TURN 23 『シュナイゼル の 仮面』の感想〜ルルーシュとシュナイゼルが敵対する理由がわからない

パワーなくて書けないんですが、もう少しで終わりなので、何とか少し考察を。今回ね、すごく不思議に思ったことは、シュナイゼル(以下シュナ)とルルーシュ(以下ルル)が、なんで対立するかがよくわからないんですね。少なくとも僕には。なぜならば、僕には両方が「目指しているところが同じ」に見えるからです。表面上。どっちも、わかりやすい悪になっちゃって、人類をまとめる側がいないんですね。人類をまとめる側を超合衆国のリー・シンクーとすると、悪役は一人で十分なはずで、、、、


前の記事で書いたとおり、「世界の敵」となって人類を統一させる契機をつくる、という意味では、

1)ルルの全世界の前で独裁皇帝を見せつける行為



2)軌道上からシュナのフレイヤ弾頭(行ってみれば核ミサイル)で世界中を武力制圧

そのどっちの行為も、とってもわかりやすい「人類の共通の敵」なんですよね。いや、もし仮にどっちかがうまく行っても、とってもわかりやすい世界統一です。ルルの目指すように見えるところは、始皇帝ですよね。独裁皇帝制度は、実は、非常に平等な制度なんですよね。だって、一人のシンボルの下に、すべての人が平等なんですから。貴族制や寡頭制より、独裁制は民主主義との親和性が高いんですよね。シュナは要は核による抑止力を、単一の国家もしくは個人が強烈にやるって言うだけで、今の現代と変わりがない。まぁ『沈黙の艦隊』なんかで描いた、無差別の核攻撃の「可能性」による人類の馴致ですよね。どっちも、現代では、分裂して混乱する民族や集団をまとめ上げるには、まぁ論理的に妥当な方法ですよね。


けど、なんか、、、、ルル側の「ゼロ・レクイエム」も、シュナイゼルの意図も、そう単純じゃないような気がするんですよね。つーかここまで描いておいて、そんな単純でわかりやすい終わり方をするとは思えない(妄想かもしれんですが・・・)。


というのは、この人類に統一と平和をもたらそうとする「手段の妥当性」を考えると、どうもあまりに矛盾が多いんですよね。まず、どう考えても、「人類の敵を演出して統一する」のならば、シュナとルルが手を結べばそれで済むじゃないですか。どっちも、名誉や保身や権力はほしいタイプではないんだからさ(たぶん)。もしくは、お互いわかって大戦争するとか。


また、シュナって、もう少し長期の視野を持つ人で、こんな拙速(byLDさん)な方法をする人ではなかったはずなんですよ。フレイヤダモクレスも、そもそもかなり前からその可能性は考慮していたようですが、それが実現したからと言って、いきなりプロセスをぶっ飛ばして、すぐ世界平和を!みたいなことを考える人には思えないんですよね。まぁ、、、ここまで描いたのだから、シュナにはより大きなキャラクターであってほしい、という僕の願望が反映しているのかもしれませんが・・・・。


ルルもシュナも、マリアンヌとシャルルの「人類補完計画的なモノ」に明確なNOを突きつけたわけだから、そもそも目指すところ、、、というか根本の価値観は似ているはずです。つまりは、人類の「個別性」を、超常の力を使って作り変えてしまおうという価値観にを拒否しているんですよね。それによって、戦争が継続して、殺し合いが継続する血みどろの世界であったとしても、「人間を人間たらしめるこの欲望」の次元を否定しない・・・・


とすると、、、、、、いまのシュナイゼルのいう人類の「躾」ってのも、価値観に反しませんか?って思うんだよね。なんか、だから違和感を感じてしまう。だって、そんなふうに人類のエネルギーや欲望を去勢するのならば、シャルルの目指した所とそんなに変わらんじゃないか?。それならば、シャルルに従っておけばいいじゃないか、って思うんですよ。えっ、まさかシュナが、そんなおバカさんとは思えないんですよねー。


まぁルルのやっている武力による世界制圧は、なんというか、もっともこの世界で王道かつ妥当な人類の平和のための方法論です。でもさー現実的で、それはわかるんですが、そうすると、、、、


なんの動機があってそれをするの?って思うんです。



だって、ルルに、動機があるようには思えないんだもの。基本的に、いまのルルは、生きている意味がほとんどないよ。世界平和?なんために、ルル個人にとって「それをする価値」があるのか?ってのが僕にはわからない。ルルがしたかったのは、身の回りの好きな人を守ることだけで、もともと世界平和とか大それたことを考える器ではないと思うんですよ。その上、ナナリーにせよ、シャーリーにせよ、みんな彼の周りの大事な人を失ってしまって、、、、、えっ、それで、いったい何の動機があるの?って思う。


彼の価値観からすれば、別に世界を統一した後も、人の争いなんか、なくならねーぜ?って思うんですよね。人間の人間たる「欲望」=個人が個人であることを許容した時点で、「相争って競争して推進していく人間の本性」を認めているわけで、そこにはどうしようもない悲惨な出来事は織り込み済みになってしまうはずです。それが嫌なら、人類改造計画・・・つまり、シャルルに賛同すればいいわけで…・


これって、スザクが何を目指すか?ってこと、スザクとルルが何を戦略目的と置いて、合意したかに関連するので…・


どうなるか気になります。


だって、全然わからんもの、アホな僕の頭では。