ヒルビリーに共感を!

こうしたアウトローの感覚は、少なくともフィクションの上でなら、その愛好者を心強くさせることがある。そして、まるで中毒のように「こうした種類の心強さ」をつねに求めていたのが、近年の米ポピュラー文化界だった。


まずはTVドラマ、ここ日本でもよく知られているものからその代表例を挙げるとするならば、『ウォーキング・デッド』(2010年〜)は外せない。


ゾンビの大量発生による現代文明社会の終焉(ゾンビ・アポカリプス)後のアメリカの「南部」からストーリーを始めた本作は記録的大ヒットとなった。このドラマで「ホワイト・トラッシュ」のダリル・ディクソン役を演じたノーマン・リーダスが一躍国際的なスターとなった。


このキャラクター、ダリルは「こうなる前」の世界では、社会的にまったく無価値どころか、「ホワイトカラーの人々」から忌み嫌われるような落伍者でしかなかった。が、トラッシーな環境が人知れず彼を鍛えていた。


具体的には、森の中で獲物の足跡を追って、ナイフや得意のクロスボウで仕留めることができるようになっていた。親に見捨てられ、リスを狩っては飢えをしのいだ少年時代があったからだ。


役立たずだった彼が、しかし「アポカリプス」のあとには、生存者グループの中で欠くことのできない「頼れる男」となった……というこのダリル像のありかたこそ、今日の「トラッシュ・ブーム」の典型と言える。


生まれ育ちに恵まれず、ワルかもしれないけれども、馬鹿かもしれないけれど、純真で、(喧嘩が強かったりして)頼りがいがある――ようなホワイト・トラッシュ、ヒルビリー、あるいはレッドネック像が、人気ドラマのいろんなところに氾濫した。「いいヒルビリー」「悪いヒルビリー」に続く、「かっこいいヒルビリー」の誕生だった。




日本人がまったく知らないアメリカの「負け犬白人」たち
トランプ勝利を導いたメンタリティ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50253


前回のラジオでも記事でも書いているが、2016年の大統領選挙を追うにあたって、結果や事実はマスコミを見るが、それを解釈するのは、ずっと個人を追っていたと書いた。実際今振り返っても、マスコミや専門家といわれる人たちよりも、そこから外れた人たちの方が、鋭い解釈を一貫してもつ続けて、しかも全体感を失わなかった気がする。その中でも、この川崎さんの記事はとても興味深く、特にこの記事が素晴らしかった。ヒルビリーについての手がかりを見るならば、この記事は素晴らしい、と思う。もちろん、選挙結果をデータで分析していけば、そんな単純化はできるものではないので、それはそれで追っていく必要性があるが、少なくともこの「負け犬が既得権益の支配層を打ち倒す」という言説が、世界的に猛威を振るっており、その文脈が具体的に個々のローカルの文脈に依存していることを見ていくには、このキーワードは非常に重要だと思います。


ドナルド・トランプの勝利が決した直後、イギリス時間の11月9日に、ナイジェル・ファラージは、はBBCにこんなコメントを寄せています。


「負け犬たち(underdogs)が支配者層(the establishment)を打ち負かしたのだ」


Nigel Farage: 2016 is year of political revolution


Nigel Farageは、ユキップというイギリス独立党の党首で、この前レスター伯爵とラジオをしたときに、ブリクジットの説明で出てきた人ですね。イギリスの文脈は、イギリスで全然違うのがわかって、目から鱗だったのですが、それは、また別のラジオで進めます。ただし、この大きなグローバルな世界的な流れが、それぞれのローカルの脈々と出てきた文脈とつながっていく様は、世界的な傾向といえて、これは見ていく必要があると思います。また、渡辺由香里さんの書評で書いたのですが、この大きな流れは、左翼やリベラリズムが、マイノリティの既得権益を獲得していく中で、既得権益の解体を進めていく中で、そこからどんどんこぼれ落ち取り残されている層がコアになって不安を増幅していったという分析があります。この声を代弁して、物語を与えたところに、ドナルド・トランプさんの今回の選挙の勝利があったのではないか?という視点は興味深く、では、アメリカのローカルな文脈において、ヒルビリーとは何なのか?というのを、見ていくのは重しい視点だと思います。


少なくとも、ヒルビリーを嫌悪するのではなく、共感する、彼らがなぜそうなるのか?、自分だったらどうなるのか?という姿勢なくしては、世界はわからないと思います。


Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

特に川崎さんの記事がいいのは、具体的に見るべき映画や音楽が描かれており、それが正しいかどうかはともかく、非常に大きな「見るべき流れ」と手掛かりを具体的にもらえるのが素晴らしいです。渡辺由香里さんも町田さんも洋書の評論家や映画評論家で、膨大に具体的なサブカルチャーやカルチャーなどの経緯を浴び続けて出てきているからこそ、大きな変化の中身に気づけたのかもしれないと思います。


ということで、まずは、ずっと見ようと思いながら手を出せていなかった『ウォーキング・デッド』(原題:The Walking Dead)を見始めています。いやはやおもしろいですね。背景知識とか先のストーリとか見ないで見ていますが、いやはや引き込まれる。韓国ドラマと同じで見始めると、止められなくて身体を壊すので、いつも見始めるの躊躇しているのですが、いやはや素晴らしい。


ウォーキング・デッド コンパクト DVD-BOX シーズン1


川崎さんの記事を見て思い出したのは、僕のブログのテーマで、「小説家になろう」のサイトとライトノベルの文脈を追っていく中で、「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」というテーマを持っていたんですが、これって、流行を追い求めるランキングシステムで、救済の対象・感情移入の対象が、ニートからはじまって、どんどんより厳しくきつい層にうつっていって、それはもう空想・妄想上の弱者なんじゃないか?というところまで話が展開していくことをとらえてのテーマでした。なんで、人はそんなに弱者に共感移入したいのか?と。自分を弱者にアイデンティファイされたほうが、なぜか共同体の安心を選べるようなんですよね。この話は現在も進行中の力学ですが、その中で、佐々木さんの『当事者の時代』があるのですが、これすさまじい名著なんで、ぜひともおすすめします。日本のメディアとリベラリズムの変遷史を考える上で、この視点はコアになるものだと思うのです。

「当事者」の時代 (光文社新書)


そして、この力学を追っていくと、どうもゾンビものの類型と親和性があって、という議論を僕はしています。


最近、ゾンビものにはまっています。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151007/p1

ただひたすら走って逃げ回るお話 作者:残念無念
http://ncode.syosetu.com/n2302bh/

ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない 作者:裏路地
http://novel18.syosetu.com/n3271bm/


ちなみに、この二つは素晴らしい作品なんで、ぜひともおすすめです。おお、もう本にもなっていたりするんですね。

ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない 1 (ノクスノベルス)


またその時のテーマの追及の一つの視点は、こうやって、世界が滅びちゃったり(ようは強者と弱者の価値基準が逆転するマクロシュチュエーションを作り出す)すると、本当に弱者はどうなってしまうんだろう?どういうのがあり得るんだろう?というのを追ったのが、青井さんの視点で面白かったと書いていますね。

『異自然世界の非常食』 青井 硝子著 めっちゃグロテスクで目が離せません(笑)。これ、凄いSFですね。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150418/p1


これ、これまでこのブログの思考の過程では、袋小路に陥っていた問いに対する一つの鮮やかな可能性を突き進んでいるので、、、、僕的な定義でいうと、文学(可能性の分岐の系を見極め踏破しようする物語)なのかもなぁ、でも、これ文学じゃないよなぁ、、、文学の定義を少し考えなければなぁ。えっと、


「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」


って問いを立てたとき、救済があるというのは、自分で変わっていける(=成長)力がある、この場合の力とは動機が持てることが、その出発点の条件でした。なので、議論がどうやって動機=内発性を持てばいいのか?ということをしていました。物語の主人公になる条件は、その物語を支配する動機の軸を持つことというぼくの発想からすると当然の話でした。しかし、そもそも、内発性を持てない人ってのはある割合でいるらしい。その場合、この問い自体が、それらの人々を切り捨てるこういうのなるのでは?という方向に話が行きました。ただし、このある割合というのは、社会的にはほとんど無視できるぐらい特例の比率であって、たぶん想像上の仮定である可能性が高く、ほとんどいないのではないか?とも考えられています。というのは、これは言い張っているだけで、見方によるからです。絶望しているといっている人のほとんどが、努力も何もしていないし、そのための手段もある場合がほとんどで、甘えているだけだからです。そもそも、声を上げれる時点で、この層には該当しません。そんな甘っちょろい状況を想定して今いませんので。


『異自然世界の非常食 2』 青井 硝子著  社会に参加する動機がなければ、自然に帰ればいいじゃないか!って、そっちの方がどう考えても厳しい選択しかも(苦笑)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150818/p1


異自然世界の非常食1<異自然世界の非常食>


この時の論考は、だから、藻谷さんが言うようなグローバル経済と独立的な共同体による緩やかなつながりが落としどころになるのではないか?と僕は考えています。


里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)



などなどをいろいろ考えています。とりあえず、コツコツ、ウォーキングデッド見るかなーという感じです。



ちなみに、望月さんの下記の選挙結果のデータを丹念に見るのは、いいなーと思いました。僕が偏りがちなイメージで考えて大きくとらえるのと同時に、こういうデータから事実を読み取るのは重要ですよね。、



2016-12-05
「ラストベルトの反乱」という神話。白人労働者たちがトランプに寝返ったというのは本当か。
HIROKIM BLOG / 望月優大の日記
見えているものを見えるようにする。
http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/trump.and.us


2016-11-13
ドナルド・トランプの勝利と「新しい世界」について
http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/trump.and.us