『働く君に伝えたい「お金」の教養 人生を変える5つの特別講義』 出口治明著  普通の人が最も効率よく巨大なリターンが返ってくる投資は自分に投資すること

働く君に伝えたい「お金」の教養 人生を変える5つの特別講義

客観評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


昨年、出口治明さんの講演会に行った時に、一問一答で見事に、非常に具体的で切実な、様々な質問に、ごまかしなしに即答していて、いまさらながらにしみじみ思ったのは、この人が保険の生き字引といわれる「お金のプロ」であったということ。あいかわらず、知れば知るほど、出口さんが、素晴らしいロールモデルで、こういう人がいてくださって、本当に幸せです。なんか、やれるぜ!ってすごい希望が満ち溢れてくる。昨年は、いくつも講演会に顔を出させてもらって、たくさん学べました。


講演会の時(に限らないが)に、僕がした質問は二つ。


(1)家は買った方がいいか?。


この意図は、僕はどうにも家を買うことの意味がよくわからなくて、というのは、今後人口が激減することがわかりきっている日本社会で、なんでそんな高額商品を買わなければいかないかが、ずっと意味が分からなかった。a)確実に人が減るんだから、確実にマクロトレンドでは値下がりするわけだから、待っていた方がいいはず。b)家族のサイズがうちは5人いて、必要な家のスペースが急激に上下するわけなので、本当に必要なのは、子供たちが家を出てから、夫婦二人だけで住める家を買うかほうが、いいところにすめるんじゃないか?と思っていたからだ。それまでは、賃貸でなんでだめなんだろうか?と。正直、家についてほとんどこだわりは感じないので、出来れば買わないほうがいいよなーとずっと思っていた。けど、そういうと、凄いお前はおかしい!みたいなこと、親も含めて、いろいろな人に言われるんですよね。家というか持ち家神話がすごいみたいで。ちなみに、親とは大ゲンカしました(笑)。家を買うなら、金を出してやる!と言われたので、お前の金なんか頼ってねぇ!そんなの老人ホーム用にとっつとけ!俺は面倒見ないんだからな!といういつもの売り言葉に買い言葉で(うちの親との会話は20年以上このやり取り)、、、僕は親の気持ちが全く理解できなくて、、、なんで、老後の人生を楽しむために使うのではなくて、子供に家を買ってあげたいとか、そういう意味不明のことを考えるのかが、わからないんですよ。だって、両親の家があるんだから、極端な話、子供に家はいらないじゃん。既に現物で残るんだし。。。まぁ、いらないけど。・・・・僕としては、ちゃんと独立して生きていける気概と稼ぐ能力を教育してくれた、両親には心から深く感謝してて、だから彼らに金をもらおうとか、助けてもらおうとか、考えつかない(実際は金を受け取ると、精神的支配も受け取るので、絶対にその辺はないほうがいいんだ)。全く別の家になっているわけだし、なんでそんな発想が生まれるのかよくわからない。自分の人生楽しめばいいし、子供人生を破壊するのは、間違いなく介護なんだから、介護用のお金を持っておくのは、うん、それはわかる。でも、それ用を確保したら、後は遊べばいいのに。持ち家神話というか、思い込みって、何か間違っている気がして僕には仕方がありません。マクロトレンドで、少なくとも僕らの世代には、持ち家を買うことのメリットは、非常に少ないわけで、、、、でも、持ち家がない大人は一人前とは言えない!と、しかも一軒家だ!と、強く迫られる。うーん、、、じゃあ、アメリカで買っていい?と言ったら、お前は日本人だろうがぁ!と怒鳴られました。アメリカなら、土地の値段も含めてあがるところたくさんあるのに・・・・。まぁ、親の意見に付き合う必要はないんですが、自分に親身になってくれているのは確かなので、こういう壁が世間にはあるのだなーといつもしみじみ思いながら、話をしています。両親と話していると、団塊の世代の日本の幻想が、まざまざと浮かび上がってきて、いつもすごい面白い!と唸ります(笑)。ちなみに、とても仲の良かった(かつ、世の中をよく考えていると思っている)何人かの諸先輩方は、みなさん全く同じで、子供が家を出た後に、都心にマンションを買っていましたねー。あ、お金のある人は、拠点二か所にして、田舎の別荘と都心のいマンションとで2重生活している人が結構いるなー。


まぁ、個人の嗜好、というのはもちろんある。でも、ほぼメリットはないよな、と思っていたんですが、明快に、マクロ的には買うことは勧めない、と出口さんは、いいきっていて、ああ、やっぱりそうだよなーと納得した。理由は、同じですが、もっと言うと、変動リスクが高い現代において、長期ローンを組むことで奪われる自由の指摘は、まさにその通りだと思う。


(2)老後のために貯金するべきか?


逆に、これは、僕はある程度ないとなーと思っていたのですが、明快にその場で否定されました(笑)。国が破綻しない限り、年金は破綻しない。国が破綻するときは、そもそも民間の金融機関はすべて崩壊状態だから、そんな時のことまで心配するのはナンセンス、というのは、論理的でした。(2)の部分は、単純ではないので本書を読んでほしいのです。



講演会のにおいて、凄まじいスピードで、質問者の一問一答にこたえていくのですが、何でこんなことが可能かというと、それだけ深く様々なものについて考え続けているというのは当然ですが、非常に明快なルール・前提に基づいていて、それに対応してオートマチックに答えているからこそ、即答できて、かつ軸がぶれずに一貫性が保たれている。あの時の衝撃を思い出してみると、まず第一の前提は、はっきりと、議論において、マクロとミクロを分けていることです。出口さんの回答は、すべて「マクロ的には事実に基づいてこうといえる」という答えをしています。これはどういうことかというと、たとえば、「私は結婚したいんですが、したほうがいいでしょうか?しないほうがいいでしょうか?」というような質問があったとします。こういう系統の質問が、たくさんあるんですね。知恵者の前にすると、たくさんの人は、こういう質問をします。「こういう」というのはなにかというと、ミクロの質問なんです。ミクロのというのは、「この私、自分自身は」どうしたらいいのか?という問題です。こういう質問は、既に質問自体が実は無駄なんです。「私はどうしたらいいですか?」と言われても、他者にとって、その人自身をよく知りもしないのに、どうしたらいいのかなんて、情報がなさ過ぎて、何も言えるわけありません。もし「あなたはこうしたほうがいいです」と言い切る人がいれば、それはあなたの人生を盗もうとしている無責任やろうとしか言いようがありません。「何がミクロのレベルで良きことか?」ということは、まずもって「その人自身」にしかわからないし、選べないし、何よりも責任が持てないからです。これに対する答えは、大きな視点では、一つの方法しかないんです。それは、マクロ的には、こういえると思う、ということを示すこと。上記の、僕の「家を買うべきですか?」という質問に対しては、マクロ的には明快です。マクロ的には大体の傾向と確率で、得することはありません。なので、買わないほうがいいです、が答えになるのは、日本の数字の事実がら言えるはずです。けれども、それは大前提があって、その人がミクロ=主観的なレベルでほしいのかどうなのか?ということと、得か損かという議論は、別物ということです。何であれほどたくさんの質問に明快に答えることができるかといえば、議論のレベルでマクロの次元とミクロの次元を、完全にクリアーに分けて説明していたからです。


でも、質問者は、基本的に主観的なミクロのこと=自分のことをどうしたらいいのか?を聞いているわけでしょう?


となるんですが、それにもマクロ的に考えられていました。特に、お金についての考え方において、この本では、基本的なお金のリテラシーの説明になっているんですが、今まで僕が知っていたことと明快に異なるメッセージが一つありました。それは「使うことの楽しさ」についての部分です。曰く、


お金の使い方を考えることは、自分が何を楽しいと思い何を大切にし、どんな人間になりたいかを自問自答することです。


という部分。基本的に、貯蓄すること、無駄ならラテ・マネーを排除とすることなど、我慢ばかりをお金の重要なプリンシパルと考えっていただけに、これは、うーんと唸りました。これは何をいっているのかというと、自分の人生を考えるうえで最も大切なことは何かといえば、「自分にとっての幸せは何なんですか?」というのを探し続け、問い続けながら、楽しみ続けることです、というメッセージです。貯蓄や投資など様々な行動も、究極的には、この「自分の幸せに資するか?」で考えていかなければならない。そして、まちがいなく生活を豊かにしていく醍醐味は、「お金を使うこと」にあります。貯蓄なり投資は、先の未来を考慮して今を我慢することであり、それももちろん重要なのですが、それはバランスが重要なのであって、どちらかが正しいというものではないということです。いわれてみれば、凄い当たり前のことですが、感心しました。僕はあまりものに関心がない人だったのですが、年齢も40過ぎてきたし、まぁ、稼げる能力がそれなりにあるのもわかったし、アメリカでまた新しい生活も始めることだし、ゼロから始めるわけだから、ベースのものは、少しいいモノを買ったり趣味に走ろうかなと思って、財布の口を緩めたんですが、いやはや、これがものすごく楽しい。そして、財政的に見ても、ほとんど僕のお金のバランスは、その程度では揺らがないようです。。。こう考えると、なぜいままで、我慢というわけではないですが「自分らしくこだわる」部分にもう少しお金をかけなかったのか、それは可能性や人生を狭めているのに等しかったんだな、ととても反省しました。もちろん、いまはこれまで我慢してきたというかあまり使わなかったこともあるし、僕自身が経済的に余裕がある状態でやっているから、その感動が大きいのかもしれないんですが・・・・使うべき時に使わないと、人生の「その年齢」というのは、二度とこないわけです。僕は、最近、集中力が落ちたなーと思うんですが、やっぱりそれは年齢ですよね。20代は徹夜とか、飲み続けるとか、なんでも平気でしたが、今はそれやると、まぁ数週間は、影響しちゃいますね。というか、うーんうまいたとえが見つからないのですが、「その年齢」の時にしかできない経験を、傾斜配分して、チャレンジしていくことは、自分の人生を豊かに、そしてのちに時間がたって、自分の人生には意味があるといえるようになるための重要なステップなんですよね。


だから、「お金を使うこと」は、「自分自身を豊かにしていくこと」だという認識をもって、使うべき傾斜配分やタイミングを、狙わないとダメなんです。それがすなわち「自分」を豊かにし、「自分」を鍛え上げること。


この「自分」を価値あるものにするために、どのようにお金を使うかが、最も優先順位が高い行為であるという認識がないと、人生を損しちゃうよ、と思うのです。僕は、学生の頃、アホみたいに海外旅行に行きました。バックパッカーなので。稼いでは使いの自転車操業で、ほんと、めちゃくちゃでしたが、あの時に、あそこでがんがん使ったことは、本当に意味あることだったと思います。ビジネスパーソンとして、世界中をその後も回り続けていますし、今もアメリカに住んでいたりしますが、それでも、20年以上前に、アラブの春が起きる前の中東やイスラエルを歩き回ったり(シナイ半島とか横断しました)、共産党バリバリの中国、ソビエト連邦EUができる前のヨーロッパの国々、、、、あの時「あの時代」にしかない時空間を、ビジネスマンでもなく、学生の身分で、20代や10代に見て回れたことは、もうお金では取り返しがつかない価値ある思い出です。「その時」は、もう二度と戻ってこないのです。人生において。学生の時には、お金はないけど、時間は有り余るほどあります。これを、どれだけ有意義に、他の人と違う「自分らしさ」を形成する土台に使えるかで、その後の人生の自分らしさの土台の、深さや重さが決まるように思えます。



えっと、話が少し自分の話になりましたが、出口さんの大前提として、「自分の人生は自分の好きなことをして生きる」ことが最優先、というプリンシパルがあるように僕には思えます。人・本・旅で人生を豊かにしていこうということがよく書かれていますが、このプリンシパルと、マクロの数字・ファクト・ロジックに基づいた傾向を組み合わせると、答えは非常に容易になります。


1)マクロ的にいえることの傾向の分析-一般的に、得が損かは、これで言えます。


2)ミクロ的には、自分の好きなことをしてください。


これ、ほとんどすべての物事を考えるときに究極の構造だな、と思いました。全部こう答えればいい。けれども、これらは、そう簡単ではないです。1)は、数字・ファクト・ロジックを明示して、常に議論が可能にしておかなければなりません。これは、客観的な現実の話なので、誰もがシェア可能なものでなければ、議論の共通基盤にならないからです。しかし逆に、これがはっきりそうなっていれば、話は早い。だって、それは、共通の基盤なので。


おもしろかったのは、会場である、たぶん服飾関係のリテーラーの店長さん(わかりませんが、ユニクロとかそういう感じの服のお店の人)が、


「日本にはおもてなしの文化があって、定時を超えてもお客様が困っていることに、何とか答えて、非常に喜んでもらえる時のやりがいはとても価値があり、日本の強みだと思う得るんですが、それについてどうおもいますか?」


という質問がありました。


出口さんは、



「議論としてその質問は成り立ちません。なぜならな、それは、「そう思う」という個人の意見や感想だからです。具体的な場面では、そうとも言えるし、そうでないともいえる、ということになるので、それは主観の言い合いになってしまいます。俺はこう思う、と声を粗あげて言い合っても、結論が出ません。なので、意味のない質問です。マクロ的に考えるのならば、日本のリテールの売上高及び利益率ともに、世界平均から著しく劣っています。この事実から基づくと、日本のおもてなしや過剰なサービスは、数字には全く寄与しない、ということがい証明されています。


ちなみに、私は、様々なリテール関係の経営者の方や貴社の方に同じような質問をされたので、20年近く、では、おもてなしの精神やサービスの質の向上によって、日本のリテールの数字が向上したファクトを出してほしいと言い続けていますが、一度もその証拠を後日出してきてくれた人はいません。理由は簡単です。ないからです。」




ちなみに、全部ぼくのうろ覚えの印象なので、一字一句こういうことばだったわけはないですが、言わんとすることはこういうことです。・・・・・出口さん、めちゃくちゃ優しい好々爺な感じの人ですが、、、この人、日本生命で上司だった時、ものすごい怖かったんだろうな、、、としみじみ話を聞いていて思います。考え抜いてないことは、一瞬でバッサリ切ります。それ、意味なし、と。参考までに、数字・ファクト・ロジックに関しては下記の本が、おすすめです。


日本の未来を考えよう



ちなみに、全く違う問答ですが、出口さんに



「世界中に訪れたところで最もよかった場所はどこですか?」



という質問をしたら、即答で全否定されました(笑)。



「どういう条件かがついていない、そういった類の質問は、質問として成立しません」


ことほど、ものすごくロジカルな人なんですね。この人を身近で一問一答を見ると、このことがすごくよくわかります。こういった論理の膨大な確認と積み重ねの中から、出口さんの意見は生まれてきており、情報量が多く、そして論理が明快であればあるほど、マクロにおいては、明快に答えが出ます。本当に明快で、だから、一言でこたえられるんです。いやは、このやり取りは、僕はしびれました。とても大人で真摯な感じの人なので、こんな鋭い返しをするとは思わなくて、そのギャップがかっこよくて。いやー、できる人は、一様に、「言葉に対する敏感さ」があるんですが、そういう人は、いけ好かなく嫌味なスノッブ(=気位が高い)な人が多いんですよね。あんな物腰が柔らかくて、鋭いのは、、、と!感動しました。とてもロジカルです。


そして、ミクロ的な質問には、「自分の好きなこと」をしてください、と。ただ、これも、実は、とても重要な前提が隠れているように僕には思います。というのは、ともすれば一問一答形式で、バッサリマクロで切られると、なんだか冷たい感じがしてしまいます。「好きなことをしましょう」というのは、それはそれで「答えが欲しい」人々からすると、とても無責任というか、冷たい返答に聞こえます。実際、これ突き放しているんで、冷たいんですけれどもね(笑)。これは、その時、その場で「答えを欲しがる行為」について、糾弾しているんです。「自分の好きなことは何か?」を考え抜いて、考え尽くしてきていないから、そういう姿勢はだめだと、暗に言って切り捨てているんです。けど、なんというかそのストレートさは、聞いていて気持ち良かったです。というのは、自分の人生を自分で考えないなんて、ありえない!という信念が前提にあるので、嫌みでも糾弾でもなく、ナチュラルに切って捨てている(笑)、なんというか文句が言いようがない。一つは背景説明が、数字に基づいたナチュラルなものなので、「自分はこう思うんだ!」というような禅問答にならないこと、、、あと、これは僕が受ける感覚なんですが、、、「好きに生きてください」と言った時に、これも一問一答で面白い感じだったのですが、今の世の中が悪いのは、「政府が悪いんですよね!」ねという話になりました。けど、ここでは話が長くなりすぎるので割愛するんですが、究極、政府を変えたければ、投票に行けばいい。その結論は「行動してください」であって、それができていないのならば、言う資格はないんです(そこまで強く這いあわないが、ロジックがはっきりそれを示している)。若い世代が、圧倒的に投票率が低いのは、確かに教育や環境のせいは大きいのだけれども、かといって「いかない」のは、結局自分で選択しているという現状があると、聞いているほうがはっきりわかってしまう。少なくとも、僕は痛切に、出口さんの話を聞いていて、そう感じました。また、出口さんは、大企業を長く勤め上げられたうえで、ベンチャー60歳で起こし、そして大学の総長になるわけですが、、、、こういう「実際に行動を起こしている人」から、好きなことをしてください、と言われてしまうと、聞いているほうとしては「言い訳がきかない」なぁ、とすごく感じるんです。すくなくとも、僕はすごくそう感じました。結局マクロの環境はかなり余裕があるというか、対応できないことはないのに、動いていないのは、しょせん言い訳なんだ、と。


「好きに生きていく」ということは、凄く難しいことです。「自分」を、積み重ねて、いろいろな味が出るというか、好みの違いが出るように、育て上げていかなければならないからです。上記で、お金をの使い方が大事だという言葉に、僕が、凄く強いメッセージを受けたのも、それはすなわち、限りあるリソースを、どのように自分自身を育てるのに、使用するかこそが、人生だ、というメッセージがはっきりあったからです。これは、「その場だけで出る答え」ではなくて、ひたすら、トライ&エラーを積みかさねて、「好きなこと」を鍛え上げていくことが必要で、それが熟しきって、深まって、滲み出てきて初めて、「本当にしたいこと」「好きなこと」というのは、明確な形を持って現れてくるものだからです。そして「そういった時間をかけて作り出していく自分なりの好み」がなければ、羅針盤のない舟に乗っているだけで、出口さんから「好きなことをすればいいよ」と言われたときに、何もない自分に愕然としてしまうのです。人生は、いかに「自分」を作り上げていくかの、長い長い道のりなんだ、というを認識していないと、人生を無駄に過ごしてしまいます。スティーブジョブスが、毎朝起きてもし今日死ぬとしたら、今日最後にやることとして、これはふさわしいか?というような問いかけをしたという話がありますが(ほんとかどうか知りませんが)、メメントモリ(=必ず死ぬ)という認識をもっていれば、自分が最も満足して楽しいと思えるものに、時間を注いで積み重ねているか?ということが如実に問われることだから、まさにこのメッセージのことです。



ちなみに、やっぱりロールモデルって大事だと思うんですよね。というか身近な目標とか先輩というやつです。僕は、社会人になってから、哲学書やヘヴィーな歴史書などは、なかなか時間がなくてという言い訳のもとに、かなり少なくなってしまっていました。ちなみに時間がないというのは、ほんとは嘘ですね。だって、狂ったようにライトノベルや漫画は読めているのに、それができる時間がないなんておかしいじゃないですか(笑)。奥さんとたくさんデートもしてたし。でも、集中力や体力がいるなどの言い訳で、ずっとその辺をセーブしていたんですよね。けど、出口さんとお話ししていて、そんなの言い訳なんだ、、、ということがすごい身にしみました。いろいろ背景があるんですが、、、、細かいことは捨象して言うと、とにかく出口さんができているのに、自分ができないってのは、おかしいと痛切に感じたんですよ。もちろん、難しい本とか読まなくてもいいじゃん!と切ってしててしまえばいいんですが、、、僕は出口治明さんを見ていて、感染しちゃったというか、余りの「凄み」に圧倒されて、、、、、なんとなく、くやしいっておもっちゃったんですよね。もちろん、比較できないくらいすごい人なんですが、30歳ぐらい若いわけですよ、僕は。30年かけて追いつけないのは、怠慢じゃないかって。


それに僕の世代は、100歳までは生きると思うんですよね。そしたらもっと時間はある。著書の中で、出口さんは、ルールを決めてしまう。そうしたら悩まないで済むようになる、と言っていました。僕も毎日寝る前に1時間本を読むというのを、マイルールにしてしまいました。そしたら、いま米国に再渡米して生活をまたゼロからやり直しているのですが、新しい仕事で仕事もすさまじく忙しいですが、でもできちゃうんですよね。本を読む量が以前よりすごいスピードで上がってきました。。。。というか、なかなか習慣化できないとかいうのは人の常ではあるんですが、、、言い訳は、しょせん言い訳なんだな、と痛切に思いました。やればできるんですよ。ましてや、本を読むというのは、僕の人生の中で大きな趣味になるわけで、そもそも、普通の人よりも深く本を読む習慣があるわけで、それを、少しレベルアップしたりすることができないわけないんですよ。ああ、、、言い訳なんだ、、、と。でも、出口治明さんという人を目の前で見て、話して、そして感染するというかしびれて、初めて、このままじゃやばい。本当に追いつけなくなったら、つまんない!くやしい!と痛切に感じたんですよね。身近なロールモデルがいることは、本当に大事なんだと本当に思います。僕は自分が人生で大事にしていることで、読書があるんだということを、ここで再度再認識しました。だって好きで好きでたまらんまいんだもん。実際習慣づけたら、難しい本でも何でもサクサク読める。なのに、目標か小さかったというか、好きなことをもっとより深く高いレベルで!!!というのを怠っていたな、としみじみ感じました。ちなみに好きなアニメに関しても、反省して、今、過去の名作をコツコツ見直したりしています。覚悟を決めて、取り組む。それだけで、やれるもんなんですよ。歴史もけっこうハードなやつをがっつり読んでいて、読めば読むほど、全体像を講義で聞かせていただいたのが、染み入ってきて、たまりません。

人類5000年史I: 紀元前の世界 (ちくま新書)



■「自分」を育て上げること、自分の中に内発的に価値を作り出し練り上げ、それを世界に問い、仲間と一緒にその価値を世界に示すことこそが、豊かな人生



話を本に戻すと、この本でもうひとつ面白かったのは、普通の人が最も効率よく巨大なリターンが返ってくる投資は自分に投資することだ、ということです。



「いまのみなさんいとってもっとも価値が大きく、なおかつ成長性が高いものは何でしょうか?いまある資産の100万円?違います。2億円(推定生涯年収)の価値を生み出す可能性がある、まだ若いみなさん自身です。」


という部分。また何に投資するか?という部分では、人類の歴史で何かを成し遂げた人は、むしろ偶然の出会いや運によってそれを達成していることが多いなので、「将来を予測できる」という前提に立つのは、間違っている、こと。なので、将来を予測しようとしたり損得で考えたりせずに、「自分が好きなこと」に投資するのが一番だということ。まさに、僕もそう思います。これ究極の投資の答えなんじゃないかな、と思います。だって、ダイエットと同じで、目的と手段が入れ替わっているようなもんじゃないですか。楽して金がほしいと思うような、投資を考えている人は。一体、究極の目標は何かといえば、やっぱり楽しい人生を生きること、はずなんですよ。それに1番資するのは、やはり自分に投資することなんですよね。唸るほどお金があっても、「自分」がなかったら空っぽの虚無に悩まされます。間違いありません。「自分」がちゃんと独立しているというか、確固たるもので満たされていると、そういう悩みはなくなるんですよ。内発性の問題ですね。もっと金が欲しいとか、楽な状況が欲しいというのは、結局、外部環境的な自由さを求めているだけで、内面の自由ではないんだもの。どこまでいっても「次」が出てくるだけになってしまうと思うんですよね。ワナビー(=何かになりたい人)って、本当にダメなんですよ。だって続かないから。偶然、そのようになれても、それで心の虚無を抱えちゃう。結局は、自分の好きなことの「手ごたえ」の中に、幸せってあるんで、得でも損でも関係なく、それをやり続けたら楽しいものを、探していくのが人生だし、見つけたら追及していくのが人生なんだろうと思います。


よく投資の話、お金の話が、たくさん話されます。僕も、今40歳なので、いろいろやっていたりしますが、でもこの本を読んで、やっと投資というものの全体像が分かった気がします。そして、最優先の投資が、「自分」への投資であり、それが結局は、最大リターンを非常に確率が高く、高効率で戻ってくるということは、やはりそうだな!、この視点を抜きに考えてはいけないんだよな!とすごく思いました。


「金持ち父さん」の話を、僕は読んだとき非常に感銘を受けました。それは、アセットによって生きるとことと、フローによって生きることが違うこと、を見せつけてくれたからでした。アセットから生み出されるお金は、自分を自由にする、という話でした。これは、社畜として、組織のサラリーで生きる日本人の高度成長期の発想、コモンセンスの見直しとしては素晴らしかったと思います。いまだこの発想は色あせないことだと僕は思います。けれども、同時に今思うと、この本に致命的に抜けているのは、アセットを獲得して、自由を獲得して、「それではあなたは何をするの?」ということ、「何をしている時があなたは幸せなの?」という人生の「目的意識」の視点です。これがなければ、お金なんかいくらあっても、幸せになれないことは、社会学者エミール・デュルケムの時代からすでに分かっていて証明されていることです。投資というのは、「自分の人生を生きる」という人生の一側面にすぎないこと、、、、その人生すべてを射程に入れて、ポートフォリオを考えることこそが、お金について考えることに他ならないのです。僕は、この本を読んで、凄くそれに気づかされました。


金持ち父さん貧乏父さん

自殺論 (中公文庫)

ちなみに、目的を考えろ!、目的意識を皆が生きれる世界にしたい!、コミュニティーが最も重要なものだ!と喝破するマーカ・ザッカーバーグさんのこのスピーチなどを見ると、アメリカのミレニアル世代の発想も、やはりこの辺りを意識しているよな、と唸らされました。こういう発想は、「自分」を抜け出ること執拗に追求したエゴからの離脱を意識しまくっていたように思えるスティーブ・ジョブスさんの世代とは明らかな断絶間を感じます。結局は、お金は手段にすぎません。けれども、この資本主義の社会で、お金(の使い方)は、人生そのものを表すことになります。だから、僕は、出口さんが、消費をすること、消費を楽しむことを強調すること、、、それは自分らしさを探す旅なのだと喝破することに、感動を覚えました。そうか、そんなんだよな、と。お金をよりも大事なもの、理想や目的というのはあります。けれど、それを、達成するため、それに向く時の過程を喜び、楽しむためには、「お金」のポートフォリオ、どのように使うかのスキルがすごく重要なんですよね。順番が逆であっては成り立ちません。

今日、僕は「目的」について話します。しかし「あなたの人生の目的を見つけなさい的なよくある卒業式スピーチ」をしたいわけではありません。僕らはミレニアル世代なんだから、そんなことは本能的にやっているはずです。だからそうじゃなくて、今日僕が話したいことは、「自分の人生の目標を見つけるだけでは不十分だ」という話をします。僕らの世代にとっての課題は、「”誰もが”目的感を人生の中で持てる世界を創り出すこと」なのです。

中略

ここで重要なことは、「自分じゃないかもしれないが、誰かがやるだろう」というこの感じです。僕らはただの大学生のガキで、業界のことは何も知らなかった。大きなリソースのある色んなデカイIT企業がいくつもあってそれぞれが色々やってる。そのうちのどこかがやるだろうと思った。しかしこのことだけは物凄く確かにわかっていたんです・・・”人々は繋がりたがってる”ということだけは。だから僕らは毎日やることをやって前に進むだけなんです。

中略

理想主義的であること自体は良いんです。しかし、誤解しないようにしなくてはいけません。大きな目標に向かっているすべての人は狂人扱いされます。たとえ最後には正しかったとわかる場合でもね。複雑すぎる課題に向かっているすべての人が、自分がやっていることを十分に理解してないとか言って責められます。事前に全部わかってるなんてことが全く不可能な場合であってもです。

中略


これらの課題はもうすぐ手が届くところにあります。すべての人に役割を与えるプロセスの中で、キッチリ全部実現させてしまいましょう。ただ「進歩」を実現するためだけでなく、多くの人のための「目的」を創り出すために。


中略


すべての世代が、「平等」という言葉の定義を押し広げてきました。上の世代は、投票権公民権について戦った。それらはニューディール政策とグレイトソサエティ政策に結実しました。今、僕らの世代が僕らの世代の新しい社会契約を結ぶべき時なのです。

これからは、GDPのような経済的指標だけでなく、どれだけ多くの人間が、意味のあると感じられる人生を送れているか・・といった指標で社会の進歩を測っていくべきです。だれもが自分の新しい挑戦ができる余地が与えられるような、ユニバーサルベーシック・インカムのような制度が検討されるべきだ。


https://www.youtube.com/watch?v=nFaCasVBvD8

http://www.huffingtonpost.jp/keizo-kuramoto/mark-zuckerberg-harvard-speech_b_16818864.html

人生を面白くする 本物の教養 (幻冬舎新書)


■戦略レベルというか鳥観図(大局観)を持たないと、人生を盗まれます


ちなみに、様々なお金に対する常識(偏見)は、高度成長期(敗戦からバブル崩壊までの50年間)という人類史上未曾有のラッキーで特異な期間に作り上げられた前提で、現代ではまったく機能していないことを念頭に置かないと、人生を盗まれてしまうということも同時に書かれていました。僕は、中沢新一先生に、大学卒業の時に送られた言葉が忘れられないんですが・・・・・それは、


ナポレオンのような将軍になりなさい。


という言葉でした。将軍とは、地形を読み取り、その先を予測して、大局的な視点で、何が重要かを見極めて行動すること。そうでなければ、


会社に、組織に、人生を盗まれてしまいます。会社や組織は、あなたの人生を盗むために存在しているのです。


と。いやはやシニカルですが(笑)、個人が自由を得て生きていく上では、正しい認識だと思います。将軍のような大局観を持たなければ、人生を盗まれるだけなんだ、というのは、非常に正しい。でも、大局観をどう育てるか?というのは、もちろん、歴史に学べとか言う不なしになるんですが・・・・・日本において、構造的なことを言うと、僕らは以下のような大きな時代の構造の切り替えというか変化の時期に生きています。


1)冷戦構造(大枠)⇒冷戦終結


2)若い指導者⇒指導者の高令化


3)アメリカに追いつけ追い越せのキャッチアップ戦略⇒自分で考えなければならない課題先進国


4)人口の増加⇒人口の現象


5)朝鮮特需⇒特需なし


6)ドッジライン(緊縮財政)⇒放漫財政


7)高度成長⇒なし


日本の高度成長は、人類史でも稀な、このラッキーセブンがそろった幸運な大成功であり、現代は、これがすべて逆になっています。そんな中で同じ常識を前提に考えていると、人生の失敗確率が高くなる。僕らの世界観や常識、、、、何よりも欲望や、苦しみ、承継、様々なものは、「これ」とリンクしています。なぜならば、僕らは、「ここ」に生きているからですね。常に、時代の構造変化は、少しずれているものです。その大きな対極の変化に気づかないと、本当に、無駄なことをし続けたりすることになります。だから、こういう大局観や歴史観は本当に必要なんですよね。本当にしみじみ思います。僕もずっと、このブログでいろいろな物語の分析を続けていますが、1980-2010年代の間の重要な変化は、やはり、成長を至上とする高度成長の外部要因が前提に成り立っていたもので、それがガタガタに崩れていくのが今の時代の背景なんですよね。それは、物語類型の世界でも同じであれば、ビジネスの世界でも、僕らのリアルな人生でも、すべて同じです。こういう大きなパラダイム、潮流があるんだ、ということを認識していないと人生を盗まれてしまうと思うんですよ。究極の目標を、人は見誤ってはいけないとも運ですよね。それは、幸せに、楽しく生きること。そのためには「自分」を積み重ねて鍛え上げていかなければなりません。自分の主観が豊かにならなければ、どんなに成功しても、お金があっても、敵に打ち勝っても、幸せに離れません。所詮、次に駆り立てられるだけです。「自分」の中に空洞があるのが、構造的な人間であり、すべては死せる空虚をたたえているからです。

大局観 (日経ビジネス人文庫)

ちなみに、出口治明さんの本で最初に読むのは、僕は、下記の『「思考軸」をつくれ ― あの人が「瞬時の判断」を誤らない理由』がおすすめです。僕も最初に読んだのがこの本でした。思考の軸、大局観、歴史を知る、どれも同じことですね。主体としての自分、主観としての自分、「自分」をちゃんと練り上げ育てあげる。そのための大きな手掛かりとして、人類の歴史を知る。そのための方法論ですが、最も王道にしての王道です。古典を読む、ですね。ちなみに、僕は、やっぱりアメリカに住みはじめたので、トクヴィルを読み始めています。あとは、ジョン・デューイとかレッシングその辺も、頑張ろうかなと思っています。読みたい本、見たい映画がありすぎるので、少し時間がかかるかもですが、やっぱり、「知る」を始めるなら原点の一番難しいところから始まらないとですね。

「思考軸」をつくれ ― あの人が「瞬時の判断」を誤らない理由