『1518!』4巻 相田裕著 一緒に歩んでいく対等さに涙しました

1518! イチゴーイチハチ! 4 (ビッグコミックス)

客観評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 静謐なる残酷から希望への物語(2)〜非日常から日常へ・次世代の物語である『バーサスアンダースロー』へ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130104/p1


この続き。


■再生というのは「断念を抱えて日常」を生きること

日常モノ出口がどこにあるのか、過去に語ってきた文脈の流れがどこに行くのかまだ考察できてません(笑)。でも『1518!』は、大好きなんです。そういうこ難しい文脈を超えて、なんか凄い自分の中で、大きな強度がある。何度も何度も読み返している。ダイナミックな物語のドラマトゥルギーがあるわけでもないし、設定がファイブスタースターストーリーのように何度も読み返さないとわからないというわけでもないのに。物語のキャラクターたちに強い強度というかリアルを僕は感じるんです。ついぞ、通常の学園モノにはない「何か」があるように思える。そこが魅力というのもあるし、また「それ」が何なのか知りたくて、繰り返し読んでしまう。何もない・・・・というわけでは実はない。相田裕という作家は非常に技巧的だ。この「なんでもない日常」を、緩やかに緩急つけながら様々なドラマツゥルギーの波を織り込んでいる。だから繰り返しの読み込みに耐えうる情報密度を持っている。ただ「大きな物語」という意味では、何もないのが日常の学園モノだ。それに、そもそも甲子園を目指していた野球少年が、怪我でそれを「断念」したという物語の挫折から、この物語は始まっている。始まっているだけではなく、それこそが、この物語の基本構造だ。「夢を諦めるところから始まる物語」とあるが、いやはじまらないんだよ。大きな物語がないってことは、物語が始まらないってことだから。そこには、何か「へ」目指す成長の動機もなければ目標もない。「そこ」で人はどうやって生きていくの?ということがテーマなんだから。

学園モノの王道である、スポーツ(部活動)での熱血成長物語でもなく、ヲタクの集まりによる友達探し部活モノでもなければ、最も王道のラブコメ(基本ハーレム)でもない。この3つの要素をほぼ抜いた学園モノが成立していること自体が、本当に不思議でならない。素晴らしい構造、仕掛け、技巧的な演出ではあるが、かといって、こんな「なにもない物語」が、どうして企画が通ったのか、どうして今も連載が続いているのか、が個人的に不思議だ。普通人気が出なくて打ち切られるものだと思うのだ。でも、そうはなっていない。それは、読者が、消費者が、この物語には「何かがある」と僕と同じように感じる人が、少なからずいるということだと僕は思うのだ。もちろん、これが断念を抱えてもう一度生きる気力を見出していく「再生」の物語であるのは、間違いない。けれど、単純に、もう一度「生きる目的」を見出していく物語には、僕は見えないのだ。もう一度、生きる目的を「見出していく再生」の物語というのは、いいかえれば、やはりビルドゥングスルロマンを、成長を肯定している物語に回帰することだ。しかし、本当に人生をかけて目指したものを失った「喪失」というのが、どれくらいの重みをもつのか、そして、それを「抱えて生きる」ということがどういうことなのかの「重み」は、そんな簡単に消え去って再生するものなのだろうか。「再生」というのは、忘れることじゃない。やはり僕は「断念を抱えて生きる」ことだろうと思う。これがどこへ行くのか、そうはいっても物語のドラマトゥルギーとしてどこへ着地するのかは、僕はまだわからない。けれど、この世界には、僕はとても魅かれる、魅入られるものがある。


(この辺からネタバレです)


■単純なラブコメのフェーズに入らない自覚的な描写が、渋くてたまらない

相田裕さんは、この「断念を抱えて生きる日常」にとても自覚的なのだろうと僕は思う。特に、幸の2巻のp63の三春に「烏谷君のどこが好きなの?」って聞かれて「? べつに好きじゃないですよ?」と答えるのが、素晴らしかった。そのあと、「高校で会った烏谷君は・・・・・前とは別人で、ちょっとがっかりしました。」p72というのが、特に。


1518! イチゴーイチハチ! 2 (ビッグコミックス)


僕はこれを読んで二つの意味で、感動しました。一つは、ようは、この後、三春が、お子ちゃまなのね…といっているように、幸がまだ恋愛を理解していない子供なんだという風に解釈していますが、それはまさにそうなんだろうと思います。けどね、幸の、この距離の詰め方、どう考えても恋している以上の距離じゃないですか。1巻から、どう考えても、この距離の詰め方、バックグラウンドとしても初めて見てひとめぼれしたって背景があって、それで、もう当然付き合っているんでしょう?ぐらいの雰囲気じゃないですか。いくらスポーツバカの烏谷君でも、このまま時間が進めば当然、イチャコララブコメがはじまるでしょ?としか思えない感じでしたよね。そこで「好きじゃない」といわれても、まぁラブコメフォーマットによくあるお子ちゃまな女の子が、恋を知って少しずつ女になっていくとかそういうドラマだよな!って思うじゃないですか!普通。はっきりいって、丸山さんって、かわいいもん、そう思わなかったらおかしいよ。これ、烏谷君という断念を抱えた男の子の再生のためのトロフィーワイフなんだよね!ぐらいに思えるんですが、ここで「前とは別人で、ちょっとがっかりしました。」というコメントが入ることによって、物凄い冷や水が浴びせられるんですよね。この冷却効果、凄かった。なぜって、このコメントがある限り、丸山幸という女の子が、本当は恋をしているんだけど、まだ大人になっていないので恋を自分がしていることに無自覚で「それを知っていく」というラブコメの物語には、簡単にはなれないことが明確になっているからです。これ、あ、、、そうか、これ単純なラブコメじゃないんだ!と凄い僕はドキドキしました。そしてむしろ、こうやって、明らかに恋をしていないのに、距離を詰めてくる・・・・これって凄い小悪魔だよなって、むしろ魅力的に思えましたよ(笑)。なので、一つ目は、むしろ、ああ、ラブコメの文脈で、主人公に都合がいい人じゃないんだ、という意味で、むしろ魅力的に感じました。この人の作品を見ていると、いつもフランス映画やイタリア映画などのヨーロッパの香りが凄くします。生きる価値がない世界では愛などもちろん意味がないから、「それなら」愛に生きてみようか的なフランス映画の逆説的なエロティシズムを感じる。うーん、伝わるかな?。愛を語るには、愛だけではなくて、この不毛な断念の世界生きる徒労感を基礎にして考えなければ意味がないとする世界観。


■対等であるということは、一緒に歩めること

もう一つは、やはり、ここで「高校で会った烏谷君は・・・・・前とは別人で、ちょっとがっかりしました。」という風に、幸が感じていることを解決していくことが、、、、うーん解決という言葉がいいのかはわかりません。なんというのかな、彼女がこう感じるテーマこそが、キラキラ輝いていた、野球で将来の階段を駆け上っていたスター選手のビルドゥングスロマンから、降りて断念して、成長することができなくなってしまった、どういうことなのか、そこで生きるということはどういうことなのか?ということを、問うていく物語になるということになるのがよかった。幸にとっての問題意識、、、「好きじゃない」というなら、それでも烏谷君のそばにいるということはどうしてなのか?どういう意味を持つのか?と。


はっきりと、4巻でその答えが出ています。あまりに見事で、僕は泣きそうに…というか、落涙しました。


「遠くから見るんじゃなくて、いっしょに歩くなら・・・・今の烏谷君かな。」p61(4巻)


もう、胸に迫りました。ああ、幸っていい女になるなーと感心しました。というか、うーん、ネタバレしていますが、ここで宇賀神くんというもと烏谷君のチームメイトで、万年補欠でずっと憧れの目を見ていた同級生が登場しているシーンから、積み上げて、このセリフに至る演出は、もうなんというか素晴らしすぎて、万感こもりました。これ素晴らしいマンガですよ。いくら言葉で解説しても、「あの表現」じゃないと伝わらないもの。


えっとね、、、言葉で解説するのは無粋も無粋なんですが、これは何を言っているかというと、幸は、二つのことをいっていると分解できると思うんですよ。1)一つ目は、キラキラ遠くから手が届かないものでなければ人は憧れない、けれども、2)一緒に人生を歩んでいく対等な関係には、1)ではなれなかった、といっているんです。


僕は、ここで、『GUNSLINGER GIRL』のサンドロとペトルーシュカの関係について思ったことを凄く連想しました。

■成熟した大人の恋の物語の挿入から生まれる立体感

実は、サンドロ自身も、未来のない実験動物のような義体の少女たちと、ほとんど大差なく人生の無目的な無意味さにいらだっていて、またクローチェ事件の生き残りの兄弟のような、そもそもこの制度を作り出したものと違って、暗殺者の少女たちと同じように、しょせん歯車の一部でしかない。もう、社会福祉公社は、巨大な官僚システムになりつつあるから。彼はその歯車として、生きている実感を持っていない。生きるための何か?を探して生きているにすぎない。ペトルーシュカがあと5年しか生きられないと聞いてサンドロは、「5年先なんて、自分だってどうなっているかわからない」と考えているのが典型的なのだが、ようはね、このサンドロとペトルーシュカの関係は、実は、徐々に「対等」になろうとしているんだ。わかるかなぁ?。リコやヘンリエッタが、明確にクローチェ事件の復讐という兄弟の「目的の奴隷であり道具」であるという大前提があるんだけれども、サンドロにとってのペトルーシュカは、仕事のパートナーにすぎないんだ。つまりは、「同じように目的LESSの感覚で、同じ目線で世界を眺めている」んだよね。どっちかが、どっちかの道具ではないんだよ。だからこの二人の間に生まれる感情は、対等なものなので、とても深い愛情に感じるし、それはまがいものではない。だって、権力構造がないんだもの。そして、この二人の恋愛が、1期生の盲目的で隷属的な少女と担当官との関係と比べ、どれくらい自由で、そして人間らしいかは、よくわかると思う。この恋愛物語、、、まるで美しいフランス映画を見ているようなスタイリッシュでドラマチックな物語が挿入された途端、このガンスリの世界が物凄く豊穣でリアルに満ちてくるように僕は感じるようになった。



GUNSLINGER GIRL』 6〜10巻 相田裕著 成熟した大人の恋の物語の挿入から生まれる立体感
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081028/p1

GUNSLINGER GIRL 8


僕は、本当の恋愛は、「一緒に歩んでいく対等さ」がなければ、ダメなんだといつも思う。もちろん、権力構造がない対等な関係なんてものは、人生でほとんど訪れない僥倖のようなもので、まずありえないものだ。この辺りはまるでフランス映画かよっていうような、人間関係の機微を、繊細なドラマに演出してまとめていて、いやーこの人物語の作り方が技巧的だなーとしみじみ思います。特に、ガンスリの濃密な背景描写や書き込みから一転して、学園モノの『1518!』のような、一見手を抜いているような、書き込み量を減らしているかのような絵柄が、考えに考え抜かれてつくられているところも、感心する。絵の手を加える量を少なくしながら、さらに繊細な表情や空気感を描いて、かつ徹底した取材を繰り広げているだろう日本の現代の高校生活の情報量を盛り込むことで、簡素にしていながら、情報量の密度を上げているところなど、驚くべき技巧、演出力だとおもう。ガンスリは、後半の素晴らしさは情報の密度を上げていくことで成り立っていたと思うのだが(イタリアの背景描写や公社の権力者の造形を描くことなどね)、『1518!』は、絵柄をシンプルにして、背景の書き込みをとても抑え込みに抑制している。いやはや、僕はこれがマンガの演出として、絵としてどうなのかは説明できないが、物凄い労力と繊細さで演出されているオリジナルの凄みを感じますよ。そしてなによりも、現代的でもある。そして僕も感情的に凄い好き、と感じる。。。。素晴らしい。


えっとね、、、、描写に話になってしまったのですが、それぞれの関係性が非常に深く練られていて、ラブコメフェーズに簡単に入らない仕掛けが凄いしてある。幸にとって、烏谷君という存在は、キラキラしなくなって魅力がなくなってしまった人なんです。だから魅力は感じないんです。幸にとって、バスケが背が低くてやめてしまったことがどれくらいの重みなのかは作中にはまだ描かれていませんが、1巻にさらっとありましたよね、、、たぶん彼女も、烏谷の輝くようなキラキラしているエース姿にノックダウンされるようなんだから、抱えている断念があるはずなんですよ。ないはずがない。もしくは、作中でいう通りなのかもしれません。「熱くなりきれなかった自分」に後悔があるのかもしれません。この記事を書いていて、『響け!ユーフォニアム』の記事を思い出しました。ああ、この2期もみていないなー。


響け!ユーフォニアム石原立也監督  胸にじんわりくる青春の物語
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150807/p1


何故烏谷に、、、落ちた偶像である烏谷に近寄っていくのか、彼が断念の後に「何かを見つけていく姿」に胸が締めつけられるほどドキドキするのかといったら、それは「自分の姿と持つ内在のテーマ」に重ね合わせているからにほかならない。だから、「好きじゃない」けど、傍にいてみていたんです。これ、僕は、Fate/Stay Nightの士郎とセイバーの記事を書いたときのことも凄く思い出します。人が、「一緒に歩いていけるかも」と感じるときは、もしくは「そばにいて見続けたい」と思う時は、相手の内在性のテーマと、自分のものが重なった時です。そして、これが難しいのは、これは「恋」じゃないってことです。そして、たぶんこれが行きつく果ては、恋を吹っ飛ばして「愛」になってしまうこと。なので、この物語は、少女マンガじゃない。少女マンガはほとんどが恋を描くものです。好きじゃないといっているのに、同じテーマで「いまなら一緒に歩める」と同じことを気づいた宇賀神君に、むっと嫉妬するシーンは、そしてなぜ自分が嫉妬するかがわかっていないシーンは、作者流石だーーーと唸りましたよ。このへん、単純な恋じゃないの野に、少しづつ恋愛のプロセスが進んでいるような、人間関係が深くなっていくのは、いいなー。なんかいいんだよなー。


Fate stay night』 人を本当に愛することは、愛する人の本分を全うさせてあげること、、、たとえがそれが永遠の別れを意味しても
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080802/p2


まぁ、SF的な物語は、こういうテーマが凄いぶっ飛んで、世界の終末とか、世界の救済とかとつながってしまうんですが、これを学園ドラマの物語がぶとっばない抑制した中で、地味に描き続けているところに、作者の技巧に驚かされます。なので、この先が楽しみでたまりません。



そして4巻の、、、これは同人誌の「チェンジオブベース」のテーマなんでしょうが・・・・いやはや、さっき同人誌の方を読み返していて、作者がこの骨組みを、いかにこの渋い物語の中で、ドラマチックに構成し直して繊細に演出しているかは、読み比べると、驚きます。この辺は、ぜひとも読んでみてください。泣けますよ。ちなみに、4巻は、会長のお話だと思うのですが、、、彼女もまた同じですね。この物語のテーマが、憧れること、しかし夢かなわず断念してしまったこと、それでも再生に向かって断念を抱えて生きていくという青春を描くことであるのが、よくわかる。甲子園に行きたかった、烏谷が甲子園の応援を聞いているシーンで会長が涙が止まらなくなってしまうのはも、、、もう見てて、僕も号泣だよ(涙)。これ生徒会の2年の先輩たちも同じだよね。東と三春の3巻のエピソードも本当に好き。この高校が、第一志望に受からなかった人が滑り止めで受ける高校という設定も、このテーマと凄いシンクロさせている。本当に作者は、考えに考え抜いていると思う。東君が、第一志望に落ちた後悔を抱えていて、それのリベンジのために勉強だけに生きている中で、なぜ生徒会に参加していくかというのまさに、同じテーマなんだよね。すべてかがさなっていて、本当うまい。それが、なんというか抽象的な話ではなくて、それぞれのエピソードが、とても演出的に深みがあって、グッっとくるんですよ。素晴らしい物語です。


PS


いやーそれにしてもよかったです。電子書籍の3巻のp126の左上の駒の会長の弟に見せる表情とか、この元気はつらつな先輩キャラの表情が急に、弟を持つ「お姉ちゃん」の表情になったりしていて、なんか芸が細かいというか、うますぎて、胸にぐっとくる。4巻のp23の表情なんかは、もう・・・・。あ、おれ、会長がファンなのかもしれない。


素晴らしい物語ですよ。


1518! イチゴーイチハチ!(1) (ビッグコミックス)

GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 聖なる残酷さ〜美しいが納得できない世界観
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081025/p1

GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 静謐なる残酷から希望への物語(2)〜非日常から日常へ・次世代の物語である『バーサスアンダースロー』へ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130104/p1

GUNSLINGER GIRL』 6〜10巻 相田裕著 成熟した大人の恋の物語の挿入から生まれる立体感
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081028/p1

学校共同体のなかでスクールカーストの最下層でも、成長を本気で目指して失敗した断念を抱えても、それでもぼくらは。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151018/p1

頑張っても報われない、主人公になれないかもしれないことへの恐怖はどこから来て、どこへ向かっているのか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/