『福岡市を経営する』 高島宗一郎著 最も成長が終わってダメージを受けた団塊の世代ジュニアこそが、成長より成熟なんていっていちゃだめだろう!

福岡市を経営する

評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

何となくは知っていたのだが、ちゃんと追ったことがなかったので、いい機会だと思い軽い気持ちで読んでみた。そうしたら、2018年に読んだ中の本で最もインスパイアされガツンと来た本で、その圧力に驚いた。★5つ主客に両方で最高点だった。自分がこの本で強いインプレッションを得た点は2点。


1)成熟とか言ってんじゃねぇ!、打ち捨てられて沈み未来が暗い団塊のジュニアこそ、成長を目指し、希望を取り戻す先導役になるべきだ!


一つ目は、個人的な「生きる姿勢」として、大きな指針をもらったこと。

団塊ジュニアの私が「成長ではなく成熟だ」なんて言いたくない


この話、胸にずんと来た。著者と私は同い年。明らかな団塊の世代ジュニア。統計的にも世代的にも、時代に食い物にされ成長から取り残された打ち捨てられた世代。高度成長期の恩恵を受けず、その狭間で新しい時代にうまく乗れず、ただ沈んでいった世代。1971年から1974年第二次ベビーブーム世代なのですが、この世代が、時代のはざまのダメージを直撃させられた世代。統計的事実として、団塊の世代の子供たちである我々は、受験戦争が最も激化した時代に受験を経験します。そして、高校生にバブルがあり、大学生ではじけ、就職超氷河期になり、卒業する人が多いのに景気が沈むという最悪を経験します。団塊の世代が作った日本の矛盾を引き受けるように、非正規雇用が増える政策がとられ、就職できなかった人々はニートになるか非正規雇用になるか、というようなそれまでの日本がつくってきた終身雇用などの神話の物語からはじかれることになりました。その神話によって洗脳されて教育を受けたのに(苦笑)。本来、第二次ベビーブーム世代の我々は、世代的に次の「第三次ベビーブーム」を起こすはずでしたが、それはできませんでした。それは、団塊のジュニアが、マクロ的に矛盾を背負わされ、構造的に再生産ができなくなったからでしょう。日本の国家のライフサイクルとして高度成長から低成長縮小期に入った矛盾を直視されず、その犠牲になった世代でした。


この背景をベースに、識者やリーダーが、これからは成長より成熟だというのを、高島さんは「嫌悪する」という政治家としてはかなり激しい罵倒を何度も投げつけます。彼曰く、時代の犠牲になった我々だからこそ、最も希望がないことのつらさを知っている。また希望がない(=成長がない)ことがどれだけ悲惨なことかを体験している我々こそが、率先して成長を求めないでどうするのか!と。


これ、胸に響きました。そして、何が凄いって、この方は大学時代から、この強い炎、強い意志を持ち、いまに至るまで持ち続け行動に移し続け、結果を叩き出していることです。自分を顧みて、どうすれば成長がない世界で、成熟で豊かに生きられるのか?という逃げの回答を探していた、賢しらだった自分を反省をしました。もちろん、個人としては、未来がキラキラしなくなった、言い換えれば、成長がなくなり、経済のパイはシュリンクし、社会の参加意識は弱くなり、あまつさえ、日本メインの神話である終身雇用の大きな物語に自明に参加することも許されない、だからこそ、結婚もできない、お金もない、子供も作れない(マクロ的には、第三次ベビーブームが来なかったというのはこういうこと)、そういった「変わらない永遠の日常」の中で、成長を求めないで、どうやって心の安寧や、幸せを見つけ出すか?という問いは、低成長の時代を、そうはいっても人生のメインの時期として生きざるを得なかった団塊のジュニアにとっては、痛切に求めた慟哭であり知恵でした。しかし、、、、それは、自分個人の心の安寧の話。


高島さんが、経済界のリーダーや政治のリーダーなど、人の上に立つ人が、低成長とか成熟とか、そういった言葉を吐くのが許せなくてイライラした、というのは、本当にそう。社会は成長がないと、良くなることはないという構造があるんだと思います。下記で、アメリカのウォークアウェイという運動を紹介しました。これは、リベラリズムを標榜していた、左派が「狭い線引きでの自己」の権利獲得、既得権益を守るために、全体のことを無視して、部分の正義のみを主張しすぎて、他者に暴力的、攻撃的になる(パイが少ないので、自分が奪い取る行為が正義)ことが、広範に嫌悪を呼び起こしているさまを、よくよく示しています。なぜ、こうなるかは、まさに成長への希望がないので、アイデンティ・ポリティクスで、「狭い区定義した自己」の権利の拡充だけを狙い、他者を叩き潰すことが「必要」だからです。パイ自体がシュリンクしていく中での、自己の権利を拡張は、すなわち他者からの収奪になりますから。そうする、価値もっとも持っていると定義される人、、、、アメリカでは中産階級で、男で、白人などと定義できるでしょうが、、、それまでの社会のメインストリームの層から、過去に差別をしたのだという遡っての清算を求めて(これ自体は、いろいろ問題はあるが論理的ではある)ることになる。しかし、そういった「過去の罪を償え」ロジック+メインストリームの特権者はどんなに叩いてもよい!で、かつ、パイが増えない環境では、妥協ができなくなる。公正、フェアネスの基準(これは簡単に線引きは変わる)によって、どのへんで妥協するか?というバランス問題なのだが、要は社会統合ができなくなってしまう。社会の中で、部族(それぞれの属性などの小集団ごと)毎に殺しあって、モノを奪い合う北斗の拳状態になる。


petronius.hatenablog.com



こうした社会を、それでも個々人の権利を拡大し(リベラリズム)、かつ社会の安定的な統合をぎりぎり維持するラインで妥協していくためには、絶対に「成長」が不可欠なのだ。成長への希望、可能性がなければ、人は、内ゲバで、限りあるパイを奪い合って殺し合いしかしないので、社会統合も絆も、異なる他者との相互理解もしようとはしない。だから、社会のリーダー、少なくとも組織で人を率いる立場の人が、成熟とか低成長を許容するようなセリフを吐くことは許されない。それは、希望がないので、内ゲバで殺しあえ、と勧めているようなものだ、という風に周りに受け取られるからではないか、と僕は思う。

団塊ジュニアの私が「成長ではなく成熟だ」なんて言いたくない


これは、個人的に大ヒットでした。というか、胸にさすように響きました。自分のこのブログの物語批評のこの10数年間の基本テーマ・文脈として、いや、僕が子供の頃からのライフテーマとして、成長と成熟の両輪をどう回すのか?というのがあったと思います。二つの異なる「志向」がマインドセットされていて、一つはベイシックスキルというカテゴリー(だけじゃないですが)で、どうやったら成長できるのか?、勝てるのか?に常に注目してきました。とはいえ同時に、低成長の沈みゆく黄昏の社会で、「永遠の日常」をどう楽しく成熟して生きていけるのか?、、、、時にこれは切実でした。団塊のジュニアである僕らの世代は、もっとも高度成長期の終わりの地獄をたたきつけられた世代なのに、にもかかわらず、団塊の世代の親から「努力すれば報われる(実際はマクロ的に報われない)」「頑張ればだれかが見ている(実際は、搾取しようと弱者を探して、食い物にされる)」などの、高度成長期の希望によって支えられた社会道徳や倫理を、徹底的に洗脳され、そのやり方に適合してきた時代でした。ぼくは、この「信じている価値観や行動指針」と、「外部環境が依然と全く違うものに変わっている現実」の信じられない乖離が、『新世紀エヴァンゲリオン』などのアダルトチルドレン的なものへの広範なシンパシーが生まれたのだと思っています。

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でも、「それでも」やはり社会の統治というマクロ的観点から見れば、「成長ではなく成熟だ」なんてのは、まったく役に立たない戯言なんだというのが身にしみました。ミクロの生活の安寧や、持続可能性や生活世界の習慣などは、もちろんこの成熟の技術って、重要なパラダイムシフトで、超長期にはトレンドがおかしいというわけではない。けれども、短期、中期、そして現実に「みんなというレベル」で考えるとき、リーダーシップ(リーダーだけではなく、すべての人にはリーダシップが必要という伊賀泰代さん指摘は正しいといつも思う)の次元では、成長は常に意識され、目指されるべきものなんだ、としみじみ思ったのでした。

採用基準


高島市長が、書いているこの本を全体的に読んでいけば、「様々な人がいる現実社会(ここでは福岡市全体)全員の合意」を作り出すことは不可能に等しい。それが、全体を通して、これでもかと伝わってきます。福岡市の市政自体に詳しいわけではないし、彼が言っていることが正しいのかのファクトチェックをしているわけではないのですが、読んでいて彼の感情の動きや行動だけを追っていても、明らかに価値観の異なる人々の合意を形成するコストは、現実のところ高すぎて、社会統治というのは、本当に難しいのだなと実感します。これは、どんな小さな組織でも、人が何人かいるところに生きていれば、合意形成のコストの高さは実感できるはずです。現代の日本は、価値の多様性や多様な生き方が認められたリベラルな民主制社会で、こうした多様な社会での合意コストというのは、ほぼ不可能なほど高い。既に、予算制約から、成り立たないところまで来てしまっている。ケインズ主義にふれすぎた社会を、持続可能性にするに、ネオリベラリズム新自由主義レーガノミクスサッチャリズムなんでもいいですが、その反動のトレンドが生まれたのは、ある種の大きな不可避流れなんだと思います。手法の問題点はあったにせよ。


こうしたほとんど合意形成ができないような多様な人々を、それでも「前に向けるのに必要なもの」は、希望です。希望とは、すなわち、成長への意志です。もっとかみ砕いていえば、いま現在、もめていて合意形成ができなくても、そこに向かって一緒に課題解決の努力をすれば、「きっとよくなるだろう」という未来への可能性が前提になければ、もっとも正しい行為は、リアル北斗の拳の「万人の万人による闘争」になってしまう。自分の主張とエゴを押し通して、限られたパイの取得領域をどれだけたくさんとるかがルールになってしまう。社会は構造的に、成長への可能性、希望を排すれば、既得権益の防御と奪い合いになり、合意形成のコストが、ただでさえ高いのに、ほぼ不可能になる。


これが、社会的に指導層にいる人が、成長を語らず、低成長とか成熟とか、そういった言葉を吐くのが許せなくてイライラするということの中身だと思うのです。僕も、日本の未来は真っ暗だ、とか海外の成長している国に逃げ出せ!という言説や意見に、どれくらいイライラしただろうか?。そもそも事実に基づいていないし、論理的じゃないし、感情的にもいやだといろいろあるのですが、それよりもなによりも、社会全体位のことを無視して無責任な言葉であり流布だったからなんだったんですね。ああ、そうだぅたなんだ、、、、、と。しかも、視点が狭すぎる。ちなみに、ぜひとも『ファクトフルネス』を読んでみてください。人類は、素晴らしく前に進んでいます。

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

最近、僕が考えるキーワードは、「統治」という視点。早稲田大学大学院非常勤講師の藤井達夫さんの話していたのを聞いて、「これだ!」と思ったんですよね。僕は政治とかマクロを考えるときにいつもずっと疑問があって、例えば左翼は、どうしてあんなにも財源とか実行可能性を無視して不可能な理想を追い求めて大量殺戮にいつもいたるのだろう?と、また右翼は、なぜ現状肯定をしすぎて差別や嘘伝統を信仰して、進歩を受け入れずに頑迷になってファナティツクになっていくのだろう?とか、もう少しいかえると、なぜ幻想(イデオロギー)ばかりにすがって、現実があんなにも見えないのだろう?。何が間違っているのだろう?と。子供のころから見てて、いつも切実に思うのは、どう見ても間違っているように見えるんですよね(笑)。この「現実を直視していない」という言葉をもう少し開くと、「社会を、自らの手で統治するにはどうすればいいのか?という観点」がないからなんだな、とつながったのです。この辺りの権力の議論は、モイセス・ナイムの『権力の終焉』もよかったですね。

〈平成〉の正体 なぜこの社会は機能不全に陥ったのか (イースト新書)

権力の終焉

なんでも、夢の妄想のように、「思い」が「正義」が通じるわけではない。そこには現実という制約があって、使えるリソースは限られており、また期限が常に決まっている、というのが「現実」の条件ですよね。いいかえれば、目標は目標として、常に統治という観点(=限られた制約)で、どのように諸条件を妥協する、というか「目の前にある、あるもの」という限られた道具で、結果を出さなきゃいけない、前に進んで現実を変えなければいけない、というプラグマティックな意識がないと、現実はどんどん悪い方向に向かってしまう。理由は簡単で、現実に「直接手が届かなくなる」からだろう。思いだけで、世界は良くならない。


そういう視点でいうならば、統治という視点で見るときに、マクロの視点では、成長を考えないのは、卑怯だということ。また、高度成長が止まって、社会がダメージを受けた時に集中して苦しんだ団塊の世代ジュニアこそが、それをいわなくてどうする!というのは、ああ、いいストーリーだな、と個人的にとても納得したのでした。



また、団塊のジュニアの「僕らこそが!」というところに、ぐっと来たんです。



この後で話しますが、テクノロジーについていけない現在の40代、、、、自分のこと、団塊のジュニア世代が特にですね、もう社会にいらない、という岡島悦子さんの意見から導き出される見解に、さびしいとは思いながらもアグリーでした。もう既に、テクノロジーによるインフラの設計や改造を骨の髄まで理解していない世代は、次世代の社会にとってほとんどコストのようなもので、いらないんだ、という話は、余りに腑に落ちるので(経験的に)ああ、そうだなとしみじみ反論する気も起きないくらい自然に受け入れる話でした。

岡島悦子さんという方は、僕は今まで知らなかったのですが、現場のこういった未来の指導者層の教育等をずっとやり続けているみたいですね。分析に、ひしひしと現場感を感じます。なので、とても現実適用性が高い感じの概念が多い気がします。この人が現場でずっと悩み、戦い続けていく過程で、最終的な結論は、ここでは書かれていませんが、「現在の経営者及び経営者予備軍では使い物にならない」と(笑)結論を下したんだと思います。これは、先ほどの人口動態の世代論で考えると、まさにその通りなんですよね。団塊の世代から団塊の世代Jrにかけてまでの世代は、もう次の時代のパラダイムシフトについていけないというのは、マクロ的には、確かにわからないでもない。なので、世代を飛び越えた、次世代の層(40代で社長を生み出せるように)に対して早期教育や、キャリアパス、抜擢の仕組みを作るように制度を作りたいんだろうと思います。日本以外では、刺激的でも何でもないタイトルですが、日本ではすさまじく刺激的なタイトルでしょうね。ようは、この辺りの世代(僕の世代も含まれますねー)に対して、用なしなんで、静かに退場してね、といっているので。もちろん個々の組織の事情はあるので、単純には言えないけれども、ただ全体の傾向で、こういう制度を作って、それが成功するというイメージを作れば、一気に日本の組織はなだれ込んでいくのは、横並びなので間違いなくて、処方箋としては極めて具体的なものだと思いました。実際、最近の日本の組織、特に人事部での既定路線ですよね、ここで言われていることなのは。とはいえ、長く日本の大組織に勤めていると、魂なしの仏さんみたいなもので、コアの重要な部分を全く理解せず、もしくは居使いして、表層の形だけを取り入れて、全く意味をなさないというケースが多々あるので、これがどもまで本当の意味を持つかは、まだまだこれからでしょうね。

petronius.hatenablog.com


40歳が社長になる日(NewsPicks Book)


この岡島悦子さんのトレンド分析正しい。けど、もちろん、社会にとって必要ないですね、団塊のジュニアは。現在の40代は、いらないです、というのは、まぁ、さびしいですよね(笑)。僕、ドンピシャなので。ここ数年、全力で老後の個人の幸せのために、友達の絆や、会社のシゴトではない何かにコミットし続ける姿勢が出たのは、こうした希望がないあきらめの境地があったというのは、一つの大きな理由です。もちろん、リンダグラッドン教授の100年人生になれば、セカンドライフも、いやマルチプルな人生があるので、そのために、様々なレイヤーで、活動してインフラを作っていないと、本当に人生がもったいない、というお話。でも、同時に、社会、いまの仕事の領域で、本当に何かできるリーダーは、世代的に若くてテクノロジーが体感できていないとダメだろうな、という実感もあったので、あきらめ入っていた部分もあるんです。自分の子供を見ていると、もうこりゃ全くかなわないな、としみじみします。もちろん米国に住んでいるので、英語で教育を受けているので、ナチュラルにバイリンガルというのも、多様性に慣れているという帰国子女的なアドバンテージもあるようにみえますが(実は僕は過去の帰国子女的アドバンテージは、移民が増えて社会が多様化した現代日本では、実はそれほど大きくなくなると感じています)、、、それよりも、息子がフォートナイトをやっていて、あっさりと世代も国籍も、しゃべる言語もちがう人と友達になってチームを作ったり(あったことすらない)、、、何かわからないことがあると、世界中のyutubeとか、検索能力が僕ら世代とはけた違いに高すぎて、確かにまだ子供だから自己で分析する能力や思考する能力は弱いとしても、そもそも情報の検索力や、広大なネット世界に日常的に生きているアドバンテージが、もう桁というより次元数が違う。ああ、、、人類は、めちゃ進歩してるんだ、と感心します。まぁ進歩というよりは、単純に、現実に適応しているだけですけどね。これ、さらに小さい娘が、何の疑問もなくI-padとか使いこなすの見て、もうこりゃ、デジタルネイティヴ世代とは、生き物が違うんだ、とあきらめたくらいでした。


LIFE SHIFT(ライフ・シフト)



けど、、、、そうじゃなかったんですね。高島宗一郎さんの姿を見ていれば、団塊ジュニアの世代は、まだまだ通用する。というか、常に、社会の変化は、遅れるもので、それも一律に進むわけではなく、様々な重層化して、分布して変化します。そういう中では、旧来の価値化のやり方と、新しいやり方を「つなげる」ことには十分に価値があり、つねに、若者による現実の適応と吸収というアドバンテージだけではなく、年齢をこ重ねることによる、様々な履歴を体験して、現実にアクセスできるというような老人の叡智(笑)ってほど、40代は年寄りではないですが、あるんだなと思った次第なんです。なによりも、僕もわからないわからないといえども、長くブログを書いたりラジオを書いたり、テクノロジーには、親和性にある日常を送っているんで、「それ」を単純に社会に実装する意思が弱かっただけなんだなぁ、って。個人の領域だけに使用を限定しようとしてるから、だめなんだ、と。



まぁ、ひとことでいえば、やりゃ、できるんじゃないの?という話(笑)。



2)SNSが社会のインフラになり、ポピュリズムに落ち込んでマクロ政治が機能しなくなる環境での、明確かつ具体的な解決方法として都市サイズの復権、そして、リーダーが新しインフラストラクチャーに適合していくことこそ新しい政治の目指すべき姿


さて、成熟よりも成長を目指すべきだ!という高島さんの信念に、ぐっと来たのですが、、、、それ以上に、福岡市のよう規模の行政権力でこそ、日本を本当に良くするモデルが作り出すことができるという彼のイメージは、読んでてなるほど、と唸りました。あのですね、政治家が描く本は、たとえば、以前マクロンさんの本が素晴らしくて紹介したんですが、だいたいの場合、素晴らしい理念なんですよね。連合王国アメリカ、日本などの国が反動的な反グローバリズム政権にふれるなかで、フランスはよくぞ、こんな理念的なリーダーを選出したな、と唸ったんですが、最初から指摘されていたことですが、とても理念的過ぎて、たしかに、グローバリズムの肯定と両立すると、こういうストーリーになるんですが・・・・・でも、これって、どっかで暴動でも起きるんじゃないか、と思っていて、注目してたんですが・・・・やっぱり見事に暴動起きましたね。黄色いベスト運動。だから、理念的なのだめだよなーとしみじみまた思いました。

革命 仏大統領マクロンの思想と政策

petronius.hatenablog.com


なんというかいろんな本読んでいて、抽象的には、どうすればいいのかの大枠の方向は、何となく感じるんですよ。けれども、実際に、先進国の富は、人類に再分配されているので、先進国(もうこの言葉も手あかにまみれてきたなぁ)中産階級の没落は、不可避なんですよね。先進国の中産階級に限定して再配分するのは、無理。なので、再分配を差別して求めて、移民を規制しナショナリズムが沸騰するのは、もう避けられない流れです。


けど、具体的に、どうすればいいのか?というのがよくわからない。


特に国民国家レベルでは、ケンブリッジ・アナリティカ(Cambridge Analytica)の問題など、民主制の根幹の部分を破壊するであろうフェイクニュースSNSによる意思決定、合意形成への影響がいま世界中のホットトピック(2019年1月ね)です。


でも、実際に、具体的に、どう運営するの?というのが、見えない。「具体的に」というのが、さっぱりわからなかったのです。


高島市長の本を読んでいて驚いたのは、かなりの答えが書いてあるからです。もちろん、彼だけではなく、さまざまな政治のレベルでイノベーションや実験、トライアンドエラーが繰り返されているんだ!と、心底驚きました。日本国というナショナルな区分での政治は、悪くなる一方で(笑)、何もやってないんじゃないの?的な気分になるのがいつもでしたから。


えっとね、なんかバラバラなこと言っているなぁ、、、。僕のイメージはですね、2019年1月ぐらいの今の話題って、やっぱりフェイクニュースなどの拡散のメカニズムをベースにしたケンブリッジ・アナリティカ(Cambridge Analytica)によるアメリカの大統領選挙への影響などを見ても、そもそも、民主制を成り立たせる根幹が、揺さぶられている。なぜ揺さぶられているかといえば、まだこの辺りは現在進行形だけれども、テクノロジーによって、民意(ここでいうと投票行動など)が、かなりバイアスがかかってしまい、正常な判断ができていないようにみえる。またウソや偏った情報によって、民意が激しく揺れてしまう。この辺りのポストトゥルースは、世界のホットテーマなので、こつこつ考えているんですが、なかなかまだまとまんないですね。

www.newsweekjapan.jp

フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ (DOJIN選書)


さて、フェイクニュースポストトゥルースのような環境変化が与える民主制の打撃に対して、具体的にどうするか?という方向性が見えなかったんですよね。


でも、高島宗一郎さんは、かなりの割合が、このSNSによる民意の集約方法や、や情報の拡散の在り方について費やされています。学者じゃないので、細かく分析してあったり、手法の構造などが明らかにされているわけではないのですが、これって、まさに「政治家のSNSツールの使い方」が説明されていて、「行政が、ダイレクトで民意とつながって、現実を動かす現実的モデル」が形成されているのが、よくわかります。何によってよくわかるかというと、まさに「結果」によってです。様々な例が出てきていますので、ぜひとも読んでみてください。


ここで、僕が、面白いなぁと思ったのは、彼がアナウンサー出身でかつプロレスマニアだった点です。


さらに言うと、東京都知事大阪府知事に見られるように、タレントのようなメディアに知名度がある人間が、いきなり行政の長に選挙で勝って就任するというパターンであることも。これまでの過去の経緯を見ていると、メディアの知名度によって選ばれた政治家というのは、だいぶ何もできずに終わってしまっているなーといつもしみじみ思うのです。全部だめだったとは言わないし、致命的だったかどうかは、見る人のイデオロギーや角度によるので、なんともいえません。とはいえ、「メディアの知名度」自体を、行政に生かしているケースは、個人的には稀な気がします。


最もメディアを有効的に使えていたのは、橋本徹さん大阪府知事大阪市長(この辺全然僕はh知らないので、印象ですが・・・・)だと思うのです。えっと何をもって有効といっているのかというと、僕は政策の中身とかは全然わかっていないのですが、とにかく「物議を醸し出す」提示をして、それで民意をシェイクして、それによって物事を動かす手法。いわゆるポピュリズムですね。僕は、この言葉を、必ずしもネガティブにはとらえていません。資産を持たない民衆が、政治参加をどんどんしてゆき、敷居が下がれば、こうなることは目に見えていて、構造的な問題だと思うんです。衆愚政治、というやつもですね。大筋は、それまで市民(シティズン:国の防衛のために命を捧げ、パブリックにささげる)みたいな激しいコミットがなければ参政権もなかった時代から比べれば、大きな流れで、様々な人々に統治に参加できる方向に向かうことが悪いとは思えないですもん。

ポピュリズムとは何か - 民主主義の敵か、改革の希望か (中公新書)


そんななかで、橋本徹さんのように、必ずしも密室ではなく、メディア機能をフル活用して民意とダイレクトに影響を与え合うこと自体は、方向性としてはわかるんですよ。どこからこれが来たかといえば、密室政治だったり、賢人政治だったり、官僚政治でも何でもいいのですが、「誰によって決められているか」という「政治をコントロールしている主体感覚」がない衆愚というか、人々が増えていきながら、それでも参政権があるという中では、構造的なものじゃないですか。そりゃ、SNSでも何でも使って、民意につながろうとするのは、おかしいことじゃない。


ただ、フェイクニュースのどうも本質のようなのですが、SNSなどの双方向メディアによる拡散環境においては、どちらかというと右であったり、保守的な偏見が強化される傾向があるようなんですね。これが、左翼やリベラリズムの行き過ぎによる反動の時代ゆえなのか、それとも、そもそも個人間のメディアにはそういう性質があるのかは、これからの分析が待たれるところだとは思うのですが、、、、でもね、そこはテクノロジーによって、僕は何とかなる部分が、将来的にはあるんじゃないかなぁと思うんですが。。。


あっと、ずれた。えっとね、橋下徹さんの時に、横で見てておもぅたのは、「政治的な論争をしているなぁ」という感じというか、「イデオロギー的な戦いをしているなぁ」という印象でした。いや、これは僕が知らないだけの偏見だろうとは思うんですが、なんかテーマというか扱っている題材というか素材が、イデオロギー的な気がしたんです。えっと、もう一つ言うと、イデオロギー的な視点になるのは、少し「視点が高い」んですね。国政のレベルの議論をしている。国政のレベルというのは、「そもそも根本的にどうあるか?」のデザインを話し合ってる感じがする(あくまで印象論、よーしらんので)。


何が悪いの?と思うでしょうが、えっとね、、、そういうのって既得権益で雁字搦めになって、老人世代がかなりの得票数を握ってしまう日本社会の構造問題から言うと、なんか議論だけして、何も動かなくなちゃうんだよなぁ、と思ったんです。実際スタックしちゃったでしょう?。道州制とか。これって、行政的に、独裁的に権力握らないと、ものが決められなくなってしまう。握るためには、さらに民意をシェイクして、、、という風になると、ちょっと悪い方向性のポピュリズムになってしまう気がするんです。実際、民意の支持をベースにした安倍首相にしても、なんとなく右翼的な安定した支持層を煽りに煽って、そこを固めて、、、、みたいな構造が見えて、そういうのを見ると、当然、左側の立場から言っても、そこまでいかなくても民主制擁護の立場から、根本的なポイントで疑問が出て、また話がスタックしてしまう。そういう、権力維持のためや「目の前のイシュー解決」のために、民意を煽るのは、長期的に見て、国民を馬鹿にするので、凄い危ないと思うんですよね。日比谷焼き討ち事件を、僕はいつも思い出します。


・・・・・今の日本の現実に、スタックして、思考停止して、禅問答のような論争している余裕はないと思うんですよねぇ。


ちなみに、安倍さんの構造は、トランプ大統領の構造ととても似ている気がします。けど、分裂している先進国の壊れた中産階級相手に支持をつなぎ留めながら、スピードの速い意思決定を、割り切って、民意を煽って動かそうとすると、こうなちゃうんじゃないかなぁと思うんですよ、構造的に。


僕は、イデオロギー的な「正しさ」にはあまり興味がなくて、統治のレベルで、どうやったら具体的に、前に進んで、よくなっていくかというのが興味があります。


で、この答えが、政令指定都市の福岡市ぐらいの規模の行政に特化した統治こそが、スピードとして速く具体的に統治がよくなるっていう、高島さんの実感は、ほんとになるほどと思うんですよ。


これみんなわかっていることで、大前研一さんの都知事立候補から、橋下徹さんの話も、道州制的な視点ですよね。ようは、国家規模だと行政が遅くて、まともに前に進まないので、適正規模にした方がいいって言っているんですよ。これ、たぶん、もうほとんど、全世界的な、方向性の見えた考えだと思うんですよね。もちろん、最終的には、こうした広域行政地区(大都市圏)と、国家規模での関係を、どう考えるか?という国家デザインの話には、なるんですが・・・・・でも、それ以前に、じゃあ、「ある一定の規模の行政単位」を、「選挙に強い(独裁的に進められる権力を持つ)」行政官が、そこに住んでいる人の分裂する民意を救い上げ、シェイクし、こねこねして(民主主義は単純に多数決というわけじゃないと思うんですよ。少数意見との関係性にポイントがある)、そして、明確に国際競争に勝ち抜きながら、その地域に繁栄を明確にもたらした実績というか例が、日本にはありますか?というと、これ、まさに福岡市ですよね。東京もそうですが、こう自然に出来上がっているまだ人口が上昇しているような国の富や知恵が集積している大都市圏は、ちょっと例じゃない気がします。政治家が何もしなくても(笑)、構造的によくなってしまうトレンドにあるうちは。

福岡市は、様々なマクロの数値が、明らかによくなっていること、国際競争においてもいいポジショニングに立ちつつある。それでいて、福岡のローカル性がとても強まっているように見えます。えっと、グローバリズムを国家レベルでやると、、、その国の文化である必要がなくなってしまうのが問題なんですよ。グローバルシチズンは、国のこと考えない強欲な資本主義の奴隷なので(笑)。だから、その地域のローカル性が強まることは、すなわち、生活世界の空洞化を招きやすいグローバリズムに対する重要な評価ポイントなんですよね。普通は、グローバルな競争力が増すと、地域性がだめになりやすいんですよ。なんでそうなっているかというと、福岡市という「適正規模」云いかえれば国家より明らかに小さい単位の「行政的に同一性を持ちやすい」単位で、民意をガンガン動揺させて動かしているので、参加意識が生まれているし、それに対する手ごたえがあるんだと思うんですよ。


再分配を求めたり、現在の不満をぶつけるだけだと、必ずだめになります。だって、既得権益の奪い合いで、同胞と憎しみあって、パイを奪えというメッセージになっちゃうんで、リベラリズムが浸透しつつある先進国の市民は、自分の属するマイノリティ集団(みんな実はマイノリティなんじゃないか?と僕は最近思う。マジョリティという敵は、もういなくなりつつある)のエゴを叫びあうアイデンティティポリティクスの正義同士による万人の万人対する闘争になってしまう。ここで重要なのは、成長への希望。「いま現在は解決できない難題であっても」時間をかけて、知恵を出し合い、妥協をしあい、そして「未来を待て」ば、解決可能な構造に変わる可能性は十分ある、ので「持続可能な」妥協を考えるという姿勢。だから、既得権益の奪い合いになるアイデンティティによる正義の貫徹は、非常にダメな考え方。もうこの考え方は、未来がないとみんな思っているので、いろいろ悩むと、右翼や保守に投票しちゃう(笑)。それも極端でダメなんだけど、いまのマジョリティって、こうしたリベラルサイドに見えちゃうんだよなぁ。だから、リベラル側に対する嫌悪感が、社会に根深い。


あっと、話が妄想的な抽象的になりすぎた、えっとですね、高島さんが、ここでSNSなどを凄い使って民意をダイレクトに動かしているんですが、なるほどなぁ、とおもったのは、Facebookなどによる「物事の伝え方」の点。


曰く、顔が見える人格が大事なので、非常時じゃない時に、顔が見える、個人的な運営をしないと、機能しない。また「どのように伝えるか?」ということを、よくよく考える。この場合は、シンプルで、分かりやすく、という方向性に凄くよっている。つまり、ある特定の地域の行政官として「統治に重要」な部分にバイアスがかかっているので、かなり「うまく伝わりやすい」。これ、実はすごい難しいけれども、、、、知名度のあるメディア認知度のある選挙に強い人、、、、この場合は、さらに高島さんがアナウンサーであったこと、徹底的に、短い時間に、本質を、バイアスがあることも含めて、伝えていく訓練を若い時に(今も若いですが)徹底的に積んでいることが効いていますよね。また、フェイクニュース的とは言わないのですが、プロレスというのが、ガチの格闘技と、ショーとしての物語(ウソ)のはざまにあるところのものなんですが、それが大好きだったという点も、凄く機能しているように感じます。


まだまだ現象だけなので、僕もうまく伝えられないのですが、福岡市町というある一定規模の広域行政の長として、かなりの独裁的な力を持ちながら、丁寧に民意を吸い上げていく姿勢は、まさに政治家って、こうあるべきだし、これからのポストトゥルースという背景のあるテクノロジーインフラが進んだ僕らの住む世界で、マクロに立つ人は、こういう発想が必要なんだぁ、としみじみ感じました。

えっと、なんで選挙に強い政治家が、選挙に強くて意思決定ができるかというと、既得権益とずぶずぶになっている行政官僚(市役所などの官僚ですね)と、その相手である既得権益(=集票マシーン・組織票ですよね)と、話し合って、ある程度妥協させるテーブルに着くためには、「民意による高い支持」が必要だからなんですよね。だから民意とのダイレクトな情報交換ができている政治家、行政官には、時限的な独裁権力があったほうがいいんだと思うんですよね。それが、そもそも民主主義でしょう?。官僚や既得権益層に、意思決定を骨抜きされるようじゃ、話にならない。行政官僚制度が行き着いた僕らの現代社会では。


この人は、本当に具体的に「政治」をしている!と、生き生きと本を読んで伝わってきました。また、先ほどの国家レベルの議論になると、神学論争みたいなものになってしまうので、総論に落ち込んでしまわない、具体的な行政テクノクラートの視点として、福岡市という適正規模をマネージしていることが、明らかな「結果」に結び付いているなぁ、、、と感心しました。


僕はほとんど、福岡のことを知らなかったのですが、この本を読んで、少しぜひとも追ってみたい、と思うようになりました。いやはや、この若さで、しかも同い年の団塊のジュニアで、こんな人がいたんだ!と感動しました。


まぁ、きっと悪い面もあるんでしょうから、この本以外の、反対意見の人も少し追いたいとは思うのですが、それにしても、ここ何年も、いやもっとか?、政治に出口というかモデルがないなぁと思っていたんですが、久々に、これはおもしろい!と思う方を見つけて、、、ああ、日本も捨てたもんじゃないなぁ、やっぱりと、うれしくなりました。


そして、団塊のジュニアの、自分ももっと頑張らないと!と思うように勇気をもらいました。



福岡市が地方最強の都市になった理由


これ、もう売っていないんだなぁ。読んでみたいなぁ。。。

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たったひとりの闘争

『ゴブリンスレイヤー(GOBLIN SLAYER!)』Japan 2018 蝸牛くも著 尾崎隆晴監督 神々に、サイコロを降らせないというのことが、僕らが最後にできる唯一正しい回答

ゴブリンスレイヤー(1) (ビッグガンガンコミックス)

評価:★★★☆3つ半
(僕的主観:★★★★4つ)

アニメーションとしての出来がとてもよかった。きれいにまとまっているし、ゴブリンというこの中では天災的な位置づけですね。それに、人生と世界を壊されてしまった少年の復讐の物語。そして、復讐心が、ちゃんと癒しに結び付いていく。復讐心の癒しですよね。主軸は。軸がしっかりしているので、見てて非常に楽だった。


けれども、客観評価が★3と普通なのは、これは日本のファンタジー文脈の多様性の中の一つの系。ルーツの展開なので、これ単体で見て、傑作とわかるわけではないな、と思ったからです。僕の客観評価は、★4-5クラスは、たとえば、アニメーションを普段見ていない人が、その作品を見ても楽しめるか?とか、現代日本の物語文脈に慣れていない人が見てもちゃんと物語を理解すれば素晴らしいと感じるか?とか、もう一つは、たとえば萌えアニメ的なもので明らかに男性向けのセクシャルな視点が入っていてさえも、むしろ女性もこれ見たら面白いんじゃないか?とか、その逆も、明らかに女性向けであるのに、これ男性が見てもぐっとくるんじゃないか?などの、コンテンツそのもの、そして受け手の、属性やテーマなどの教会を超えても、ちゃんと見れば楽しいかどうか?というポイントが入っているからです。主観は、単純に好きかどうか。または自分のもつ固有文脈に位置づけられるか。



ゴブリンスレイヤーの魅力は何か?といえば、ファンタジーのお約束の中で最弱的な位置づけの、冒険者の練習みたいな敵である雑魚キャラのゴブリンについて、まじめにその位置づけを考えて物語を展開したこと。



「だと考えると」、日本の他のファンタジーものをたくさん知って経験しているという前提に立った、ある種のマーケィングの王道を外してきている、その「外し」を楽しむ部分が大きいので、これ単体で、物語に大満足することはないなぁとおもったからでした。


とはいえ、弱いゴブリンとはいえ、群れると新人冒険者などは簡単に殺され凌辱されること、繁殖が凄いので数は増がどんどん増えること、みたいな、、、あっと、もともとゴブリンの日本おファンタジーでのお約束の持つポイントは、(1)弱いけど群れて襲われるとやばい、(2)繁殖力が高い、とかなので、これをまじで考察すると、たぶん冒険者のような金で動くものにとっては対峙する価値が非常に低いので、かなりほっとかれる傾向があるはず。また、女性を、繁殖の道具として群れで使用するなど、エログロ設定は突き詰めればどんどん深刻になるはず。


けれども、そもそも数が多くて弱くて、という構造は、「勇者が魔王を倒して世界を救う」という物語のメインストリームの部分にとって、ほとんど必要がなくなります。なので、これ単体で物語を作るのが、凄い難しいはず。だって、動機を主人公に持たせるのが難しいじゃないですか。


だけど、ここで天災のように、目の前で家族を皆殺し、なぶり殺しにされて、帰る故郷を喪失したという少年の、復讐心の物語にしたのは、うまい。


そして、じゃあ、ゴブリンを殺せば、いいのか?というと、ゴブリンは数がいる天災と同じ位置づけなので、これを倒すには、どうやって家族を殺した自信と戦うのか?というような、途方もない目的にならざるを得ないところに落とし込んでいったのは、いやはや素晴らしい。ゴブリンスレイヤーの復讐を求める気持ち、愛する姉を奪われた怒り、自分がそれを成し遂げられるほどの勇者でも英雄でもないことへの恨み、苦しみ、無力と怒りなど、何度も何度も繰り返されて素晴らしく感情移入できる。


そして有力な冒険者になってさえも、ゴブリンを殺し続ける狂気を見せることで、彼の動機の深さがとても伝わる。


そうした時に、このアインディア勝負の物語に、終わりの落としどころ見つけるには、予測として二つくらいしかない。一つは、誰も助けてくれなかった、守れなかったという本人の公開を昇華させるようななにかの体験をさせること。それは、幼馴染の女の子を、姉の代りに守ることや、誰も助けてくれなかったことの代償に、自分が助け、そして仲間が助けてくれること、、、、って、そのままアニメーションのメインストリームの演出になっている。これ、きれいにまとめていると思う。



もう一つ、これが、こういうエログロというかグロテスクな、現実に過酷さをたたきつけられる物語が受けた背景には、2018年は、まだまだ新世界系の影響下があるんだろうと思う。



物語マインドマップ 9. 新世界系の登場~新たな竜退治へ

物語三昧ラジオ/雑談+物語講釈+新世界系+オルフェンズ 2017/10/01

物語三昧ラジオ/けものフレンズと新世界 2017/06/02

物語三昧ラジオ/新世界のビルドゥングスロマン+快楽線 2015/06/28

物語三昧ラジオ/PACTとセカイと新世界 2014/10/12


新世界系を一から話すと長くなるので、この辺で暇な人は予習してください(笑)。


けど、勇者じゃなくて、勇者の背後を守る名もなき戦士の話って、渋すぎ。こういうのができる、日本のアニメ、ファンタジーは素晴らしいなー。勇者が、僕らが守った街が滅びにやったら、困るもんね、というセリフが、ちゃんとあるのは、よかったねー。神々に、サイコロを降らせない、というのはいい。これって、ファンタジー作品を、たくさん読んでいると、「この問題意識」がどんどん深堀されているのがわかって、集合知というか、群で考えるというのは、凄いことなのだなぁ、といつもしみじみ思います。ちなみに、この問題意識の思考の流れは、下記のあたりがいい記事なので、もしよかったら、読んでもらえたり、ラジオ聞いてもらえると、理解が深まりまっせ。

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まおゆう魔王勇者 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」(1) (角川コミックス・エース)

petronius.hatenablog.com

petronius.hatenablog.com

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ちなみに、この問題意識というのは、英雄だけに頼るのは、まずもって人間として卑怯ではないか?という問い(=他人に責任を丸投げしつつ、安全なところ?から眺めることの卑怯さ)と、それにプラスして、英雄=一人の個人が世界を救うことができないほど世界は複雑なので、マクロを変化させるには時間と、一人の人間ではない集合知が必要というも問題意識が重なっていると思うのです。

魔法騎士レイアース 新装版 (1) (KCデラックス)

このあたりの問題意識が先鋭的にエンターテイメントの世界に現れてくるのは、CLAMPの『魔法騎士レイアース』や橙乃ままれの『まおゆう』の頃だと思います。この二つは、ちょっととんでもないレベルの傑作です。既に、1970年代には栗本薫が、グインサーガの序章?というのかなぁ、グインサーガの時代を「まだ個人が英雄たりえた時代」というような言葉を描いているので、この問題意識は、それなりに教養というか知識がある人々の中では、既に常識化していたのだろうと思うのだけれども、エンターテイメントとして普通の受けて、消費者が人気によって支持するようなエンターテイメントの領域まで理解し、受け入れられ、そのさまざまな可能性が物語として展開するような、引き返せなきくさびにはなっていなかった、と思う。けれども『ガッチャマンクラウズ』『まおゆう魔王勇者』『魔法騎士レイアース』のような、時代の楔になった作品群のみならず、このへんは、小説家になろうの作品で『勇者のお師匠様』『ゴブリンスレイヤー』『異世界再建計画』『異世界コンサル株式会社(旧題:冒険者パーティーの経営を支援します!!)』など、もうこの問題意識が、空気のように当たり前に展開するようになっているんだなーと、読んでいてしみじみ感じます。日本のエンターテイメント業界は、どんどん教養深まってるぜ!と、感心します。戦争は、極端なイノヴェーションをもたらすけど、やっぱり長期間の平和の爛熟って、めちゃめちゃいろんなものに、深みと広がりをもたらしてくれるので、日本人としては、このWW2以降の長い期間の平和って、素晴らしいよなーって、しみじみ思います。あと、自分もうすぐ四捨五入すると50歳のおっさんで、30年以上もエンターテイメントの世界を、本気で眺め続けてきた蓄積があるからこそ、「この大きな悠久の流れ」が感じられるのだと思うので、生きててよかったーとしみ字も思いながら、物語を楽しんでいます。


petronius.hatenablog.com


勇者様のお師匠様 I


『勇者のお師匠様』『ゴブリンスレイヤー』『異世界再建計画』『異世界コンサル株式会社(旧題:冒険者パーティーの経営を支援します!!)』あたりは、この辺りのファンタジー群でも珠玉の作品群なので、とてもおすすめです。問題意識云々いう以前に、エンターテイメントとしてとっても面白い。けれども、どれも、大きな文脈や、小説家になろう的な異世界転生(でないのもありますが)フォーマットに、いくつもの大きなひねりを与えて、この問題意識に答えを出そうとしていて、その素晴らしさやアイディアに涙というかため息が出ます。


記事があるものは読んでほしいのですが、『勇者のお師匠様』は、勇者が救った後の世界をがどうなるかを描くこと、戦後処理を度するかの難しさを背景に淡々と描いています。また、実はこの世界では勇者がキーではありません。勇者が愛する一人の男の子が、めちゃ無力なのに(笑)、戦略核兵器このボタンを押せる人のごとく、権力闘争の中で、それをどう位置づけるかという話になっています。


また『ゴブリンスレイヤー』では、世界を救う勇者の背後で、日常を守っているのはだれか?という問いを突き付けます。勇者が世界そのものを救っても、その間に零れ落ちる普通の人々の無念をどうするのか?という話。


異世界再建計画』では、チートな勇者が世界を救ったがゆえに、そのずっと後の時代に世界がめちゃくちゃになっていく問題が描かれます。チートの能力で、貧困と食糧問題に苦しむ世界に、勇者は、白米と稲作をもたらします。。。。これ自体は、善意であり価値があったのかもしれませんが、、、、その結果、その後の時代には、脚気が構造的な病気として埋め込まれてしまいます。日本の歴史を見るまでもなく、脚気の死者はすさまじい。これは、戦争で死ぬ数と比較してもはるかに多い人間を死に追いやるでしょう。。。チートで世界を変えることについて、この世界の神様(監視員)は非常に懐疑的ですが、それはこういう破局が生まれやすいからですね。主人公はその世界の修理を依頼されて異世界転生するのですが、彼は、勇者=くそやろう、と呼んでいて、うん、凄いわかる、、、とこのプロットに唸りました。

異世界再建計画 1 転生勇者の後始末 (レジェンドノベルス)

読むたびに泣いてしまうのですが、『異世界コンサル株式会社』では、すわコンサル設定の異世界転生か!ってその通りなんですが、、、、それが本質の一つではあるのですが、それだけでは、言い表せない素晴らしい問題意識が物語の本質に埋め込まれています。この世界の、冒険者たちが、貧困の若者がバタバタ死んでいく構造的に弱いものが食い物にされ死んでいく構造そのものを何とかしたい、と志した主人公は、なんと靴!を作るメーカーを作ることを志します。。。。ああ、まおゆうの、世界の殺し合いを何とかしようと思ったときに、そうだじゃがいもの栽培を広めよう!と思いつくのと同じですね。このへんの、世界をよりよくしていくこと、社会改良を、するにはどうすればいいかというエンターテイメントの世界での問題意識の深まりに、僕はほんと、いつも感動します。これ意識としては、僕の中では、高橋和巳さんの『邪宗門』から連なる問題意識なんですよねー。ちゃんと進んでるじゃん!現代社会!といつもいい気持ちになります。こういう問題意識が、一般に共有されている社会の、なんと凄いことか。いや、ほんと、面白い物語がたくさん。幸せです。

邪宗門 上 (河出文庫)


異世界コンサル株式会社 (幻冬舎単行本)

カマラ・ハリス上院議員は、合衆国初の女性大統領になれるか?/Sen. Kamala Harris announces 2020 presidential run

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フォー・ザ・ピープル(For the People)を選挙スローガンに。米国の祝日マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デー(Martin Luther King Jr. Day)に、カマラ・ハリスカリフォルニア選出の上院議員民主党)が、ABCの「グッドモーニング・アメリカ」で大統領選挙出馬表明を行いました。数年前に、今後の有力な大統領候補になるだろうと紹介したことがあったので、継続的に追っていたので、ちょっとメモ的にブログに書いておきます。ちなみに、キング牧師記念日( Martin Luther King Jr. Day)は、アメリカの大切な休日で、公的機関はかなり休みになります。また、うちの子供たち(小学生)も、この時期になると、キング牧師の業績を学校とかで習ったりするので、公民権運動とアメリカのリベラリズムの業績を、振り返る重要な位置づけになっている休日です。キング牧師の誕生日が、1/15なので、1月の第3月曜日になります。ちなみに、これは、月曜休日統一法(Uniform Monday Holiday Act, Public Law 90-363)という法律で、なっています。Kamala Harrisさんは、ジャマイカ系と、インド系のルーツを持つので、また民主党のリベラルのルーツからいっても、この日を狙ってきたのでしょう。エリザベス・ウォーレン(Elizabeth Warren)マサチューセッツ選出上院議員が、自分のルーツに、先住民の祖先示すDNA鑑定公表したりして、いろいろ迷走していますが、「自分が何者か?」を示すこと、それによって、どこの層のグループの表をとっていくかは、重要な選挙戦略なので、アメリカ人お政治家は、その人が「何者か?」というのを自己定義している部分は、常によく見ておく必要があります。とくん、僕らのような日本人には、このあたりのセンシティヴさが、ほとんどわからないので、気にすると面白いです。

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さて民主党は、既にたくさんの人々が、予備選に向けて立候補していますが、なんというか、こういったたくさんの人を、絞っていく過程が予備選なので、結果だけ見たい人にとっては、この辺りの状況を追うのは、ちょっと早いかもしれません(笑)。けれども、この辺りの、候補の顔触れや、予備選で何がもめるか?イシューになるかが、今後のアメリカ社会の動向を占ううえで、とても興味深いので、コツコツ追ってみようと思います。

kamalaharris.org


これまでに民主党では、エリザベス・ウォーレン上院議員マサチューセッツ州)、カーステン・ジリブランド上院議員ニューヨーク州)、タルシ・ガバード下院議員(ハワイ州)、ジョン・デレイニー前下院議員(メリーランド州)、フリアン・カストロ前住宅都市開発長官などが、出馬の意向を示している。

2020年の民主党大統領予備選にはすでに少なくとも4人の女性が出馬する見通しで、大統領選を同時に戦う女性の数としては過去最多になる可能性がある。

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民主党では、2020年の大統領選で共和党ドナルド・トランプDonald Trump)現大統領に挑む候補者の指名争いが既に混戦状態となっており、マサチューセッツ州エリザベス・ウォーレン(Elizabeth Warren)上院議員ハワイ州のトゥルシ・ガバード(Tulsi Gabbard)下院議員、ニューヨーク州のキルステン・ジリブランド(Kirsten Gillibrand)上院議員、フリアン・カストロ(Julian Castro)元住宅都市開発長官らが出馬を表明、あるいは検討している。

www.afpbb.com

とはいえ、どんどんこういった民主党候補者が乱立してくると、以前書きましたが、民主党共和党に、ひいてはドナルドトランプ現大統領に負けているのは、アインデンティ・ポリティクスが激しくて、内輪の分裂が激しいからだと思うのです。そういう意味では、2018年の中間選挙での下院の民主党による奪還で、女性の議員やマイノリティの議員が見事に増えたことは、アメリカ社会のリベラリズムの浸透具合と、それに伴うマイノリティの権利がまだまだしっかり伸長していることを示すのですが、同時に「だからこそ」一枚岩になりきれず、共和党の保守的な政策や、トランプ大統領のあおりに対して、結束できず内輪もめで自滅しているという現在の構造が、なかなか克服できない。2016年の選挙戦から、さらに、その内輪もめは深刻の度合いを深めている気がします。


いろいろな意見があるでしょうが、2017年の中間選挙共和党が上院を守り切ったのは、事実上トランプ大統領の勝利だと僕は思っています。下院で弾劾されても、実際に罷免できないのですから。また、過去の歴史を見れば、大統領選挙で勝った政党が、次の中間選挙で下院を落とすのは恒例行事のようなものなので、これをもって民主党の躍進!とは全く言えないと思うのです。アレクサンドリア・オカシオ・コルテス下院議員の登場ように、さらに激しいバーニーサンダース色の強い色合いが濃くなったのですから、行ってみれば民主党の分裂は、さらに強まっている気がします。もっとも、既得権益層とみなされて、かなり人気がなさがヒラリー・クリントンと並ぶナンシー・ペロシ下院議長が、老練でしたたかな政治家の存在感を示しているので、中道路線が民主党で見直されると、もう少し選挙戦が楽なのでしょうが、、、、いやこれはただ分裂が深まっているだけかな。

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petronius.hatenablog.com


回想録『私たちが手にしている真実・あるアメリカ人の旅路"The Truths We Hold: An American Journey"』。もう回想録が出ているのですね。まだ読めていない。でも、たしかに、ジャマイカ系とインド系で、この地位まで上り詰めてきたのは、ドラマチックな感じがするので、この時点ですら相当興味津々でしょうね。現時点では、民主党予備選挙の中では有力候補者ですが、まだまだアーリステージなので、コツコツ追っていきたいと思います。

The Truths We Hold: An American Journey


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