『太陽の黙示録』 かわぐちかいじ著 何をもって日本人というか?

太陽の黙示録 (vol.4) (ビッグコミックス)

かつて村上龍が、ビビットに日本社会の告発者たりえていた頃(今はそうではないんじゃないかなーと少し残念)、侵略されて国土を踏み荒らされた経験のない島国日本人にはわからない世界がある、ということを良くいっていた。といっても、僕らは、ほんとうにまるで経験がないので、国土や民族のアイデンティティを踏みにじられること、というのがどういうことか全然実感がわかなかった。


アメリカには、国が異性人やソ連に支配されてるレジスタンスもののエンターテイメントがよくあって、それは、あまりにずっとちゃんとしっかり独立を保っていられるものだから、その反動として国土を他者に支配されることへのレジスタンスへの興味が生まれるんだ、というようなことを聞いたことがある。それでいつも思いだすのは、『V』ですねぇ。これ20年くらい前の作品ですが好きでねぇ。。。宇宙人の正体がこれまた陳腐なんですが、中学生頃に見た時衝撃でねぇ!!!。


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おっと話がずれた。それと同じように、僕にも、日本が他国に支配された時のレジスタンスという物語に、なぜかとても強く反応する。好きなんだよね。『コードギアス 反逆のルルーシュ』にすげぇはまったのは、この他国に支配された日本のレジスタンス運動というマクロフレームに強烈に反応したからだと思う。前に「あるべき日本への、実際にはない虚構の中での憧れ」という屈折したナショナリズムが日本の物語には広くセットされていて、これもその一つの類型だと僕は思うのです。実際に支配されたことがない故に、支配されたところでのレジスタンスを描けば、非常に「ナショナリズムへののわかりやすい肯定」が生まれるからです。まぁほんとうは、大日本帝国という帝国を形成して、アジアの歴史構造の組み替えに邁進した日本人としては、支配される側ではなくする側の物語とその挫折こそが僕は見たいところですが、、、、。そうすると「倒されるべき敵」になってしまうので、なかなか自己像を描きにくいのでしょうねぇ(笑)。

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えっと、なーんていう議論というかイメージというか物語読みの文脈が僕にはあるのですが、その一環として、難民であることはどういうことか?日本人であるということの「証」はなんなのか?(血の同一性や血族の縛りがない日本人はよく風景や国土と言われます)とか、そういうことに関係がある物語が好きなのです。そして、この主人公の一人、柳舷一郎の台湾での生き方は、大震災によって世界中に追われた日本人難民という、現実にはあり得ないファンタジーなのですが、、、これが、大震災によって日本が崩壊するという、いまの僕らには、かなりリアリティのあるものに感じるんですよね。そうすると、シンクロレベルもかなりかわってくる。


そもそも、村上龍の指摘したことは、もう70年近く1945年以後平和が続く日本社会は、弱肉強食の国際社会への「共感能力の低さ」というものがあります。また日本社会が、とってもメディア環境的に鎖国が上手い同質閉鎖共同体社会なこともこれに輪をかけます。つまりは、難民であることとか、ちょっとでも「近代国家としての運営能力」に陰りが見れば、食い殺されても誰も同情してくれない、厳しい(=いや厳しくはないそれが普通)ところであるという体感がまったくないんですよね。

僕も、今回の東北関東大震災で、脊髄反射的には、日本が示してきた全方位外交がいかに世界から日本が「敵視されていないか」ということが分かって、なかなすげぇな、とある種の可能性を感じます。けど、それと同時に、日本の国家能力のヘッジを見極めるために、徹底した軍事行動が近隣諸国でき繰り広げられ、弱くなったところを徹底的に食い物にして叩こうとして虎視眈々と世界中の組織が国家が狙っている・・・日本が危機の時だからこそ、日本の弱みを徹底的に追求しようとする(=好き嫌いとは関係なくそれが競争というものなのだ!)現実が起きていることは、企業人であり第一線で仕事をして世界と関わっている僕の立場としてはビビットにそれを感じます。そういう立場からいうと、そういう過酷さを認識「しない」で、世界から日本人って愛されているんだ!と能天気にいう人を見ると、ああ、現実認識が非常に薄いんだなーというか、物事を表面でしか見ないんだなーと、ため息が出ます。ものごとはコインの裏表があって、日本人がとても平和な民族として世界中から敵視されていない(=たぶんかなり愛されていると思う、これは本当に凄いことだ!!!)のと、日本をこの機会に徹底的に食い物にしようとすることは、同時並行に起こるものなのです。それが国際社会の現実。だから、笑顔と感謝で世界中にありがとう!Pray for Japan!!といいながら、自衛隊のによる徹底的な国境線の再確認や様々利権交渉の確認、独立した近代国家としての強気の交渉を繰り広げなければ、直ぐ食い殺されるんですよ。


自分自身で平和をマネージする国、、、独立国家とは、これがちゃんとバランスをもって、建国の父たちの理念(=憲法の背後にある意思)によって統合するということが要求されるわけです。9条の憲法があると主張したいのならば、軍事力を行使しないで危機のリーダーシップがとれる人材のエリート教育や国家的仕組み、国家的大災害や侵略時にそれでも防衛できる仕組み作り(たぶん巨大な情報機関による外交国家とか、スイスのような国民皆兵によるゲリラ国家とか・・・)とか、そういう何らかの手当てなくして、本気で独立国家を維持する意思あんの?アメリカの属州か奴隷なの?っていわれると思うんですよね。いや、アメリカの属州というのもアメリカに失礼だ。アメリカ人は、命を賭けて自国の国益を、守っているんだから。アメリカ軍にフルコミットで手助けしないなら、属州ですらない。そんな甘えたことが許されないのは、当たり前です。・・・まぁ命を賭けて戦って、世界の現実を関わりそれを変える意思、というのには、絶対的な「理念(=あるべき理想)」がないとできません。だから45年以降の日本には、ちょっと酷ですけどねぇ。まぁだから、こういうふうになっているんですけどね↓。ちなみに僕は野党的意識ってのは、ゲンナリする。全ては対案だ。具体的に、それをこの過酷な現実社会で、それでも成り立たせる、具体的な方法論を示さない限りすべては、甘えだと思う。理念だけなら、だれでもいえる。山本五十六ではないけれども「すべてはやってみせて」だ。


日米同盟の正体~迷走する安全保障 (講談社現代新書)
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・・・・なんか違う話になった(笑)、いやまー現代のわれわれが体感的に、弱肉強食の国際社会の現実が認識できない、という部分と、それをエンターテイメントで導入してくれるという意味では、この『太陽の黙示録』は素晴らしい作品だと思います。『ジパング』も『沈黙の艦隊』『イーグル』も、なんちゃってエンタメのおもしろさが、これでもかぁ!!ってあるにもかかわらず、しかも、低俗だが基礎的なナショナリズムを背景にスタートする作品ばかりなので、本当に上手いっ!て思えます。日本社会が侵略されるに等しい大変動を、地震をスタートにして描くという発想そのものが、上手い。これを読んでいると、なるほど、パレスチナの人々や難民の人々が、なぜああいう行動に出るのか、どうテロリズムと関係していくのか、それに対してその国の政治家が何を考えるか、とかいろいろ思わされます。


元々かなり面白い作品ではありますが、かなりいま旬なのではないか?とかってに思っています。まだ僕は9巻までしか読んでいないので、かなり先があるので楽しみで仕方がありません。


太陽の黙示録 (vol.3) (ビッグコミックス)イーグル (8) (ビッグコミックス)ジパング(43) <完> (モーニングKC)