことがあります。


昭和史というのは、日本がほんとうにダメになってゆき、明治に建国した近代国家が滅びるまでの物語が昭和史の前半です。


大きくはいくつかポイントがあり、いま全体の軸となるのは、


1)なんで絶対に勝てないとわかっているアメリカに対して戦争を仕かけたのか?


という疑問がまずあります。今の我々からすると、最大の謎です。これを追っていくと、横軸(構造的)には日本的意思決定のダメさが出てくるのですが、縦軸(時系列的)には、アメリカと戦争したのは日中戦争を処理するためというのがわかった来ました。では、次に来る疑問は、


2)なぜ日中戦争が起きたのか?


この疑問を考えるときに、あの戦争を15年戦争ととらえるのは間違いだ、というのは、僕も非常に同感です。満州事変と日中事変は、まったく性格も構造も違うものであって、いっしょくたにまとめることはできないと、僕も思う。

これは太平洋戦争だけでなく、1931年以降の「15年戦争」全体を考えるべきだという意味だろうが、このように30年代以降の戦争を一まとめにするのは間違いのもとだ。そもそも1931年9月18日に始まった満州事変から1945年8月15日までは14年足らずであり、15年戦争という名前がおかしい。特に満州事変と日中戦争の違いを認識することは重要である。前者は明治維新(あるいは幕末)から一貫するロシア南下に対する防衛戦であり、戦略的な必然性があった。これは膨張主義といわれればその通りだが、全陸地の80%を領土にしたヨーロッパ諸国に比べれば、ごく控えめな膨張主義だった。

ここにも書かれているように、満州事変までは、明らかな戦略目的性があるんですよね。ロシアの南下政策に対する防衛線という意味の。これは、明治国家建国からの戦略であって、その必然性は非常によく理解できる。


さて、この辺はまだ勉強中なので、あまりえらそーに説明できないんですが、ここで疑問に思ってきたことがあります。


2010年代にいきるビジネスマンの日本人である僕は、日本の大組織が戦略性を持たず、トップマネジメントの意思決定がめちゃくちゃレベルが低くて、世界で総負けしていくのを1990年代から一貫してみてきました。要は日本社会の伝統的な問題点とは、戦略的な意思決定ができない点にあるわけです。「だから」日本はダメなんだ、という結論のロジックになります。これは、非常に体感的の僕には納得できるものがあります。ずっと、「だから」日本はダメなんだ、と思ってきました。日本の1950-1980年ぐらいの教育は、この反省を中心とする思想が一貫しているので、まぁ僕らはそう思考するし、それが経験的にも一致しました。ちなみに、縦軸の分析(歴史の時系列の把握)はほとんどない大前研一さんですが、日本の盛衰のサイクルについての半藤一利さんの大枠の感覚と、この本で、1980年代に日米貿易交渉で日本が信じられないほど見事にアメリカにしてやられていくくだりの大前さんの分析と評価をつなげると、ピタって当てはまるように思うんですよ。これ、物凄い驚きでした。ほとんど1945年の敗戦と同じレベルで日本はそう負けしているんですよね。そしてこの時のキーもアメリカでした。いや、ほんとに日本はダメなんだな、、、としみじみ思いますよ(苦笑)。

クオリティ国家という戦略 これが日本の生きる道


けどね、こうして昭和史をある程度全体像で把握できるようになってきますと、当然に、


この日中戦争の前の時代の満州事変までの明治国家の建国以来の「戦略」とは何だったのか?


そして、


なんでその戦略が、見事なまでに貫徹され、世界史を動かすほどの成功を収めたのか?



という疑問が生まれます(←いま僕はここ)。



というのは、上記のロジックで「だから」日本はダメと言う部分は、確かに当てはまる部分もあるけれども、まったく逆の反対のことも日本は歴史的に成し遂げてきているのですよね。反対の事例があるとすると、日本が「だから」ダメといいきることはできなくなるわけです。ダメになったには、何らかの背景要因がある、ということになります。



では、いったいこの明治国家建国からの「戦略」の正体とは何だったのか?ということをもっと深く知りたいです。それをしれば、どうすれば、「それ」が成り立ってうまくいく背景を作りだせるのか?。何があれば、「それ」がプラスの方向へ向かうかを判断できるからです。



まったく勉強できていないしいい本も見つけていないのですが、日本の安全保障が、まずもって、



海を防衛しなければならない(=日本は列島で居住区域が狭いので敵を引き込んでの本土防衛がほとんどできない。ロシアや中国のような引き込んで補給を断つ作戦ができない)ということでアングロサクソンとの同盟(当時は大英帝国)と、太平洋における海軍の建設に踏み切ります。


日本の仮想敵国は常に、


海にアメリ


陸でロシア


でした。二正面作戦は日本の国力的にもありえないので、イギリスと結んで、ロシアと敵対するという外交方針を作りだしました。ちなみに、大英帝国の仮想敵国もロシアでした。


そして、ロシアの南下政策を押さえるには、朝鮮半島を押さえ、その防衛と統治を安定させるには、満州を押さえなければならず、満州を押さえるためにモンゴルをという形で、一貫して戦略性は継続されています。すべてはロシアとのパワーゲームによって構造上決まってくるのです。


その時に、大きく問題になったのは、朝鮮半島の扱いです。西郷隆盛征韓論に僕が注目しているのはそれがあります。ここが明治国家の根本戦略の分岐点だったように思えるからです。ここで少し戻って不思議なのは、朝鮮を併合する必要性があったのか?という点です。ここは、僕はよくわからない。コストばかりかかって、得なことがほとんどないような感じがするのですよ。伊藤博文がどうも反対していたのは、このあたりの問題点があるようなのです。

伊藤博文―知の政治家 (中公新書)

ただし、朝鮮半島に統治能力がないこと、その宗主国である清や国民政府が同様に内戦に明け暮れてやはり統治能力がないことから、なにもしなければ、そのままロシアの領土になったでしょう。満州の国境線は、日露戦争で、日本人の手によって防衛されました。そうでなければ、既にロシアの領土であったでしょう。特に、朝鮮半島は、地政学上、とても厳しいポジションにあるんですよ。大国がその保護下に置きたい戦略上の要衝ポジションなので。ここはまだまだ勉強が足りないので、どうなっているかわからないのですが、幕末から明治期にかけての日本の国境を画定させていく過程で、この基本戦略の部分から、何をどこまでという部分が考え抜かれているようなのです。なので、ここに日本の近代史を貫く大戦略の基本が隠れているはずです。この大方針の根本がたぶん征韓論の意見対立だと僕は睨んでいます(全く根拠ない感覚とイメージですが!)。ということは、西郷隆盛のその一生と人生を次の次ぐらいには、挑戦しなければいけない!と今イメージしています。ちなみに最大の補助線は、彼と島津斉彬との関係性で、これは『風雲児たち』が最大の補助線になると思っています。

風雲児たち 幕末編 コミック 1-23巻セット (SPコミックス)



そして、この構造は、いまだまったく変わっていません。



なので、やっと昭和史がわかってきた後なので、この幕末から明治大正にかけての、近代国家日本の「戦略」とは何だったのか?なぜ、うまくいったのか?なぜ、それを指導できるような指導者がたくさん輩出して、リーダーとして戦略設定を行い、戦術レベルまで貫徹して、大事業を成し遂げられたのか?これが知りたい今日この頃です。同じことは、できるはずだからです。それが成り立った背景を知れば。逆にこれがおかしくなる構造変化のパターンも、大部予測できるはずです。



この辺りはぞくぞくするおもしろさです。



歴史の中でも特に昭和の前半の歴史を知りたかったのが、ずっと課題でした。その理由は何度もブログに書いていますが、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』などの小説や様々なエッセイを読みながら、明治国家を建国した日本人の偉大な部分を知るにつけて、では、なんでそのあと、あんなにひどいことになったんだろうか?、世界を相手に勝つ見込みのない戦争をして滅びたのか?というのがよくわからなくなったからです。自虐史観とまでは思いませんが、団塊の世代団塊のJまでの教育や世間の空気が、左にバイアスがかかっていることもあり、日本はダメなんだ的な言説を浴びるように聞いていた子供時代においても、このあたりの疑問は、とても不思議に思いました。

「明治」という国家

そして、司馬遼太郎さんは、ノモンハン事件に少尉で出陣した経験があり、あの明治期に素晴らしかった日本人が、なぜ昭和にあんなにもだめになったしまったか?という問題意識を持っていたこと、その謎を解くことこそが彼の作家になった目的だったという話を聞いて、その課題を追い詰めてきました。そして、それは、高度成長で世界を制圧したかに見えた日本経済が、バブル崩壊を機に坂道を転げ落ちるように世界で撤退を繰り返すさまを見ている自分のビジネスの履歴と重なるものでした。ちなみに、同じ設問を考え抜いた人は、山本七平さんです。彼は学徒動員でフィリピンの砲兵隊に任官した人でした。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

けど、それが一回り回って、、、、自分の中に昭和史と日本人の、日本民族のダメな部分のピースがかなり埋まって仕組み的にも連続性があり、ある程度腑に落ちる感じが生まれてきました。そうなってくると、逆に、こんなにダメなのに(笑)、なぜ世界の中でこれだけのポジションを占めているのか?という疑問もまた生まれてきたんですよ。だって、何かしら、物凄いすぐれているところがなければ、こんな風にはならないでしょう?(笑)。それに、明治、大正期の日本は、優れて戦略的です。また参謀よりも優秀な将軍が生まれる土壌がありました。それは、昭和期の日本とは異なる背景条件があったはずです。


僕はそれが知りたい。そう思う今日この頃でした。


もう少しで読み終わるんですが、半藤一利さんの『ノモンハンの夏』、これだけに限りませんが、半藤さんの業績は昭和史前半にターゲットがあっていて、司馬遼太郎を読んでいる時に思った疑問と非常にリンクするんですよ。もともと半藤さんは、司馬さんの担当編集者であったのも関係あるのかもしれませんねー。


ノモンハンの夏 (文春文庫)


ちなみに今回上げた本は、キーとなるものを厳選してあげているので、ぜひとも全部読まれることをお勧めします。日本の近代史を理解しようとすると、必須ですよ。なんちゃって、読書家のペトロニウスですが、わからんシロートなりに、自分の頭で、自分の手持ちの情報だけでコツコツ考えていますので、穴ぼこばかりですが、全体的にはなんとなく大きく繋がってきている感じがして、歴史はやっぱり超おもしろいです。

幕末史 (新潮文庫)