人生リセットを望むのか? それほど男の子として生きるのはつらいのか?

内閣府男女共同参画局の『平成26年男女共同参画白書』では、男性の置かれた状況について「男性は、建設業や製造業等の従来の主力産業を中心に就業者が減少し、平均所定内給与額も減少しているが、労働力率では世界最高水準となっている」との指摘がなされている。平たく言えば、これまで多くの男性が雇用されてきた職場は失われつつあり、給与も減る一方であるが、それでもほとんどすべての男性は働き続けているということになる。男性の生き方を変えていこうという気運は、過労死が社会問題になった1980年代後半やリストラに注目が集まった2000年前後にも高まったが、「男性は仕事中心の生活をするべき」という強固な「常識」の前に、その勢いは長く続かなかった。進んでも退いても出口が見つからなくなりつつある現在。自覚しようとしまいと、男性の生き方の見直しは、すべての男性が当事者として考えなければならない問題になっている。


これを見ていて、とても感じたことがある。それは、先進国における極右と極左の台頭の原因だ。原因が何かといえば、もう有名というかみんなわかっていることだが、中産階級の崩壊だ。先進国共通のもので、それぞれの特殊要因や歴史の積み重ねは違うかもしれないが、おおむね近代国家においては同じものだ。中産階級の崩壊って、どういうことなのか、ずっといろいろな本で読んで、予測もしてわかっていたことが、実際に起きてみると、具体的になると、まだまだ実感としてわかっていなかったんだなーとびっくりする。それは、社会の権力を握り家父長的な特権のポジションを得ていた、既得権益を持っていたはずの中年の男性が、すべてを奪われていくことがその軸にあるんだな、とわかってきかたらだ。近代国家は、マイノリティや女性などの、それまで既得権益を持たない人々が権利と自由を獲得していくリベラリズムの流れで大きく展開している。でもこれもいいかえれば、既得権益を持っていた男性が、どんどんその既得権益を奪われて解体されていく過程という風に言変えることができるわけだ。アメリカだと、これがはっきりと、中間から低所得の白人男性と規定できるために、これらのリアクションもはっきりと目に見える。特に、リベラリズムの担い手が、女性やマイノリティなどの権利を得る人だけではなく、奪われる男性側からしても、もしその男性が高所得の裕福な人の場合は、積極的に、この自己の既得権益の解体と剥奪に手を貸すんですよね。それはなぜか???って単純なんですよね、豊かだから余裕があるだけなんですよ。ようは、自分が貧乏だったら、人のことなんかにかまっていられないという単純なことなんですよね。ああ、そうか、、、、と僕は思います。この世界には、絶対に経済成長が必要なんだ!と。経済が停滞するということは、権利が広がり解放されていくリベラリズムが、逆回転して、権利の奪い合いになってしまうんだって。そんなに人は優しいわけじゃない。だから、豊かにならないといけないんだ、としみじみ思います。あと、これほど明確に、男性にとって、特に経済的に豊かではない、能力のない、やりたいことのない、何でも言い方はいいですが、幸せに生きていない男性にとって、社会のリベラリズムが拡大していくことは、奪われるだけの地獄なんだってことも、具体的に見えてきて、、、、世界は難しいなぁ、と思いました。