チームビルディング〜仲間との絆の構築を通して帰るところを作り出す物語類型

ストライクウィッチーズ2  Blu-ray 第2巻 【初回生産限定】

過去の書いたままで放置されている記事他が沢山あって、、、、これもその一つ。この着想は、海燕さんの同人誌で座談会で出てたけど『物語が終わった後の物語』ではないんですが、次の世代の話(絆の物語へ)につながる思考の端緒なんで、全体としては意味不明な書き散らしですが、せっかくなので上げておきます。

閑話休題

最終回を見ていた。ちゅーか、寝不足で頭ふらふらで、ぼーとっしながら見たせいもあって、感情のツボに入ってしまったようで、号泣(笑)。冷静な自分が「こんなん見て泣いてんなよ、お前バカじゃねー」と突っ込みが入りながら、同時に「でもっ、でもっ、よしかががんばっているじゃないか、、、、自分を捨てても守りたい何かがあるなんて!!!、、、うう。。。こういう素晴らしい気持ちを感受できないお前こそバカじゃねぇ!(さらに号泣)」というような葛藤劇が内面で繰り広げられていました(苦笑)。



そういう葛藤の中で、最近考えている「絆を通して共同体に転嫁する物語」という類型の基本形だな、これ、と思い立ちました。



■坂本少佐と宮藤軍曹の動機の説明の仕方の違いとその対比


その前に一応、『ストライクウィツチーズ2』の最終話の演出側がやったと思われることを軽く説明しておくと、これは坂本少佐と宮藤軍曹の二人のスタンスの違いによって、師匠(=坂本少佐)が弟子(=宮藤軍曹)に「何がほんとうにたいせつなものかを教えられる」という構造をとっている、と思う。

坂本少佐 : 魔法力が枯渇して軍人として501航空団にこれ以上いられなくなることを恐怖している。機能・能力・役割が失われたら、自分には価値がないと思っているんだよ。



宮藤軍曹 : そもそも目的は大切な人たちを守ることであって、そのために魔法力がなくなっても、自分すら失っても悔いはない


この二人のスタンスの違いが、最終的には、宮藤が報われて(ネウロイを倒せる)、坂本少佐がネウロイにつかまって倒せない、という結果に結びつくエピソードの対比になっている。僕が心の奥底で、「こんなん」と思ってしまったのは、「ここ」のリーズニングが弱いように感じられたからです。


つまりね、坂本少佐が、なんで「能力が失われたら自分にはここにいる資格も価値もない」と思うに至ったかが、はっきり説明されていない。少なくともイラダチの感情だけではなく、なんらかのエピソードで積み重ねないと、説得力が薄い。これは動機を説明していないのと同じです。全話見ている僕がとっさに浮かばないのだから、普通に見ている視聴者にはわからないと思う。宮藤の方は、一応主人公格として、最初期から「そもそも自分にできることだけをしよう」そして目的は「みんなを守ること」と定義されて積み重ねられているので、これは凄く説得力がある。


そういう意味では、最後の「物語のオチへの落とし込みの勢い」はあるので、あまり無駄に背景を考えこまなければ、十分「勢い」で感動できるんだけれども、このへんはどうするかは、演出側としては悩ましいと思う。というのは、全体の尺が12話で「そこ」まで深く動機に入り込むには、そもそも「戦争・戦闘を舞台にする物語」であるからには、もっともっと悲惨なエピソードを積み重ねないと、説得力がなくなってしまう。LDさんがいっていた岡本喜八監督の『血と砂』レベルに悲劇に昇華しないと、宮藤さんの「それでも私にできることをしよう」という動機の核心は表現できない、というのは僕も正しいと思う。


「ただし」、これはエンターテイメントであって、売るための層の欲している部分は、「この部分を深く抉る」ことではないという前提からすると、それを追求すると重い話になってしまう。このへんは、監督は割り切ったのではないかな、と思います。このへんの「どの境界で割り切るか」は、監督というかトップの手にゆだねられるのであって、それが成功しないと作品として中途半端になってしまうことが多いと思う。



■「全能感」をスタート地点にしないと、いまの市場では売れない?〜『鋼の錬金術師』が非常に典型的な構造


昨今の物語は、「全能感」をスタート地点にしないと、なかなか売れないといわれます。僕は売り上げのデータを持っているわけではないので、これが本当か?というのは言えないのですが、まー専門職ではないのでこの辺は感想として議論を積み重ねてみましょう(←というスタンスなのでよろしく)。たとえば、『鋼の錬金術師』の主人公は、ウルトラスーパー能力の持ち主で、しかも世界に対して非常に前向きというポジティヴキャラでしたが、そこに「弟の話」などのトラウマを設定することで話を進める構造をとりました。また個人の実存的な問題、ちゅーか単に個人の家族の問題を解決しようとすると、国や世界そのものの歪みを取り除かないといけない(=マクロとミクロの接続)ということで、ムズタング大佐などの「本気でマクロを変えてやろう」とする奴に出会って、自分を成長させていくという構造をとります。

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基本的に動機というのは、「落差」の問題です。言い換えれば、マイナスの穴、、、、つまりは、コンプレックスやルサンチマンがあって、その問題に対して、手段として前向きに解決を図る行動への意欲(これが内的なものか外的なものかは、シュチュエーションに依存します)というプラスがあって、このプラスとマイナスの綱引きや葛藤がダイナミズムを生み出すという構造を持ちます。


つまりは、動機のマイナスの部分がないと、その人をその人たらしめる大きなスタート地点が生まれないんです。だって、俺超リア充!とか言っている人には、「何かをする動機」は生まれないでしょう?(笑)。だって過不足ないっていっているんだから。動機の根源は、ほぼ過半の確率で、コンプレックスやルサンチマンです。まぁこれが悪いことだとは思いません。これをエネルギーに変えることができれば、それは美しき記憶の原風景じゃないですか。行動的な人は、大抵記憶の原風景に、大きな欠落を抱えているものです。そういった欠落なくして天然で行動力がある人は、本当に天然か、めっちゃ家庭環境に恵まれた特異な人であると僕は思っています(←発想が暗い)。


80年代の終わりから90年代までは、この動機の根源にあるマイナスの部分のみをクローズアップする作品が連発されてきたように思います。その反動で00年代は基本的に全能感肯定の物語が頻発するようになった気がします。僕の中ではそんな感じの流れが頭の中にあります。


けど、これどっちか一色というわけではなくて、落ちモノに代表されるようなかわいい女の子が落ちてきて冴えない何のとりえもない主人公を好きになってくれるとか、自分の住んでいる下宿者に女の子が一杯のハーレムものとか、幼なじみの女の子や小さい時であっただけの女の子が結婚してくれと押しかけてくる恋愛原子核とか、そういった恋愛におけるハーレムメーカー的なものは、落ちてきた女の子が去っていってしまうのを引きとめる(契約・再契約)とか、ハーレムの中から一人を選ぶ唯一性を獲得するために並行世界を突き抜ける(笑)(並行世界の脱出モノ)とか、この大きな流れの中で、様々な組み合わせや物語の展開方法が生まれてきました。


ようは、見ている消費者が相当洗練されているので、どっちかに偏っよっているモノ(には常に需要があります!)だけではなく、このバランスを止揚するような大作品を見たいという要請が強いからだと思います。消費者も洗練されているので、なかなか片一方に偏っているだけの話だと「それで?・だから?」という気持ちになってしまうのだと思います。


とはいえ、基本的には90-00年代前半の20年間は、日本社会のアノミーが進行した時期なので、エヴァンゲリオンを頂点とした「内面のマイナス部分をえぐる」という方向が前に出ていました。この反動によって、「全能感」が前に出る作品が現在を支配している気がします。また、基本的に、団塊の世代団塊の世代Jr(ここが僕ですね)は人数が多い分だけ競争も激しく、少なくともまだ経済成長のかけらがあった時代なので、こういう意欲的なエネルギーに満ちた世代には、基本的には「暗い全能感を告発する物語」が合っているのだと思います。なぜならば、現実に競争を勝ち抜き経済成長によって未来が明るいと感じる世代だからです。けど、それ以降の層にとっては、そもそも極端な競争があるほど人の数がいないし、そして競争の前提である「エントリーする機会のチャンス」自体が経済成長の停滞とともに失われています。そういった世界では、そもそも強い動機(=暗いコンプレックスの闇)は忌避されるんじゃないのかな?と思うようになりました。といっても、そもそも人間存在はどっちもあるもので、その出し方の順序がかわっているということなんだろうと思います。


しかし00年代といわれるのは、さらにその下の世代・・・・第三世代とでも言いましょうか、こうした人々がマーケットに出てきていることで、「内面のマイナス部分をえぐる」という物語類型に合わなくなってきていると思うのです。というのは、現実が暗くはないにしても緩やかな黄昏の衰退に向かう外部環境の中、逆に、全能感に浸る話を描かないと、外部とのバランスが悪くなってしまうのではないか?。また、この世代以降になると、「コンプレックスによる心の巨大な空洞」というのが、僕らの世代とはずれた所にあるので、、、、


・・・ぜんぜん「絆の物語」にリンクしてない・・・・(苦笑)。そこまで至るロジックは書くのが疲れた・・・。ラジオでもしたいんだよなー。それの方がサクサク進むもの。


ここまで!。続きは違う作品でこのロジックを使うと思うので、また今度。


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