『見えないアメリカ』 渡辺将人著 選挙を通してみるアメリカの多様性と統合

見えないアメリカ (講談社現代新書)

非常に面白かった。アメリカ合衆国を見るにあたって、最近の選挙を見ると大きな疑問が出てくる。


ブルーステイツとレッドステイツと呼ばれるように、民主党が基盤とする北部と共和党が基盤とする南部の分裂がアメリカではよく騒がれる。アメリカはそもそもがさまざまな移民の集合体であることもあるが、とにかく国内での分裂傾向が深刻な国家だ。2014年の8月に起きたミズーリ州ファーガソンの白人警官ダレン・ウィルソンによる黒人青年マイケル・ブラウン氏射殺事件の不起訴による深刻な人種対立が、2015年の2月の今もぶすぶすとくすぶっているけれども、とにかくアメリカの国内でも対立軸というのは本当に物騒で激しい。プロライフ派とプロチョイス派の対立では、堕胎を行う病院い爆弾が投げ込まりたりもする。この辺りは、特異に「アメリカ的文脈」なので、日本ではニュースには取り上げられにくいし、取り上げられても背景の説明や構造の分析がほとんどできない日本のテレビ、マスコミではそもそも報道する力がないだろうし、仮にしたとしても、人種対立やアメリカの文脈がわからない日本人の一般にはさっぱり実感がない話だろう。なので、表層的にこの国はバラバラで対立しているという抽象化された上澄みだけが流布されてイメージとして残る。特にマスコミがちゃんと背景を分析して伝えないので、それに比べて日本は安全とか和の精神がといったお題目というか信仰のような嘘が流布されて残るだけになる。それにはほんと困ったものだと、いつも思うが…。こういったアメリカ国内の対立は、本当に激しい。その中でも、この保守とリベラルの対立の深刻さがよく話題に上る。


なんちゃってアメリカウォツチャーとしての解釈の大前提として、アメリカという国は強烈な統合と分裂への行ったり来たりの振子のような形でまとまっている運動体である、という視点で僕は見ているので、この類の、やれアメリカはバラバラになるとか、いやアメリカは一枚岩で世界支配をしている帝国だのという、片方に偏った言説は、そもそもアメリカを論じる上で最もやってはいけない視点であるということを、僕は大学で学びました。アメリカがアメリカである所以とその強みは、そのありえないほどの多様性を囲い込みながら統合の原理が強烈に働いていることだからです。なので、偏った部分の濃い部分があるからといって、「そこだけ」を見ると、非常にアメリカ理解はおかしなものになります。アメリカを見る、分析するとき最もやってしまいやすい罠だと思われます。特に、通常ありえないような反対意見が同時に統合されて存在するのは、歴史の長い国においてはありがたいので、日本のような対立軸が弱い国においては、アメリカ理解が非常に歪みやすい。


分裂している傾向に注目するのはいいとして、では、その中身は何なのか?ということは当然知りたいわけですし、同時に、ずっと当たり前すぎてなかなか理解するチャンスがなかったのですが、大きな疑問がありました。それは、そもそも、僕が大学でアメリカを勉強した時に、当然のことながらアメリカの運命を決めた南北戦争を学んだのですが、その時の大前提として、北部=共和党 VS 南部=民主党という対立構造であったはずです。アメリカにおいてこの図式はそもそも基本構造のようなものであって、南部と民主党は切っても切り離せないはずだったと思ういます。それは、映画『リンカーン』を見ても、はっきりわかります。リンカーン(1809-1865)は、当然ながら共和党の大統領です。


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なのに46代大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(George Walker Bush 2001年-2009年)と民主党のジョン・フォーブズ・ケリー(John Forbes Kerry)2004年やアル・ゴア(Al Gore)2000年の時の選挙での分裂の様子は、とてもよく覚えているのですが、あのあたりから(そういえばあのころ仕事が忙しくて勉強とか全くしなくなっていたよなぁ・・・・)????って思っていたんですが、民主党が北部を基盤にしていて、南部はすべて共和党なんですよね。


つまり、アメリカは南北戦争のころと現代では、二大政党の基盤が全く逆になっているんですよ。ちなみに現在は、民主党の強い都会型・工業地帯の州を「ブルー・ステイツ」、共和党の強い非都会型・農業地帯の州を「レッド・ステイツ」と呼ばれています。現象としては、いろいろ説明が付与されるんですが、どういう過程でそうなっていったのか、とかそういうことが全然わからなくて、なんで?ってずっと思っていました。その疑問がこの本で、ようやく解けました。共和党が、南部の宗教右翼やプアホワイト、白人労働者のハートをがっちり握っているのはよくいわれるのですが(ブッシュ大統領を支えた層の一つですね)、なんでそうなったのかが不思議でした。そもそも南部は、民主党の牙城だったはずなのに。このあたりの部分は、現代アメリカを読み解くにあたって必須のものなので、ただ単に分かった!だけではなく、暗記して、詳細に理解して、反芻して、ちゃんと自分の腑に落としていきたいと思いました。


America at Home


http://www.myamericaathome.com/customcover/


話は、2007年にアメリカで話題になったIkeaがスポンサーになった『America At Home』の写真集から始まります。全米50州の普通の家庭にアマチュアカメラマンが入りこんで撮影するという企画です。ここで著者が強調していること、そして多分アメリカ人自身がこれを見て感じたであろうことは、多様性です。ちょっとHPのサンプルを見ているだけでも、その多様さに驚かされます。


しかしながら、著者が言うように、この多様性は、たとえば日本人がアメリカに来て郊外の裕福な中産階級の住宅地に住んでいては、まったく実感することができません。アメリカは、とりわけこうしたゾーニング的な、住む場所からライフスタイルの在り方が異なると、その他の生き方がほとんど見えなくなっています。もちろん、あまりに多様すぎることや階級の差が大きいことから、少しでも見ないで済むように設計されているといっても過言ではないのかもしれません。現代で出てきたゲーティツド・コミュニティ(入口に監視員がいて大きな壁や仕切りで囲まれた住宅地。フィリピンなどで駐在員や富裕層のために作られたセキュリティ重視のよく見られる形態の住宅地)などもそうした意識が濃厚に出ています。ちなみに何も考えず当たり前だと思っていましたが、僕自身も郊外、特にエグザーブ(郊外のさらに外側に位置する郊外)のGated Communityに住んでいます。そこに住んで、州間高速道路(FreeWay)でダウンタウンに車で通勤する生活は、まさにこの多様性から切り離された無菌的な中産階級の生活をしているわけです。オフィスと高級住宅地のゲートコミュニティに住んでいては、もちろんのことこの多様性に触れる機会が極端に少なくなるわけです。


これは公共財の富裕層による非共有という国家としての分裂を招く重要な問題点なので、これからの人類社会を考えるときに重要な現象です。僕も何気に住宅を選ぶときに、何の疑問もなく自分の子供の教育(ダウンタウン周辺はスクールレイティングで1や2(十段階評価)の危険でレベルの低いパブリックスクールのみで、アホみたいに高いPrivateにいくか、そうでなければ富裕層が集中する高級住宅地に行かなければ子供の教育レベルが一気に下がってしまうのです)や公園(まさに公共財!)などの環境などを考慮して、条件を考えて疑問もなく選びましたが、、、所得によってこれは相当、階層化を招いていることなんだ、自然にゾーニングされているんだ、とこの本を読んで衝撃を受けました。本を読むまでまったく気づかなかったもの。

Fortress America: Gated Communities in the United States  ゲーテッド・コミュニティ―米国の要塞都市


著者は、この米国の多様性が、透明化されていないことから、気づくことがとても外からの観察者には難しいとしています。それは、僕も同感です。いま、American Idole 14の各州や都市でのオーディションを毎週見ているのですが(現在これを書いているのは2015年2月)、審査員のHarry Connick, Jr.の出身地のニューオーリンズに行ったときには、これ本当にアメリカか?というような違いを感じましたし、英語も、彼が地元の人同士でしゃべるともうさっぱりわからない。わからないのが当たり前な証拠に、ときどき字幕が出るくらいですから。英語なのに。視聴者もわからないだろうという前提なんですね(苦笑)。アメリカは、日本から見たら「一つのアメリカ」と見えやすいが、多様性が非常に強烈な国だということを、意識してその違いを知らないと、まったくアメリカを見ていないでアメリカの話をするという羽目になってしまうんだなとしみじみ思います。全米各地を回るこのオーディション番組ですが、アメリカの地域の「強烈な違い」がわかってくると、この多様性の中から選択肢を絞り込んでいく行為そのものが、アメリカの荒っぽい民主主義なのだということが実感されてきます。


さてさて、話を本に戻しましょう。アメリカを学ぶときの重要な問いというか理解するための重要な視点の一つに、「アメリカ人とは何か?」という問いがあります。これは、問えばわかるのですが、アメリカ人というのは、移民の集まりなので、その背景に必ず民族的な人種的なバックボーンがついてまわるため「真のアメリカ人とは何か?」というのは、よくわからなくなってしまうのですね。なので、アメリカ人には、ドイツ系アメリカ人とか日系アメリカ人だとか、つねに「〜系」がつくのです。アメリカを学ぶときはこのことを常に前提に考えてアメリカ人を語らないとだめだ、という最初の基礎中の基礎です。もう少し抽象的に言えば、アイデンティティが常い揺れ動いて曖昧なのが、アメリカ人なのです。この曖昧なものをどうかっちり定義するか、というのが、アメリカ人になるということであるわけです。いいかえれば、自意識の自覚を、自己定義しなければならないんですね。しかし、必ずアメリカではない出身の国や文化が背後について回るので、アメリカ人という定義が曖昧で、何をもって自分が何者をかといえるのか?がよくわからなくなってしまうというスパイラルがあります。大学で最初の課題著書が与えられたときは、本間長世アメリカ研究の第一世代)さんの『思想としてのアメリカ』を読まされたのを覚えています。アメリカにおいて、アメリカ人であるということは、実はこの「自分が何者なのかを問い続ける」という自意識の揺れ動きがあるということをアメリカ観察の基礎に置かないとだめだということですね。


渡辺将人さんはこのポイントに対して、「保守」と「リベラル」という意識で説明しようとしますが、こういった自意識はアメリカ人の心の奥底にしまい込まれているので、普段生きている場面では見ることが全くできないといいます。そして、ここが僕には今まで読んできたアメリカに関する著作の中では独創的なポイントだと思うのですが、じゃあどうやってその奥底に隠れているものを引きずり出してみることができるか?といえば、それは選挙に置いて赤裸々に噴出してくるので、選挙の過程を見ていくことが、アメリカの隠れている多様性を可視化するチャンスなのだ、と主張するわけです。これは、なるほど!でした。彼自身が、ヒラリー・クリントン上院選挙事務所本部、米大統領選挙アル・ゴア=ジョーリーバーマン陣営ニューヨーク支部アウトリーチ局(アジア系統括責任者)を経験しているので、その具体的経験から偶然(僕にはそう見える)ここにいきついたのでしょうが、なるほどとうなりました。政治家がどのように票を獲得しなければならないのかについての最新の情報を更新するときに、アメリカの流動する極端な多様性を目に見える形であぶりだしていくことになり、選挙結果でそれがはっきりと可視化されます。ここのポイントに注目したこと、またこれを実際に実務として経験したことが彼の著作の面白いポイントだと僕は思います。

現代アメリカ選挙の集票過程 アウトリーチ戦略と政治意識の変容

この後の過程は、アメリカは二大政党制で、「リベラル」と「保守」にきれいに分かれているのだけれども、本当にそんなにきれいに分かれるのか?ということを出発点として話が進んでいきます。この辺りは読まないとわかりにくいので詳細は省くとして、実際には、こんなきれいには分けられないねじれがたくさん存在しています。ここでは大きく4つの次元にわけて、保守でも理念的に保守な人々と、草の根保守ともいうべき、生活それ自体が保守というカテゴリーにはまる人々がいて、リベラルでも同じで、理念的にリベラルな人々とライフスタイルそのものがリベラルな人がいる。そうすると、生活自体は、ほとんど草の根保守的なクアーズを飲んで中西部の田舎にいてというような保守そのものの生活をしていながら民主党支持でリベラルということもありえるわけです。もちろん逆もまたしかりです。選択肢がないのでブッシュに投票したとしても、ブッシュそれ自体の外交がグローバリストな視点は強烈に反対という共和党員で且つ保守という人もたくさんいるわけです。


ではなんで、このようなねじれが存在していても、リベラルと保守、民主党共和党というシンプルな集約が可能になってしまうのか、という問いに対して、2つの段階的なこの時点での答えを渡辺さんは提示しているように僕には思えました。


一つは、メディアの存在。ともすれば、理念的なものにシフトして、かつ現在の状況ではほとんどがリベラルの牙城になってしまっているメディアにおいて、それでもなおかつ、先ほど上げ4つの次元において、現実のライフスタイルにおいて、政治的なものや理念的なものに興味を持たない人々を、吸い上げて参加させていく機能を、曲がりなりにもその一端を担う努力と過程がメディアの歴史みられること。ここで本来ならば、バラバラになってしまいやすい理念と現場の接続が、メディアを通して、行われている。オペラ・ウィンフリーがこのもっとも最高の成功例と描かれていて、やっとなるほど!!と思いましたよ。なぜ彼女がそんなに尊敬されているのか。


もう一つは、これは非常に抽象的な理論なので、本当にそうかはまだ僕にはよくわからなかったが、アメリカがなぜ民主党共和党というあまり差異がないものに対して、きれいに分けることができて、その求心力が衰えないのか?という設問に対して、アメリカには封建主義が存在しなかったので、革命と共産主義が存在しないからだ、という答えは、なるほどとおもえた。ようは、日本の左翼を見ればいいのだが、常に現在ある政治体制に対する不満は、「もう一つの政治体制(=オルタナティブなもの)」が魅力を放つ構造になって、保守と革新(共産主義・革命)という構造を生み出す。けれどもアメリカでは、封建主義がなかったので、それに対抗するべきな革命思想が共感も実感も生まなかった、というのだ。なので、通常の国が持つ対立軸を持たなかった、ということです。この辺は、非常に通説っぽいのだが、僕は読んだことがなかったので、勉強をしてみないとだめだな、と思いますが、とにもかくにもこれはなるほどとおもわせる視点でした。まぁ、もっと調べて意味ないと、どうなの?とは思いますが。


とはいえ、最後の最後に自分の選挙体験から考察された少々ルポタージュ的な「いまの切り取り」から、最後は学問の通説の説明に飛躍してしまうところは、結論として弱い感じがしました。最初から学問の知見からの積み上げロジック展開ならともかく、どっちかというと体験記的な書き方があるところが強みなので、もう少しねって結論に到達してほしいと思いました。まぁ、そもそも知識がないぼくには面白かったですけどね。この人を本はできる限りこつこつ読みたいなと思わせるほど、本当に面白かったです。