『モーリタニアン 黒塗りの記録(The Mauritanian)』2021 ケヴィン・マクドナルド(Kevin Macdonald)監督 国家による拘束というものの怖さ

評価:★★★★★星5.0
(僕的主観:★★★★星5.0つ)

9.11の首謀者の一人とされ、司法手続きもなく自国から連れ去られ、キューバグァンタナモのキャンプに長期間抑留されたモーリタニア人、モハメドゥ・オールド・サラヒの実話。彼は、2001年の11月に、モーリタニアの自宅からアメリカに連れ去られ、そのまま長期間拘束される。この物語は、3年以上過ぎた2005年に、弁護士が彼を触法しようと試みる場面が物語の始まり。そして、ブッシュ政権は、たとえ証拠があろうとなかろうと、スケープゴートの見せしめで何がなんでも彼を処刑しようとあらん限りの行動に出る。このジョディ・フォスター演じる弁護士のナンシー・ホランダーと政府のベネディクト・カンバーバッチ海兵隊検事のスチュアート・カウチ中佐の戦いがこの映画の主軸となる物語。2010年3月、モハメドゥ・オールド・サラヒは勝訴のするも、政府が控訴したため、実際に釈放されたのは2016年。彼は実に14年間起訴されることなく収容されていました。

司法がギリギリで踏み止まった一方で、怒れる民心に迎合し、政治的に利用したブッシュ政権はもちろん、その後も違法状態を正さなかったオバマ政権も同様の責任がある。
アメリカの大統領は、なぜ弁護士出身者が多いのか、なぜ三権分立と法の支配が民主社会を維持する上で非常に重要なのか、この映画を観ると理解できる。

ノラネコの呑んで観るシネマ モーリタニアン 黒塗りの記録・・・・・評価額1750円

アメリカ映画の面白いところは、直前の時代を映画化して政治的にも落ち着いていないものでも未解決なものでも平気で俎上に載せてくるところだ。なので、こうして丁寧にアメリカ映画を追っていると、アメリカの近現代史が映画を通してわかるようになってくる。グァンタナモ基地は、1903年以来アメリカが租借しているキューバの土地なのだが、ここで911の容疑者が集められ、ブッシュ政権ラムズフェルド国防長官によって”特殊尋問”という名の拷問がなされていたことは、明らかになっている。自分も、アメリカに住んでいたときに、連日このグァンタナモ基地の話がNBCやCNNで放送されたのを覚えています。

この映画で思うことは、アメリカというのは凄い国だ、と実感します。一つは、あれだけの熱狂的なスケープゴートを要求するような熱狂の時期の行き過ぎた政府の動きを、こうしてその渦中に、声をあげてただそうとする弁護士や人々がいて、実際にそれが動き出し、世の中で大きく報道されること。そしてこれもまた念を押したいのだから、これほど正義がちゃんと動く社会で「あったとしても」、権力の野蛮さは、普通の国よりもさらに激しく行使される。こうして911の時代のブッシュ政権の映画を見ていると、正直言って、トランプ政権などよりよほどめちゃくちゃで、害しかないような物凄い暴走をしている。まさに権力が暴走するとどこまでいくかわからないという典型的な例であり、それが世界最強のアメリカ軍や政府の暴力の行使をもなうので、それはもうとんでもない。アメリカの凄さというのは、揺れ動く振り子のように、極端なものと極端なものが常にバランスをとりあって、振り子のように行ったり来たりしている(均衡していない)ことであり、このほど曲単位どちら側にも暴走するにもかかわらず、国が壊れないところにあると、しみじみ感じる。


一体なんの物語として見ればいいのか?という軸をいうのならば、僕は「人身保護法(ヘイビアスコーパス)」の話なんだろうと思う。日本国憲法でいえば第34条。


国家という権力が、個人を不当に拘束することの、怖さについて。読んでいて思ったのは、KAKERUさんの『ふかふかダンジョン攻略記〜俺の異世界転生冒険譚〜』「弓王(きゅうおう)」ボーゲンのエピソード。彼は、いかなる権力にも屈しない、真の意味での独立をしている人なのだが、それがどのように保障されているかというと、彼の個人的武力が、逮捕しようとする国家権力の数人、数十人程度の暴力を、実力でねじ伏せることができること、森の中でサバイバルして生きていけばいいので、特に社会を必要としないことが描かれるのだけれども、これって逆もまた言えることだよなと思いました。人間というのは、ほんの数人の警察力で無力化されてしまうし、社会とつながらないと一人では生きていけない(食べていけなくなる)ので、国家というのは圧倒的な支配力拘束力を持っているわけです。これを、なんの制限もなく行使されれたら個人なんかひとたまりもないわけです。


この国家の暴力に対して、どのように制限を加えるべきか?の使命感が、どれだけ社会に深く根強く在るかが、自由な社会を継続させる大きな条件なんでしょう。


ベネディクト・カンバーバッチ海兵隊検事のスチュアート・カウチ中佐の悩みがわかりやすい例で、911で親友を殺されている彼は、人一倍、911のテロを憎み、その犯罪者を許せなく思っています。しかしながら、証拠もなしに(かと言ってテロの容疑が完全いはれたかどうかなんかわからない)不当に拘束することは、法律にたずさわるものとして、そして、「良きアメリカ人」としてあってはならないという原理原則に苦しむのです。ジョディ・フォスター演じる弁護士のナンシー・ホランダーも同じです。この911への復讐に燃える社会の「燃えあがる復讐心の熱狂の渦」の中で、当然おように友人や同僚や、アメリカ社会から憎まれ排斥されます。それでもなお、法にたずさわるものとしての使命感が彼らを動かすわけです。



とはいえ、この映画、普通の日本人にとっては、遠い世界の話のように感じる。


でも、違うんですね。こぅかと自由の問題、法の問題を考えるときに、ここから関係ない世界はありえません。僕がふと思ったのは、川和田恵真監督の『マイスモールランド』です。

ここに描かれていることは、対テロ戦争下のアメリカという、一見特殊な状況で起こった事件のように思えるが、例えば日本の入管施設にも、司法手続きが行われないまま、非人道的な状況で長期間収容されている人たちがいる。
個人が心身の自由を奪われるのだから、普通の刑事事件なら当然裁判所の令状が必要になるが、なぜか入管の収容では不要とされているのだ。
仮放免の申請を許可する、許可しないの裁量権も入管にあり、未来の見えない状況は、収容者に多大な肉体的、精神的なストレスを与える。
今年3月に、名古屋入管でスリランカ人女性が死亡した事件は記憶に新しく、過去にも自殺者や、ハンストの末の餓死者も出ている。
本作にも長期の抑留に耐えかねて自殺する、マルセイユという男のエピソードが出てくるが、入管の収容者にしてみれば、同じ心境だろう。
現在の日本の入管制度は、明らかな法の欠陥がある。
入管の問題には個人的にもちょっと関わったことがあり、彼らがいかに不誠実な組織か思い知らされた。
ハメドゥやマルセイユに起こったことは、単なる対岸の火事ではないこと。
この日本にも、早急に正すべき制度があることは、しっかりと認識しておきたい。


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マイスモールランド 2022 川和田恵真監督

2023-05034【物語三昧 :Vol183】『マイスモールランド』2022 川和田恵真監督 日本映画から難民問題のこのような映画がみれるとは思わなかった!嵐莉菜さんの演技が素晴らしい!190 - YouTube

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この話は全く同じものだと思うのです。是非とも両方見てもらえると、この国家による拘束というものの怖さがよくわかると思います。