『異自然世界の非常食』 青井 硝子著 めっちゃグロテスクで目が離せません(笑)。これ、凄いSFですね。

異自然世界の非常食 1

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第一部第一印象、グロすぎます。読んでいて、読むのがしんどく感じるグロテスクさは久しぶりです。って、凄い感心しました、この昨今のウェルメイドで気持ちよくなるのが至上目的の物語類型の中で、こんだけ気持ち悪いというか少なくとも僕はずっとなんか言い知れない嫌悪感を感じながら、、、、それでも読むの止められないですもん。・・・これは!、物語だ!!!と、ぐっときました。いやほんと、スゴイよまじで、この作品。いやまだ読み終わっていないし、意図も読み解けていないけど、物凄い吸引力があって読み続けています。ちょっと寝不足で人いですよ、、、、(涙)。最初の「掴み」・・・非常食さんを食べようとしてだんだんコミュニケーションをとっていくのもエピソード的に凄いいいんですが、、、これ、シリーズ全部通してこの壮大な物語の意図をぜひとも見てみたいと思わせる重さです。いやほんと、いまでも見てて嫌悪感というか、、、、なんというか、見ていられない、と思わせる拒絶感が続いているんですが、それでもやめられないですもん。もう少し文章がすっきりして、入りやすかったらと思う部分もないでもないが、しかし、それが魅力でもあるだろうし、、、悩ましいところだなぁ、この時点では評価できないや。ただ物語としては一級品ですよ、これ。繰り返すけれども、受け手にウェルメイドなのが当然の中で、これだけマイルドに攻撃性の毒を持たせながら、ライトノベルというか、、、というかSFだな、的に読ませるのって、うまいもの。第一部?は、ゾンビものの『ワールドウォーZ』とか『28日後...』『アイ・アム・レジェンド』とかずっとそれのイメージを感じているんだよね。いや、別にゾンビものん作品じゃないんですよ?、なのにあれとかを見ている時のぞくっとする嫌悪というか恐怖というか、そういうのがベースに凄く流れている感じが知るんだよね。単純に、異世界に飛ばされた人が淡々と生活しているだけなんだけれども、、、、。

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いまのとろこ第三章の228まで読みました。実質2日で読んでいるには、いい量でしょう?。睡眠時間削っていますよ。休日近かったのにできた技ですね。眠いのを振りしぼって読みました。まだうまくて読め(解析)ていないんだけれども、、、これめちゃグロテスク。それで重厚なSF。どうも僕は、強烈に、『SWANSONG』を連想しているらしいというところまでわかってきた。それで、、、最近この主人公の性格がやっとなんとなくわかってきたんですが、こいつ、マジに壊れてやがる、、、。。。第一部の終わりは、『SWANSONG』くを強く連想したよ。同じってわけでもないんだけれども、あとは、清水玲子さんの『竜の眠る星』『秘密』も同時に連想したなー。この物語のグロテスクさ、何か重さっていうのはこの究極、主人公の感性にあるんじゃないかって気がします。そこで、先日のTwitterの青井硝子さんが言っていたセリフがあって、、、、


おお!その通りだ!この物語のテーマそれだ!!!と物凄いびっくりしました。なぜびっくりしたのかっていると、


「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」


というのが、やっぱり僕は批評的な人なんで、具体的なものがあまり想像できていなかったんですが、この言葉は僕が社会科学(文系)の人だからかもしれませんが、経済的にこぼれ落ちる層と、内発性がない人の層を、どう取り扱うのか?というような多分に社会工学的、経済政策的な発想が、強烈にあったんですが、、、、いやー物語を作る人は、やっぱり違うなーって思うんですよ。


この作品は主人公は、どっかの小屋でニート?というかコミュ障で人と交わらずに自足というわけでもないでしょうか、人里離れて暮らしている世捨て人のような人なんですね。これって、全編読めばわかりますが、基本的に生きる気力が非常に薄い、内発性、動機がほとんと人です。僕は、もうこの性格だけで、そうとうなんというか自分が「そうはありたくない!」と思うタイプの生き方なので、生理的に受け付けないんですが、、、ただこの主人公、とても魅力的な感じがするんですよね。そこが不思議なバランスで、、、この人は山で浮浪者、、、ではないですね、定住生活をしているわけですから、なんというか、とても生活感というが現実感が溢れるんですよ。細かい描写が、これって経験していないと(少なくとも想像力で書いたら抜けるであろう)わからないであろう細かい描写が入って、、、、作者の人って何して生活しているんだろう、、、この不思議な現実化の距離って普通に生活しているとでない感じな気がするんだけれども、、、まぁ、それはおいておいて、この物語は異世界転生というか、異世界に行った人の物語なので、その地球じゃない異なる世界で、具体的にどう生きていくか?ということ、そのノウハウがそのままフロンティアでのハウツー的な面白さにつながるんですよね。この主人公、たぶん、めっちゃくちゃ頭が良いんですが、生きて食べていく、、、それもかなり積極的にこもって社会には出ない方向での努力というか知識が凄い感じがするんですよね。それだけ頭キれるなら、もっと違う方向に、、、と思ってしまうのは、僕と「人間のありかた」が違うタイプなんだろうなーって思う。そんで、大事なところでの気力というか欲がほとんどない。えっ、そこで動機が切れるというような感じであきらめて、引きこもる。。。。


あーこれってサバイバルでビルドゥングスロマンの成長物語になるには、全部内発性がなくてドラマトゥルギーがカットされているなーって、しみじみ感じるんですよ。


ああ、そうか、そういう「生き方」なのかーって、。けっこう生活力ある人なので、それが悪いか?といわれると、まったく悪くないし、いやいや、一人でこういう風に、具体的な生活の手ごたえを楽しむのって、ありじゃねぇ???っごついビシビシ感じるんですよ。


この金や社会性が全くない状況下で、具体的で力強い生活力と、徹底したい場所はここ(引きこもった小屋の中)感覚って、、、うん、これはこれで安定していてとても成熟しているいい形じゃね?とか思ってしまうんですよね。非常食さんとエンドレスにプリキュアシリーズを延々と見ているシーンとか、内発性がない分だけ、ルサンチマンも感じないので、ああ、これはこれで穏やかな時間の過ごし方で、、、、自分がリタイヤした時に目指している生活ジャン!これ的な感じを受けましたねー。いやなんちゅーか、内発性がないんだけれども、、、、この主人公、強烈なルサンチマンも特にないのね。なので、好きかというとあれだけど、、、なんというか、そういうものだよなと思わせる感覚がある。。。なにも否定しようがない、、、だって、誰にも迷惑をかけずに自分の場所を安定的に構築しているんだもの。主人公に不思議な魅力を感じます。


でもね、、、、そうはいっても、マクロというか、、、、この異世界には、マクロというよりは、この生態系みたいなものがあって、要は主人公たちを超える上位の基準があって、普通の物語マクロ(政治、経済)なんですが、、、ここでは生態系ですね。でね、この生態系なるものと、この内発性がない主人公とのかかわりが、、、、グロテスクだな、、、、+物凄い魅力的だな、、、、+見事なSFだなーーーとかそういう風に思うんですよ。


先にも書きましたが、清水玲子さんの『竜の眠る星』『秘密』なんかを強烈に思い出すんですが、主人公が、あまりに自分から積極的に動いて世界を変えようという気がないことと、たぶん内発性がほとんどないので、何でも受け入れていっちゃうんですね。このあたりがテーマの、救いようのないもの、をすごく連想させるんですが、、、この人って、たぶん、生きていることもすぐあきらめちゃう人なんだろうというのがよくわかるんですよ。生活力溢れる割には、根本的には、生きる動機が薄い。なので、生態系の一部に自分がおとしめられたり組み込まれても、割とさらっと受け入れちゃうんですね。ヒューマニズム人間性)が破壊されているところに生きているグロテスク感が溢れていて、えっ、それ受け入れちゃうの?という描写が続きすぎて、僕はぐろくてぐろくて、げんなりしていました。だって、自分の死後餌にする寄生蜂に卵を頭に産み付けられて、話がまっそんなもんかーと進んでしまうのは、いや、そりゃなくね???って思うんですよ。しかも、このクリーチャーに対して明らかな同胞意識、家族意識持っているし、主人公、、、、いや、それって、生態系的に、絶対に同胞になれないから、、、だって食う食われる関係だし、、、、と思って凄い違和感が溢れるんです、、、、、。


これ、清水玲子さんを評価するときにいつも書くんですが、社会性や社会のありようようも、生物や生態系としてのありようの方が美しく上位だと感じている人のようなんですね、清水さん。これ、内発性から生まれる社会性、コミュニケーション性をどう評価するか?という時の、究極の答えの一つなんですよ、実は。社会性を完全に否定しちゃえるじゃないですか。もう少し具体的に言うと、好きになった相手が、自分の苗床にして食べちゃうことで、愛を示す(それって愛なのか?)生き物の生態系があったとしたら、まー愛されちゃって、愛しているなら、うまく綺麗に食べられてあげないとおかしいよね、、、みたいになってしまって、、、、いやいや、、、人間食べるのは殺人でしょ!、それは愛じゃなくて本能でしょう!というのの、基準値の違いというのが、ヒューマニズム(人間至上主義)で他の存在は人間存在の下位にあるというのが、ふつうは何も言わずにセットしてあるはずなんですよね。



けど、この主人公、それが外れているんだもん。たぶん内発性が弱すぎるので、そこまで主張する気(主張とはすなわち自分の意志によって世界の方を変えたりすること)はないんで、全部受け入れる形に「流されていって」しまうんでしょう。またこの「流され過ぎる」のも僕は気に食わない、、、、異世界のフロンティアで生活しているんだから、それだけ知識と技術と行動力があって、なんで、積極的に動かないのか!!!!とじりじりしてしまうのですが、、、、でも、主人公、ほとんどどう考えても君の身内じゃねーだろそれ系の食物連鎖のつながりがある存在にシンパシーが寄って、話が進む。しかも、流されているだけなので、よけい壮大に大失敗というかひどいことになるだけだったりする(笑)。



これね、、、、僕まさに、「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」というテーマだよなーって思うんです。凄いって思いました。



言い換えればね、、、救いようのない人って、ようは、ここでは動機や内発性がなくて社会的なものの中に居場所を見つけられない人は、社会からはじかれてしまいます。そうしたはじかれた人は社会全体の発展性や生産性に寄与しないので、社会的に無価値になりますよね。また社会性を求めないこと、、、、内発性がないことは、その人自身に積極的に生きる意思がかけていることでもあるんですよ(消極的にはあるかもしれないですが)、、、だとすると、そんな人を救うにはどうれば?っていっても、すげー難しいんですよね。この社会は自助努力しない人には、リターンを与えない設計に制度設計されているので、何もしたくないといわれれば、何も権利はないになってしまうんですよね。仮に、何もしたくないような無気力が、ある程度、社会やマクロのせいだとしても。そうすると、どうする?って話になるんですが、、、、たいていここは、やる気が足りないんだ!!!と動機をたたいて伸ばそうとするスポ婚根性論や、勝つこと至上主義の話になります。けどねーーー内発性のエネルギーの話って、それがある人は、たたけば伸びるんだけど、、、、もともとない人ってのもいるんですよ。そこを叩くのは、もういじめを通り越して地獄としか言いようがない意味のない行為であって、いやーそれ見てらんない、という感じになってしまいます(今の世の中って、ここだと思います)。


ただね、こういう人をどうやって救えばいいのか?といえば、もう上で結論が出ているんですが、社会とのリンクポイントが動機・内発性という接着剤なので、それがない人は、社会の側から救われることはありえないんだと思うんですよ。それって、ほんとかわからないですが、僕には思いつかない。今のところ。


じゃあそういう人がどうなるのか?救えるのか?価値があるのか?



と問われると、社会サイドにいる人の典型的な意見は、無価値なので切り捨てるべし(右翼、動機至上主義派!)になるか、人権は守るべきで政府とか偉い人金持ちが何とかしろ!的な無責任無限他人責任論(左翼、人権至上義者)みたいな対立になるんですね。これ、よくみます。けど、どっちも気持ち悪いんですよね、、、、無価値切り捨てって、、、現実それしかできないしそういう制度設計になっているとはいえ、それをやるのは憐憫の情(アダムスミス的な共感性でもいい)として人間的なるものとして、社会の在り方)社会は繋がっていて総体で意味を発揮する)という部分を壊しちゃうので、だめでしょう、いいきっちゃ。と思うし。かといって、何もしない存在に、社会側が譲歩して身を切り刻んで助ける理由も全くないよね、、、それでも守れは、それはあきらかにおかしい。人権なんてフィクションであるのだから、線引きがどうしても必要。予算というものや限界が、人類にもあるんだから。それに、少なくとも生物としておかしいじゃん、それと思う。どっちも、うーん、という感じなんですよね。



これってなんで結論が出ずに悶々とするかっていうと、社会性・・・・・ヒューマニズム(人間本位主義)の視点から世界を眺めているからなんだと思うんです。



いや、それ飛び越えればいいじゃん!。どのみち社会性がないのは、脱社会的な存在なんで、社会性のグランドルールはすべて適用しないで行こうぜ!ってのが、SFの一つの導き出した答えなんだと思うんですよ。それを豊かに展開するときに、ヒューマニズム的ではない、共生の在り方って何?って問うべきなんですよ。



・・・・・って、この物語の主人公じゃん(笑)。



そんで、、、、この後この物語2章以降、大きな「この世界の秘密」に沿ってSF的な展開を見せていて、それはそれで素晴らしいのだけれ度も、それはまた書きたいですね、もっと読んだら。でもまずは、この主人公の非常食さんとの共生生活って、凄いグロテスクなんだけど、、、グロなのは当たり前で、ヒューマニズムの前提や人間の本能都的な食物連鎖のバランスの鎖につながれることの拒否(食物連鎖の下位になりたくない)とかの部分が、主人公、いろいろ、意思的にではなく流されているだけなんだけど、あっさり乗り越えているからなんだと思うんですよ。社会性の話に行かなければ、自意識(ナルシシズムの解体)の話に行かないんだ!というのも大発見でした。

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そして、、、、こういう異物が入ると、生態系はめちゃくちゃに変化して行きます。そこには、救うなどという話ではなく、何か大きな変化がこの世界の中に訪れます、、、、それはいいか悪いかはすごく悩むところではあるが、、、、善悪の基準で考える向こう側の話なんで、そもそも生態系の話は、、、、あっと善悪の基準というのは完全にヒューマニズムですからね、、、、この大きな変化ちゅーのは、少なくとも、物語る価値のあるドラマトゥルギーだと思うんですよね。これを救済と呼ぶかはともかく、意味も価値もある物語ですよね。内発性はなくとも、社会の底辺からはじかれても、生態系の一部になるのは、何か別の大きなものとのつながりですよね?とか、、、そんなことを読んでいて徒然おもっています。面白いです。素晴らしい作品です。伊勢饂飩教ビバ!。社会の物語ではなく、生態系の物語に飛躍するのは、まさにSFの全体と個のずらしの見事な物語類型だと思います。いやー素晴らしい。


ちなみに、まだ読み終わっていないし、分析もできていないんで、評価しづらいんですが、リアルタイムの感覚的には、★5から★4の間くらいですねー。面白いです。なろうの文脈で、こんなので生まれるんだーと感心しました。いや異世界ってフォーマットは同じですがね、、、つくづく著者の才能なんだなーて感心します。


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