『マブラヴオルタネイティヴ』 その6 冥夜があれほど気高く見えるわけ/虚偽問題に騙されるな!

マブラヴ オルタネイティヴ(16) (電撃コミックス)

評価:★★★★★5つ 傑作マスターピース
(僕的主観:★★★★★5つ傑作)

その1 アージュ素晴らしいよっ! 人が戦う理由がすべて詰まっている!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/130051
その2 日常と非日常の対比から生まれてくるキャラクターの本質
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/131345
その3 自意識の告発〜レイヤーごとにすべての次元でヘタレを叩き潰す
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/131924
その4 クーデター編は、日本のエンターテイメント史に残る傑作だ!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/132238
その5 多選択肢の構造〜なんでも選べるというのは本当は虚偽なんだ!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/133027
その6 冥夜があれほど気高く見えるわけ/虚偽問題に騙されるな!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/135114
その7 夕呼博士の全体を俯瞰する視点〜真の支配者の孤独
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/141110
その8 あいとゆうきのおとぎなし〜多選択肢から唯一性へ
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/13/011540


その5の続き


■多選択肢の構造~なんでも選べるというのは本当は虚偽なんだ!~それはビルドゥングスロマン(=自己成長)への誘い



さきほどいった通常のエロゲーでのA世界・・・・楽園のように感じられる時間の止まった世界での多選択肢群。これは、なんでも選べるのさという相対主義の感覚を表している。しかし、実はこれ自体が虚偽だという告発をこの作品はベースにしている。これほどまでにその感覚の特徴をすべて利用しているにもかかわらず、製作者サイドの込めたメッセージはまったく逆のものなんですよね。まったくかっこいぜっ!アージュ!!。



まずは冥夜の話をしてみましょう。このキャラクターの強い覚悟は本当に素晴らしい。このキャラクターは、他の鑑純夏や委員長、彩峰、タマや美琴、柏木とは比較にならないほど強い印象を僕は受けます。そして、たぶん彼女は、たとえば同人誌の対象にはなりにくいだろうなーとも。それはなぜか?。それは個性が強すぎるのですね。何度も書いていますが、マンガや小説家のクリエイターが、「キャラクターが勝手に動き出す瞬間がある」ということをいいますが、キャラクターの中の「内的ドラマツゥルギー(=動機)※10」がはっきりセットされて、その作品世界のマクロ環境の制約条件がしっかり描けてくる※11と、「あるべきところにあるべきものがおさまる」としかいいようがない、強いありうべき感※12が存在してしまうのです。



これは、『Fate/StayNight』のセイバーやエンディングの話や、『魔法先生ネギま!』の超鈴音編で僕は何度も言及 していますが、「キャラクター・記号メインの感情移入装置をベースとする現代日本のエンターテイメントの感受方法の一人称化」※13で特有な現象の一つで、大衆エンターテイメントの次元は広く厚くマーケットして存在して、連載などの長期間の市場圧力にさらされる掲載方式がなければあまり生まれなかった形式なのではないか?と僕は思っています。まぁとはいえ、これは、究極的には、物語る人・・・・長編を得意として、おとぎばなしのように、マクロとミクロを一体化となった次元の物語を構築して、他者に喜びを与えるような形式で作品を作成するクリエイターに特有な世界的な現象ともいえると思う。そもそもキャラクターの持つ強度などというのは、作品自体をメタ的に設計しようとしたりする現代小説では、なかなか生まれてこない発想だと思う※14。


おっと話がまたずれた。


冥夜の話なんですが、彼女は、そういった内的ドラマツゥルギーのポテンシャルがとても強く高い人なんですね。僕は彼女がその他のキャラクターと際立って、深みを持つ理由は何といっても関係性の深さと重さだと思うのです。考えてみてください。この登場人物群の中で、冥夜が断トツに家族関係や家庭環境の縛りが大きい。実際に、メイン級で彼女に強い影響を与えている親族が出てくるのは、冥夜だけです。関係性というのは、その背負うもの重さと具体的な人数や存在が多く大きければ多いほど、周りに強い重みをありうべき感を与えるようです。



Aの永遠の日常では、彼女が当主として、御剣財閥を継がなければいけなくなった理由は、双子のお姉さんが亡くなったためです。それまで普通に暮らしていた彼女が、本家に連れ戻されたのもそれが理由でした。だから、彼女は「家を継ぐ」という「生き方の強制の縛り」がとても強く、その厳しさは、彼女のお姉さんとの関係が強いのですね。どちらにしても、彼女の両親は、早くに亡くなっています。家を継ぐ、、、大きな組織のそれに関わる何百万人の人々の人生を背負うというマクロの宿命は、ある種の人々には心を食い潰しかねないほどの巨大な重責を背負わせます。このテーマは、ガンダムアムロエヴァンゲリオンのシンジくんなどのように、いやなんだけれども、どうしても人類や仲間を守るためには自分が犠牲にならなければどうにもならないという役割を背負わされた場合の、不自由感のテーマです。



そのテーマが、Bの世界では、一挙に「日本人・日本国家すべて」と「人類の生存」というさらに巨大化した重荷にヴァージョンアップします。



双子の妹として、Bの世界では、影に生きる存在として・・・・本家の当主たるお姉さん悠陽が死んだ場合の影武者として彼女は政治的コマになっています。このことが、もちろんこの作品全体のテーマである、オルタナイティヴ(=代替選択肢)というテーマ、、、、たくさんのある選択肢の中ら「それ」を選ぶ(=決断する)ことはどんな意味があるのか?、また代替選択肢として置かれるといことはどういうことなのか?ということを、示しているのは言うまでもありません。


この作品の隠された主人公は、メインであるタケルとスミカの物語以外に二人います。一人は冥夜で、もう一人は、夕呼博士※15です。


冥夜の存在とは、この作品すべての女の子たちが、究極的には意味のない、鑑純夏の代替選択肢でしかあり得ないという存在とを、重ねているテーマなんですね。姉という当主の影としてしか生きられなかった彼女が、「彼女らしく生き切るとは?」というテーマ・・・これは、冥夜というキャラクターにとってのテーマですね。そして同時に、僕らメタな観客からすると、実は、代替選択肢としてただのHな欲望の対象(全年齢版はエロシーンはないですが)なのではなくて、代替選択肢たちも、またその人の一度限りしかない人生を切実な思いで生きている一人の他者(=自分と同等の存在である)ということに気づかされる、、、というか、気づけ!という製作者側のメッセージになるんですね。その辺がすべて収束していることを、タケルは理解しているからこそ、精神的に追い詰められるんですね。この作品全体が、冗長な演出をしていることは否定できないが、ここの余白や時間で「それ」を読み取れない人は、作品が理解できていない証拠か、そもそも作品やキャラクターがそれほど好きではない人なんだと思う。



さて、ここで御剣冥夜というキャラクターの話をしたのは、「あるべき感」の話でした。たとえ、ストーリの主軸とは関係のない(スミカとタケルのメインの物語から考えると彼女はただの異物・邪魔者)彼女が、なぜか全キャラクター中で、一番強い存在感を輝かせているのは、彼女のテーマが奥深く、関係性が深く演出されていること、そして彼女の内的ドラマツゥルギーである「影である自分から脱却して彼女が彼女らしく生き切ること」が、「それしかありえない!」という強い必然性を持つが故に、その必然性が強度となってあらわれてきているのだと思います。強度ってよく使われる言葉なんだけれども、意味不明なので、一応こうやって文脈に落とし込みました。



それは、何を指すか?



それは、代替選択肢として相対主義の価値LESSの世界に位置づけられていても、その過酷な重荷を背負いその役割を全うし貫き通すことで・・・その思いは一つも報われることがなくとも・・・・・生きていてよかった!、その存在にはオリジナルの輝きがあるのだ!ということを示すことにはなりませんか?。



彼女は心から愛するタケルとは最終的には結ばれることはありませんでした。



そして、影である存在からやっと政治的に解放されたときには、イコール彼女は政治的には不必要な存在になってしまい、自分を見守ってくれた月詠さんからも離されてしまいます。ようは、死ね!ということですね。



けれど、そのことはすなわち、政治的な駒でなくなること、、、政治的な駒としてではなく、選ばれた貴族としてではなく、ただの一人の人間として、仲間のために戦い、そして大好きなお姉さんの前でただの妹でいられるチャンスを得たということなんです。その時に初めて、最後の最後の死に際で、彼女の最も大切に思った姉を、姉として呼ぶことを自分に許すのです。



なんて、せつない。なんて孤独な。なんて意味のない。なんてちっぽけな。



・・・・けれど、何と覚悟のある素晴らしく実存の輝く瞬間であろうか!!!。



この一瞬のために、人間は生きているといっても過言ではない、と僕は思う。彼女は、Bのオルタの世界では日常的な幸せを何一つ得ることがなかったにもかかわらず、最後の最後まで彼女の追い求める本質と尊厳を失うことがありませんでした。たとえどのような過酷な時であっても。弱音一つはかないのです。なんて誇りのある人生!。


彼女は、その人生において、ただの一度たりとも逃げなかったのです。


・・・なんか、書いてて涙出てきた(苦笑)。僕らは、そんなふうに生きているだろうか?、自分課せられた意味のない過酷な役割に最後まで受け入れて戦いながら、それでも、大切なものを失わずに、尊厳を貫けるあろうか?。たとえ個としての自らの幸せが全くなくとも。報われることがなくとも。



これは製作者サイドからのメッセージ。



たとえ、代替選択肢に貶められた意味無き存在であっても、そうであったとしても貫ける真実の生き方が、気高い生き方がありうるのだ!ということのです。



言い換えれば、多選択肢の構造、、、、それが並行世界やタイムリープであっても、美少女エロゲーのどの女の子を選べるシステムであっても、結局、ちゃんと物事を深く読み込んで、理解して、背景をや課せられている役割や使命を考え抜くと、「あるべき姿(=真実)」に向かって収束していくもので、そこに向かわないことは倫理的にもとる行為であるということです。



ここで結論が一つ。



多選択肢の構造があったとして、なんでも選べるというのは本当は虚偽なんだ!ってことです。ほんとうは、選ぶべき選択肢や目的が存在していて、その目的へ向かって生き足掻くのが人生であって、多選択肢の構造を並べててて、選択可能性の段階で満足して行動しなくなること、その世界に埋没して逃げてばかりいることは、間違ってるんだってことです。



虚偽問題とは、ほんとは解く必要なの無駄な問題設定をして、その問題にかかわらせることで相手を欺いて、時間を無駄にさせる問題設定のことです。



冥夜を気高く感じるならば、「そう」考えないとおかしいのです。作品や媒体の構造こそ、多選択肢の永遠の楽園構造ですが、物語の指し示す核心は、逃げないで戦うことなんです。つまり、それはビルドゥングスロマン(=自己成長)への誘いということです。



※10:内的ドラマツゥルギー
また今度機会があれば書きます。(←全く書いてねぇ(笑)もうこれから13年もたっている2020年なのに!)

※11:マクロ環境の制約条件がしっかり描けてくる
これも説明するのしんどいです。

※12:ありうべき感~人間には、真・善・美を審美する審級の能力がある

ようは、「こうでなければおかしい」とかなりの人が思えるものがあるのではないかってこと。

※13:キャラクター・記号メインの感情移入装置をベースとする現代日本のエンターテイメントの感受方法の一人称化」

これも長くなりそうなんで、今回はカット。

※14:そもそも作品自体をメタ的に設計しようとしたりする現代小説では、なかなか生まれてこない発想だと思う。もちろん、そういった設計主義的な小説の技法に反旗をひるがえす文脈は、ヨーロッパ・アメリカの教養主義的な文脈では何度も出てきている。が、、それが、かくも長く大衆に愛され、かつそれが資本の論理で激烈な競争を繰り広げ、多様化した果実を生み出すに至ることは、ヨーロッパのマーケットではありえない。そういう意味では、大衆文化を広く遍く形で形成したのは、アメリカのハリウッド映画の文脈と日本のマンガ・アニメーションの文脈であると僕は考えている。とりわけ、日本の平安京源氏物語日記文学や江戸期後期の大衆文化によって培われてきた、日本のアートの文脈で語られるジャパニーズクール。意味がないところに意味を見出して、価値の序列などといったメタ的な部分を完全に無視して、人々に愛されるものという次元で、イデオロギー抜きで培われてきた技術があったればこそ、と思う。

※15:この作品の隠された主人公は、メインであるタケルとスミカの物語以外に二人います。一人は冥夜で、もう一人は、夕呼ぶ博士です。


その7へ続く。
その7 夕呼博士の全体を俯瞰する視点〜真の支配者の孤独