『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(Avatar: The Way of Water)2022年ジェームズ・キャメロン監督 脚本が悪すぎて、あまりにひどかったので、丁寧に言語化してみた

客観評価:★★☆2つ半(2.9)
(僕的主観:★★星2つ)

やはり時代を画す大作はリアルタイムで見ておきたいと思うし、そもそもアバダーの1の映像体験が素晴らしかったから、できるならば劇場で観るべきと、いきました。少々驚きだったのが、あまりに面白くなかったからです。これだけの巨額の費用をかけた大プロジェクトが、なぜにこんな面白くなくないんだろう?と、そう思い、自分の感情と体験を素直に言語化しておこうと思って、Youtubeの配信をしました。基本的に僕の批評は、あまり悪いところをあげつらうのではなく、良いところを、文脈を見つけ出して背後の情報と組み合わせた楽しもうという姿勢なので、あまり「悪いところを言語化する」というのは少ないです。逆に、昔、全力で全否定した『鉄のラインバレル』(2008ー09)など、どうしても一言言わずにはおれないというような本気の否定の時(苦笑)は、「ペトロニウスの物語観が滲み出る」ので自分としても、言語化して残しておくと自分のこだわりが明確になるので、大事だと思ったんです。

ちなみにFilmarksは、劇場に見にいった映画をベースに、ショートレビューの感想の骨格を上げるようにしています。

振り返ると、僕が論点としている点は以下ですかね。

  • ジェイク・サリーが下半身付随で動けない人間で、それがアバダーになることとで動けるようになるという解放感のドラマトゥルギーがなくなっている
  • 人間と先住民ナヴィの境界の視点が失われている
  • ジェイク・サリーの家父長的ムーブが時代遅れでしんどい
  • 本来なナヴィの空の民の指導者である女性ネイティリに、リーダーとしての視点がない
  • 多様なものを受け入れています的なポリコレ感が溢れているのに、捕鯨は認めないなどの、自分の都合で線引きをする傲慢さが透けて見える
  • 境界視点が失われているから、平気でジェイクが、人間(海兵隊の者仲間)を殺しまくって、葛藤がない
  • 少数民族の独立の物語になった場合は、どちらが正しいかの二元論になって、白人のインディアン虐殺・侵略の400年の解体になっていない

このTwitterがなるほどと思ったのですが、これがテレビドラマシリーズの導入部だと考えると、まぁわからなくないです。全体の中で、後半にナヴィの抵抗運動と独立の物語、そして後続世代の息子、娘たちの話になる導入だと考えると、わからなくもない。それを単体で映画として評価すると、悲惨になってしまう。


とはいえ、もう第三部を映画館に見に行くことはないな。ディズニー+とか、ネットフリックスで十分。多分これが、ディズニーランドやワールドのライドになるのだろうし、それはそれできっと素晴らしいものになるのだろうから、観て損はないと思うのだが、まぁ映画館で気張って見るほどではないなぁ。1は、観ておいて損はないと思うが、これからのアバダーワールドの世界は、特に興味がなくなってしまった。


最後に一つ。


全世界で日本だけが、興行成績のスタートの出足が悪かったそう。もちろん、それは、ファーストスラムダンクやすずめの戸締まりなどの対策があって、日本にだけ「異なる選択肢」があって、そちらに人が流れただけだと思う。そして、それは、とんでもなくすごいことだと僕は思いました。要は、メガトン級のコンテンツがないと、そうはいっても、ジェームス・キャメロンのアバダーを見るのは、まぁ、悪くない選択肢だと思うんですよね。そして、世界中でそういう選ばれた方がして、売れた。このポリコレ臭の溢れる、傲慢な視点は、米国以外には、明らかに文脈的に好ましいものではないと思うのですが、それでも売れている。それは「選択肢がないから」だと思うんですよね。流石に、そうはいっても、アバダーを超える選択肢をいくつもあるような文化的に成熟して多様で豊穣なコンテンツが溢れている国が、全世界に日本以外にほとんどないって証だと思うんですよね。ハリウッド、ディズニーのこの映像体験を超えるコンテンツ力って、すごいと思いませんか?。そういう意味で、日本市場すげぇって、僕は唸りましたよ。


閑話休題


そして、めちゃくちゃ売れてる!(笑)