ラブコメの作品を読んでいると、、、、欲望ただ漏れの作品だよなって、いつも思う。エンターテイメントは、ある種の「自分が欲する欲望」にあからさまな方が、もちろん受ける。ラブコメを読むということは、恋がしたい?のかなぁ。うーんこの「筋」でものを考えると、それも難しい。ペトロニウスは、50を超えるおっさんで、愛する妻と可愛い子供たちに囲まれてて、特に何か欠落があるわけでもないので、代償として補完で読んでいる、というのも違う気がする。でも、やっぱりプリミティブな、ハーレクイン的な「赤裸々な欲望」って大事だよねって、僕はいつも思うし、大好きなんですよね。それが人間の世界だろーって。なんでこんな前おきから入るかというと、最近、海燕さんの下記の記事を読んで、なるほどなって思ったので。。。。
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僕も、ハーレクインロマンや欲望ただ漏れ系の物語って、何が悪いの!それこそ至高だろ!って思う人なので、気持ち悪いは微塵も思わないし、気持ち悪いという人を解体、説得してやりたいってぐらい怒りが湧くのも同感。でもじゃあ、この次に、「なんでその欲望を自分が欲するのか?」については、個別の「自分自身の内面との会話」になるので、そこはなんでだろう?って問いかけるなって思ったんですよね。最近、なるべく自分がまだ解釈が定まっていなくても、好きなものは、なるべくメモに残してその時の感想を残しておこうと思って、ラブコメ系の堂本裕貴さんの『りぶねす』とか、Shihoさんの『ふれるかおる』 とか感想書いてて、うーんも、僕はなぜ、ラブコメを、この歳にもなって好きで読むんだろう?って、不思議に思ったんですよね。
正直、なんか結論めいたものがあるわけではなく、、、、いや物語好きなんだよなっていうことしかないんですが・・・・。自分が、彼女がいないとか結婚していないとか、夫婦仲が悪いとか、そういうのならば、なんかの代償で読んでいると簡単なんですが・・・・そうでもないんですよね。もちろん、百合もBLも、なんかのべつまくなく好きだし、その中の家族の形態、カップルの形態も、どうもこだわっていないってのが、自分の趣味趣向を見ているとよくわかっている。現実のペトロニウス自体は、プレーンの、特に世間的規範の真ん中であまり面白味のない人なんですが、物語を受け取りたい「幅」はかなり広いというか、歪んでいるというか、歪なんですよねー。栗本薫さんのいう「シレーヌよ、血まみれでもお前は美しい」の系統の人なんだろうなーって思う。
さて、自分語りは置いておいて、僕は最近の大人なラブコメのセグメントが充実していて、良いなぁって、良いなぁって、すごく思うんですよね。『ふれるかおる』『あせとせっけん』『焼いてるふたり』『社畜の恋はもどかしい』『僕の奥さんはちょっと怖い』『ふたりソロキャンプ』『NとS』『ラララ』『ライアー×ライアー』『波うららかに、めおと日和』とかとか、この辺って、全部だいぶ大人の恋愛ですよね、全部、社会人だし。基本的に、SEXはもう日常の一部として描かれているので、特に扇状的でもないし。なんだか、これを少女マンガというカテゴリーに入れるのも難しいし、かといって少年マンガというカテゴリーかというと、それも違う気がする。少女マンガ(主体が少女が見るもの、消費者)として定義すると、すでにこれ10代(ティーンエイジャー)対象の作品ではないだろうし、男性女性、どちらが主かというと、それも微妙だと思う。
僕もだいぶ枯れているおじさんですが、既にもうお年寄りの経験値(笑)なので、テーマとして、身体を重ねること、結婚をどうするのか?、子供をどうするのか?、仕事をどうするのか?という問いを抜きには、恋愛が楽しく読めないんですよね。いや全くそれがない、学園もののラブコメとかも好きなんですが、、、、僕は、何かに「偏ること」があんまり好きじゃないんだろうなぁと思います。男女の恋愛の話を見るなら、いや異性愛でする必要なくて、恋愛を描くなら「その全領域をスコープ」に視野に入れた後に、個別を楽しみたいって思っているんだと思う。なんなのかな、この俯瞰癖。。。
これもそうなんですが、『あせとせっけん』をにおい繋がりで読み直して、、、、今のこの辺りの社会人のラブコメって、ちゃんとポリコレやフェミニズムの洗礼を受けて、多様性をカバーしつつ、それを超えて、バランスをとっているよなーって。結婚の話って、まさにそういうことなので。上手くいえないんだけど、、、なんというか、恋愛が、結婚が、家族を作ることが、ちゃんとスコープに入っていて、恋で押し切ろという昔ながらの昭和臭が全然ない気がするんですよね。丁寧に丁寧に、「恋をすること」「愛を知ること」そして「家族になること」が、なんというか、当たり前のように、繊細な距離感のセンサーとなって会話になっている。僕がこれに気づいたのは、山田砂鉄さんの『あせとせっけん』を読んだ時です。これさらっと、結婚して日常になっていくまでのフルプロセスが、すでにもう一つのジャンルになっているなって感じたんですよね。
若木民喜さんの『結婚するって、本当ですか』ですかもそうですが、人気作、話題作・・・・アニメ化やドラマ化している作品に、こういうものが多くなった気がする。データではないですが、世の中に露出して一般化している感覚があるんですよね。なによりも、漫画読みの読者の自分が「読んででいて違和感がない」のが大きい。
特にポイントなのは、八重島麻子さんと名取香太郎さんが、同棲をしてから結婚するまでに、(A)トラウマ解消のイベントがエピソードで入っていること。
もう一つは、(B)家族の説得のエピソードが入っていること。
この2つって、最大公約数的に考えたら、結婚するカップルが、ほぼ必ず通らなきゃいけないプロセスな気がするんですね。いろいろな多様性や状況があるから、これが正しいというわけではないんですが、、、、(A)がなんであるかというと、恋をしているキラキラしているときにわわからない、その人の人生を拘束しているクラスのトラウマを、認知する、共有する、解決(までは必要ない)ことをしないと、日常を一緒に、楽しく穏やかに暮らすことができなくなってしまうからなんですね。
えっと、極端なケースを例に挙げると、例えばセックス依存症の相手を好きになったとして、その人と、恋愛のプロセスが深まって一緒に暮らすとなったら、実は自分以外にも(愛がなくとも)平気でセックスしてしまうとかなると、なかなかもめると思うんですよね。ここでは、器が大きい場合とか、ポリガミーとポリアモリーとか、極端ケースというか、細かいケースは捨象します。それはそれで違うドラマがはじまってしまうので。で、だとすると、「セックス依存症の相手を責めて」も意味ないですよね。愛しているのならば、「セックス依存症になった理由はなんなのか?」を二人で話し合って共有しないと、生活は変化して安定しない。だから、一緒に「日常の生活をシェアしようとする」と、トラウマを直視して、話し合って、共有するプロセスが、多かれ少なかれ必要なんだろと思います。ちなみに、たいていの幸せな結婚をできるカップルは、恋人時代にこのトラウマ直視が、やんわりと共有されていたり、「むそろそここそが好きなポイントだったり」するので、破綻しにくく見えにくいだけだと思います。八重島麻子さんの汗っかきなことがコンプレックスであることは、明らかにこの作品タイトルにあるメインのテーマであるので、これが話に入らないはずがないのですが、結婚が視野に入って、同居し始めてから、このテーマが来るのは、やはりかなり社会人目線の、大人な構成の組み方だと思うんですよね。
もう一つは、名取香太郎の方ですが、これは「お母さんが失明をしている」ことですよね。彼の女性遍歴は、このことが重くのしかかっているからですよね。ちなみにいうと、僕はその人のトラウマエピソードというのは、「家族関係に起源が多い」気がします。なぜって、そこでもないと、構造的に自分の人生を呪いのように縛るものにはなりにくいからだと思います。名取くんのような、仕事もできる(=稼げる)し、人間としてもちゃんとしているウルトラ優良物件残っているのは、この理由ですよね。だから、簡単な打算では結婚できないので、むしろハイスペックがマイナスに機能しちゃっている。
このあたりって、普通に考えて、ダウナーな鬱展開で、シリーズの起伏の中で位置づけ的には、「落としている」時のマイナスのエピソードにならざるを得ない。要は苦しいことを直視して、一緒に乗り越えようイベントですから。
こういうことが、物語のかなり基幹のところで描かれていること、短くではなくメインの重要ポイントとして描かれることが、ほんとうに時代が進んだ気がします。これは、社会人対象のマンガが増えたこと、マンガを楽しむ購買層の年齢層がかなり上まで(例えば僕は50代だし(笑))上がってので興味のスコープが、少年や少女の中高生が必ずしもメインの時代でなくなったからなんだろと思っています。この主要ターゲット層の、購買ボリュームゾーンが上にシフトしているのは、大きな点だろうと思いますよ。そしてもちろん、この30年ぐらいで日本は、素晴らしく多様で自由で個を認める社会になっていっていることも影響しているのも間違い無いでしょう。
個を強調して、個の自由を強調する社会・・・・グローバリズムが進展している現在2020年代の先進各国において、その反動としてコミュニタリアニズム、家族の復権が直視されるようになってきたんですが・・・・昔の家父長主義的家族に戻るのではなく、家族のあり方をもっと火事億度あげて注視する時代に入りつつある気がするんですよね。そんなことを思った、今日この頃でした。
またいつもの如く、考えたことのただ漏れのブログ記事でした。最近家族のことをずっと、つらつら考えている。
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