マインドマップで語る物語の物語

『それでも僕らはヤってない』村山渉著 自意識が過剰すぎるきらいはあるけど、それはそうだろうなぁ、としみじみ。

それでも僕らはヤってない 1巻 (トレイルコミックス)

客観評価:★★★3つ
(僕的主観:★★★☆3つ半)

絵柄が好きで、昔読んだことがあるなーと思っていたら完結していたので、昨日一気に買って、読了。悪くない、けど★3つ。薦められるとかというと、、、うーん。1)問題意識に対して、最終巻で到達しているのが、なんとなく自分的には、消化不良。これを少しつらつら考えてみたい。2)もう一つは、やはりタイトルで設定されたテーマが、「好き嫌いをすごく分ける」し「極端すぎて(物語だからアリだけど)」感情移入を拒む感じが少しある。

1)はね、一言で言うと、「童貞であること・処女であること」「SEXの経験がないこと」がこの作品の基本構造で、そのことへの「自意識のぐるぐる感覚」が、一歩踏み込むことなできなくて、いろんな人間関係を歪ませていくと言うところに、この作品の主軸があるんだけど、、、、途中からちょっと無理が出てきてしまうと思うんですよ。時田晃介と藤野陶子の二人がメインの関係性だと思うんだけど、5巻ぐらいまでいくと芹沢亜矢奈とか、関係性が十分に深まっていくと思うんですよね。もうこの二人にせよ他の関係にせよ、「そこまで深くお互いに踏み込んだら」もう、経験がないことのバリアーは消えるはずでしょうと。えっと、もう少し云いかえると、「SEXの経験がないこと」をめぐる自意識の過剰感が、現実の人間関係に一歩踏み出すことができなくて、イタイ行動に結びついて、結果をおかししていると言うのが、この関係性の軸だと思うんです。だけど、数巻も話が進むと、みんな登場人物がトラウマ丸出しで、関係性がどんどん深まっているじゃないですか、「にも関わらず」全員が寸止めで、SEXしないと言うのは、ちょっと無理があると思うんですよね。「そうなっていまう人もいる」し「そうならないひともいる」、逆に「前に進んだけど、おかしくなって戻る」人もいれば「突き抜ける人もいる」と言うのが、多分現実のほんとなんだろうと思うので、その多様性を「描かない」ならば、作者が物語でどんな嘘をつきたいか=言いたいことがなんのか!がはっきりしなくなる。構造的に、教科書的に見ると、そういう風に言える。ようは「何が言いたいのかの主張がはっきりみえない」。僕は、明快な軸がある物語が、シンプルで分かり安定した軸を望むので、そういうのをのぞみますが、それだけが物語の面白みではない。じゃあ、キャラクターの造形、関係性の深みがあるか、というと、僕はとても楽しんだし、それぞれに感情移入はしたんで、物語としてダメだだ!とは言えないのですが、、、、でも、やっぱり、ちょっと無理がある気がする。


言葉にうまくまとまってないのですが、晃介くんと亜矢奈ちゃんとか、このふたりの人間性をこじらせている部分は、行動力と体当たりと偶然で、だいぶブレイクスルーしていると思うんですよね。うーんと、大前提として「性的経験がない」状態の、自信のなさ、コミュニケーションへの信じられないほどの恐れの感覚、というのは、僕もよくわかるんですよ、、、。もう、30年近く前とはいえ、そういうのに悩んだ青春時代は、覚えていて、「それ」が、とんでもなく重く苦しく、いかにまともな判断を狂わせるものかは、よくよくわかります。でもこの場合の一番のポイントは「ここ一番の時に前に一歩踏み出す」=「相手の内面に踏み込む+自分の内面に踏み込まれる」という感覚が怖くて怖くてしょうがなくなるから起きることだと思うんです。だから、そこまでの関係になっといて、そもそも流されてHをしちゃわないのが無理がありすぎるし、仮にしてもしなくても、「心の自信のなさが、まともな行動力を奪って、立ち竦ませる」にしても、「繰り返しすぎる」と、物語として、あまりに「ぐるぐる回りすぎると思うんですよね」。


短編として、もしくは群像劇ではなくて、一人の主人公、たぶんこの場合男の子(女の子でもいいけど)の「一歩前に踏み出せない」暗黒の闇をずっと、繰り返すという文学的なテーマを追求する方法はあると思うのですが、これは群像劇で「そういう人ばかり」というのはちょっと、現実味が失われてしまう。それになによりも、亜矢奈ちゃんとか、かなりイタクこじらせているけれども、決して勇気がないわけじゃないと思うんですよ。僕は、童貞や処女の時の「現実にちゃんと関われていない(+自分が見たことがない世界がある)」という強烈な劣等感やコンプレックスを超える方法は、「準備不足の中で前に一歩踏み出す勇気」だと思うんですよ。それしかない。そして、その勇気は、多少狂っていても、偶然でも、なんでもいいと思うんですよ。人生なんてタイミングと運でできているんだから。いや、えっとね、キャバ嬢をやっているのに(結構売れっ子っぽい設定ですよね)、時田に直接会いに行ったり、小林さんに迫ったりするじゃないですか、彼女。とにかくなりふり構わず、動いて、なりふり構わず感情を出している、、、、これ、小林さんも晃介くんとも関係は、十分深まっているし、「この性格のゆがみや気持ち悪さ」の部分を、ちゃんとシェアているよね、、、と思うんですよ。「ここまで関係性が深まったり、動いたり」してたら、それが何度も寸止めになったり、戻ったりするのは、ドラマトゥルギーとして、、、、あまりにタイトルに合わせて、無理をしているように思えてしまう。えっと、Hをしないのがおかしいといっているわけではなくて、性体験における重要な自己信頼のポイントは、やったことがある、なし、ではなくて、「相手に深く踏み込む、踏み込まれる」体験の薄さや経験のなさが、如実に自分で実感してしまうことだと思うんですよ。なので、性体験が「あってもなくても」、相手に深く踏み込んで、踏み込まれた「激しい感情的体験・関係性」を経験すると、「前と同じではいられない」し、そういう気持ち(コンプレックス)って変化していくとおもうんですよ、、、、「その変化」が、これだけ、関係性がもめにもめているのに、、、そういうドラマのエピソードが積み重なっているのに、「変化がない」というのは、たとえば、晃介くんのみが主人公というのならば、まだわかるんですが・・・・・何人も魅力的なキャラクターが、情念ふりまいてて関わっているのに、変らないってのは、なんだか、、、不満が残ってしまう。僕、作者は、関係性がちゃんと書けている、とてもいいドラマトゥルギーを、エピソードを積み上げていると思うんですよ、、、、「なのにそこまで寸止め」って、ちょっと、どうなんだろう、、、と。・・・・うーん、このラインの評価が妥当かいまだにわからないけど、、、とにかく、最後に不満が残るんですよねぇ。。。


ちなみに、2)は、とてもよくわかる。このテーマは、センシティブすぎて、その人の経験によって、トラウマを逆撫でするテーマなので、それによって好悪の感情は凄い揺れ動くと思う。それだけに、全体の整合性や、作者が貫きたい主張というか本質が、さだまっていないと、好き嫌いの感情が前面に出すぎる気がしてしまって、あまり素直に受け入れられなくなってしまう作品ではないかなーと思った。僕は、好きでだけど。「言いたいことの本質」ではなくて、キャラクターやドラマの連なりで見せる世界を、魅せたい時には、好きになってもらわないとダメだと僕は思うんですよね。エンターテイメントの世界は。それにしては、個人的に、なんか、人となりを全うしたというか、そういうキャラクターを、ドラマを見つけられなかったので、、、。やっぱり不完全燃焼。


特に、僕の個人的な好き嫌いでいうと、建築家の瀬戸内考子と春木透ノ介くんのカップルの話が、もどかしくて、もどかしてくて、、、、(笑)。というか、僕、この二人大好きで、この二人に幸せになってほしかったんですよねー。でも、なんだかわきに追いやられた処理になってしまったので、個人的には納得がいかない。でもまぁ、晃介くんと陶子ちゃんの物語だと考えると、分からないでもないのですが、、、それにしては、わき道にそれるドラマを作りすぎだったと思う。正直迷走になっている部分があって、もっと軸が欲しかった。ハーレム的にするのか、群像劇にするのか、非モテ感覚を貫く主人公のドラマにするのか、、、、よくわからなかった感じがして、うーん、、、と。どれも中途半端になってしまっている気がする。鈴木美佳の登場とか、、、もうこの子でいいじゃないか、と、僕の中では感極まりましたよ。晃介ぇ!。

でもまぁ、、、一番は、瀬戸内考子さんと春木透ノ介くんが結ばれなかったのが、凄い怒っているのかもしれない(苦笑)。だって、この中で断トツにいい女、いい男だと思うんだよねぇ。最初から。この二人が報われないなんて、、、、と、なんか、胸が苦しくなってしまった。いやまーそれぞれに幸せになっているけれども、、、「それ」じゃーないだろう、、、と。僕は、たぶんこれ、『ハチミツとクローバー』の原田理花さんと真山巧くんのドラマトゥルギーで見ていたんだろうと思うんですよね(笑)。同じ職業だし、関係性もそっくり。桐島都ちゃんは、めちゃかわいーので、わかる、わかるんだけど、、、「そっち」じゃないだろう、って。うーん、何かしら、僕の心の琴線に触れているみたい。。。

ハチミツとクローバー 1

ただ、いろいろな意味で、感興をわかしてくれる作品で、僕は好きでした。全巻読めてよかった。「ここで語られているテーマ」ってのは、たぶん「恋愛を度すればいいのか?」「愛とは恋とは?」「自意識の牢獄の問題と性的体験の関係性」の話とずいぶんリンクする大きな問題文脈だろうと思うんですよ。下記の『モテキ』と『リゼロ』で話した話と、ストレートにリンクする。自分が、この辺りに感じる感想は、感動、怒りのラインは、すべてこの文脈にリンク、シンクロしている。あ、自意識の牢獄(自己信頼がない状態での一歩踏み出す勇気が出ないで、同じところでぐるぐる繰り返す)ナルシスズムの問題文脈。あ、それと少しずれるけど、瀬戸内考子の話が自部の中で未消化なのは、「才能ある人が才能を開花させることへのサポートこそが愛の本道だろう」という感覚が僕の中にはどうもあるみたいなんだなぁ。ましてや、透ノ介くんは、それに向いている。この二人は、建築の世界で、なにかを為せる才能と関係性を持っていたと思うのに、「ほんとうにそれを捨てるの?」と僕は、何か本質を間違えている選択肢をしているように思えてしまったんですよね。これら全部読むと、僕が何を悶々と考えているのかが、少しは伝わるような気がする。そうか、アメリアイアハートの話とか、王配の物語に反応するのも、この辺の感覚なのかもしれない。。。

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ちなみに、この「心の自意識のナルシシズム」の問題意識と、キャラクターそのものを描くという話(ドラマトゥルギーの終着をどう持ってくるべきか)、という視点で、やっと久保さんの『アゲイン』が読み返せそうな気がする。今週全部読もう!。課題図書です!。

アゲイン!!(1) (週刊少年マガジンコミックス)

『結界師』田辺イエロウ著 アンチドラマトゥルギー、主軸のドラマと主人公ドラマが交わらないこと

結界師(35) (少年サンデーコミックス)

客観評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

ちょっと前だけど、サンデーのアプリで無料公開されていたので、久しぶりにこの傑作を一気に読了。あまりの世界観の完成度合い、物語の深さに、感動しました。LDさんが、傑作だと、信じられないくらい深い、面白い、とずっと言っていたのですが、、、そして、自分でも最初に読んだ時に、確かに全体通して読むとそうだな、とか思っていたのですが、、、、今回数日で一気に読んで、「どう読むか」の視点が定まって読んだら、あまりの傑作度合いに、腰が抜けました。これでほぼデヴュー作って、作者どれだけ天才なんだ。素晴らしすぎました。このへの説明、分析、解説は、下記の2つのラジオで、結構がっちりやっているので、「全部読んだ後」に聞いてもらえると、言っている意味がよくわかると思います。ものすごく複雑なこと言っているので、言葉だけで説明されても、???という感じだと思います。要は一言で言うと、『結界師』素晴らしいよね!と言いたいだけなんですが。


僕が言いたいことは、一つです。時音ねーちゃん、可愛すぎます!


結界師(34) (少年サンデーコミックス)



物語三昧ラジオ/結界師+ベイビーステップ+ハイスコアガール 2013/11/23

この作品を見るときの重要なポイントとして、「主人公のドラマトゥルギー(義守)」と「主軸のドラマトゥルギー(世界を守る+母親守美子)」が、交わっていない、関係ないところにポイントがあると僕は思っています。この世界を眺めるときの特徴として、通常の物語の類型では、この主人公の視点と、物語自体のメインテーマが、一致していないと、「何を言っているのかがわからない」意味不明の物語になりやすい。だから、本来は、ずれてはいけないんです。ところが、それが、非常に関連づけられない形で、物語が描かれている。母親が世界を救うという、ガンギマリの覚悟で、世界をガチで救っちゃうのに対して、主人公も、その兄も、何一つ無力で、意味がない。細かく義守の力が必要とかそういうことではなく、母親の守美子のさんの「自分を犠牲にして世界を守る」という救済プランに対して、何一つ影響力を与えることができなかったという意味で、言っています。

伝わるでしょうか?。要は、この世界を救うという物語のメインテーマに対して、主人公格のキャラクターたちが、全く関われないし、何もできなかった、という物語なんですよ。これ、物語の主軸で、「何が本質か?」と考えると、意味不明になっていますんですよ。


そして、それがどういう効果を、どういう世界を生み出しているか!というのが、この論考というか考えのポイントです。書くのは力尽きたので、ラジオで聞いてください。


この作品は、特にお母さんお扱いは、『うしおととら』に対するアンチテーゼになっているので、これも同時に読んでみて、どう主人公のドラマトゥルギーに対する取り扱いが違うかをよくみてもらえると、興味深いと思います。


うしおととら(1) (少年サンデーコミックス)


Academia

ちなみに、LD教授からの宿題です。このパターンのいい例で、『戦国妖狐』が、あるのではないか!と言っていて、今それを読み直しているそうなので、僕も行きます。

戦国妖狐 1巻 (コミックブレイド)

マインドマップで語る物語の物語

『RBG 最強の85才』(RBG USA 2018) ジュリー・コーエン/ベッツィ・ウェスト監督 アメリカ国家50年の基盤を担う最高裁判事の席をめぐる戦い

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Ruth Bader Ginsburg

客観評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★4つ)

3月17日。 COVID-19のため、ホームオフィスになり、子供達の学校もすべて閉鎖のため、家の中でやっているので、意外に時間がうまく使えている。いい機会なので、見れていなかった映画に時間を見たくて、『RBG 最強の85才』を見る。


Ruth Bader Ginsburgとは、アメリカ合衆国最高裁判所の判事で、アメリカの歴史上2人目の女性。クリントン大統領の時代、1993年に任命された。2018年サンダンス映画祭でプレミア上映、2018年に一般公開され、かなり売れたらしい。アメリカのことが知りたい僕には、素晴らしく面白いドキュメンタリーだったが、アメリカの基礎知識がないと、少々わからないかも、と思うので、★ひとつ減。


なんの映画かというと、アメリカの女性の解放、権利獲得の重要な契機になった人で、カーター大統領に判事に指名され、クリントン政権最高裁に任命された人。なので、アメリカの女性解放の歴史の主軸のひとつの物語だと思えばいい。アメリカにおいて、50−100年単位のロングスパンの社会の変動を見るときには、連邦最高裁の判事の構成(リベラルと保守派の比率)と、憲法解釈を追うといい。1960−1970年代は、50年代までのガチガチの保守的な社会を、リベラルサイドに、ぐっと振り子を振ってきた歴史がある。その後、1980年代以降、揺り戻しが来ているが、それでも、この時代に動いたリベラルへのシフトはアメリカ社会で継続してきた。それは、最高裁がリベラルな判決を出し続けてきたからだ。しかしながら、この状況がかなり変わってきている。それは、保守派の比率がリベラルを上回ったからだ。中立だったケネディ判事に変わって、トランプ大統領が、2018年10月にブレッド・カバノーを連邦最高裁判事に任命した。これで比率は事実上逆転。地位は終身なので、この任命が大統領の重要なレガシーのの一つとされている。なぜ、RBG なのかというと、87歳(2020年現在)という高齢で、彼女が亡くなると、さらにもう1席、トランプ大統領が任命が可能になる。そうすれば、保守派の比率が完全上回り、キリスト教福音派ファンダメンタリストの悲願である中絶の禁止や同性愛結婚の否定など、これまでリベラルサイドに偏った(と彼らが思う)振り子が反対側に触れる可能性がある。次の民主党のリベラルな大統領が誕生するまで、なんとしても、彼女はやめたくないし、死にたくないのだ。


なので彼女の健康状態は、非常に注目されるところであり、これが今後アメリカの大きな方向性を握る重要な分岐点になる可能性があり、それはたった二期8年の大統領職よりも、アメリカの根幹のあり方に関わる重要事項だとおもわれている、という背景文脈なしに、このドキュメンタリーを見ても、ただの(それでもすごいのですが)女性解放の闘士の物語を見ました!素晴らしかった!で終わってしまう。


さて、コツコツ女性解放の歴史やその理念などを追った物語を見ようと思っている。


というのは、最近の時代の雰囲気は、女性の権利の獲得が、実際の既得権益の男性マジョリティに食い込み、かつ全体のパイが増えていない中で、激しい既得権益をめぐる攻防になってきている。こういう時のロジックは、女性の権利が行きすぎて、男性の権利を食いつぶしている!(逆差別だ!)という感情になるのですが、、、、、僕は、動物の脊髄反射的な、情緒の反応はできるだけ避けたいと思っているので、このことをちゃんと考えるには、そもそも女性の権利獲得の歴史がどのような起源や経緯を経て、具体的ななイメージがわかないと、なんとも言えないなぁ、と思うんです。まぁ、なのでできるだけ、コツコツと探そうかな、と。背景知識がないと、考える手がかりすらなくて、感情的な好き嫌いの次元いなってしまうので、そういう会話って不毛で気持ち悪いので。


あともう一つは、キリスト教原理主義とでも言おうか、、、、宗教的情熱をもった保守派のリベラル勢力に対する最大の論点は、中絶問題。彼らの視点から言えば、中絶は、どんな理由をつけようとも殺人であり、受け入れることができない。リベラル勢力からすると、これは女性の権利獲得であり、男性に踏みにじられてきた女性の決める権利になる。この争いは、どちらも、論理的には、非常に納得性があるので、、、もう個々の具体的なものを見て、どちらに究極シンパシーを感じるか、という根源的なところまで遡らないと、判断できない問題だと思うのです。アメリカで言うところのプロライフ、プロチョイス問題ですね。


まぁ、問題の構図は、わかるのですが、「ここに至る具体的な経緯」を感情の理解(シンパシー)とともにわからないと、なんと言うか、公平じゃないと言うか、、、、俯瞰して見れないよね、と思うのです。全ては具体的な積み上げのが重要だし、何よりも、起源、、、、そういった感情や意見が、どのように生まれ育ってきたかのプロセスを感じれないと、比較にもなりゃしない。


そう言う視点で眺めてみると、なんと言うか、、、、、いやー女性解放の闘士なんですが、第一世代の、まさにスーパーマンとでも言える人だよなぁ、としみじみ思いました。だって、大学行きながら、子育てをし、旦那さんは癌の闘病生活とかしながらも、トップクラスの成績を維持し続けているとか、なんと言うか、凄すぎて言葉も出ない。あと、いつも思うのですが、本当に激しい社会闘争を担い続けるぐらいの最前線に立つには、パートナーの圧倒的な理解度、パートナーが信じられないくらい素晴らしい人に恵まれないと難しいよなぁ、としみじみ思います、いつも。こう言うのを見ると、『バトルオブセクシーズ』のキング夫人の方が、もっと赤裸々で、、、、と思ったけど、あれも旦那さんできた人だった気が、、、。まぁ、社会的な業績を成し遂げるくらいの人は、配偶者とか近しい人が、人生をなげうって支えてくれるほどの献身的な人でないと、無理だよなぁといつも思います。それが女性であるか男性であるかとか関係ないんですよね。要は「自分にフットして支えてくれる」魂の配偶者に出会えるかどうか。いやーこれは、本当に難しい。なかなか、そんな恵まれた出会いはないよーと言いたくなってしまう。


ちなみに、僕はが最も印象に残ったのは、、、、故アントニン・スカリア判事判事との交友関係。彼は保守派で、本来、相容れない仇敵のような相手。法律面ではことごとく対立しているのをジョークめかして話しているが、、、なんか仲がいいんだ、これが。もう相当おじいちゃん、おばあちゃんだからいいけど、こんなにイチャイチャしてたら、旦那さんやきもきしない(笑)というぐらい、仲がいい感じ。これは素晴らしい人なんだなーと、しみじみ思う。というか、この陽気な感じ、旦那さんにそっくりだよね、、、こういう人と相性がいいんだろうなぁと思うのですが、ちゃんと、イデオロギーとかを乗り越えて、人間的な関係を気づけるところが、そんじょそこらの人とは違うのだなぁ、としみじみ思いました。だって、こんなにイデオロギーというかリベラル側の論理の闘士みたいな人が、保守派の頂点に立つ相手と仲良く友達になれるって、尋常じゃない。いや、この人の懐の深さが、感心する。むしろ、その辺りに、人間的な器の大きさを感じて、ああ、稀有の人材なのだなぁ、と感心しました。生きる伝説みたいな人なので、是非とも、この映画を見てみると、アメリカの大きな論点がわかって興味深いです。

www.bbc.com

あと、彼女のでキュメンタリー的な、位置付けなので、女性の置かれている過酷な状況のエピソードの積み上げというよりは、法律という世界で、戦略的に彼女がどんな変革を成し遂げてきた業績の積み重ねなので、もっと個別のエピソードを見るには、ビリーブのほうがいいかもしれない。とはいえ、このへんの、女性の置かれてきた環境の過酷さと、戦いの歴史を見るには、とてもいい。どうやって、RBGがアメリカを変革してきたのか、その手法がよくわかる。




ビリーブ 未来への大逆転(字幕版)



RBG Trailer #1 (2018) | Movieclips Indie

petronius.hatenablog.com

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『MUSICUS!』(2019)OVERDRIVE シナリオ瀬戸口廉也 世界はクソで残酷で無意味だ。けれど、美しいし価値があるんだよ。


OVERDRIVE 最終作「MUSICUS!」CM映像

客観評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

2020/1月にやったのですが、なかなか書く暇がなくて。このままだと、いつものごとく、書き終わらずに、感想を残せなくなってしまいそうなので、まぁいつものごとく未完成だけど掲載しておくか、と。今、少し文章の追加をしながら、BGMを聴き直しているんですが、、、なんというか、感動がよみがえる。1月にやった『13機兵防衛圏』もそうなんだけど、なんというか、物語って総合の力なんだよなぁ、としみじみ思う。こういう形式のエロゲーというか、ゲームは、言って見れば紙芝居じゃないですか。本当に単純な構造でできている、、、けれども、莫大な金をかけた超大作ハリウッドムービーなんかを時に軽々凌駕がしてしまう。いや、本当に素晴らしい。瀬戸口廉也さんというのは、本当に素晴らしい才能ですねぇ。そしてこの形式に表現が向いているんだろうと思います。小説読むと、美しいんですが、暗すぎて、しかも文章力ありすぎるので、果てしなく苦しくなってしまう。それに比べると、エロゲーでこういう形式の「しばり」があったほうが、素晴らしい物を届けてくれる気がします。人生は、辛いし、しんどいし、無意味だし、こんなおっさんになっても、まだまだ頑張らなきゃいけないし、、、それでも、こういういい物語に出会えると、頑張ってて、生きててよかったと、いつもしみじみ思います。こういう幸せがあるから、生きるには価値があると思います。まじで。

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ちなみに、今年の初めに、20年以上のウィンドウズユーザーだったんですが、まぁ、アメリカにせっかく住んでいるし(意味不明)、もう年寄りすぎてあたらしい物をトライする気力が湧かないので、、、、逆に頑張ってみようか、と思って、Macを買ったんですよ。それは、SONY(まだSONY)のVAIOが滅茶古くて、天国召されそうな感じだったんですよね、、、でも、MUSICUS!って、ウィンドウズでしかできないじゃないですか(ですよね?)。なので、最後の最後のご奉公で、やれたんですよね。ちなみに、全てのルートが終わったその日に、本当に壊れました(笑)。神様はいる!と思いました。何かに、本当に、ありがとうという気持ちになりました(笑)。このゲームやった後、絶対に、そういう気分になりますよ!。素晴らしい物語をありがとう!。具体的には、アメリカまで買って持ってきてくれた(笑)友人に感謝を、そして、やっぱりこのクソ忙しい中で、これをどしても手に入れて今やらなきゃと思ったのは、このジャンル、海燕さんが好きなんですよね、、、海燕さんと、瀬戸口さんの話をしたくて、頑張りました。流石に、まだ終わっていないことはないよね?海燕さん?来週のアズキアカデミアのラジオで期待してるよ!。やっぱり、好きなものを、友達と話したいじゃないですか!


エロゲーというジャンルが最前線でなくなってから久しい。思い返すと、タイプムーンFateですらこのジャンルで登場したんだ。時代は移り変わる、といつもこのジャンルを深く愛する海燕さんが、よくつぶやいていたのですが、僕にはいまいちよくわかりませんでした。というのは、僕自身が、『月姫』の登場その時にリアルタイムで出会ったりしていなくて、ずっと後で、人に紹介されて、たくさんの体験するエンタメの中の、上澄みしか経験していないからだと思います。が、そうはいっても、月姫を、Fateを、そして『キラ☆キラ』や『SWANSONG』を体験して、そしてOVERDRIVEの最終作である『MUSICUS!』まですると、ああ、このジャンルは何というかピークの時期を過ぎたんだろうなぁ、という感慨を感じます。もうよほどのことがなければ、このジャンルをすることはないだろうなぁ、残念だけど、少し遅れてだけどこのジャンルの最高峰のいくつかに出会えてよかった、とかしみじみと感じてしまいました。こういうわけのわからないジャンルがたくさんある日本のエンターテイメントって、本当に素晴らしいなぁ、といつもしみじみします。多様性、猥雑さ、意味不明さ、カオスなんでもいいのですが、、、そういうめちゃくちゃなところから湧き出てくるものが、美しいのだといつも僕は思います。ちなみに、美しいものは、たぶん常に残酷で身もふたもないんだろうなぁとも思います。


「キラ☆キラ」OPムービー



さて、瀬戸口廉也さん。彼の作品でなかったら、時間のかかるゲームをしようとは思わなかったでしょう。過去の作品の記憶もだいぶ薄れてしまって、どうかな?と思いながら始めたんですが・・・・いやはや、最初の数分で、まだなにもはじまっていない、何にもわからないのに、「これは瀬戸口廉也だ!」とすぐ強烈に感じました。ほんとうに、なんの物語もはじまっていない、ちょっとした導入のどうでもいい感じの文章で、既に強烈に感じる。いやはや、この人のオリジナル性の刻印って、とんでもないなぁ、、、としびれました。何も考えずに、そのまま三日月ルートは、2日でクリア。2日目は止められなくて、徹夜でやってしまい、めっちゃ、奥さんに怒られた。んで、・・・・何が、オリジナルか?といえば、やはり


強烈に日常で息を吸うように「死」を認識していること。


そして、それにつながって「世界の無意味さ」(=三日月は世界はクソだといっていますね)を直視し続けているところ。


パターンは違いますが、メインヒロインの花井三日月も、主人公の対馬馨も、常にこの感覚を日常で、幼少期から、何のトラウマでもなく普通に身に着けて世界を眺めている。海燕さんが、瀬戸口廉也さんのこの視点で普通の人が世界見たら気が狂いますね、普通というようなことを言っていたのは、まさにしかりだと思う。でも、何が凄いのかっていうと、この物凄い非日常的な「世界の無意味さを直視している感覚」が、何のドラマ性もなく、劇的でもなく、普通にナチュラルに「身についているところ」が怖いんです。三日月とか、ほとんど気がくるっているようなもんだと思うんですが、めちゃ、なんというか「普通にかわいくて楽しそうな変人」じゃないですか。うーんとねぇ、セリフがめちゃ長いじゃないですが、三日月って。お兄さんの自殺とか、めちゃくちゃナチュラルにお兄さんをDisるじゃないですか。この子って、子供の頃から息をするように、普通の感覚で「世界がくそ(=無意味)」だっていうことにいら立って、右往左往しているので、もう日常なんですよね。彼女の会話聞いていると、物凄く背筋が寒くなること話しているのに、なんだか、笑えてくるんです。だって、たぶん、安定して日常で彼女が、そのことと格闘しているのがわかって、それが外から見れば「変人だな」という形で適応できているからです。


彼女、Youtuber(笑)というか彼女の、垂れ流しの愚痴を聞いていた男の子が、めちゃくちゃ感動して、のちに作曲家になっているのですが、この子が明らかに選ばれたほんものの天才なんですが、、、この子が思い込みも度が過ぎるくらいに三日月に傾倒してるんですが・・・・その理由が、「ああ、ここにクリティカルヒットするってことは、こいつは本物なんだろうな」というのが痛いほどわかる感じでした。彼女が、「この世界がクソだ」と罵倒するのに凄い感動しているのですが、いきなり普通の会話の中に「人ってみんな死んじゃうじゃないですか」という事実にリンクして、いろんなバリエーションで話しているんですが、いっていることはみんな同じ。この世界の、意味のなさ、端的な物語性のなさ、物理的に死を迎えるという物理性への、嘆き、あきらめ、諦観、怒り、恐れ、不安を、繰り返している。たぶん「わからない人」には、全く意味不明な戯言だろう。普通にこんなことまじめに考えて生きていけるもんじゃないので、「見て見ぬふりをする」か「そもそも気づかない」のが、世の普通だろうと思うんですよ。でも時々過剰な人がいて、それをずっと気にし続けてしまうやばい人がいる。そういう人が、表現とかに取りつかれて芸術家とかになったりすると思うのですが、三日月が凄いなーとおもったのは、そういう死への恐怖、いら立ちみたいなのが、あまりに幼少期から継続してオブセッションになって日常になっている感じがありありして、なんか「おかしみ」になっているところ、、、「日常になっている」ところ、なんですよねぇ。ああ、この子にとっては、兄の自殺とか劇的なことが起こってさえも、極端な物語になるほどではない暗い日常に、そもそもこの感覚がプリセットされているんだ、、、と、しみじみ見てて思えましたよ。この子、めちゃニートで、生きるのやる気ないじゃないですが、いつも「自分はうんこ製造機」とか叫んでて、、、でも。言っている中身がわかってくると、アーそりゃこの子、普通に暮らすの難しいよなぁ、としみじみ思いますよ。。。


えっとね、こういう「死せる存在である人間」存在を直視して、精神が参ってしまうというのは、古今東西のよくありがちな物語です。でも、『MUSICUS!』やってて、瀬戸口廉也さんだなーとしみじみ思ったのは、なんというか、基本的に、主人公の対馬馨もそうなんですが、もう日常として安定しちゃっている。どういうことかというと、「死への恐怖」とかって、もう少し劇的だったし、ドラマチックに扱われてたような気がするんですよねぇ、、、けど、たぶん、あまりにこの恐怖が日常に繰り返されるので、なんか、それに反応しているうちに変な人(笑)になってしまったのがミカってかんじがするんですよねぇ。お兄さんも。自分のなかでは、ああ、、、ミカってかわいいなぁ、と思ったんですよ。『アイドルマスターシンデレラガールズ』の自宅警備系アイドル双葉杏を見ている感じ(笑)。なんというか、異性を見ているというよりは、そういう小動物のペットを見て、「クスッ」と笑ってしまうような感じ。ああ、なので、お兄さんの花井是清さんも、とても好き。自分の存在に対して、「おれってそういうやつなんだよなー」と自覚があきらめ境地は行っている、感じ。


でもこれって、ああ、現代なんだなーとしみじみ思ったのは、死への恐怖と直視、というのは「何の理由もなく(意味がなく)物理的端的に死んでしまう人間存在の不条理さ」を、自覚して納得することに何ですが、何らドラマ要素もなく、受け入れて、それが世界の前提だとなってしまって、日常が彩られている世界の描写、キャラクターの心的な在り方、、、いやぁ、まぁ、瀬戸口廉也さんそのまんまの作家性でしょう!と言われれば、その通りなんですが、それがめちゃくちゃ日常として安定しきっているところに、おおー時代性を感じると思いました。これはつまり、世界はクソで残酷で無意味だ!!!というのが、もう日常の当たり前と化してしまっているということでしょうから。



■物語を拒否しても、人は生きていけるんだ!


そんでね、このゲームをやっていて、一番僕が感動したというか、おお!と思ったところ。


花井さんの自殺って、いいたいことって、凄く虚無に彩られているメッセージじゃないですか。


ようは、物語性はすべてウソだっているっているんだから。


物語性=意味が付与した時点で、すべては嘘だっていっているわけですよね。これ、あらゆる行為に意味はないって、何度も反復する強迫観念になるし、しかもほとんど、真実なので、これを知ってしまうと、、、、やっぱり難しいのは、じゃあ、「何かをする気が起きるようになるのか?」ということですよね。動機の問題。何をやっても、それ自体は無意味だし、伝わらないし、すべては嘘だとなると、普通気力なくなりますよね。バンドとして失敗しても成功しても、どっちでも、やはり意味はないという話になるので、どちらに行っても、厳しい。


この「物語性の拒否」というのは、言い換えれば、世界の無意味さをいっているわけです。有意味な世界(=物語を生きる)というのは、騙されている、嘘なんだ、気づいていないだけなんだ、という告発。


えっとね、ゲームをしている間中、ずっと花井さんの「物語性の拒否」のエピソードが、トゲになになっていたんです。ミカのエピソードで、馨のバンドライフをずーーーっと追うじゃないですか?。いやー、長い(笑)。でも、当然、そもそもエンタメの物語をやっているんだから、このバンドが成功する話を見ているわけじゃないですか?。少なくとも、メインのルートで成功しないとは思えないし、ミカの存在からも、成功してしかるべき感じがするので、ずっと期待するじゃないですか。


えっと、ゲームをやりながら、「このバンドが成功する」という「物語」を期待してい分けですよね。


でも、「物語性は拒否しろ」という告発がトゲのように、ずっと胸に刺さっている。


そうしながら、、、、何というか、長すぎる(笑)。何が長いかというと、不遇の時代です。もちろん、そんなバンドマンな日常の日々が、決して不幸とは言えないし、悪いとは言えないんだけれども、それでも花井さんの「物語は全てうそだ」というメッセージと、なかなか目が出ない、何かが変わったりしない日常が続いていくと、それはストレスじゃないないですか、、、、そういうのを繰り返して言ううちに、何か「あきらめちゃった感じ」がしたんですよね。



「あきらめた」というのは、あまりに長く、ちょっと成功しそうなエピソードが積み重なるたびに、「結局何も変わりませんでした」というのを見せつけられていくと、「希望をもって期待して物語を予期する」のをあきらめちゃうんですよ。だって、世界は無意味(=物語性は嘘)と前提で話されているんだし、、、それだけじゃなくて、物理的に、「長い」ので、いやーバンドって、音楽を作るって、「こういうことなんだな」とあきらめてしまう。こういうことと、というのは、何も変わらない、物語性のない(=バンドが成功する!という成功物語、成長物語)ではない、「等身大の、何もない、何も起きない、何も訪れない日常」を生きるのが、人生なんだって感じ。


これが、実感で分かったし、感じた気がするんですよね。


そして、これは、自分の人生でもある。いろいろの出来事や、エピソードはあったとしても、「何かが劇的に変わることなく日常を生きるその物理性」を生きるあきらめ。偶然、少し物語の波に乗ることはあるけれども、しょせんは、それは運や縁という偶然であって、「物語」ではない。。。。そういう無意味さ、砂をかむような日常を生きるのが、人生というもの、、、、。




でありながら、、、、、、対馬馨は曲を作り続けるし、花井三日月も歌い続けるんですよね。「歌」や「音楽」という「物語」の無意味さをこれでもかと、実感しながらも。



分岐ルートの一つで、馨の知り合いのバンドマンが、このことをよく言葉でシンプルに説明していて、、、アジア、、、なんとかっている名前のバンド、、、うろ覚えですが、、、



世界は無意味だ!!!そのんなの当たり前じゃないか!!!意味なんかないんだよ!!!!


でもだからといって、無価値じゃないんだ!価値はあるんだよ!!!!



と叫ぶシーンがあって、見事に「このこと」この世界の構造、世界の黄金律を言い表していて、ああ、、、、とうなって、ちょっと涙出ました。そうなんです、言いたいことはそういうことなんだって思うんですよ。世界の無意味さを感じない人は、やはり幻想のナルシシズムの世界に生きる甘い人なんだろうと思うんですよ。でも、その残酷さ、、、世界の無意味さが事実であっても、何ら絶望する必要はない。だって、それは、ただの事実なんだもの。そこに嘆くこと自体が、甘い、甘すぎることなんだ。でもそうじゃない、無意味だからといって、嘆く必要は全くない。だって、それは価値がないことにはならないんだもの。


価値と意味は、関係ないんだよ。意味がなくたって、報われなくたって、物語にならなくたって、、、、いやむしろ、ミカの大怪我の話などこの世界の無意味な不条理さを見せつけられたとしても、そんなことと、価値・・・・・・自分が「やりたい」と思ったことにコミットすることとは、関係ないんだってこと。



むしろ、「何かの報酬や、報われること」を期待して、何かを為すことほど、不純で汚いことはない。そういうことを考えると、「報われなさ」に絶望することになる。



そういう感じが、、、、ゲームをしていると実感でビンビン伝わってきて、、、、いやーいいなぁ、、、と。



これ、僕的な用語でいうと、クンフー(無目的に毎日好きだから繰り返すこと)の話なんですよ。それが「成長する、成功する」という「大きな物語に乗っていようとなかろうと」、それでもなお、それにコミットする価値を、あなたは見出していますか?という話。



これは「報われないと頑張れない」という2000年代、、、この20年ぐらいの「絶望が足りない甘えた感が」に対する、見事な回答になっているとと思うんですよ。



たいていの人間は、、、、世の中の過半の人間は、「自分が報われる(=成長する)」物語という幻想にのっかっていないと、生きていけません。いや、もちろん僕だって、誰だって、人間であるからには、できれば物語を生きたい。そういう風に期待する。けれども、その先にある、、、、、この対馬馨の場合は、音楽ですよね。その強度に、、、、魅かれて、どうしようもなく生きていく人は、この世界にたくさんいる。いくつかある分岐ルートは、そうでない偶然が無数にある世界を僕らは生きていて、その偶然という残酷さを感じるには、これらのルートもいるんですよね。人生を俯瞰するときに、どんな風になるのも、、、、大成功の歌手になるのも、生きている意味のなさそうなヒモみたいな人でなしの人生になるのも、学校でできた彼女と幸せになるのも、どれもすべて「常にあり得る」ことで、、、、そのどれになるという「物語」も、すべては幻想で嘘なんです。だって偶然なんだから、必然性はどこにもない。


でも、対馬馨は、音楽を、どこでも選ぶよね。音楽自体に、価値があると感じているから。


やっぱり、そういうことだよね。自分が価値をにコミットできる、何かを見つけて、そこに、突入、特攻する(笑)。


そこで、物語を要求するのは、成功を、報われることを要求するのは、「人間であるから仕方がないこと」なんだけど、やっぱり、少なくとも、それは本質じゃないという真実を感じながら生きたいなぁ、と思います。


そして、、、、、真の主役(笑)、というか、どのルートで見ても、僕は金田の生き方に、とても感動します。だって、めちゃ、ロックでパンクでしょう、こいつの生き方。これ、「もっとも救われない層」に生きる、本当に社会の底辺のその下に生きているようなやつだし、実際それを抜け出る能力も意思も努力も何もない奴じゃないですか。。。。この彼の、無意味な、本当に人生がどんどん落ちていってしまう「無規律な言動や振る舞い」を見ながら、彼の人生の、色々な浮き沈みを見ていると、、、、ああ、世界ってそうだなーと、しみじみ思います。


金田が一番、この物語のコアを体現している気がする。だって、ミカも馨もそうはいっても、物語から選ばれている主人公なんだもの。少なくとも「才能」が人生を、様々なものに駆動させている。けれど、金田は、はっきり言って、全く何もないじゃないですか。そして、最後まで本当に何もない(笑)。・・・・・うーん、ロックな生き方だ。そんなまともに生き延びるのが不可能なような金田が、、、、いやー幸せになるシーンとか見ると、本当に泣けてきます。いや、そういうのもありうるのが、世界なんだよなって。



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