『進撃の巨人』 4巻 諌山創著 自分の生活世界を命を賭けて守る愛国心への感情移入

進撃の巨人(4) (少年マガジンコミックス)


「皆・・・・・死んだ甲斐があったな・・・」

ふと思ったのだが、この作品の面白さって、「愛国心」なのかもな?って思いました。もう少し敷衍すると、ペイトリオッテティズム。14話『原初的欲求』の上記のこのセリフぐっと来るんですが、これって、怖くて仕方がないけれども、この絶望的な状況下で、仲間や自分の故郷(=生活世界)を守るべく、無理に無理を重ねている少年少女たちの軍人への志願の動機や訓練の描写が途中で挟まれるほど、際立つ構成になっていますよね。逃げるやつも壊れるやつも、極限の努力がまったく役に立たないで巨人に食われるやつらもバンバン描写される「絶望的なシーン」が続くほど、歯を食いしばって人類の勝利のために身を捧げる意思が強く肯定される。


現代日本社会では、こういう「感情」が素直に発露して肯定されるということが、ほとんどない。「ほとんどない」ってことは、つまるところ、こういう感情の動きが、満たされることがないということで、こうした欲望が、エンターテイメントの世界で観念的に希求されるは分かる気がします。日本のナショナリズムやペイトリオッティズムの発露って、非常に屈折してて、エンターテイメントの分野でもそうだけど、現実に出るよりもこういった異なる媒体などで出る系が多い気がします。さらにいえば、アージュの傑作『マブラヴオルタネイティヴ』や庵野秀明監督のガイナックス作品の傑作『トップをねらえ!』もそうなんだけれども、愛国心的なものの強度が高ければ高い作品ほど、現実の日本ではなく「ありえなかった日本」やファンタジーによる人類の防衛戦争の形を取らざる得ないところが、日本の戦後日本たる由縁だな、といういつも思います。最近では、蒔島梓さんの出した漫画版の、そのへんが凝縮していて、6巻のクーデター編の漫画などですね。それでも一番素直な形は、サッカーなどのスポーツナショナリズムかな?。

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この『進撃の巨人』作品は、いろんな切り口があると思うが、とても骨太でシンプルな感情の揺さぶりが多くて、実はシンプルな作品なんだよなと読む薦めるたびに思います。つまるところ大きな感情移入のポイントは、滅亡寸前の人類を守るために戦う少年少女たちのその意思肯定っていうか、思いに感動するって部分が大きいと思う。エレンの「巨人をぶっ殺したい!」という意思は、ようは、自分の暮らす生活世界の防衛への限りなくストレートな肯定ですよね。いいかえれば、素直な愛国心の発露。これってやっぱり現代日本には非常に少ない。


かつて大前研一氏が、日本の右翼はマーケティングを間違えたが故に、日本には健全な愛国心が育たなかったという分析を目にしたことがあるが、これは非常に同感。もちろん、米軍の占領によるウォーギルトインフォメーション(=占領中の日本人の罪悪感を高める洗脳政策)や戦後の左翼運動の屈折など、日本社会は幾重にも、素直に愛国心が発動しない仕組みが組まれていて、そもそも健全な右翼のマーケティングは非常に難しかしいというのはあります。また現実的に、その最も大きなキングス弁は憲法第9条であって、日本は世界に対して、主体的に関わることを放棄するってことが構造的にビルトインされている。ここで愛国心を肯定するのは、難しかろう。愛国心とは、ようは自国の生活世界の防衛のためには、戦争する!(=命を賭けて祖国を防衛する・国益のためには世界のあり方を変える!)という意思をベースにするものですから、それをしないと宣言する憲法下でまともに発動するはずもないです。まぁ、自分の国を愛するな!、自分の国を自分で守るな!と宣言しているんですよね、これ。近代国家の基本原則を無視しているですが、それでもこの仕組みが成り立つのは日米安全保障条約と戦後の天皇制の扱いにつながってくるんですが・・・まぁそこは置いておいて、日本の左派系統の出自の首相が、村山さんにせよ菅直人さんにせよ戦時的レベルの阪神大震災東北関東大震災などの国難に当たって致命的にリーダーシップを欠落するのは、この覚悟がまったくないからだと思うんですよね。強制的物理的な祖国の破壊が発生するという現実が起これば、たとえば侵略とか国難級の災害などですが、はっきりと物理的な、、、巨大な組織的実行力(=軍隊)がなければ、現実って変えようがないんですよね。バタバタ人が仲間が死んでいっても、「何もできない」、、、いや「何もしない!」って言っているようなもんですから。そして巨大な組織的実行力を持つからには、それにふさわしい制御する仕組みと民度が国民に求められますが、、、このへんのレベルが日本は実に低い。まぁ、そりゃ日米安保にただ乗りして、この責任を放棄してきたんだから、仕方がないけどねぇ。


こういう現代日本に生きている我々が「ありえなかったもう一つの日本」や「人類防衛戦争」などのファンタジーの世界で、この愛国心的なものを屈折して感受して希求するという文脈で読むことは、結構いろいろな作品を見るにあたって共通するポイントだと思います。まずなんといっても、村上龍の『5分後の世界』や『愛と幻想のファシズム』ですね。特にこの屈折した愛国心の凄まじい発露と純度という意味で、『五分後の世界』は感動的ですよ!。これって、本土決戦を戦い抜いて、長野の地下大本営アンダーグラウンド』の地下都市以外を、国連軍、中国、ソ連に分割統治されている「もう一つの日本」を描いた作品です。この日本は、最後までプライドを捨てなかった国民で、その世界からの尊敬され具合は半端なく、世界中の革命運動や白人支配に抵抗する民族の憧れとして屹立しています。そしてその代償として、人口は極限まで減り、アンダーグラウンドを除くその他の地域は、分割統治国の奴隷とに近い状態にあり、ほとんどスラムのような香港とフィリピンを合わせたような地域になっているんです。これ、むちゃくちゃ面白いですよ!!。その国に現代の、「いまの僕らが住む日本」から、ずれてパラレルワールドに来てしまった主人公の物語です。

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

日本人は、組織的暴力の肯定とその実行に当たって、人類防衛戦争的な、絶対的に許される理由を設定しようとする癖があるんだなーと思います。まぁそれほど、WW2での傷は深かったともいえるんでしょう。まぁ、ヨーロッパもWW1のあとに凄まじい禍根を残して、徹底的に軍事的解決を嫌う風土が生まれたので、それと同じだと思います。映画『西部戦線異状なし』よみると、このへんの気持ちはよくわかります。

西部戦線異状なし [DVD] FRT-003

日本は、世界戦争級の総力戦で国土が荒廃したことは1度しかないんですよね。だから、WW1のヨーロッパの平和への反動と同じ状況だと思う。ちなみに、このWW1後のヨーロッパの平和への強烈な希求が、弱腰外交を生み、最終的にはナチスドイツの誕生を許してしまったという反省が、世界史における欧米の歴史的教訓です。過度の平和主義は、逆に全体主義ファシズムの台頭を許しやすい。


まぁ、『進撃の巨人』の魅力やコアが、これのみだ!というのは違う気がするので、この切り口による見方の文脈もあるよ、というくらいだとは思います。けれども、読んでいて、そういえば、僕らってこういう愛国心をストレートに肯定されて高揚させられるということは、本当に無縁の国民だなーと思うので、こういう「自然な欲求」レベルの欲望は、いろいろな所に屈折して現れて代償行為うになるんだろうなと思ったのでした。