『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』シーズン3 USA 2008-2013 Vince Gilligan監督  2008-2013年のアメリカは、正しくあろうとあがくことで怪物になり下がっていく自分たちの虚無を見つめたのかもしれない

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評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』シーズン1-2 USA 2008-2013 Vince Gilligan監督 みんな自分の居場所を守るためにがんばっているだけなのに - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

上記の続きで、今回からはかなりんネタバレになるので、見ていない人は、前の記事だけにとどめるか、ぜひともドラマを見てください。現在、2019年の1月23日。順調に、シーズン3-4まで消化。


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■シーズン1を見ていると苦しくて見ていられないほどなのに、何がそんなにアメリカで受けたのだろうか?(この物語のコアとは?)


アメリカ史上、最大の評価を受けたドラマ、といわれるほどの人気だったブレイキングバッド。

衝撃的かつ独創的な映像世界で米国TV界を席巻した大ヒット・シリーズ「ブレイキング・バッド」は、2008年より、「マッドメン」や「ウォーキング・デッド」など質の高い人気シリーズを輩出しているベーシック・ケーブル局AMCで放送スタート。直後から視聴者の爆発的な人気と共に批評家が熱狂し、同局のオリジナル番組のブランドを決定付けたモニュメント的な作品だ。2013年に全5シーズンで完結するまでには数々の主要なアワードに輝き、2013年、2014年にはエミー賞作品賞を2年連続受賞、2014年にはゴールデングローブ賞の作品賞を受賞するという快挙を成し遂げた。中でも、主演のブライアン・クランストンの熱演は鬼気迫るものがあり、”近年のハリウッドで最も素晴らしい演技”と放送開始当初より各方面から絶賛の嵐。エミー賞では主演男優賞を4度受賞したほか、相棒役のアーロン・ポールも同賞助演男優賞を3度獲得して記憶に残る名演を披露している。麻薬組織に銃撃戦やバイオレンスなど派手に魅せる過激な描写もさることながら、家族のドラマや追い詰められた人間の心理に誰もが自分を重ね合わせることができる人生の皮肉と残酷さを伝えて、普遍的な感動を呼ぶ本作。番組の生みの親であるヴィンス・ギリガンのブラックなテイストとユーモア、鋭く現代社会の問題をつく視点も秀逸な、アメリカTV史にその名を残す傑作シリーズだ。

スーパー!ドラマTV 海外ドラマ:ブレイキング・バッド

僕自身も、これを見始めたと同僚に行ったら、毎回どこまでいった?と聞かれ、熱いトークが生まれる(まさに今現在毎週聞かれる(笑))ので、会話のためのネタではなく、本当に好きなんだな、と驚いたんですが、、、こんなに一つのドラマで会話のネタがずっと続くのは、ゲームオブスローン以来。このドラマが、いかにアメリカ人の中で深く心に刺さったかが感じられます。まぁ、僕の周りだけなので(笑)、アメリカ人と大仰にくくるのは無理かもしれないですが、いろいろ記事を見ていても、このクラスの人気は、ここ最近だと『ウォーキングデッド』と『ゲームオブスローン』くらいかなぁ、と思います。まぁ僕もまだまだアメリカのドラマは初心者クラスなんで、コツコツこの世界に触れ続けていると、いろいろ出てくるかもしれないですが、いやはや『ブレイキングバッド』は、本当にたくさんの人が、ナンバーワンに挙げる作品です。

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とはいえ、実は、最初ちょっと不思議でした。


シーズン1を見始めたとき、ちょっと後悔したんです。というのは、末期に近い肺がんのウォルター・ホワイトの「余命がない中で」、さまざまなことに心が揺れ動くシーンの連続は、もう見ているのがつらくてつらくて、、、、。それでも見続けるし、しかも、やめられないほど面白い。。。。とはいえでも「苦しいんです」。周りにがんで亡くなった人がいるわけでもないのに、これほど夜寝ればくなるほどの苦しさ。僕は、何度もうやめちゃおうかな、と思うほどでした。これ、苦しすぎて、見るのあきらめた人、いっぱいいるんじゃないか?と思ったんですね。実際、絶対いると思うんですよね。


でも、アメリカでこのドラマの人気の出方は、どちらかというと口コミでじわじわ広がっていって、ものすごく深い共感と理解に支えられて大ヒットしていった感じなんですよ。実際、僕の友人連中の、テーマや内容について、共感や言いたいことがあって、何回も話し込むところからいって、「単に面白いから」というエンターテイメントを超えた、時代の広範な要請とリンクしている感じがします。あっ、言ってみれば、日本の1990年代の『新世紀エヴァンゲリオン』のアダルトチルドレン的な感性への共感とシンクロみたいな、物語のコアの部分が、物語の枠を超えて、「その時代」のテーマと大きく結びついていた感じ。


「物語のトンネル」に耐えられない人は増えているのか?:弱いなら弱いままで。:海燕のチャンネル(海燕) - ニコニコチャンネル:エンタメ

物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いのかもしれない - ジゴワットレポート


こういう物凄く暗く、苦しく、重いにもかかわらず、凄まじい共感と反響を呼ぶ作品が、長く愛されたりするのを見ると、ああ、やっぱり物語の価値は、物語が受け入れられるかどうかは、結局のところ「質」であり「おもしろさ(その深み)」何だよなぁ、としみじみ思います。つい最近、「物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いのかもしれない」という話題が、語られていたが、もちろん、そういう人が一定数必ずいるのは事実だと思うんですが、まぁ、そんなの作り手側、クリエイターが気にする必要性って全くないよなぁ、と僕は思います。比率的に、あまり議論する価値がない感じがする。なので、あまり価値がある議論には、思えない。「そういう人もいる」というだけの話。トンネルに入ったくらいで、物語が見れなくなるということは、基本的には、その物語がいまいちだからだと思うんです。もしくは、単純にその人の、その時の嗜好に会わなかっただけ。


もちろん、時代的な感性として、一部を少し超えて、物語のカタルシスにつながるまでの「しこみ」みたいな苦しさに耐えられない(乃木坂春香の話で、僕らはそんなに弱くない!とずっと語ってますね、アズキアライアカデミアのラジオの方で)感性があることは事実だとは思います。けどそれって、結局のところ、受け手が、エンターテイメントに何を求めているか?と問うたときに、日常の仕事とか現実が苦しいので、せめて物語の世界では、楽しいこと見ていた!という要望。もしくは、その逆で、波風のない日常では味わえ内容のは、波乱万丈のワクワクドキドキが見たい!とか、、、まぁ、物語全般に受け手が望む態度の一つに過ぎないので、まぁ、ここで言えることは「いろんな人がいる」というだけのこと(笑)。人類は、ずっと昔の古典や物語を振り返れば、まぁ、やっぱり楽しさも、怖さも、ハラハラドキドキも、みんな見たいんですよ。なので、一時代の、少しの傾向を見ても仕方がないんだと思います。一時期のマーケティング分析的な、分析って本当に害悪だとおもう。だって、それに「合わせて」調整して作品を創造したり、ただ儲ければいいといって作品を創るのは、「創造する」という仕事に携わる立場から言って、とても難しいと思うので。


って話がずれた。


えっと、このめちゃくちゃ見ていると苦しくなるところに、いったいどんな、2008-2013年ごろのアメリカをシンクロさせるような、背景があったんだろう?、とちょっと考え込んでいたんです。。。だって、こんなに見るのがつらいのに、大人気を、しかも口コミでするなんて、なんらかの社会的にシンクロする大きな背景があったんじゃないか、と思うってしまうからです。そういう背景から、この物語のコアは何だったんだろう?という疑問を少し温めていました。


そこで、いろんな友人に話してみて、数人の友人から、全く前提を振っていないのに、同じ解釈を聞かされたので、たぶん「この解釈」がそれなりに当てはまっているのだろと思うのですが、それは、アメリカのドラマにおいて、主人公が明らかな悪人で、かつその悪人の内面を徹底的に描いて、それが落ちるところまで落ちていく過程をすべて、描き切った作品は、これが初めてだとおもう、ということでした。いろいろな言い方をしていましたが、みんな言うポイントは、主人公のウォルター・ホワイトがもうひどいくらいの「悪人」それも「極悪人」であるのですが、


・主人公が言い訳しようがない極悪人であるにもかかわらず、ずっとその内面を赤裸々に追い続けている

・主人公は最初から悪人だったわけではなく、「家族を守るため」という真摯で正義の目的のために、どんどん「悪人」になっている

・極悪人が主人公なのに、だれもが共感し、人気が出続けた
(正義の味方スーパーマン!大好きなアメリカではありえないこと!)


このようなポイントです。ようは、正義大好きのアメリカ人にはありえないくらいの、極悪人の内面過程が、ずっと描かれるのに、人気が出たというエポックメイキングな作品だ、というのです。


ちなみに、この議論は、『アナと雪の女王』で、僕は一度描いていますよね。まさに同じ話です。


petronius.hatenablog.com


アナと雪の女王』の最も重要なポイントは、これだけ人気が出たにもかかわらず、雪の女王という怪物になり果てたエルサの内面と、そこに追いやられた具体的なエピソードが、とても肯定的に悲しく描かれているところですね。それまでだったら、退治して、殺すだけの対象だった邪悪な魔女のことがこれほど肯定的に、というか、「そうとしかあれなかった」家庭が描かれるのは、画期的なことだといわれました。アメリカ社会の、善悪二元論、、、単純に正義だけで割り切れなくなった感性が、本当に広がりを見せているのだな、と思います。

アナと雪の女王 (字幕版)



■Be a man! 報われることが一切なくとも、家族のために戦い続けろ、それが男というものだ


さて、「極悪人の内面過程を描いた!」というのは、具体的にどういうことを言っているのでしょうか?


この作品の「始まり」であり「ボトムライン」は、気の弱い?ウォルター・ホワイトというだつの上がらない公立の化学教師、けれども善良で、それほどエゴを主張しないような、、、、そういう存在が、「家族を守り、自分の死後、家族が安楽に暮らせるように」という目的ではじめた、メス(麻薬)づくりに、深く深くコミットして、逃げられなくなっていくというお話です。つまり、先ほど説明した、フローズンの「エルサ」と同じ話なんです。魔女といわれるような存在。害をなす、邪悪な存在。それを倒すことで、物語はカタルシスを得てきましたし、そういった悪と正義という二元的対立が、人々をとても共感させる類型です。けれども、成熟してきた、そして自らの正義を疑うようになった米国の現在は、「ではその魔女はなぜそうなってしまったのか?」を丁寧に考えるようになりました。Let it be(ありのままで)という言葉は、とても投げやりで、もうどうしようもなくなったというニュアンスにたしかに聞こえます。エルサが雪の女王という魔女になり果てるのは、「そうとしか生きることができなかった」悲しみと苦しさが隠れています。エルサの子供の頃や育つ過程を見れば、彼女が妹と国を愛するとてもやさしい人であるのがわかり、、、彼女に選択肢も逃げ道もなかったのがわかります。けど、邪悪な存在は、うち滅ぼされ、殺され、、、そしてめでたしめでたしとなります。日本における勇者と魔王という二元論で、魔王は、なぜ魔王になったのか?と考えるのと同じことだろうと思います。本当に成熟した物語類型では、悪はなぜそうなってしまったのか?が問いかけられるようになります。


では、ウォルター・ホワイトは、なぜそんな極悪人になったんでしょうか?。


僕は、ウォルターの仕事を評価し、彼に深くコミットさせようと、麻薬ディーラーの大ボスの一人であるグスタボ・"ガス"・フリング(ジャンカルロ・エスポジート(Giancarlo Esposito))が、彼を説得するときの言葉や理由に、この作品おテーマが、これでもかとえぐられるように表現されていると思います。ちなみに、ガス、カッコよすぎて、やばすぎです。このあと、スピンオフの作品『ベター・コール・ソウル』(Better Call Saul)がつくられるのは、ますが、わき役陣があまりに素晴らしすぎて、スピンオフができるのはよくわかります。特に、僕は、ガスが見てていつもドキドキします。こんなに格が落ちない悪役というのは珍しいと思います。なんというか理想の、悪のラスボスです。容赦なさ過ぎ。

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話を戻します。ウォルター・ホワイトは、なぜそんな極悪人になったのか?



ザ、マッチョイムズだ、と僕はツイッターでつぶやいたんですが、何とかなしい話だろうと、グッときました。友人が、涙目で、男は強く、家族を守る存在であれ!と言われたら、逃げられないよ、としみじみいっていて、そんなに深く刺さる言葉なんだぁ、、と感慨深かったです。3人ぐらい同じ話さをされたので、みんなここにグッとくるようです。ああ、全員、アメリカ人で、男性で、白人でしたね(笑)。しかもみんな「たとえ報われなくとも!」というところで、涙するようです(笑)。ちなみに、僕もほんと胸に刺さった。


もう既にね、リベラリズムが広がった成熟した現代(2019年)とかで、男らしくあれ!とか、男が女子供を守るんだ!なんて言説は解体されて、ちょっと笑えるような「大きな物語」で、既に時代遅れだというのは、みんな思っていると思うんですよ。けれどもね、たぶん、それなりの年代の人は、この価値観で「すでに育って」しまっているので、もう時代が全く意味をなさないとわかっていても、この桎梏から逃げられないんだろうと思うんですよ。


しかも、「男であれ!!!(Be a man!)」というセリフが成り立つ、というか、法律も常識も何も守ってくれない殺し合いの世界では、これが成り立ってしまうんですよ。それを、この弱肉強食の世界で生きている、大先輩である先達、ガスに、激しく言われたときに、ウォルター・ホワイトは、胸に刺さるんですね。戦いの世界で、ルールがなければ、マッチョイムズというか、強さこそすべてという荒々しさになってしまいやすいですもの。


しかも、、、、運がいいというか、とても悪いことに、ブルーメスという特別な麻薬を作る、才能が、ウォルターにはあったんです。


才能がある、、、言い換えれば、やろうと思えば、彼は、その世界で強者として、弱者を踏みつけ生き抜いて、家族を守ることができるんです。できなければ、破滅です。なら「やる」しか、選択肢がないんですよ。そう追い詰められて、シーズン3で、ずっと、自分が犯罪者であることが受け入れられなくて、常識にうろたえていた、ウォルターに少しづつ覚悟が芽生え始めます。


その覚悟とはすなわち、自分の家族を守るために、自分の才能を徹底的に使い、極悪人として、邪悪な存在になる覚悟です。シーズン3は、この過程が、じわじわ見ることができます。しかも「才能がある」ということの怖さが、とてもここで描かれている気がしました。というのは、最初は「家族に財産を残す、守る」という消極的な、受け身の姿勢であったんですが、どんどん麻薬の世界に深入りしていくにつれて、自分がその世界で特殊な才能を持つことがわかってくるんですね。そこで、、、、彼は強い自信とプライドを、、、それもものすごく強く持つようになっていくんです。なぜかといったら、才能があるから、現実を動かす能力があるからなんですね。そして、それにおぼれ、それにからめとられ、それに支配されていく過程が、とても丁寧に描かれます。じわじわと、「自分の思いどおりにならない」ことに対するいらだちと怒りが、彼を支配していき、、、自分がコントロール、支配できるように、何が必要かを、倫理も道徳も吹っ飛ばして、行うようになっていきます。



■どんなに受け入れがたくても現実を直視して覚悟を持たなければ、人生は最悪に転がり落ちる-Half Measures(中途半端)からFull Measure(肝が据わった本気)に


シーズン3の最後の数話、31:Abiquiu(悪の住む町)、32:Half Measures(憎しみの連鎖)、33:Full Measure(向けられた銃口)から、シーズン4の第1話、Box Cutter(ガスの怒り)までは、もう止められなくて夜中の3時までかかってみてしまった。というのは、シーズン3全体というのは、なんというか陰鬱で、どんどん状況が悪くなっていくさまが描かれていくのだけれども、その最悪の現実を直視して、覚悟が決まるのが、33話(シーズン3の13話)だったので、スカッとしたカタルシスが得られるのだ。状況はさらに悪くなってはいるんだけれども(笑)、でもそもそも、既に本当は抜け出ることができないところまで来てしまったいるから、覚悟を決めるしかなかった。


しかし、現実を直視できなくて、言い換えれば「そうなってしまった自分」を受け入れることができなくて、つじつま合わせを繰り返しているうちに、人生は最悪のところまで転がり落ちてしまう。これシーズン3の最終話は、既に積んでいる状況で、このままいけばグスタボ・"ガス"・フリングに殺されただろう。そして、ある覚悟で、13話に「手を下す」ことになるのだが、これはもっと状況を悪くして、即ガスに殺されそうになる。でも、最悪のピンチを、素早い決断の連続で、切り抜ける。


これをみて、ああ、人間というのは、現実を直視して「覚悟」が決まっていないと、人生の坂を転がり落ちてどんどんだめになるのだなぁ、としみじみ思った。状況自体は、シーズン3中でも最悪になったのにもかかわらず、切り抜ける覚悟があるのは、「手を下す」「自分が手を汚す」覚悟が、腹が決まったからだと思う。そして、人生は、その通りだと思う。


実際、この作品で、ほとんどのトラブルは、パートナーのジェシー・ピンクマン(アーロン・ポール)が、引き起こしているのだけれども、彼が、なぜいいつもどんどん人生が、悪い方向に転げ落ちていくのかは、彼が基本的に中途半端にいい人で、優しい人であるがゆえに、覚悟が決まっていないので、坂を転がり落ちる雪山の雪だるまのように、悪くなっていのだく。


日本語タイトルには反映していないが、この中途半端はだめだ、というのが、シーズン3の最重要テーマになっているのは、英語でセリフを聞いて、英語タイトルを見れば、はっきりしている。32:Half Measures(憎しみの連鎖)と33:Full Measure(向けられた銃口)は、中途半端から、中途半端じゃなくなるというウォルター・ホワイト(ブライアン・クランストン)の心理状況を表している。


ここでいう本気は、「手を汚す覚悟」があるかどうか、だ。いつ死ぬか、殺されるかわからない状況では、即時の判断は、肝が座っているかどうかで決まる。ウォルターが、自分がはっきりと、この犯罪の罪を自らの手で御し、責任を引き受けるということだ。それができないこと、「現実を受け入れられないこと」は、30話:Fly(かなわぬ最後)で、「どこで間違えたのか、、、、」「どこで終わっていれば(=死んでいれば)」自分の幻想や嘘がきれいに終わったのだろう、と自問して、おかしくなっていくさまが描かれているが、ジェーン・マーゴリス(クリステン・リッター)を見殺しにした時点で、もう引き返せないところに来たのだ。


メスの販売もそうだが、自分の手を汚していないように見えることで、家族のためという言い訳を繰り返すことで、まだ犯罪者を相手にしているのだからいいのだ、と繰り返すことで、「現実を直視すること」から逃げているから、苦しくなるのだ。現実に踏み出す決断をしたら、その決断の「引き起こした現実」は、どんなに自分が望まなくとも、すべて自部の責任だと認識して生きていかなければ、人はナルシシズムの世界に住むことになる。もちろんそれは過酷なことだ、「なぜ自分がそうあらねばならないのか?」と苦しむことにはなるかもしれないが、けれども、そうして逃避していく先は、ジャンキーのように人生のコントロールを失って、どん底へ落ちていくだけなんだろう。たぶん、人は、やさしいから、中途半端になる。現実に起こって知ったからと言って、いきなりギャングや殺人者になることはできない。でも、きっと、その覚悟が決まらなければ、最初から一歩踏み出すべきではなかったし、すぐにでもすべてをぶちまけて警察に自首すべきだったのだ。「そうでない」ならば、自分の手を汚す覚悟をする以外は、方法はない。もしくは、そういう弱肉強食のみの犯罪の世界では、捕食され、殺される以外道はない。



■2008-2013年のアメリカは、正しくあろうとあがくことで怪物になり下がっていく自分たちの虚無を見つめたのかもしれない


ブレイキングバッドが放送された2008年から2013年と書くと、物凄く象徴的に思えます。2008年のリーマンショックにはじまり、第44代バラク・オバマ大統領(2009-2017)の下で「正しくあろう!」と思い続けたアメリカは、最終的には45代ドナルド・トランプ大統領を2016年に選ぶことになります。この辺りの大きな流れは、とても象徴的だと思いませんか?。ちなみにthe financial crisis of 2007–2008、subprime mortgage crisisといって、リーマンショックというのは、ほとんど通じない気がします。正式なのは何というのでしょうか。


ええと、もう一度最初の問題意識に戻ります。この作品のコアは何だったのだろう?。なぜ、アメリカでこんなにも同時代的に支持されたのだろうか?と問う時に、ウォルター・ホワイトという典型的な優しい中産階級に属すると普通の男が、何一つ悪いことも、ひどいこともしていないにもかかわらず、病気になっただけで、家族が破滅する破産の危機にさらされます。オバマ大統領が、徹底的に進めたけれども、果たせなくて骨抜きにあった公的医療保険のことを思うと、この物語の背景は、まさに当時の、そして今のアメリカの現在の問題意識を貫いています。病気になった、ただそれだけで、ウォルター・ホワイトは、人生が崩壊しています。中産階級に属する普通の人生だと思っていたのが、実は、プアホワイトになっていた、もう家族も含めて未来が全くない状況に追い詰められているのです。



そこで、、、、、家族を守るため、最初は自分の為ですらないという、とても正しい動機で、彼は怪物になっていきます。



そこには常に、「誰が!、何が!悪かったんだ!!!」という悲痛な叫びが聞こえてくるようです。



そして、倫理と道徳を捨てて、ただひたすらに弱肉強食で生きると覚悟を定めた時に、弱々しい存在だと思っていたウォルター・ホワイトは、凄まじい才能を発揮します。オバマ政権からトランプ政権を選んだ、アメリカの中産階級の、投げやりな、けれども、、、、という感じがめちゃくちゃシンクロするように感じます。この文脈で考えると、共和党とドナルドトランプさんが、ラストベルトやプアホワイトに支持されたというストーリは、色々感じるところがあります。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち


ちなみに、ウォルターの妻のスカイラーを、見ていると、とてもローマを思い出しました。これも素晴らしいドラマなのでおすすめです。こういう赤裸々な人々の欲望が展開する群像劇は、なんというか、「こっち」のお話だなーとしみじみ思います。「こっち」って、どっち?(笑)と思ってしまうんですが。日本じゃないって感じ、で(笑)。


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