『戦後政治を終わらせる、永続敗戦のその先』 白井聡著  戦前の国体の現在への継続性について

戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ (NHK出版新書)

客観評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★4つ)

先日ラジオを聞いたら、めちゃくちゃ面白かったので、『永続敗戦論――戦後日本の核心』が読みたかったのだけれども、kindleがなかったので泣く泣く、これを。読了。新書だと、2日かからないな。


やはり過去の分析が、本当に秀逸。分かりやすい。


僕は、特に、ずっと敗戦直前の日本の指導者たちが「国体」について延々議論するんだけれども、この中身がさっぱりわからなかった。うーん、うーんと、この20年唸っていたんだけど、この定義はやはりあいまいだが、これが、見事に1945年後もそのまま継続していることに、日本社会の問題点があるという指摘は、おお!と唸るものがあった。連続性を考えると、戦後の政治が、すっきり整理されるからだ。GS的なるもの(GHQ民生局)とG2的なるもの(参謀第二部)の対立がそのまま継続しているという指摘も、戦後さえ維持を、きれいに整理できて、しかも非常に不に落ちるものだった。いやはや素晴らしかった。この国体をめぐる議論をちゃんと、それなりに背景文脈を理解して話さないと、小説でもなんでも、日本の意思決定をめぐる謎がさっぱり意味不明の神学論争に聞こえてしまうのだ。逆にこれが整理されると、一気に、この時代の議論の意味が、分かってくる。また日本社会の意思決定の問題点というかあり方が凝縮しているような決断なので、様々なことに関連付けられて、面白くなると僕は思っています。ちなみに、戦後の国体継続は、要は旧軍部、ファシストがそのまま生き延びたという話ですね。これは、冷戦(アジアでは熱戦)の最前線であった韓国と台湾の独裁政権の在り方を見るとよくわかる。戦争している最前線で、民主主義なんて甘ちょろいこと言ってられないというのは、それは、身もふたもない事実でしょう。

二つの祖国 第1巻 (新潮文庫 や 5-45)

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)


また、55年体制崩壊、冷戦終了後の世界の趨勢を、包摂と排除のシーソーゲームとして、経済思想史的に新自由主義が出てくる過程を説明するのも、素晴らしくクリアーで、おお!とうなった。


ただし、その後の安倍政権の批判及びその後の描き方は、いまいち曖昧。やっぱり、まだ観察されて歴史になっていないので、著者の情熱といういうか思いになってしまっていて、気持ちは理解できるし、指摘もつながりとしてはわかるが、だから日本の未来はそこに行くべきという姿がさっぱり僕には見えないし共感できなかった。唯一鋭いなと思ったのは、日本の政治の未来と最前線が、沖縄の現在にあるという点は、具体的で、おおっ!と唸るものだった。でもまぁ、やはり全体的に未来については、曖昧。


ただし、安倍政権のネオリベラリズム的対米従属についての問題点は、物凄くよく理解できた。論理がすごくシンプルなので、問題意識は、まさにその通りだと思う。従属が、自立を目指さない、留保も条件も付かない従属になってしまっては、だめだ、という指摘は鋭い。というか、まぁ当たり前だろうと思う。が、ではどうすれば?に関しては、批判のための批判以上には僕には思えなかった。単純な対米従属が、官僚や既得権益者の私物化というか権益確保になっているのは、確かにそうかもしれない。がしかし、代替案として、じゃあ多極化するのか?、アメリカ以外に相応しい同盟国や、スキームはあるのかといったことで考えていくと、現状の安倍政権は、かなりましなことをしている風に僕には思えてしまう。実際多極での外交ゲームに失敗して、アメリカに敵対して日本は戦争に突入して、孤立して、ボロボロになったわけなので・・・・単純な対米従属スキームの反対に行くことは、ロジックとしては、非常にわかるんだけれども、現実性があるのかなぁ?と思ってしまう。この問題意識は、『戦前日本の安全保障』で川田稔さんの問題意識と全く同じですよね。日本の地政学的な構造は、全く変わっていないんでしょう。もちろん、ドイツとEUのようにアジア諸国との関係性を再構築しなおして、東アジア共同体レベルの信頼を獲得していく方向性は、100年単位では、たぶん正しそうに見えます。でも、100年単位なんですよね。それに、それをさばききれるだけの国民の成熟度、外交能力等々が、現在の日本にあるかというと、、、、。


戦前日本の安全保障 (講談社現代新書)


とはいえ、現状分析のすばらしさは、やはりここでもそうで、特に、55年体制の対米従属のスキームが冷戦下で機能した、その機能の仕方の具体的な描写は、目から鱗だった!。彼の言い方でいうと、「対米従属を通しての自立」なのだが、この言葉は、自分の中では、エウレカ!というべきものだった。というのは、戦前の政治家の原敬の日記が、ずっと僕は気になっているのですが、それは、アメリカと同盟を組み、アメリカと戦略を共有していく方向性が、日本にとって最善の政策だろうと、彼は思うわけです。しかしながら、国力の規模が違いすぎて、どうしても対等にはならず、ほとんど奴隷のような立場になって従属して主体性がなくなってしまう、という構造が「アメリカとの関係」には常につきまとってしまう。アメリカに対等になるとすれば、自立経済圏を維持するしかないので、それはすなわち、山縣有朋らが考えた、物理的な中国大陸への侵略、アジア経済圏の支配が必要になってしまう。それくらいの国力がないと、アメリカとは対等にはなれない。が、それは、はっきり言って無理がありすぎる。ドイツ第三帝国の生存圏も同じ概念。


という矛盾の中で、従属、奴隷ではないアメリカとの付き合い方は、=アメリカ以上の侵略・帝国主義で自立経済圏を確保しなければならないとなってしまう。その二択?となって、原敬は、悩みこんでしまう。


しかし、米国に完膚なまでに負けて国力の差を思い知らされて、占領され従属してところで、吉田茂が考え出した日米安全保障のスキームは、「従属を通して自立を獲得する」こと。それは、冷戦下で確実な、主体性(=自立)として機能しえた。自民党が対米従属をし、第二党の社会党ソ連につくかも?というシーソーゲームを示すことで、米国、ソ連のどちらにも従属しない第三の選択肢を常に、ギリギリで持てる状態を作り出していたのが、冷戦の構造だった。


しかしながら、現在の対米従属路線には、冷戦下の特殊な構造であった主体の独立性を保つ構造がない。この条件下で、対米従属を進めると、日本にとって主体性がなくなる・・・いいかえれば、アメリカの都合のいいように振り回される道具となり下がってしまい、それに対する歯止めが効かない状態が出現する。なので、現在の構造は、だめだ、ということ。


うむ、これは非常にクリアーな分析だとおもう。安倍政権の集団的自衛権に対する明確な反論だろうとは思う。


が、、、、じゃあ、どうするの?というのは、上に書いたようにまったく僕にはわからなかった。書いてある話が、劣化した自民党である民主党や、排除の論理に傾倒した安倍政権のネオ自民党と、何が違うのか僕には全く理解できなかった。少なくとも論理のレベルでブレイクスルーを僕は何も感じない。だとすると、世界的なグローバリスムの流れ、その中で生まれる、包摂よりも排除への流れに乗った安倍政権は、とても最先端で、構造的に生まれてくる政権としか言いようがないので、好き嫌いはともかく、これは不可避ともいえる。だから全く同じ排除の論理でトランプさんが、大統領にこの分析の後になっている。


・・・・ということで、これはフランスのマカロンさんやカナダの首相の政治的な力学と目指すところ調べてみたいな、と思わせます。この排除の力学の中で、ネオリベラリズム新自由主義ではない、オルタナティヴを示していますから。


革命 仏大統領マクロンの思想と政策


永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫)