『ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜』(2017 Japan) 神山健治監督 掲げた設問に対して答えていないのは、ドラマとして失敗だと思う

小説 ひるね姫 ~知らないワタシの物語~ (角川文庫)

評価:★★★☆3つ半
(僕的主観:★★★☆3つ半)

神山健治監督のオリジナルの長編映画ということで期待して見に行ったのだが、うーん、普通の作品だった。決して、悪い出来ではない。でも、映画館にガチで見に行け!と勧められるほどの作品でもない。ちょっと残念だった。『東のエデン』から続く神山さんの文脈で解説することは可能だし、その文脈の発展途上のワンステップとして語るのも可能なんだけど、はっきり言って僕の琴線には今回はふれなかった。「琴線に触れなかった」という言い方なのだが、だからといって駄目でもないし、よくまとまっているし、名曲「デイ・ドリーム・ビリーバー」など様々な演出も効いていて、一流の作品であるのは間違いないと思う。けど、ガツンとくるものがなかった。なので、おすすめできない。


なぜこんな風に、ガツンと感じることがない作品になったのだろうか?。演出などのまとまり感など総合力はさすがの感じがするにも関わらず。いくつかポイントがあるのだが、メッセージがはっきりしていないので、もやもやしていることが、僕の結論だ。

この脚本の本質は何か?と問うたときに、やはりどう考えても、グーグルとトヨタの対決とでもいおうか、プログラム・ソフトウェアとハードの対立の寓話になっているんですよね。これ自体は、寓話にする価値のある大きな神話的な物語なんだけれども、ぶっちゃけていうと(ネタバレ)、この自動運転の開発者のココネのお母さんは、たぶんテスト中に死んでいるんですよね?。ということは、この流れだと、自動運転のソフトウェア自体の否定の物語にしか展開しないはずなんですよね。だって、自動運転の安全性が確認できていない段階での開発総責任者のテスト中での事故死なんて、もう終わりじゃないですか。たぶんココネのお父さんは、このまだ未完成のソフトを完成させた、っていう設定なんだろうと思います。「思います」というのは、このあたりの対立構造と、ミクロのテーマが、明示されていないんですよ。だから、もやもやっとする。もちろん、はっきり言えばいいわけではなくて、この物語を比喩的な寓話になぞらえたかったんだろうと思うんです。でも、あまりにあからさまなこれは、隠してもわかってしまうし、、、、。僕はこのあたりのドラマがはっきりわからないので、???ってなったしまって、結局この物語は何がいいたいのかな?と思ってしまいました。最後のシーンは、あのテスト中にお母さんが死んだのじゃないかな?と思うのですが、ぜんぜんそういうのも描かないじゃないですか。だから、あれが前向きなのか、苦しい思い出なのかもわからない。絵的には、前向きな希望に満ちた過去の回想なんだけど、頭で考えればあれがお母さんの事故死のシーンとしか思えない。だとすると、これ、厳しい話じゃない?なんで、こんな希望に満ちた感じの絵の回想なの?って不思議に思ってしまう。


えっと、ようはね、自動運転は素晴らしいものなのか?。そういう未来が来るべきものなのか?という設問にこの物語は答えていないんですよ。それは、設定しておいて、卑怯だって僕は感じます。


どっちもありだとは思うんですが、はっきりしないので、もやもやする。二項対立を掲げて、それをぶち壊したい場合には、『もののけ姫』のドラマツゥルギーと僕は呼んでいるんだけれども、3番目のはるかに大きな出来事を起こして、二項対立の基盤自体を飲み込んで破壊してしまうという手法があります。けど、それには、二項対立自体をぶち壊すような圧倒的なカタルシスとパワーがいる。この『ひるね姫』にはそれはない。ないならば、掲げた設問に答えを出してよ!と思うのだけれども、比喩的寓話でそれがぼかされてしまっているという風に、答えがもやもやッとする。なんだか逃げている気がする。だって、キャラクターたちは、特にそれに命を捧げたココネのお母さんは、「それ」に命を人生を懸けているじゃないですか。なのに、もやもやってするメッセージって、、、なんかあり得ないと感じてしまう。


神山さんは、『東のエデン』の時にも、まだ来ていない未来について断定は避けるし、「そこ」に足を踏み入れると、構想力がほぼなくなってしまうようなので、設定はうまいのだけれども、それについての打開力というか、その後の世界を描く力がほとんどない。これは、そういうやり方で物語を作る人だからなのかもしれないですね。凄い作家なだけに、ここはとても残念です。


東のエデン(2009 Japan)』 神山健治監督  ニート(若者)と既得権益世代(大人)の二元論という既に意味のなくなった二項対立のテーマの設定が失敗だった
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20141009/p1

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東のエデン』のアニメシリーズに★5つで、映画を★2つ(僕の中では落第レベル)にしているんですが、これって、テレビは長い「シリーズ」なので、問いかけるプロセスを楽しむことが可能なのだけれども、劇場は長くても3時間もないわけで、一本の作品として、はっきりとしたメッセージを出してほしいというのに、それがない。だとすると不満になってしまう。


このもやもや感は、他にもいろいろあって、これが家族の物語であって、この物語は、ココネのお父さんとお母さんの恋の物語なんですよね、本筋は。なのに、娘のココネが主人公になっているところが、よくわからなくなってしまった。誰に感情移入するべきなの?って、揺れ動いてしまった気がする。だから、ココネの相手役の男の子が出てきても、えっとこの子の役割は何なのかな?と考えると、何でもないんですよね。そうすると、えっ?、じゃあ、ヒロインはだれ?って、思ってしまう。はっきり言ってしまえば、ヒロインは、ココネのお母さんで、ヒーローは、ココネのお父さん。であれば、この二人の話を、この二人で描くべき。それが娘という焦点を作ったために、意味が分からなくなった。ヒロインが明らかにお母さんなんだもん。ココネの、ココネ自体の物語がどこにあるかわからなくなってしまった。この部分が本来は泣ける部分なんですが、その辺の整理の悪さが、???ってなってしまって、すっと腑に落ちていかないので、感動しにくい。凄い惜しい、見事な脚本というか発想なんだけど、演出がうまくいっていない。ココネの物語になり切れなかったんだと思う。


そしてもう一つ。結局、エンシェンと魔法のタブレットのお話の方は、あれはなんだったのか?。結論として劇中で見る限り、ただの「ココネの夢」だったわけだけど、、、、「ただの夢」だとすると、あの子、かなりイタイやばい子じゃないの?って思うけど、別にそういうこともない感じ(劇中でそういう風に描かれていない)なので、だとするとあれだけ細密なもう一つの世界というのは、なんだかおかしい。ファンタジーになり切れていないのに、妙に世界がリアルで確固たるものとして描かれているので、???ってなってしまう。


全体的に中途半端。


これを多分比喩的な寓話にしたかったので、明示させるのは避けたのは演出方針だったのだろうと思います。なぜならば、全体的にすべて意思を込めて寸止めにしてたり描かないので。でも、僕はそれによって、少なくとも、もやもやッとしてしまった。かなり一流のレベルまでまとまっているのにもかかわらず、というか、そのレベルでは、このもやもやは打ち破れていない。だから、★3つレベル。


ちなみに、お母さんが死んでしまったあとに、その子供が、、、というと、僕は『ふたつのスピカ』をとても思い出す。でなければ、エヴァンゲリオンのシンジ君と碇ユイの関係ですね。お母さんという大切な人の死をもたらした「新しい技術」にどう向き合うか?というのはとても大きなテーマで、夢に生きる人は、この問いを常に突き付けられます。お母さんがというのではなく、夢を取るのか、人間を取るのか?と。宇宙開発などにはつきもののテーマですね。『プラネテス』の問いもそうでした。こういったテーマの射程距離のも入らなかった。そういう意味では、うーん、おすすめできるほどじゃない。


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