『十三機兵防衛圏(13 Sentinels: Aegis Rim)』神谷盛治 全部盛りに全部盛り込んだ古き素晴らしきSFの古典的な風格を感じさせる大作

十三機兵防衛圏 - PS4


客観評価:★★★★★5つマスターピース
(僕的主観:★★★★★5つマスターピース

まともにPS4とかちゃんとしたハードのゲームをクリアのって、体感的には15年ぶりくらいだと思うし、ちゃんと終わらせたという意味では、ほんとめずらしい。きっかけは、自分の周りの人が、このゲームをやっていて、激賞しているケースが目立ったからなんですが、そういうことはままある。けれど、分刻みで生きていそうなクリエイター系の人が、軒並み待ちに待っていた!という感じで、クリアーしているのを見て、、、あれ、これそんなに凄いの?と思ったことだ。ダメ押しは、僕のビジネス関連の知り合いの(オタクとかにあまり興味ない)人が、これはやっておかなきゃとすすめているのを聞いて、これは「縁」だな、と思って、踏み切ったのでした。まぁ、最後の決め手は、まぎぃさんがおすすめしてくれたのと、友人がアメリカに遊びに来てくれるついでに買ってきてくれたことでしたね。とはいえ、僕の人生に大きな、変化というか、違いをもたらす出来事になりました。ゲームやれるんだ!と自分のなかで、一つの自信というか実績が生まれたので。いままでゲームは時間とられすぎるので、かなりへじっていたのですが、少しは組み込めるな、と思ったのは大きい。『MUSICUS!』『DEATH STRANDING』『The Last of Us』なんかをやろうと意識の中に積んであります。僕の、好きな物語やエンタメの消費の「人生ルール」は、「より広く、しかし薄くなる代わりに個々のは深く」というスタンスなので、なるべく「縁」で出会った様々なやつを、網羅して、深堀して、世界を感じ取れたらいいなという感じですね。広く手を広げると、「何を選ぶか」という選択の問題や、どうしても理解や体験が「浅くなる」という問題があるのですが、その辺はいつも悩ましくおもっているところです。しかし、すべては偶然という名の「縁」で、今回はこの作品を手に取れて、やれたことは運が良かった。


ちなみに、ペトロニウス個人評価は、既に出ていますが、ペトロニウスの名にかけて傑作です。機会があれば、やらないともったいないくらいの名作だと思います。比治山隆俊くんと沖野司くんが、とても好きでした。とにかくみんな買おうよ!。これ、素晴らしい作品です。クリエイターの思いが、細かいところまですさまじく根が張っている繊細なのに、スケール壮大。素晴らしいです。


うーんとですね、、、いつも僕は意味不明の戯言が多いんですが、何が言いたいかのコアは、15年くらいまともにゲームをやったことなかったペトロニウスが、あまりにみんないいっていうので、思わず買ってしまって、しかも始めてしまって、そんでもって、終わらせてしまった!、その選択に公開なし!とか思うような面白さだったので、皆さん、ぜひともやってみましょう!ということが言いたいだけなんです、究極的には、


とにかく、クリエイターのものづくりへのこだわりが、貫徹している感じがするのですが、そのあたりは下記の漫画を見ると経緯がわかって面白いです。


13sar.jp



さて、以降は、ジャーゴンというか内輪のテクニカルターム多すぎでと過去のブログを読んでいないと、???なので、まぁ、読みたい人はどうぞ(笑)。


ただ、全編プレイしていて、不思議な感慨がありました。これだけの大作の風格、練りに練りこまれた物語のち密さとダイナミックさにもかかわらず、まったく「時代性」というものを感じないのです。うまく伝わらないかもしれませんが、僕のブログが、常に「同時代性の背景にある文脈」との関連づけで批評をしていることからすると、これほど「時代性の文脈を感じない」作品って、めずらしいんですよ。クリエイターの狂気が宿りまくっている大作であるにもかかわらずです。だから常に友人と話している時のキーワードは、「古き良き傑作SFの古典の風格」という言い方をしていました。えっとね、仕事の休みのちょっとした息抜きで書いているので、時間ないので端折りますが、『天気の子』とか『アルキメデスの大戦』とか、セカイ系の系列で話してましたし、オルフェンズは、新世界系の文脈で話していましたよね?。そういうのが、全く感じないんです。全く感じないのと、古臭いというのは異なります。「全部盛り」とタイトルに乗せたとおり、ループの脱出劇ものとしては、最前線にして完成形の一つといっても過言ではない、「これまでにあった問題意識やガジェッド、パターン」を全部盛りにもっていて、やればわかりますが、そこまで「盛るか!」というぐらい、これまでのこの系統の知見が考え抜かれ、次から次へと出てきます。明らかに最前線の作品なのですよ。なのに、まったく「時代性の文脈」から独立している感覚がする。



これを読み解くと、たぶん僕の意識の中では、「ループからの脱出劇」という物語類型には、抜きがたく「世界系ループもののの自意識からの脱出」という文脈が同時にセットされているのが当然という感覚が、僕の中にあるからなんだろうと思います。ループもの、というものが、実は「自意識による閉じこもり・ひきこもり」からのブレイクスルー(脱出)であって、だとすれば「自意識=自分一人しかいない夢の世界・心の中」で、「他者を認識する・出会う」ということで、自意識の繰り返しの不毛感を破壊するというパターンが、セカイ系からこの1990年代から30年近くとても強く日本のエンタメの中にセットされていたからです。これらの文脈が全くないんです(笑)。なので、この作品が「その先」の作品なのか、それとも「古き古典的な作品」なのか、評価が難しいところです。この辺を、いまこつこつ考えている。



では、なぜないんだろうか?



(この以降ネタバレなので、この作品は、まっさらでやったほうが何百倍も楽しものなので、読まないでやることをおすすめします。)



答えは、キーワードで、この作品が、13人の群像劇になっていることですね。これは、『風雲児たち』とか群像劇と歴史性の縦軸を挿入すると、「自意識に逃げる」ことができなくなるので、テーマが、セカイ系的な自意識からの脱出から遠のくんです。なので、群像劇は、自意識の臭みを、ぶっ飛ばす効果があるのはわかっています。



もうひとつは、男女(だけじゃないですが)のカップリングが複数存在している、、、もう少し言葉を開くと、クリエイターの人の人間観だと思うのですが、あまりにも、あまりにも「まっとう」なんです。「まっとう」というのを、どう表現すればいいか、まだ迷っていますが、とにかく恋愛が、さわやかで、まっすぐですよね。この辺のまぶしさはキラキラします。


それが最も端的に表れるシーンは、クリアー後の最後のシーンです。あまり詳しく言わないですが、偶然によっていくらでも「他のカップリングはあり得る」といっているのがはっきりわかりますよね。わざわざ、最後の最後のシーンにあれをもってきているのは、クリエイターの人が、「すべての愛とカップルは偶然によって成り立っている」ことを強調していることだと思います。いいかえれば、何の根拠もなく偶然で成り立っても、その種を育て上げたら、それは「本物の愛」だと喝破しているんです。これ作者の恋愛観だと思います。明らかに「運命の愛」とか信じていないですよね、これ。本物は偶然の出会いから、その過程の積み上げに宿るという、至極全うすぎる倫理観です。


話が長くなるので端折るんですが、、、、これまでの「友達欲しい系」の文脈は、恋人よりも友達が欲しい!でした。これは一つのブレイクスルーでした。しかし、それがもう一度恋人に行かないのは卑怯なんじゃないか、と僕は最前線で感じるようになってきています。というか、ゆるキャン△とかでもいいのですが、安定して深い友達関係を継続していたら、そりゃ恋愛も始まるでしょ?それで「そこに展開しない」というのは、ちょっと無理がなくないか?という感じです。そうすると、恋人をよりも友達がいいというブレイクスルーが、ネガティヴな要素を帯びてくると思うのです。ようは、「好きな人と真剣に向き合って」、その結果「自分が変わってしまう」ことを、受け入れられない弱さに感じてしまうんですよ、少なくとも僕は。時代が変わったのだなと思います。


友達の方がいい!というのは、そもそも、ハーレム形態など、女の子を等距離のはべらすようなことやっていても、実際は、そんなに幸せじゃない、というのにみんなが気づいたから生まれた力学でした。どうせ距離が深まらないならば、友達関係をを描いて、それが「仲間」に、共同体に変化していく様の方が、「居場所」を確保する物語類型としては、非常に納得です。けれども居場所が確保され仲間がいれば、その中で、様々な関係性の深まりが出てもおかしくないじゃないか、そこから逃げるのはおかしいという感じに、僕はいまおもってます。ちなみに一周回った「恋人がいたほうがいい」というラブコメへの回帰は、必ずしも、同じではありません。ここでは、友達関係による居場所から派生していけば、その大きなスタート地点は百合ものや日常系、無菌系です。なので、ジェンダーがかなりフリーになった感性が広がっていると僕は思います。なので、比治山くんの話が、胸に響いています。


ああ、、、またやったちゃった。。。なんというか、この批評してんじゃだめなんだよなぁ。そうじゃなくて、ここのキャラクターのミクロの視点から語らないと、ここの具体的な作品の面白さにならない。そういうマクロの評価は、「その作品じゃなくてもいい」ものだから、、、、。あると面白くはなるんだけど、、、。


でもそこまでまとまっていないんだよね(笑)。


仕掛けとしては、「壮大な古典的SF」なので、やっぱり物語の構造で話したくなってしまうかもなぁ。


この作品を、一言でいえば、スターシードの物語なんだよね。マヴラブのベータに人類がなったようなもの(笑)。ここにでてくる、惑星開拓用の怪獣ダイモスって、もし人類の他に知的生命体がいたら、確実にベータですよね。ちなみに、この辺の類型を簡単に予習というか知りたい人には、『彗星のガルガンディア』がおすすめです。これもとても古典的なSFの王道中の王道をイメージで見せてくれる素晴らしい作品です。やっぱりアニメでイメージできると、強いよね。古い古典SFは、読みづらかったりするので。人類が、この先発展していくならば、、、、もしくは滅びるとすればそれを防ぐためにとれる大きなオプションとしては、この「全宇宙に人類という種を頒布する計画」というのは常にスコープに入るんだよね。そして、そこに付随してSF的には、様々な問題意識が生まれる。この人類がとりうるであろう戦略のオプションを、大きな枠組みで考えておくと、いろんなことが理解しやすくなるt僕は思う。


"Gargantia on the Verdurous Planet" Trailer 1 (English Subbed) 翠星のガルガンティア 1

あと、とりとめもなく話すと、この作品が終わった時に、フロンティアにたどり着く話じゃないですか・・・・僕は、あーこのあとから田村由美さんの『7SEEDS』が始まるんだ!とワクワクしました。『7SEEDS』は、人類が滅びた後の世界に叩き込まれましたが、「そこ」にたどり着く話という構造になっている。このフロンティア感が、あまりにワクワクして、なんでだろう?ととても不思議に思いました。というのは、『十三機兵防衛圏』って、いってみれば、人類が誤って滅びてしまったディザスターの後のお話じゃないですか、、、後悔と苦渋とかそういうものに満ちていておかしくないと思うんですよね。でも、基本的に、もう人類がほとんど残っていない状態で、みんなめちゃ前向きな感じがしません?。滅びて13人しか生き残っていない極限状態で、どっちかというと何とか生き抜くぞという方向の意識がとても強い。これ、時代的な受け手の感覚なのか、自分のなかだけのものなのか、よくわからないんだけれども。。。一昔前だったら、こういった人類の滅亡、脱出の物語であれば、「滅亡した理由」や「致命的なことをやってしまった後悔の謎解き」になりそうだけれども、この物語はこれだけのボリュームと構想力を持っていながら、そこにはほとんど触れない。最終的に、地球が滅びた理由は、具体的に語られないですよね。ナノマシンが暴走したのとか、そういうのはわかるけど、そこが主題じゃない感がありありと感じる。なので、新世界、フロンティアでの『7SEEDS』のような開拓者精神を強く感じる。終わった後は、さらにその感が強い。これ、最初に指摘したように、「時代性」から凄い独立しているので、この作品で社会を語るのは、とても難しく感じるので、「だからどうこう」は言えないと思うのですが、、、にしても、巨大な作品です。これ、素晴らしいなーと思う。



7SEEDS | Official Trailer | Netflix


ちなみに、本当にどうでもいいレベルのことなのですが、南奈津乃のブルマー姿が僕の中では、驚きでした。というのは、僕は人生で、ブルマをかわいいと思ったことが一度もなくて、何がいいのかわからない?とずっと悩んで?(笑)来たのですが、、、というか、基本はっきり言って、短パンの運動着の方が100億万倍かわいくないですか!?といつも思っているんですが、奈津乃のブルマー姿は、、、これは・・・・!かわいいかも!と初めて思えたので、僕の中ではなかなかに革命的なヒロインでした。