『帯をギュッとね!』 をふと思い出しました。

帯をギュッとね!(30) (少年サンデーコミックス)

先日実家に帰った時に、家の本棚に帯ギュが並んでいて、思わず読んでしまって、読むのを止められなくなってしまったて、その後も続きをコンドルでコツコツ読んでいます。ちょうど同じ時期に何も言わなかったんだけど、海燕さんが、帯ギュはおもしろいなーといっていて、なんかシンクロでうれしかったです。そのあとで、海燕さんが、帯ギュって名作だったよね、と記事を書かれていたのを見て、その日もいつものごとく、電話でだべっていたのですが、僕らは長いこと生きてオタクをしているので、過去のたくさんのアーカイブがいろいろなものを見るたびに浮かぶんですよね。けど、いま現在の作品を見ている人は、これらの作品、、、過去の作品に必ずしも手が出るわけじゃないじゃないですか、そもそも知らないし、見ようという動機も古いものゆえに起きない可能性が高い。特に、ニコニコ動画的なものというか、コミュニケーションのツールの一つとして新しいアニメなり新しい作品を見ている部分も大きいと思うので、リアルタイムでないと、なかなか古典とは言いませんが、古い作品に手を出そうとはしないものです。でもやっぱり、たとえば、あだち充といえば!僕なんかは『みゆき』『陽あたり良好』『虹色とうがらし』とか見たいよね!と思ってしまうんですが、でも、たぶん若い人は知らない可能性が高いですよね。もう世代的には、何十年も昔の作品ですもの。でも、このあたりのものならば、ちょっとした絵柄の現代的でなさを除けば、現代と遜色ないレベルの物語の技術が投入されている、凄い作品たちです。妹ものを語る時に、普通に、僕らおっさんの世代だと『みゆき』を抜きには語れるはずもないんですし、LDさんにいわせるとあだち充の最高傑作は『虹色とうがらし』(僕も同感です)という話になります。でも、なかなかみないっすよねー。僕も余裕のある時に、そういう古い作品や、ジャンルを超えたものと接続して紹介するのがこのブログのもともとのコンセプトなので、やりたいのですが、なかなかうまく時間がとれなくて、書けていませんので、、、でも、せっかく物語を楽しむという作法を、人生のエンターテイメントとして選んだのならば、いろいろ教養(笑)をつんでいくと、もっとたのしいですよっておもうんですよ。僕もねぇ、、、いろんな作品を、もっと紹介できたらな、、、とふと思ったんですよ。まぁ、余計なお世話ですが、好きなものをたくさんの人が好きといってくれるとうれしいじゃないですか。布教なので。

陽あたり良好 5 (フラワーコミックス)

虹色とうがらし (1) (小学館文庫)


みゆき 1 (少年ビッグコミックス)

そんでね、、、最近、僕の友人界隈で『響け!ユーフォニアム』がおもしろいって、ずっと話されてて(僕はまだ見れていないんですが・・・)、これって、このブログの文脈からいうと、部活モノを描くときに、1)勝つことを選ぶのか、2楽しむことを選ぶのかの二元対立があって、どっちをどのように選ぶのか、それとも、その比率をどう描くのか?という問題になるというのの、京アニ版というか現代的なものなんですよね。この文脈はずっと書いてきました。ちなみに、この部活モノの1)勝つことを選ぶとなった時に、ビルドゥングススロマン・成長物語の、自分が成長していく自意識の問題と仲間の問題(チームビルディング)の問題となっていきます。これは、別に、普通に考えれば人生においても普遍的なものだと思うのです。大きな視点としては、人生において、勝ち抜くことを選ぶような、目標に向かって生きる人生を生きるのか、それとも、いまその時を楽しんでいく人生を生きるのか?という問いと同じくなります。もちろんこの命題には、目標に向かって生きるということは、目標を立てた到達点まで、自分は自己否定で、いまを生きることなく未来だけに生きるという非常に孤独な自己否定の地獄を生きることに耐えられるか?、それでも人生に勝ちたいか?という問題も引き寄せます。また、楽しく、今この時を生きよう!ということを言っても、人間の社会は競争です。食べていかなければ、結果を出さなければ、お金がなければ生きていけません。そのためには、近代社会では、目的志向で、自己否定をして、ナルシシズムを排して生きなければ、最低限「今を生きる楽しみ」すらも維持できません。こういう諸問題、、、命題につらなうサブ問題を引き付けます。


というようなことをずっとこのブログでテーマにしてきました。ここでは端的に関係ある記事を上げましたが、まぁ自意識の問題も成長物語の問題も、すべて結びつく話題ですよね。


青空エール』 河原和音著 主人公のあこがれに向けて努力する姿に切なさを覚えます
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110810/p4

けいおん』 山田尚子監督 かきふらい原作 
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120925/p3

あずにゃん問題(笑)〜日常をたゆたい「いまこの時の幸せをかみしめる」か、それとも志と夢を持ってつらく茨の道をかけのぼるか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090628/p1

放課後ウインド・オーケストラ』 宇佐 悠一郎著 何かにコミットするときとは?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081109/p1

部活漫画には二種類ある。/Something Orange
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090617/p1

青空エール 1 (マーガレットコミックス)


そんでね、この背景が結局のところは、20世紀の後半を来た我々の世代、、、、、この20世紀の後半は、全世界が成長期に入って、基本的に高度成長を遂げた、人類にとっては非常に珍しいというか経験したことがない特殊な時代だったということが背景にあったんだな、と今、理解できました。それが終わった日本においては、そのギャップが噴出してきて、構造転換が起きているので、このことを常にマクロの背景に押さえるのは、人生を失敗しない大事なことだと僕は思います。ちなみに、この系統を一番わかりやすく、よく描いているのは、僕は、佐々木俊尚さんの諸作品だと思うので、ぜひともおすすめです。

レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書 410)


おっと話が大きくなりすぎた(笑)。あっちなみに、この感覚をよく描かれているこのインタヴュー集もいいですよ。マーケティングという言葉が、島宇宙化した、分断された特定のセグメントだけを狙い撃ちにすることを意味するようになって、それでその産業がしぼんでしまって、縮小しかできなくなっていることを現場の人間はよくわかっています。それは、エンタメを享受していてもよくわかります。けれど、実際に売れる方法が、島宇宙の個別化されたセグメントを超えて、「普通の市場」といえるメジャーな層にリーチすることができない現代のマーケティングの苦悩をよく扱っています。このあたりは、最先端なので、まだ答えが全然ないし、「メジャーな層にリーチする」ということがほんとうに正しいのかもわかりません。が、現場の声は面白いですよ。ここに最先端の苦悩があるんだもの。音楽業界だけではなく、アニメの谷口監督やマンガ家などいろいろな人に声をかけているところが面白いです。

「メジャー」を生みだす マーケティングを超えるクリエイターたち 角川oneテーマ21


えっと、さらに話が遠くなった。えってとね、この部活モノってもののもつ物語類型、ドラマトゥルギーに対して、比率で描くとどうなるか?ということを、ほとんど描き切っているのが、河合さんの『帯をギュッとね!』なんですね。その後の、モンキーターンやとめはね。素晴らしい出来だけれども、やっぱりこの作品が最終到達点にして最高傑作なんじゃないかな、とおもうんです。なので、皆さんぜひとも、『帯をギュッとね!』を読んでみましょうというお誘いでした。今の時代でもまったく色あせることもないレベルの作品だと僕は思います。サンデーの生んだ偉大な傑作ですね。ちなみにもう少し手がかりをいえば、サンデーって日常系的な作品を生み出しやすい土壌の方針を持っていると思うんです。ジャンプやマガジンと違って、連載レベルで、、、つまり週刊レベルでの盛り上がりよりは、単行本で物語のドラマツゥルギーを重視するので、視点が長いんですね。なので永遠の日常もの系的な「その時を楽しむ」ということを描きやすい。けれども、全体を貫くものがあるので(最近の作品にはそれが失われてしまっている気がします、、、ハヤテとか、、、)非常にバランスがいい長い群像劇的な作品が生まれるんですよね。帯ギュは、柔道の好きな5人が、柔道部のない新設校で、部活を始めるところから物語が始まります。その中で、柔道の頂点を目指すというとんでもなく過酷なことを、どう楽しみながらやっていくか?というところにうまく焦点があっています。これ長い作品だから、いきなりオリンピックとか目指さずに、さらに部活モノで、才能がある人もない人もいるという幅の広さの中で一緒にやっていくというものがそろったので起きた現象だったんだと思います。まりちゃんという小さな女の子が登場するんですが、初登場して高校生にしてすぐ、オリンピックのレベルの選手にまでなってしまいます(笑)、そうかといえば、やったこともない素人の桜子が偶然人数合わせで柔道を始めて、、、、などと、ほんと、この群像のたくさんの人数が柔道にかかわりながら、その関わりのスタンスがいろいろなんですよ。この多様性こそが、僕は現実だと思うんですよね。主人公の巧くんも、たしかに才能は最初からある特別な人でしたが、彼がオリンピックを目指すほどの大選手になっていくのは、高校のあの、5人ではじめたテキトーな感じの部活の中で思考錯誤していく中で、その試行錯誤がオリジナルと、自分で積み上げるものになって、頂点まで上り詰めていくんですよね。たぶん、あのゆるさの中から努力しなければ、彼はあそこまでいかなかったと思うんですよ。そもそも柔道のエリートでは全くなかったんだから。そこも、僕がぐっときます。ありがちの、ビルドゥングスロマン・成長物語にある、、、アイズ・ヴァレンシュタインに憧れるベル君(ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているのだろうか)や、『青空エール』の主人公のような、、、、えっ、、、そこまで成長するために自己否定を繰り返して、ボロボロになって、、、、それって、成長がマクロ的に保障されていない低成長、縮小のデジタル中世の今の時代では、なかなか受け入れられないと思うんですよ。まぁちなみに、憧憬を持つというのは、このマクロの保証・背景とは関係のないドラマなので、実は違うと思うのですが、、、そこは置いておいて。でも、巧くんのいた浜名湖高校のような部活で、楽しく真剣に、目の前に起きたことを全力で時には逃げて(笑)、ってああいうすったもんだの中で、そして気づいたら、成長していた、前に進んでいたっていうのは、すっごいありなんじゃないかな、、、と思うんですよ。30巻で、桜子が大学の柔道部にいたこととか、、、僕は読んでいて、落涙しちゃいましたよ。。。。ああ、成長って、こういうのもありだよなーーー。って。目標を掲げて、人になれず孤独に自己否定を繰り返して、血を吐きながら生きるだけが成長じゃないぜって。

帯をギュッとね!(1) (少年サンデーコミックス)


そんなことを思った今日この頃でした。河合さん、物凄いマンガうまいので、何を読んでも最高だと保証しますので、ぜひとも。ペトロニウスの名にかけて(笑)、この人の作品群は、素晴らしいですよ。


はやく、響け!ユーフォニアムも見なければ、、、、


響け!ユーフォニアム 1 [Blu-ray]