『家康、江戸を建てる』 門井 慶喜著 武官ではなく文官、テクノクラートの目的意識は、生涯は、個人を超えるスケールで

家康、江戸を建てる (祥伝社文庫)

客観評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


華々しい武官に歴史は焦点が当てられがちだが、江戸という大都市を作り上げた文化、テクノクラートたちを描く小説。豊臣秀吉のにより関東へ国替された徳川家康が広大なフロンティアである低湿地を開拓し徳川260年の礎を築く姿を5つの短編エピソードで描く。非常に短くて、数時間で読める。軽めの小説なので、読みやすいので歴史小説まで行くと重いなーと思う人にもおすすめ。僕は門井さんの作品はこれしか読んでいないけど、目のつけ所から言って、この人の外の作品も読んでみたいところ。誰に紹介されたか忘れてしまったけれども、友人の紹介で買ってあったのだが、積んでおいてよかった。


全体としての構成もいいのだが、特に自分的に印象に残ったのは、利根川の東遷を手がけた伊奈忠次の話がにとても感銘をうけた。ちなみに、目で見たほうが、sあらにわかりやすいし、関東に住んでいる人はすぐ実感できるので、下のYoutubeの映像なども同時に見るといい感じ。低湿地帯であった江戸を開拓するために、巨大な河川を捻じ曲げるという大治水事業。伊奈家の4代に継続して行われる大プロジェクトなのだが、「世界の基礎構造を変える」というものが、「数世代を超えてかかる仕事」であって、個人の思いや英雄願望、「自分の代で何とかする」などというエゴを超えたものであるのが、まざまざと感じられる。これは、「家」をベースに、軽いテンポで世代を超えている小説だからできる「視点」で、個人の視点ではなかなか描けないだろうなとしみじみした。単純に言えば、物語にしにくい。個人の動機と体験を超えた話になるから。

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ちょうど今、物語の最前線を考えて「脱英雄譚」と「新世界系」のテーマを再整理しているのだけれども、その中で分かってきた共通する文脈として、「殺し合いが続くような残酷な現実」というものを変えるには、


「自分が生きているうちにはできない」(自分はあきらめなければならない)


「自分を超えたレベルの世界の変化にバトンをつないでいくしかない」(自分の世代では成し遂げられないことにコミットする)




というの前提なのだというのがわかってきた。これは、ネガティブとポジティブの角度から、2010年代の大きな物語類型の基調低音だったと思われる。


ネガティブには、何も報われない低成長且つパイの分配がない(リソースがない)既得権益の奪い合いの社会背景から、未来に希望がないので、「自分は成長できない=主人公ではない」という自意識が広がった。世界を救う方法が「全くない世界」というのは、言い換えれば主人公である可能性は確実にないという世界。そういう世界で、成長が!とかビルドゥングスロマンの王道を語られても、誰も共感できなくなっていたのだ。その逃避行動として、成長がない世界でチートでハーレムを目指したり(男の子)、女の子だけの関係性の世界で戯れたり(日常系)して、世界の救済や成長をあきらめるという選択肢も発達しました。とりわけ、男の子は、冨野由悠季さんのガンダムのテーマで、特にカミーユ君の発狂で、心を折られてしまっていて、なかなか成長しよう頑張ろうという気力が生まれなくなったみたいです。それくらい、心折られ方が大きかった(笑)。男性が「世界を救う」主人公特権を一心にになっていた既得権益者だっただけに、責任が重すぎてその絶望も深くなった模様です。そのかわり、セーラームーンプリキュアのように、女の子の方のまだ戦う動機を持っていて、そういった物語が展開するのですが・・・・『結城友奈は勇者である』『魔法少女育成計画』『魔法少女まどか☆マギカ』のルートで、ひたすら残酷な世界に直面させて女の子を苛め抜いて、世界の残酷さを悟らせる系統が発達しました。女の子は、それでもなかなか折れないのは、男性と違って主人公特権の既得権益者じゃないので、そもそもアドバンテージない存在なので、打たれ強いのだろうと思います。時代的に、女の子の方が世界を救う勇者に向いているので、、、それ以上に世界の残酷さを感じさせるために、悲惨な目に合わせる度合いがエスカレートしていったんだと思います(苦笑)。


ただ、ポジティブな視点もあります。主人公にはなれないという個々の絶望ではなく、逆の発想で「一人で責任を背負おうとするから、世界は救えなくなっているのじゃないか?」という視点です。これもガンダムサーガや僕の好きなのでは『魔法先生ネギま』『UQホルダー』、『ガッチチャマンクラウズ』などで明確に出ているのですが、ようは、主人公という超絶パワーの個人で解決できることを超えたレベルの解決方法ならば、世界は救えるんじゃないか?。


この場合は、ガンダムのテーゼでは、「戦争を止められる」んじゃないかという形で表れていきます。答えは出ていて、バランスオブパワーが成り立つ3つ以上の勢力によう勢力均衡、その後、地球連邦政府(統一政府の樹立)、その過程でリソース、既得権益の奪い合いにならないように、軌道エレベーター、太陽光エネルギーの人類レベルでの設置によるエネルギー不足の解消、土地の不足に関する争いを避けるためにフロンティアの設定として、スペースコロニーテラフォーミングによる他の惑星への開発、、、、等々の人類の成長(=リソースの奪い合いによる内ゲバの回避)に軌道を乗せる技術の大イノヴェーションと、それを社会に実装する長く、広く、深い展開。「これをすれば」、人類は、前に進める。残酷で苦しんでいる現実を「変えること」ができるのはわかってきました。

ちなみに、ガンダムのテーゼには、もう2つ「人類の革新(分かり合えれば殺しあわない)」と「個人が最後に帰るところがどこにあるのか?」という3つを僕は想定しているんですが、その話も長いので、また今度。

劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-


が、ここで重要なのは、「閉じ込められて抜け出ることができない」過酷な現在という現実は、「自分一人では為せない」だけでなく「自分の生きているうちには終わらない」というマクロの大事業になります。


いいかえれば、主人公としての特権、、、、自分が勇者に、英雄になって、「世界を救う」ことを断念しないと、「英雄を排してみんなで新しい世界を建設する物語」が始まりません、「英雄を排してみんなで新しい世界を建設する物語」がすなわち、脱英雄譚の本質だと僕は考えています。


長くなるので、この話は、また。


なので、この江戸の町を建設したテクノクラートたちの、「世代を超えて」自分が生きているうちに「完成を見ることができない」物語にコミットすることに僕が感動したのが理解していただけますでしょうか。



個人的には、囲碁棋士で天文暦学者の渋川春海を描いた冲方丁の『天地明察』や、『風雲児たち』の会津藩保科正之(秀忠の実子にして徳川幕府の基礎を作った男)のエピソードを同時に見たい感じです。

天地明察(特別合本版) (角川文庫)

petronius.hatenablog.com


何もなかったフロンティアであり、土地が有効利用できな湿地帯であった江戸が、現在の成長し続ける「東京」に作り替えられていくさまが、素晴らしかった。東京に住んでいれば、「あの地名」はそういう意味だったのか!と、既視感がビシバシある。『風雲児たち』の「薩摩義士の宝暦治水」の話を同時に読みたいところです。


風雲児たち 第30巻 外伝宝暦治水伝 (希望コミックス)


戦国小町苦労譚 1 邂逅の時 (アース・スターノベル)


ちなみに、どうでもいいというか枝葉のことなのですが、なろうの『戦国小町苦労譚』が好きで、こつこつ読んでいるんですが、こういう内政チートものってのも、やっぱり視点は、文官のテクノクラートの視点が面白いんだよね。物語としてはダイナミズムが弱いので、なんで好きでこんな量を読むのか、自分でもわからないんですが、こういう内政チート物のおもしろさって、やっぱり「世界を変える」には、構造の基礎から変えないと変わらないという「気の長さ」が、やっぱりそれだよなーとしみじみ実感するからだろうと思う。


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