99%の人は、何者になることもなく、何もなせず、ただ生きて死んでいくだけ。答えは、そっちじゃない。

何者かになりたい


イムリーなテーマだったので手を取った。がしかし、一言でいうと、構造を解説した本で、具体的な処方箋はないんだなと思いました。どういう文脈でいうかというと、


テーマとして、「いまこのとき(2021年)」に、「何者かになりたい」ということがどういうことなのか?という設問は素晴らしいと思う。


しかし、「ではどうすればいいのか?」という答えがない。答えがないにしては、タイトルがちょっと強すぎる。


もちろん、「何者かになりたい」という構造、意識が「どこから来たのか?」ということを明らかにすれば、答えはいらず、一つの知見を得られるという本の在り方もあると思う。でも、アイデンティティーを「『自分はこういう人間である』という自分自身のイメージを構成する、一つひとつの要素」と定義して、若者がそれにあがいて、獲得していくプロセスが語られるだけでは、ちょっとプラクティカルではない、と思う。僕は、こういう時代性を反映した、その時のテーマや時代の要請からの本には、「プラクティカルに、具体的に、いったいどうすれば、その問題が解決できるか」の方法論が書いていないと、手にとって人が肩透かしを食らうと思っています。まぁ、そうなると、キャリアポルノ的な自己啓発本になってしまうんだけどね。


正直言って、僕のような「教養を得る」ことや「物事の複雑な構造を、時間をかけて読み解くために勉強をしたい」というような層は、あまりいないと思っている。そういう人は変人だから。。。だから、この本は、誰に向けて書かれた本だろう?とちょっと、わからなくなった。だって、このタイトルだと、「どうすれば何者かになりたい」という不安な気持ちを、解決すればいいのか?が、書いていないんだもの。ほとんどの人は、その不安を取り除きたいか、できないならば、「何者かになれる」と宣伝しているオンラインサロンに入ると思う。それは悪手だといったところで、ではどうすればいいのか?という、即効性のある具体的な方法を示さなければ、やはり若者は低きに流れるのは、歴史が証明している。もちろん、そんなものはないんだけどね。


読んでいて、終始「じゃあ、どうすればいいの?」というのが、頭に浮かぶので、著者のシロクマさん自体が、答えが定まっていないんだろうと思った。「何者かになりたい」という構造を示して、答えは簡単に得られないんだよという結論は、たいていの本がそうなので、なんというか、多分これを読んだ人は、余計何が何だか分からなくなるだろうと思った。


読んだ一読の印象としては、オンラインサロンに代表される「何者かになりたい」動機を利用して搾取する構造にはきおつけようといっているのですが、処方箋がなければ、なかなか回避しずらい。



ペトロニウスの答え~これを読んでい人は、まぁ99%モブの意味も価値もない人です(僕も含めて)


僕の答えは、アラフィフにしてもう出ている。


まず大前提は、尊敬する出口治明さんからもらった答え。


99%の人は、何者になることもなく、何もなせず、ただ生きて死んでいくだけ。


以上。


これを踏まえなければならない(笑)。「何者にもなれない」のが、僕らモブの人生。モブとは、歴史にかかわれることなく、ただ生きて死んでいくだけの普通のパンピー。人類の、中島梓さん的に言えば、95%は、これ。コリンウィルソンも言っていた人類指導的5%とかかな。僕の言い方でいえば、99%の人は、意味も価値もない。


じゃあ、どうやったら残りの1%の、歴史を変えて名を残す人になれるのか?


それは、運によって決まります。なので、意思も努力も関係ない。


僕もそうおもっていたが、古今東西の本を読みまくった怪物的な教養人である出口さんの結論も同じで、やはりそうか!とひざを打ちました。


ちなみに、中島梓さんは、『ベストセラーの構造』で、大衆の識字率が上がってたので、多くの人が「自分は文字が読めるいっぱしの人間だ」と勘違いしていると喝破している。実際は、ほとんどすべての人は、文字が読めても、「文脈を読む能力」は皆無です。いいかえれば、人間としての、市民(シティズン)としての、教養あり、政治にかかわれるほどの自立した自己判断能力がある人なんていのは、ほとんどいない。自立した理性ある近代人なんて幻想だ!(笑)。僕の言葉でいえば、いいかえれば、上記の5%以外は、文字が読めるので、自分を人間だと勘違いしているお猿さんなんです。それが、大衆社会というやつ。


なので、自己判断としては、「自分は、何物にもなれず、ただ生きて死んでいくだけの、お猿さんでありモブである!」を、前提にしたほうがいい。「そうでない」人には、「そうでない」ことが、わかります。だって、そういう人たちは、みんな誰一人「悩んでいない」もの。時代から選ばれる人たちだから。だから、悩んでいる時点で、自分は、価値も意味もないモブだと認識すべきなんです。


ペトロニウス少年は、この結論に、高校生の時に到達しました。中島梓さんが、僕の神様だったので(笑)。


ただし、なかなか頭で理性でわかっても、「自分がモブであり意味も価値もない」というのを認めるのは、とてもとても難しかったです。



■自分がモブで価値も意味もないという「絶望」は、ニヒリズムを人に誘う


そして、ほとんどの人は、この「自分が意味も価値もない」ということに、耐えることができない。


この不安が、人々に絶望させ、ニヒリズムになります。


僕は、インターネットや教育の向上によって、「理性ある近代人」とか「歴史にとって意味ある何者か」でもないのに、「僕って何?」とか考えてしまう、教養を積む努力と意思もないのに中途半端に教育を受けてしまった「なれの果て」のパンピーが、僕らなんだ、と思っています。


本当に、この意味のなさに耐えうる理性ある近代人になりたければ、「この絶望」を越えなければなりません。


まぁ、無理です。だって、意味ないもの。それを超えても、別に得なんか何もないから(笑)。


伝わるでしょうか? この「絶望」ってやつが、「何者かになりたい」と、今思う君たちの動機の正体です。


熊代さん的に、これを「アイデンティティを獲得するための若者の基本衝動」定義して、普遍的に解説するのは、非常に正しく科学的だし、まっとうなのですが・・・・処方箋にならないと思うんですよ。今、現代、2021年になぜこの衝動が、たくさん若者に現れるか?そして、なぜオンラインサロン(まぁ、要は新興宗教ですよね)に行くか、それを防ぐための。


やっぱり、この流れって、キャリアポルノや自己啓発本のような、ただの「大衆社会の消費者」に過ぎない個人が、なれもしない「自己判断、自己で価値判断ができる自分になる理性的な近代市民」になろうとするあがきなんですよ。社会が、そうなれって要請しているし、それに「乗り遅れると食べていけない」「誇れる自分になれない」みたいな洗脳圧迫をかけてくるわけですから。


まず、究極の答えの一つ。もし、君が、本当の本当に悩むなら、


宗教を信仰しましょう(笑)。いやマジだって、それが一番、心と体が安定します。


ちゃんと具体的に指定します。キリスト教カソリックがいいです。近くにカソリックの教会に行きましょう。日本だとプロテスタントも悪くないかもですが・・・。あ、全力で、新興宗教は避けましょう。そうですね、ここ200年くらいにできた宗教は、すべて拒否です。キリスト教の分派も、すべてだめです。


何が言いたいかというと、社会と共存している「古い安定している宗教に入りましょう」と言っているだけです。オンラインサロンも含め、新興のものは、集金システムが安定していないので、容易に搾取されて、その割には組織が長く持ちません。


ペトロニウスは、無宗教ですが、、、もし、自分が死ぬような病気になって怖くて寝れなくなったら、キリスト教の教会に行くと思います。教会のような共同体が機能して、個人を相手にしているものならば、何でもいいんですよ(笑)。


話半分で聞いてほしい感じですが、古く社会と共存している宗教で、共同体に包まれる、という体験が最後の救済の処方箋だろうと思うんです。自力で何とかできなきゃ、最悪、そこがあるって思っていると、楽です。まぁ、仏教でも神道でもいいんですが、ぱっと思いつかないので(笑)。


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海燕さんの結論も、同じでだと僕は思います。「自分」は「自分」以外になれないという・・・・でもこれは、海燕さんらしいですが、強者の理論です。この「残酷な事実」を受け入れろ、というのは「理性ある教養人の思想」です。普通のパンピーにはできません。


■じゃあどうするか?~「何者かになりたい」というエネルギーと不安を、搾取されないためには?


そこまでじゃない、宗教とかまでじゃないんだ!という人に対しては、アイデンティティをタコ足のように分散させましょう。


????これは、ちょっと難しいです。


僕がとても尊敬する、いつもプラクティカルな答えを出してくれる、オンラインサロンの最初の創設者(笑)岡田斗司夫さんの「僕たちの洗脳社会」の答えの一つです。



ようは、足があるコップというかボウルみたいなもので、一本や2日本だと、不安定で危ないので、さいてい3本以上、足を作りましょうということです。


自分のアイデンティティという「水の入ったコップ」を支える足が、複数ないとだめですと、言うこと。


通常、一般的な人生では、「地域共同体」「会社」「学校」「家族」みたいなもので支えるのが一般でした。けれど、2010年代では、社会が「個」にばらばらに分解している都市社会の住人なので、これらの「支えが」成り立ちません。


最後に残った親密圏の「家族」にあこがれと幻想を持つ人が多数いますが、、、、これも「家族の解体」のテーマは、さんざんやったじゃないですか、物語で。エヴァンゲリオンのゲンドウみたいな父親いります?(笑)。「父」であったり「母」であったり「夫」や「妻」なんていう役割も、だいぶ危ないです。うまく回れば、とても強固ですが、まぁ今の時代かなりあやうい。なので、友達を作ろ、とか、結婚しようとか、そういうのは、まったく解決策になりません。


いや、友達でも結婚でもいいのですが、「複数の軸を持て」ということなんですよ。


この複数の「アイデンティティを預ける先を持って」それのバランスを維持するという戦略が、生きるのに凄い楽になります。


この複数の所属先を持つというのは、SNSとかインターネットのせいで流動性を増した社会では、ものすごくやりやすくなりました。


この話具体的には、岡田斗司夫さんのこれを読めばいいですよ。おすすめ。



■具体的には何か?~要は趣味を探せ、というお話


普通の人は、普通にがんばれ。結論はこれですね。


「会社や仕事」「趣味の友達Aグループ」「趣味の友達Bグループ」「趣味の友達Cグループ」「家族」これくらいを軸でもって管理する癖をつけます。


重要なのは、「越境はさせない」です。


趣味の友達Aと、B、Cは絶対に重ねない。趣味と仕事とかもです。一緒になると、「逃げ道がなくなる共同体」と化すので、いじめが起きやすいからです。共同体の同調圧力の怖さは、僕ら村社会の日本人は、よくしっているはずです。できれば、友達のような永続性のない集団は、3年ごとに、少しづつ変えていくのをお勧めします。期間は、3年です。それ以上短いと、あまりに弱い所属先だけど、3年以上だと、たいてい腐っていじめが起きます。その中から、「これ!」という大事な人を一本釣りしていく。


ちなみに、「趣味の友達A」が、オンラインサロンとかで会ったっていいんだと僕は思います。


重要なのは、コミットメントの「度合い」をコントロールすること。


「会社や仕事」(50%)「趣味の友達A」(1%)「趣味の友達B」(5%)「趣味の友達C」(30%)「家族」(4%)とかとか、こんな風に。


このコミットメントの度合いは、「自分にとってのうまい塩梅」は模索し続けるしかありません。


趣味の友達Aがオンラインサロンであったとしても、そこに「お布施(笑)という名の収奪」があっても、まぁ、それが人生の数パーセントであったら、いいじゃないですか。これがアイドルの押しだったら、たとえば、人生の50%くらい投資して、ただ収奪されただけでも、「その時のひと時のj=絶望を忘れられる」のならば、金をかけた価値が十分にはあると思います。「何者かになんかなれない」のだから、「それが役に立たなくてもいいんです」。それが、「楽しければ(=嫌なことを少しでも忘れられれば)」、それで十分なんですよ。


ビジネスの用語でいえば、これはポートフォリオ戦略のことです。多角化経営でもいいですが、ようは、コアコンピタンス(競争力のコア)を、組み合わせにして、外部環境の変動に対してフレキシブルに対応できるようにするということです。


愛する人と出会いたい!」みたいなロマンチックラブイデオロギーは、これを一つの軸に、集中してかけるので分散投資しないってことです。危なすぎて、これだけ流動的な「個」によって形成される社会では、危なすぎてだめです。


■楽しければ(=嫌なことを少しでも忘れられれば)」、それで十分


これ、結論の一つです。「何者かになりたい」と思う衝動は、安定したアイデンティティ獲得への渇望なので、死ぬまで苦しみます。今は、これが若者特有ではなくて、高齢者にまで広がってきました。これは、寿命が長くなることやQOLが向上して「青春(=何にモノでもないことに耐える時代)」の期間が長くなっているからです。


だから、僕は、「人は何者にもなれない!、動物のように死ぬだけ」という事実を前提に、その怖さを「忘れられる」ものを、探しなさ、と思います。


それが、「自分の好きなこと」です。


あなたは、何をしているときに、「この苦しい現実」を忘れることができますか?


ペトロニウスの結論は、30代の後半に出ました。僕は、物語(映画、漫画、小説)があれば、他には何もいらないって。


なので、コミットメントのバランスを変えました。もちろん、僕には子供の子育てや、アメリカで仕事をしなきゃいけなくなったり、苦界の苦行は付きまといますので、時には、仕事や家族が、人生の90%ぐらいになってしまうときも、瞬間最大風速あります。


でも、僕のターゲットは、60歳以降(笑)。その時に、80-90までの残りの20-30年間を、物語に埋もれて暮らすための、インフラ作りが、今だと思って、配分しています。だから「それ関係の友達」を育てるのは、20年単位で努力しています。


重要なのは、覚悟と時間です。何かのインフラを作るには、経験上20年はかかります。特に社会人は、最低この時間がかかります。


また「こんなことやっていて意味があるのかな?」という覚悟の問題もあります。僕も、30代半ばまでは、自分のオタク趣味って、なんにも意味がないなって悩んでいました。たとえば、それこそ本を出したら、そういうのがなくなるかな?とか、評論家として大成したら、「何者のかになれるかな?」とか、、、、でも結論は、「そういうことじゃない」と思いました。会社で、出世して、アメリカの会社で経営者になっても、全然うれしくない自分がいて、あ、、、これ、だめなやつだ・・・・これって承認欲求であって、充足としては、かなり弱いものなんだ、、、と自分で気づきました。人によるとは思うので、仕事が充足がないという意味ではないです。ペトロニウスには、あまり満足いかなかったんです。


そうか、、、、ただ単に、物語を消費して、そして解釈して、友達と話すというサイクルの中に、「時間を忘れる充足がある」と言うことに、僕は気づきました。だから、人生のすべてでの最優先順位だと確定したんです。ただ、何にでも「時」はあります。今の僕は、子育ての時間が大きすぎて、昔ほどオタク趣味に時間をさけていません。また、せっかくアメリカに住んでいるのだから、もっとアメリカを知りたいし、、、そもそも僕は子供のころから旅行が死ぬほど好きな人なので、せっせっと旅行に行っています。けれども、そのどれもが、「より物語を深く充実して楽しむため」という目的意識のインフラにかかわるようにしています。


僕は、これをクンフーと呼んでいますが、「自分が!自分とは何者か!というような自己に関する不安問題」を忘れることのできる「時間的な強度・密度」を感じれる何かに、かけること。「無時間性の何か」、と僕はよんでいます。ようは、目的意識に乗った集中力が、極まっているときに入るゾーンの話をしていますが、そういう話はどうでもいいです。


とにかく、不安を忘れられるならば、それで十分じゃないか、という話です。


そして、そのクンフーとか好きなものが、「何者かになるための手段」に堕してしまわないように慎重に配慮する戦略意識が重要です。


わかりますか?


目的のための手段になった瞬間に、それは「自己否定を誘う最悪のトラウマ・ルサンチマン」になるからです。


この辺は、長いので、またこんど。



■ハイレベルの「何者かになりたいワナビー衝動」の利用方法~退屈を忘れさすには目的を持つことだ!~長期と短期を分けて考えろ!


そして上級者編。


シロクマさんも書かれていましたが、「何者かになりたい衝動」というのはエネルギーです。だから、これが「何物にもなれないやばい衝動だ」という自覚を持ちながら、「あえて、この熱さに乗る」という戦略意識があると、人生は成功しやすくなります。


たとえば、ビジネスマンで、アメリカに行ってMBAをとる!!!とか、よくワナビーくんのビジネスマンが妄想する、意味のないやつなんですが(笑)・・・・短期的に、若いうちにこれに一点賭けして、ブレイクスルーするのは、僕は悪くないと思います。


これで幸せになれるか?


これで、何者かになれるか?


というと、まったく関係ありません(笑)。でも目指している間は、「何物でもない絶望している自分をわすれられる」ので、それが悪いとは思わないんですよ。


勉強でも、学歴でも、仕事でも、何かのレベルを上げて成長するには、狂気がいります。


この狂気として、この衝動を利用するのは、ありなんだと思うんです。


でも、短期と長期の戦略意識を考えないと、人生は失敗します。だって、こういう成長は、あまり幸せとは関係ないからです。成長しても、「幸せになる」ことはできません。成長している間、「ひと時絶望を忘れられる」だけなので、疑問を持った瞬間に、地獄に落ちます。


だから、短期的に、自分の不安を動機とエネルギーに変えて、目的意識で何かを目指すのはありです。


でも、長期では、この配分を「自分にとってベストの幸せとは何か」と考えて配置しなおさないと、地獄に落ちます。


■おわり

今仕事回っていなくて、書いたから、誤字脱字だらけだろうし、意味不明かもですが・・・・シロクマさんの本を読ませていただいて、2021年の今、この「何者かになりたい」というのを問い直すタイミングであるというのは、特殊な意味があるはずだと思いました。何か僕もよくわからないですが、「そんな感じ」がします。ここは重要なので、今後も考えていきたいものだなぁと思いました。あと、高齢者に、これが問われるようになっていく構造が出てきたのは、特筆されるべき指摘だと思いました。僕の自分自身の何者か衝動を、どういなしてきたかのまとめを、再確認するよい機会になりました。