『スキップとローファー』高松美咲原作 出合小都美監督 通常であればつながらなかった友達が絆を結んでいくところに現代最前線を感じます

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評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)

6月14日。金曜日の夜に、唯一ある自分の自由な時間で(笑)、P.A.WORKS、出合小都美(であいことみ)監督の『スキップとローファー』(2023)の12話を一気に見てしまいました。もう、ずっと胸がむずむして、小躍りしたいほど、いいアニメーションでした。終わって、すぐにマンガ全巻買って(大人買いができる!自分が嬉しい!)最新刊の10巻まで読みました。大好き。原作も神ならば、アニメーションも素晴らしい出来。それだけではなく、OPのダンスシーンの素晴らしさは、こんなの見たことねぇ!と感心するほと、素敵で泣けてきます。出合小都美監督という方は、知らなかったんですが、素晴らしい才能ですね。僕は、知らなかったのですが、この方の他の作品も見てみたいです。ちなみに、2024年の6月の今は、芦原妃名子さんの『セクシー田中さん』問題がずっと話題になっているのでメディアミックスというのは、とても難しいのだなと考えさせられることが多いので、こういう幸せ中作品を見ると、ああ、すごいなって思います。

シナリオの打ち合わせには高松先生もほぼ毎週出ていた

febri.jp

ちなみに、導入部の演出について、ネガキャンになってしまうのですが、Netflixの『好きでも嫌いなあまのじゃく』のアニメ映画があまりに酷くて、そのひどさのせいで、自分の「受け取る感受性」が下がったのかなとまで、ダメージ受けていたんですが(笑)、こういう素晴らしい物語を見ると、そして原作の意図を考え抜いて演出されている導入部を見ると、ああやっぱり、あっちが酷かったんだなと安心します。ひどい言いようですが、やっぱり「その世界に入れない」という拒絶感は、とても苦しいんですよね。ものによっては、「自分が受け付けない」という問題点もあるので、悩んでしまいます。今の時代、なかなかひどい作品に出会いにくいので。


アニメーションの1話の一気に引き込まれて、素晴らしかった。導入部が、本当に、全ては大事なのです。「物語」がはじまらないものは、物語じゃないからです。


主人公の岩倉 美津未(いわくら みつみ)に引き込まれるシーンは、高校の入学式の首席による宣誓のシーン(11分目ぐらい)。


ここは、漫画原作の本質を掴んで、アニメーションならではの遥かに見事なシーンに昇華されていて、ここでノックダウンでした。原作と比較してみればわかるのですが、この美津未(みつみ)という主人公の、人間性が、初見の僕にはわからないんですね。田舎から出てきた女の子というのは伝わりますが、それ以外に彼女を示すエピソードはないし、この後で説明したいんですが、はだしで入学式に間に合うように走り出すことからも、田舎の、素直で真面目でちょっと鈍臭い子というイメージ以外は何もない。


そこで、入学式に、全力で間に合うように走っている意味が、わかるんですね(ここが約8分目くらい)。首席で、新入生代表だから、間に合わないと困るんです。そして、宣誓書の紙を忘れる。このぼんやりとした、だいぶ生活力としては残念な美津未という女の子としては、見ている側は、あーーーという納得しかないです。


しかし、一瞬の間をおいて、彼女の中でスイッチが切り替わる。


暗唱を始めるんですね。このシーン、しびれました。ほんと、素晴らしかった!!!!。声が聞こえること、間が取られていること、さまざまな視点から、マンガよりも遥かに素晴らしくマンガで描こうとしたいとがアニメで演出されています。このことで、美津未が、生活力は鈍臭くて天然ではあるけれども、とびっきり頭が良くて、いざ勝負どきに胆力を発揮できる、人間力が凄まじく高い子なのが、ど直球で伝わってくるんですね。このキャラクターがエモーショナルに伝わってくることなくして、この作品の伝えたい本質が、はじまらないんです。いやはや、見事です。監督。


そして、この前のシーンで、志摩 聡介と岩倉 美津未の出会いのシーンが描かれています。靴を脱いで、靴下も脱いで裸足で、「そこまで頑張る必要もないこと」と聡介が感じている入学式へ全力でかけていく美津未の姿を見て、聡介が感化されているの伝わってきます。ここの演出も、この子が、運動はまるでダメで、体力が全然ない鈍臭い子なのが仕草や動きで強く伝わります。「にも関わらず」彼女は駆け出すんです。全力疾走で。


ただ「これだけ」では、聡介と美津未の出会いに重さが生まれないんですね。そういう小動物が頑張っている姿を見て微笑むような気持ちは、動物の癒し動画を見れば、いつでも味わえます。この後に、上記の暗唱のスピーチ事件があるから、


物語がはじまる


んです。これが、ドラマトゥルギーの種です。聡介が、基本的には何らかの理由で、スペックが高いけれども、やる気がないというドラマの種があります。でもこのドラマの種に触れることができる人はいないんですよ。そこに、ただの小動物では、食い込めないんですよ。聡介の内面が、走っているシーンをで、ジワジワ変わっていくのが、伝わる。


素晴らしいです。原作がもちろん素晴らしいのですが、その意図を寸分なく誤解せず、素晴らしい演出力で演出する能力はさすがでした。



🔳異なる立場のつながりと絆を描いていくところは、時代文脈的に最前線

文脈的に、通常であればつながらなかった友達が絆を結んでいくところに現代最前線を感じます。ええとですね、江頭 ミカ(えがしら ミカ)、村重 結月(むらしげ ゆづき)、久留米 誠(くるめ まこと)四人の仲良し女子の話が、アニメや5巻までのメインですね。


それぞれが、タイプが違いすぎて、「仲良くなるのが難しい」子達なんですね。この子達が、ミツミを通して、繋がって、友達になっていくところが、その「あり方」がとても現代的。


僕には、学校空間の地獄という文脈的なテーマがあって、それはどういうことかと言うと、2010年代の頃のライトノベルで、特に『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(俺ガイル)が、典型的だと思うのです。けれども、学園ラブコメのテーマの場所として、当然学園ですから、学校であるわけです。その中で同調圧力の地獄の空間が広がっていて、ハイカーストとローカースト、この場合は、陽キャのグループとオタクとかコミュ障の下層のグループが、まるで最終戦争張りに対立していて、お互い嫌い合っていると言う構図がありました。労使対立みたいなものですね。その中でどうやって生き抜いていくのかというのが常にテーマとしてあったような気がします。

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これは三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるか』の話の時に話をしたんですけれども、やはり2000年代からの新自由主義的なサバイバルのあり方のパラフレーズだったのではないかと思っています。僕らアズキアカデミアが、新世界系という名で読んできた、目的が。常に生き残ることだけになっている世界。

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日本は戦争しているわけではありませんので、この苦しさというのが学園物の学校空間で展開されたと言うふうに僕は考えています。そこではいくつかのサブテーマが存在しているんですけれども、特に大きなのがスクールカーストの上下対立、それと同調圧力の地獄です。


2000年代からの約20年ぐらいのテーマは、この地獄からどのように抜け出すのか?というのが大きな文脈的なテーマとして存在していたと思っています。


俺ガイルが展開してきたこのテーマの道筋と言うのは、僕がブログでかなり細かく各巻ごとの展開を分析しているので、それもぜひ見ていただきたいと思います。特に大きいのは、ハイカーストとローカーストの上下の対立が解消していく過程です。いわゆる、リア充死ね、という言葉に代表されるようなオタク的な種族が、スクールカーストの上層部に抱くリア充と言う敵対的な意識。しかし、実はお互いを理解していくと、どちらも苦しいというのがわかってきて、実は共同戦線を貼ることも可能なんではないのかと言うような、対立の解消が行われてきたと言うふうに僕は思っています。俺ガイルの主人公の比企谷八幡葉山隼人の関係とドラマは、まさにこれそのものだと思います。このこのポイントが、スキローで特に現れているのが、岩倉 美津未(いわくらみつみ)のクラスメイトである村重 結月(むらしげゆづき)の話だと思っています。彼女は典型的な美人で、頭が良く、性格も良く、育ちも良く、さらに言えば、帰国子女といった属性までついているハイカーストのに分類される種族の人になります。だけれども、彼女の恵まれている属性が、むしろ彼女が生きていくのに非常にマイナスになっていると言うエピソードが何度も何度も語られます。

特にマンガの6巻以降のところで、学年が上がることで、もう一度新しいクラスで友達を作り直さなければならないという1巻のステージが戻ってくるわけですが、中学で非常に人間関係で苦しんでいた、また同じことが彼女の身に降りかかるわけです。結局これは何を言っているのかと言えば、俺がいるで描かれていたように、スクールカーストの上位の種族であろうが、イケメンや美女であろうが、つまり、ルッキズムの最上位にいたとしても、その生きづらさというのは変わらない(むしろもっと厳しい)のだと言うことを明確に示しているのだと思います。彼女のエピソードが等分(コミュ障とかルッキズムの強者でない他のキャラクターのエピソードと比較して同量にあるという意味)に描かれると言うのは、言い換えれば、生きるのがしんどい、苦しい、と言うのは、どの属性の人でもまた同じである。と言う話をしているのだと思います。『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』の子安つばめ先輩の話はまさにこれでしたね。

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これは、俺ガイルで最終的に描かれた結論(ハイとローのカースト同士で共同戦線を組むべき!)が、もうすでに一般化して前提となっていることを表していると、僕は考えています。では、このように、同じ内面的な苦しさを、学校空間の地獄の中での生きづらさを抱えたときには、その生きづらさを軸として、絆を構築して、友達となっていくと言うことには、とても価値のある意味のある美しいものになります。そしてそれは、かなり偶然に左右されるものだと言うことも、前提として描かれており、だから、すなわちクラス替えがあった瞬間に元に戻ってしまったりするのです。この辺の、繰り返し、人間関係の再構築を求められる人間社会のしんどさだなーと思います。クラス替えとか、ほんとしんどいですよね。これは赤坂アカさんのかぐや様は告らせたいのエピソードと非常に似ていると思いますこの辺のメタ構造について、ものすごく意識的な作家者であるので、赤坂アカさんは本当にうまいと僕は思っています。赤坂アカさんが、かぐや様で描いていた話では、ルッキズムの上層部にて、かつコミュニケーション能力が下手な場合は、そうでない人よりも、はるかに生きるのが地獄であるということが描かれていて(子安つばめ先輩や大仏 こばちのエピソード)、このことがものごとの前提として描かれるようになると、リア充死ねという言葉のメッセージ性が解体されてしまうことになっていると思っています。

では、その中で友達となること、言い換えれば絆を構築していくと言うのはどういうことなんだろうか?、それがこのスキローでは描かれていると言うふうに僕は思っています。僕が、よく言及する『その着せ替え人形は恋をする』は、この前提が当たり前になった世界での話になっているので、新しい、新しいといっているんですよね。

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🔳ダンスシーンの秀逸さ

昨日癒されたくて(笑)、『スキップとローファー』のアニメを見たんですが、止まらなくて全部見ちゃった。このOP素晴らしすぎて、何十回も繰り返してみてる。このダンス、なんだよ!もう!って胸が熱くなるーーー。やはりこの部分は、注目している人も多くて、解説がいくつもあって、素晴らしかったです。

アニメのオープニングやエンディングでキャラクターがダンスを踊る作品は数多くありますが、そのほとんどはキャラクターがカメラ目線で踊るもの。しかし、「メロウ」のこのダンスにはカメラ目線が一度もないことで、キャラクターの心の底からの笑顔や素の表情を視聴者が覗き見ているような感覚になります。

スキップとローファー OP・ED主題歌を徹底解説 - Part 2


このようなみつみの姿は、まさにそこにカメラも撮影者もいないからこそ出てくる自然なものだと言えるでしょう。そしてその自然体の2人の幸せそうな姿にこそ、我々は心を動かされるのです。

そしてこれは同時に、演出上の工夫の賜物とも言えます。意図された振り付けとは異なるナチュラルな仕草を随所に取り入れることで、通常のダンスシーンでは描けないような、等身大のキャラクターの姿を描き出すことに成功しているわけです。言うなればドラマのNGシーンのような、隙が見えるカットをあえて完成版で使っているという感じでしょうか。

また、カメラの存在を空間から排除したことで、スキローのOPでは従来固定されることの多かった(せざるを得なかった)視点を何の制約もなく動かすことができています。これによって先述のような、キャラクターの生き生きとした表情を自在に切り取ることに成功しています
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このダンスシーンでのみつみちゃんのかわいらしさは、とんでもないと思います。明らかに美人として描かれているゆづきと比較すれば、三白眼で、けっして美人として描かれているわけではないのですが、魅力がめちゃくちゃ溢れてて、ああ、かわいい子だなーと心揺さぶられます。だって、これで頭いいんだぜ。。。いい感じ、全然しないけど(笑)。


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🔳何歳になっても人間関係の出会いと構築は、辛くしんどく、そして愛おしく美しい

えっと、話を戻しますというか、スキローの本質は何かというと、やっぱり友達の絆の話だと思うんですよね。2000-2010年代というのは、人間関係の絆がバラバラになって個に解体されていった時代なんだなぁと思います。でも、偶然でできる共同体=絆というのは、「個のあり方の多様性を抑圧する同調圧力の地獄」なんですね。普通に長い近代で作られる共同体って、村社会とか、会社共同体とか、家族の家父長主義とか、、、そういうのって、上手く回れば美しいかもしれないんですが、かなり多様性を抑圧して、少なくとも個人の自由は皆無の関係性だと思うんですよね。だから、僕らの社会は、一度個人に分解されて、バラバラになって、「個人として生きていくとは?」ということを体験しないと、多様性は獲得できないんだろうと思います。個がバラバラならになった世界で、しかも経済も高度成長が終わり、低位安定の時代になると、その世界はある意味地獄です。だって、階級が定まって、下層の人間が、いつまでもそこから抜け出せなくなるわけですから。これ、僕が、2010年代を代表する傑作として『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』を解説した時の話ですね。

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この時の結論は、階層が固定化して、物質的に全てを奪われると人間だどういうふうに生きることになるのか?という問いでした。経済が成長しない、地獄の最下層で、「何者にもなれずもなれずに死んでいくだけ」のカスのような存在に成り果てて、バラバラならになった(=連帯ができない)個々人が、全てを奪われてもできることが一つだけありました。それは、

明日を約束すること

だったんですよね。オルガと三日月は、互いのために生きること、死ぬこと、信じることを「約束」することだけはできたんです。そして、ただそれだけで、世界はキラキラしたものに変わるんです。たとえ、カスのように死のうととも、それは、価値と意味のあるものになる。だから、すべてを奪われても、人は絆を作ることだけはできるというのが、、、、、それどころか、「ほんものの絆」を作る条件の最初が、「何も持っていないこと」、だったことがわかるわけです。ここで描かれたのは、人間が、何も持っていない物質的なものを全て奪われた「希望」のない世界に生きていても、必ずしもMADMAX的な北斗の拳的な、暴力が支配する無秩序空間になるわけではない!ということだと思うんですよね。

2024-0615【物語三昧 :Vol.216】『マッドマックス:フュリオサ』世界が滅びた後の北斗の拳的なヒャッハー無秩序万歳の世界観をどう見るか?-224 - YouTube

とはいえ、何もここまで(オルフェンズやマッドマックス的なもの)いかなくとも、、、、というか、仮に日本の先進国の中産階級の世界であっても、学校空間の同調圧力の地獄という生活空間が、それよりもマシな世界であるとは限りません。とても愛されて育ったみつみを除けば、ミカ、誠、結月の生きづらさというのは、決して劣るものではないと思ういます。物質的に貧しくないからといって、精神的な苦しさが地獄でないかどうかなんてのは、本人にしか分からない問題ですから。それぞれの「生存戦略」・・・生きるための課題というのは、重いのです。


こう考えると、岩倉 美津未、江頭 ミカ、村重 結月、久留米 誠の四人の属性って、一昔前ならば、対立してお互いを嫌い合うエピソードばかりが積み重なる関係じゃないですか。


とくに、ミカは、明らかな悪役ポジション。でも、彼女からの世界の風景が丁寧に描かれると、彼女が美津未や結月を嫌ってしまう、いじめたくなってしまう気持ちは痛いほどわかります。彼女は彼女で、自身の生存戦略でサバイバルしてこの世界を生き抜いてきているので、自分の生き方を変えたりするのはとても難しいんです。とても人間臭くて、生々しくて、そうだよなーと思います。

ウルトラコミュ障の誠と美人で洗練されている結月とでは、そもそも嫉妬が発動しやすすぎて、相互理解も見ている世界が違いすぎて、本当に難しい。。。けれども、「難しいからこそ」、あなたを理解したいという誠から結月へ話しかけるシーンは、ボロボロに泣きながら見ていました。



『ルックバック』2024 押山清高 監督、脚本、キャラクターデザイン、絵コンテ、作画監督、原動画を全て兼務により作り出される圧倒的な密度のアニメーション

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評価:★★★★★星5つマスターピース
(僕的主観:★★★★★星5つ)

映画で、映画館で、リアルタイムで観る価値がある圧倒的な密度の体験ができる。文句なしダントツの最高評価。2024年は、邦画ダントツの一位になるんじゃないかな(この大豊作の年でさえも!)。

58分という短さではあるが、2−3時間の大作映画を見た圧倒的な密度と充実感を感じた。58分の短さにも関わらず1700円均一の値段が話題だが、むしろもっと払ってもいい!と思わせる体験だった。

そもそも漫画が大好きすぎるほど繰り返し読んでいるので、もう最初から涙腺が決壊し続けていた。映画としての出来は、一言で言って、「驚くべき映画の完成度であるにも関わらず、原作から何一つ足さない引かない、という完全な映像化」という感想。まさに「そのまま」であるにも関わらず、言い換えれば、メディアが全然違う(マンガと映画というメディア媒体の違い)にも関わらず、さらなる圧倒的な密度感。『電脳コイル』の作画監督を手がけた天才アニメーターの押山清高が、監督、脚本、キャラクターデザイン、絵コンテ、作画監督原動画の全てを兼務し、アニメーション制作も自らが設立したスタジオドリアンと聞いて、けだし納得。というのは、これは、アニメーションの実在感が凄く、マンガでの描かれた「もの」の解像度が異様に上がっているから起きた現象だと思うんですよね。普通、ただそのまま忠実に描くと、最初の新規さがない分、メディアが違う分、差し引かれてイマイチになるのものですが、これは本当に見事な忠実な映画化。偉大な傑作として仕上がっている。

藤野は感情的なキャラクターなのですが、それが極端に現れるのが、「走り出すシーン」なのだが、このダイナミズム、躍動感が本当に素晴らしい。音楽とアニメーションの「動き」で映画館中に満たされる密度にどっぷり埋没する、素晴らしい映画体験だった。

そして、その精神性。もともとの、藤本タツキの原作自体の深さが素晴らしい。もともと、この作品は、東北芸術工科大学の学生時代に藤本タツキ先生が、東北大震災のでボランティアに行った時の巨大な無力感に打ちひしがれたものが原点になっているといいます。だから、とんでもない出来事が起きてしまって、それに対して「何もできなかった」という無力感をどう「受け入れていくか」の喪失の受容の物語になると思うんです。この辺りの『シン・ゴジラ』『すずめの戸締り』『キリエのうた』の系譜に連なると思う。

だけれども、映画では、受ける印象が僕の個人の視点かもしれないが、少し違った。というのは、この圧倒的な無力感と喪失感の作品でありながら、藤野(CV河合優実)と京本(CV吉田美月喜)の小学生からの出会いの美しさが、あまりに美しすぎて、胸に迫った。

彼らの人生は、ほとんどが、机に向かって絵を描いているだけで、しかも決してコミュニケーションが得意なわけでもなく、他に友達がいるわけでもなく、しかも、東北の雪深いド田舎で何もない場所で過ごしている。なのに、まるで全てがあるように、色彩と躍動感と、好きなものを通して大切な人と同じ時間が過ごせている充実感が溢れている。マンガではなかった、鮮やかで、キラキラしている色彩が、胸に突き刺さるように深く切なかった。アニメーションの色鮮やかさと、動きによる躍動感がなければ、この「美しさ」が描けなかったと思う。そして、この「美しさ」が美しければ美しいほど、その後の、どう足掻いても、何一つ現実に起きたことに関われず、変えることもできなかった無ただ受け入れていくしかできない無力感の落差がシャープになる。

素晴らしい傑作だった。

天才マンガ家と天才アニメーターの幸せな出会い。リアルタイムで、劇場で見れたことが、大いなる幸福でした。

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アメリカ大統領選挙 テレビ討論会 バイデン大統領(81)とトランプ氏(78)が直接対決/Trump vs Biden debate

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こういうディベートは、本当に素晴らしいといつも思う。世界に最大の影響を与えるアメリカの強大な権力を握る大統領を選ぶ時に、世界をどう考えているのか?を、幅広いテーマについて、議論されて、その時のイシューを、自分の言葉で話させる。今回のCNNは、民主党寄りのリベラルメディア。

2024年6月28日
Biden and Trump in the First 2024 Presidential Debate
90分の討論会(休憩が2回)
CNN
ジョージア州アトランタ

テーマ

  • 経済
  • 中絶
  • 移民
  • 黒人
  • 気候変動
  • 子供ケア
  • オピオイド過剰摂取(依存症)
  • 高齢者問題(バイデン大統領は、82歳が就任時)→バイデン大統領
  • 選挙結果を認めるか?誰が勝とうと?→トランプ大統領



🔳バイデン大統領の81歳(本日時点)で、健康上の不安があるかどうか?

それにしても、トランプ元大統領は、本当に人を煽るのがうまい。ディベートを聞いていると、老人であるバイデンが、レスバトル(笑)に対応するのは、本当に難しいと思います。前回の一般教書演説(2024/3/7)でバイデン大統領は、民主党の対トランプを結集するには自分しかいないというのを示したと思うのですが、その手法は、普段はどちらかというと理性とロジックの系統の民主党のやり方ではなくて、トランプ氏に喧嘩を売りつけるような感じに、かなり踏み込んだ敵対行動をしました。「それ」がうまく行ったんだというのがあって、今回も、ある程度、ストレートにトランプ大統領の問題あるところw、相手が煽るのを無視して言い続けて、やり込めるという戦術だったんじゃないのかなと思います。そして、ディベートを聞いていると、中身を聞いていると、それなりに成功しているように感じます。どのみち、トランプさんが嘘をいっているもしくは、プロパガンダ的にいっているのは、前提で皆さん聞いているわけなので、同じでいいわけで、そうすれば対等になれるからです。けれども、トランプさんのタフさと、煽るの天才的なうまさに、流石に疲労と老人の頭の回転では、ついていけなかった感じが、ありありと出てしまいました。内容自体は、レスポンスの瞬発力が弱いだけで、僕はやはり悪くないと思います。しかしながら、やはりあまりにレスポンスが悪い。

でも、これらの利害が絡む、さまざまな問題を包括してバランスよく対応できるのは、バイデンしかいない!(ハリスにも、ニューサムにも、サンダースにも、オカシオコルテスにもできない!)というのは、力強く伝わってきます。こればかりは、全ての論点の複雑さと利害調整の気の遠くなるような難しさをよくよく知っていることと、そして、それをズラーっと並べたときに、そのバランスを取れる民主党の指導者はバイデンしかいない!というのが力強く伝わります。これは、フルスピーチを聞かないと分からない感覚かもしれません。


そして、


「恨みや報復の物語を見ている人、私とは違う」「前大統領は言語道断で容認できない」「私たちは前例のない瞬間に直面している」


これらの問題意識が、対トランプに対しての、お前には負けない!というリベラルサイド、民主党支持者への結集を呼びかける言葉になっているのも、大事なことです。そして、それが感情に届いていると僕は思う。
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一般教書演説の時と構造自体は何も変わっていたのですが、対トランプさんと1対1だと、さすがに分が悪い。言葉が力強くないのが、とても厳しい。この後、民主党内でも全米でも、バイデン高齢化問題による撤退論が吹き荒れているのは、仕方がない。


今回は、1体1の2人きりの対決は、バイデンさんに分が悪い。ある程度、トランプさんが嘘を含めて自分の優位なストーリーを繰り返して、エコーチェンバーを起こせるのに比べて、バイデンさんは、それを強気に跳ね返すレスポンスができない。同じようにすればいいのですが、それをできるだけの、瞬発力がない。

たとえば、黒人問題。黒人問題のために、いろいろな対策を打った(バイデン)というと、すぐ続けて、そのため、インフレーションを引き起こした。結局、黒人の仕事が奪われた。(トランプ)と話す。また、黒人ここでも移民問題でトランプさんが引き戻す。黒人問題などいろいろな対応をしたことは、インフレーションを接続している。アメリカの経済がインフレーションで、かなり貧しい人に厳しい状況になっている。民主党の中でも議論が割れている問題に何度も議論を割り込ませるトランプさん。これは、移民問題が、民主党でも意見が割れているので、何度も何度も、これを喚起するようにする。この辺オディベートとの駆け引きのうまさは、さすがだよ、トランプさん。


ただ、指導者としての力量とか、そういうものとは、あまり関係ない気がするんだよね。本当は、二人の構造が、あまり変わっていないけど、バイデンさんの印象論で、完全に負けている。

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これは、日本語の同時通訳版。

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🔳この後吹き荒れる高齢問題による撤退論

8月19−22日の民主党党大会に向けて、これがどう動くか。共和党は、トランプさんで固まっていると思いますが。民主党のオプションとしては、最高なのがミッシェル・オバマ。彼女が出たら、まず完全に勝てる。それから副大統領のカマラ・ハリス。そして、カリファルニアの知事のギャビン・ニューサム。ただこの二人は、知名度や人気が、低い。

🔳いまのところバイデン大統領は撤退は考えていないみたい

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