『Knock Down the House』2019 Rachel Lears監督 アメリカの最前線を伝えるAOC(アレクサンドリア・オカシオ=コルテス)のサクセスストーリー

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評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★4つ)


Knock Down The House | Official Trailer | Netflix

2019年8月28日に、これを書いている。偶然、ネットフリックスで見つけて。アマゾンプライムで『This Is Football』を見つけたときにも思ったけれども、昔よりも、ドキュメンタリーがうまく見つけやすくなっているし、良質なものが多い気がする。Occupy Wall Street、We are the 99%、ヒラリークリントンを追い詰めた2016年の大統領選民主党予備選のバーニー・サンダースの躍進、民主社会主義(democratic socialism)という米国では毛嫌いされる共産主義の匂いのする政策や理念の浸透、民主党の左への偏り、極左の躍進、これらの雰囲気の果てに、、、、にもかかわらず、2017年に米国では第45代ドナルドトランプ大統領が登場している。僕は、2013年から米国に住んでいるので、第二期オバマ政権末期からのこの米国の雰囲気を肌で感じているのですが、ずっとトランプさんの支持は根強いな、陰りが見えないなと、2019年の8月の現在感じます。なのに同時に、民主党の左への傾斜が止まらないのも肌で感じるのです。2018年の中間選挙の結果が、まさにこの不思議な感じを裏付けていると思います。民主党が下院を奪還するも、上院は共和党過半数を確保。

www.asahi.com


とはいえ、もし共和党に、ドナルド・トランプ大統領に勝つのならば、論理的にマイノリティ、女性、そして左右の対立ではなく(実際は極左だろうが)貧富の差の分断を意識した人が、民主党側のリーダーになっていく構図は容易に予測できる。なので、

The day after Donald Trump's election, Rachel Lears began working on her new documentary film.[8] She reached out to organizations such as Brand New Congress and Justice Democrats to find "charismatic female candidates who weren't career politicians, but had become newly galvanized to represent their communities."[8] The search led her to four female candidates: Alexandria Ocasio-Cortez of New York, Amy Vilela of Nevada, Cori Bush of Missouri, and Paula Jean Swearengin of West Virginia.[8] Lears raised $28,111 for the project through Kickstarter.[8]

Knock Down the House - Wikipedia

wikiにこうありますが、監督のRachel Learsが、"charismatic female candidates who weren't career politicians, but had become newly galvanized to represent their communities."を探したて、Alexandria Ocasio-Cortez、Amy Vilela、Cori Bush、Paula Jean Swearenginの4人を追い始めたというのは、さすがの視点だと思いました。こういうのドキュメンタリー作家の凄さだなと思います。


そして、その果てに、いまでは、民主党の左派の顔ともいえるAOC(アレクサンドリア・オカシオ=コルテス: Alexandria Ocasio-Cortez)のサクセスストーリーに仕上がっている。最後のシーンで、NY14区の民主党予備選で重鎮のジョー・クローリーを倒すシーンは、全米中にものすごい勢いで放送されたので、知っていたが、「それまでの過程」を映像でちゃんと見せられると、感慨深い。とくに、追跡している4人のうち3人は、現職に全く歯が立たず、実際のところ、現職の既得権益をひっくり返すことが、どれだけ不可能に近い困難なのかが、これでもかと描かれている。それが故に、この中間選挙での下院の女性議員、マイノリティの躍進が、どれだけすさまじいことだったのか、それだけの草の根のエネルギーが動いたのかが、これでもかと伝わってくる。


そして、AOCの見事なサクセスストーリーと、民主党左派のリベラルの運動がこれだけ激しく深く広がりを持ちながら、トランプ大統領の支持率や安定が揺らいでいない(少なくとも僕はそう思うし、44%あったら大統領選挙で勝った時の数字と遜色ないと思う)というのも、ほんとうに興味深いことだと思う。矛盾することが、同時に起きるのが世界なのだなぁ、と思う。アメリカの分裂ぶりの凄さに、感嘆すると思います。




閑話休題




ちなみに、ドキュメンタリーは、今を感じるのに素晴らしい機能を果たすと思う。ので、めちゃくちゃ感動した下記のやつもメモでというか紹介。素晴らしいですよ。



This is Football - Official Trailer | Prime Video


2019-8-6【物語三昧 :Vol.37】『THIS IS FOOTBALL』2019年の今の地球を俯瞰するドキュメンタリー-41

『天気の子(Weathering With You)』(2019日本)新海誠監督 セカイ系の最終回としての天気の子~世界よりも好きな人を選ぼう!


2019-8-25【物語三昧 :Vol.39】『天気の子』新海誠監督 セカイ系の物語の最終回として-44

評価:★★★★★星5
(僕的主観:★★★★★5つ)

先日、8月にコミケで同人誌(マインドマップで語る物語の物語の4巻と5巻)を発売したので、日本に夏休みで帰ってきました。その時に、これはいかにゃーならんだろうと、見てきました。なんとか時間をひねり出して、自分で見に行くのと、子供と一緒に見に行くのができてよかったです。奥さんも見に行けたみたいなので、だいぶ売り上げに貢献したかな、うちの家族(笑)。見た直後のおおざっぱな感想は、物語三昧チャネルの方で、やりましたので、こちらを見ていただければ。

まだ全体の位置づけとかはっきり自分の中で定まっているわけじゃないんですが、とにかく、面白かった。批評的な分析の視点よりも、やっぱり、自分がどういう風に「感じるか」がまずは大事だし、それこそが、同時代性にみんなで盛り上がるという部分の良さだなので、まずは素直に、自分の感想を考えてみました。

まぁこれって、明らかにセカイ系の物語の同じ問いを、これでもかってくらい新海誠さんの作家性で作りあげているので、究極は、


世界と好きな女の子とどっちが大事なの?


という問いだと思うんですよ。もっと具体的に言えば、陽菜を助けたいと思うかどうか?って話。監督がほんとはどう考えているかはもちろんわからないですが、そもそも作家性の文脈でも、『ほしのこえ』から考えれば、そうとるのが論理的だよね。


でね、理屈とか、背景とか、いろんなことは抜きにして、感情的に「そりゃ助けるでしょう(男の子が観察者でいるのはだめだよ)」「助かって当然じゃないか(=世界の責任を背負うとかおかしい)」と言い切れるし、少なくとも僕は感じました。ああ、「今の時代にマッチした話なんだ」と感動しました。そして、自分が、ちゃんと、それに感情的に納得というか感得できているんのは、ちょっとうれしい。ちなみに、いまの若者がどう考えるか?は、少なくともうちの子供たちは、めちゃ猛烈に感動してたんで(笑)、僕は、なんというか正しい時に出た物語なんだろうなーと思っています。というのは、なんというか、新海誠さんの作品って、作家性が強すぎて、時代との関連とかでいろいろ批評するのを受け付けない気がするんですよね。そういう問題じゃなくて、おれはこれがやりたいんだ!という感じが常にする。なので、時代との関連が自分的にはよくわからなかったんです。この作品もやっぱり、言葉にうまくできない感じがするんだけど、、、でも、なのでまずは「感じて見たかった」というのがあって、リアルタイムで日本で見れてよかったと心底思います。なかなか日本帰れないので。


えっと、話を戻すと、LDさんが「セカイ系の最終回」という言い方をしていたんですが、まだアズキアライアカデミアメンバーとは話していないので、それがどういう意味かは分からないのですが、僕的な文脈でも、まさにそうだよなと思いました。ちなみに、次のラジオでは、『天気の子』かな、と思います。


で、自分の話に戻ると、僕は、Youtubeでも言及しましたが、ちょっと自分の中のマッチョイズムな思い込みがあったなと、その発見(自分の中で)におおーと唸っているのですが、


好きな女の子を救うためには、


世界を救わないと、女の子を救えない、


という思い込みがあったんだなって思ったんですよね。まぁ、セカイ系の典型的な構造ですが、ある意味論理的だとは思うんですよ。人を救済しようとしたら、その背景まで救済できないと、どうにもならない、というのは。ここで具体的に落とし込んでみれば、陽菜ちゃんを救おうと思ったら、何が一番重要かっていうと、、、、、金ですよ!(苦笑)。未成年には、もう救いようがないんですよ。ようは、彼女のすべてを守るためには、その責任をとれなきゃ話にならない。この話をする時、いつも『ハチミツとクローバー』の話を僕はするんですよね。何かに苦しんでいる大切な人を救おうと思ったら貯金(笑)がないとダメだ、、、って話。


これとても具体的な話ですが、物語的にも、好きな子をまるごと救おうと思うと、例えばその弟とか、すべて面倒見れなきゃダメじゃないですか。


、、、という思い込みというかマッチョイズムが自分にはあったんだなぁ、、、と。ようはね、帆高くん、何もできないじゃないですか。実際、何もできないんですよ、金と権力がないと(笑)。


でも、それでも、無理でも、間違っていても、自分の好きな人を守りたい!と叫んで、思って、何が悪いって。


実際、「具体的、物理的、現実的に救えなければ」、全部ファンタジーだ無責任だ、といってしまえば、それは凄い正論なんですよね。正論過ぎて、マッチョイズムに思えるって、自分ですごい感じたんですよ。だって、僕らが生きている厳しい世界では、そんな正論で、どうにもならないじゃないですか。具体的に救える力がなかったら、何も言うなって、そんなこといったら、何にもできなくなってしまう。



ああ、これは、新海誠監督の、若者への、次世代の子供たちへのメッセージだなって思いました。これ、大人には、違和感がある脚本構成なんですが、子供に、間違っていても、正しくなくても、好きな人、大事な人のためを思う原点をあきらめるな、という感情を伝えるためには、完璧なシナリオなんですよ。むしろ大人が、それは無理だと、と違和感を感じるところからの飛躍がないとダメなんだろうと思う。



間違っていても、その気持ちが本当ならば、叫んで行動に移せばいいじゃないか!って。



それがものすごい説得力を持って、感じたのは、エピローグというか、だいぶ水に沈んでしまった東京の「日常の風景」が丁寧に描かれているところです。この世界が滅びてしまった風景って、押井守さんとか、いろんな人がずっと描いてきているじゃないですか。でも、僕には、何となく、とてもマイナスかつ否定的なものに感じたんですよね。「ちゃんと世界を救えなかったから」「正しい決断や成長をできなかったから」だから、「こんなふうに世界は滅びてしまいました」みたいな。でも、脱英雄譚の話ですが、そんなのを一人の少年や少女(勇者やヒロイン)に押しつけるの卑怯じゃない?というのも、もう凄くみんな実感しているんだと思うんですよ。


世界がめちゃくちゃになっても、それって、天災であって、「それでも日常は続いていく」のであって、それをおれが、僕が、あなたが、私が、責任をとる必要はないんだ!、ってすごい言われているような気がしたんですよね。


セカイ系の類型って、大きな文脈として、本来を世界を救う(竜退治をする)男の子が善悪の問題(何が正しいか)に疲れ果てて、無気力になってしまったので、すべてそれを女の子に押しつけたという構造なんだと思うんですが、、、、じゃあ女の子がヒーローに勇者になればいいのかというと、それは一つの系なんですが、それでも「世界の責任を個人に押しつけている」構造は変わらないんだよなって。


これからの時代を生きる人々に、そんな難しいことを背負わなくてもいいよ、と言っている気がしたんですよね。だって、東京が沈没したって、世界がどう変わったて、その世界で、人は生きていかなきゃならない。そこに個人の意思なんざ、ちっぽけすぎて、意味をなさない。


唯一意味を成す、大事なことって、好きな人のために、大事な人のために、なりふり構わず動けたかってことだけだと思うんだよね。少なくとも、僕はうちの息子に、娘に、世界の責任を考えるような感情ののらないマクロのことで悩む暇があったら、大事な人のために動ける人であってほしいと思う。もちろん、マクロの責任なんか、無視しろと言っているわけじゃなくて、、、、まずは「原点はどこにあるか」「最も大事なことはどこにあるか」を確認しなかったらだめだろう、と。


最後に、陽菜ちゃんが祈っているシーンがあるんだけど、何を祈っているの?って、色々なところで話されていたけど、、、僕は、帆高に会いたいって、祈っててほしいんですよね。きっと、半分は、世界のためにも祈っているとは思うんですよ。そういう子だと思うので。でも、そんな責任を、感じるのはおかしいと思うんですよね。大事なのは、世界が、セカイが壊れたって、一緒に生きたい人がいるかどうかってことだよって話は、動機をめぐる原点だと思うんですよ。あの二人が、その後、結婚できなかったり、分かれたりしても(笑)、僕は、「そういう気持ち」を持てたかどうか、で世界の鮮やかさは全く違うと思うんですよね。少なくとも、そう思って生きてほしい、そう思うのが、人としていいことだって、思いましたよ、この作品を見て。


という、キラキラしたポジティブ感が、水に沈んでしまった大災害の後の映像でガチに語りかけてくるようで、、、、僕は、あの映像の美しさに、打ちのめされてしまいました。


この映像をもって、僕は、セカイ系に対する一つの明確な答えを出した感じがしました。なので、僕の言葉での「セカイ系の最終回」というのは、世界を救うより、まず大事な人を選ぼう!そこからスタートしなきゃいけない!、そして、セカイの、世界の責任を一人でしょい込もうとするな!、時には、世界よりも大事なものがミクロの世界には、自分の気持ちの中にはあるんだってことを忘れるな、ということを言っているように感じました。


僕の感想でした。

続いてサブタイトルとなった「Weathering With You」について、新海は「『Weather』という気象を表す言葉を使いたくて。これには嵐とか風雪とか、何か困難を乗り越えるという意味も含まれるんです。映画は何か大きなものを乗り越える物語でもあるので付けました」と語った。

https://natalie.mu/eiga/news/312098


ちなみに英語のサブタイトル、Weathering With Youの意味は「困難をあなたとともに乗り越える」です。


世界を壊すような天災のその後、あなたと共に生きていきたい、という意味に感じて、僕はグッときました。


以上


以下は、自分がこの感動を将来思い出すための、メモメモです。

【合本版】イリヤの空、UFOの夏 全4巻 (電撃文庫)


セカイ系の本質は、「男の子が観察者になってしまう」「世界の謎も解かないし、竜退治もしないし、女の子を救いもしない」という無気力と、その不可能性の部分にあるので、この辺は、上記の作品や、『最終兵器彼女』を見たいところです。

最終兵器彼女(1) (ビッグコミックス)

あっちなみにセカイ系という言葉は、地雷ワードで、みんなそれぞれの思いの定義があるので、あんまり定義とか考えないで、ざっくりイメージで考えてください(笑)。どういう風に考えているかは、マインドマップの新刊を見てもらえれば(笑)。

booth.pm


■参考記事

gigir.hatenablog.com

ちなみに、GiGiさんのここ記事良かった。

その後やって、アズキアライアカデミアのラジオ。


Academia/天気の子 2019/09/01

宣伝・既刊及び4-5新刊の在庫できました。

既刊とこの2019年夏コミの新刊(4-5巻)の在庫できました。宣伝です。買ってもらえると、何とか在庫作れるぐらいで回しているので、ぜひとも買ってもらえると嬉しいです。つーか、凄い勢いでボリュームが増えていって(笑)、1巻との厚さの違いを考える、、、、(苦笑)。値段変えてないですが、ボリュームは数倍になっていると思います。なんか、増えちゃうんですよねぇ。。。コスト増えちゃってしんどいのですが、まぁ、勢いで出しているので、行くしかな、と。ただ消費するだけでなく、作る側に回ると、こんなにも世界が違うのだ、と感心します。アラフィフになっても、新しいをもの学び感じれるのは、とても幸せなことです。

azukiarai.booth.pm


ちなみに、講演会オフ会でLDさんが説明しましたが、表紙や章の図像には、すべて細かい意味があります。この時代の僕らが「群」でとらえた物語群にどういう特徴があったと理解しているかが、絵で見てすべて読み取れるように作っています。そういった図像情報から、いろいろ読み取ってもらえると、さらにうれしいです。たとえば、6章のセカイ系の台頭のやつで、男の子と女の子が、違う世界に生きているのがわかりますかね?。これ、男の子が、異なる世界で女の子が世界を救うために命を懸けて戦っていることに、まった気づいていないで、生きていることを示しています。しかし背後を見ると、、、、などなど、、、、と、想像を膨らませていただければ、僕らがこの図像に何を込めているのかが、楽しめると思います。

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物語の物語

冬コミも申し込みました。これで受かれば、6-7巻、脱英雄譚と新世界系で、2年前の当初計画案通りでいったんシリーズ完結します。頭おかしいスケジュールでした(まだ終わっていないけど)。がんばります。

『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』シーズン5 USA 2008-2013 Vince Gilligan監督  才能によって善悪の彼岸を超える時

ソフトシェル ブレイキング・バッド ファイナル・シーズン  BOX(4枚組) [DVD]


評価:★★★★★5つ+αマスターピース
(僕的主観:★★★★★5つ+αマスターピース



2019-8-7【物語三昧 :Vol.5-4】『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』シーズン5 USA 2008-2013 才能によって善悪の彼岸を超える時-42


全5シーズン、62話。

この作品が言いたかったことは何であろう。僕は、さまざまな視点はあるにせよ、この作品の最終的に言いたかったことは、やはりウォルター・ホワイトが、何のためにこの犯罪を犯したかということに対しての答えだろうと思う。「チップス先生をスカーフェイスに変える」という前提を、製作陣は想定しているが、この設定が紡いだ結論は。


一人の男の自己実現を描いた話だろうと思うのだ。決して、僕は、ウォルターが、極悪人だったわけでもなく、本質が悪だとも思わない。最終的に、彼は疑問の余地がない邪悪というか、純粋に悪ともいえるような存在になっている。けれども、「最初からそうだった」とか「本質的に彼がそういう人間だ」というのは全くのミスリードな評価だとおもう。


この作品は最後の最後にウォルターが、


「すべては自分のためにやった」(ずっと家族のためと言い訳が彼を支えていた)


「充実していた(I was alive)」(追い詰められてしかたなく悪に手を染めた)


ということを表明するところに、見事な新しさと、そして自己実現、悪人としてのピカレスクロマンを自滅ではなく、成長物語として描いたところにその本質があると思うのだ。実際のところ何度も繰り返される「私がした事は、全て家族のためだ。」という表明。これがすべて否定されるシーンの切なさは圧巻です。


そして、「このセリフ」からすべてを逆算して物語を見返すと、彼が「どのように変わっていったのか」、その変化が、成長が「どこに行きつくものだったのか」ということを、指示してしている。もう少しうまくいいかえれば、アメリカのドラマにしては、シーズン5と短くまとまっており、かつ明らかに、最初からこの「一点」に向かって、すべてが収束していくという完成度を見ることができる。「ここ」にすべてが収束していく、最終シーズンの60話『オジマンディアス(Ozymandias)』への緊張感の盛り上がりは、アメリカのドラマ史上最高のものだったと僕も思う。また、さらに凄いな、と思うのは、61話『ニューハンプシャー(Granite State)』62話『フェリーナ(Felina)』と、後日談というわけではないですが、「その後」がじっくり描かれるところも、本当に裏切らない。


僕はアメリカの批評では「去勢された」と表現されるウォルターが、もともと悪人だったとは思わない。エピソード1-3の彼は、本当に「すべて家族のため」だったのが、状況に流されて、どんどん追いつめられる様が描かれている。だけれども、この作品が、そして、ウォルターが、これまでのアメリカのどの物語とも違うのは、「善人で去勢された冴えない教師」が、「自分に才能に気づき」、その才能に基づいて、力をふるうようになっていく、、、これは定番のヒーロー物語だろうと思うのだが、その力をふるうのが正義ではなく、悪であり犯罪だったというところだと思うのです。彼が圧倒的な「悪人として、犯罪者としての才能」に恵まれていたところを、追い詰められ、自覚して、才能を開花させ、ついには、アメリカ犯罪史上最高の悪役といわれるようなラスボス中のラスボスであるグスタボ・"ガス"・フリング(シーズン4)を倒すに至るサクセスストーリーは、見る者を圧倒します。


そして、そのサクセスストーリーが、美しく、見事なビルドゥングスルロマンとなっていればいるほど、それは同時に「彼が悪に堕ちて染まっていく」ものであるという二重構造を示し、を感じさせるところに、この作品の凄み、新しさがあると思うのです。


そして、シーズン5は、いってみれば、なんというか、スターウォーズのエピソード1-3のように、主人公が闇に落ちていくプロセスの総決算を見せる、とても苦しくきつい話です。本来は人気が出るはずがないような、「落ちていく様」にたくさんのアメリカ人が、共感し、熱狂したところに、アメリカ社会のエンターテイメントや物語への成熟度合いが感じられると僕は思います。『スーパーマン』みたいなシンプルで古典的なアメリカンヒーロー「ただの正義の味方」では納得できない、深い成熟があると思います。

また、シーズン5は、そうでなくとも、「落ちていく様」を見せるくらい話な上に、もうラスボス(グスタボ・"ガス"・フリング)は、倒されてしまった後の物語です。もう、小物しか残っていない。というか、残った悪人たちは、ガスほどの器も、動機も、凄みもない小悪党たちです。リディア・ロダルテ・クエールが、言ってみれば、シーズン5の倒すべき敵ということになると思うのですが、彼女の、最初に登場した時からの小物感はいっそすがすがしいほど、ダメな人です。彼女が、他の関係者をすべて殺そうとするのも、ひたすら臆病さと保身のためだし、しかもそれは冷静さというよりはヒステリーであり、自分が手を汚すことや、自分が泥をかぶる覚悟がないさまが、これでもかと繰り返されます。このあたりのエピソードの積み上げも、僕は全く新しい!と感心しました。通常は、倒すべきラスボスの器問題といって、倒すべき敵が強ければ強いほど、物語は面白くなるのですが、もちろん弱ければ弱いほど、しょぼく物語が鳴るというのが通常のシナリオ構造なんです。なので、「強さのインフレ」という構造的弱点が起きて、ドラゴンボールやジャンプでは定番の、うんざりするような次から次へと、さらに強い奴が、、、と表れて破綻します。が、ここでは反対のことを、わざわざ演出している。トッド・アルキストの叔父のギャングリーダーにしても、明らかな考えなしの小悪党なのが、見ていて随所に描かれています。ガスの器と比較すれば、これらが物語に登場するにしてもしょぼい話です。しかしながら、だからこそ、シーズン5は、素晴らしい物語になっている。それは、既に、もうこの世界のラスボスであり最大の悪党は、ウォルターであることが、シーズン4の終わりにわかってしまっているのです。ということは、倒すべき敵、、、ドラマトゥルギーは、ウォルターの自覚なんです。えっと、ようは、シーズン4までは、「より強い敵を倒す」物語だったんですが、シーズン5は、「希代の大悪党が自分自身の自覚を持つ」物語なんです。だから、「自分のために行い、自分の才能をふるえる様が楽しくて仕方なかった」という告白こそが、このシーズンのドラマトゥルギーの収束点になるわけです。


そして、既に、もう彼が、「救われることがないだけの悪に手を染めてしまった」ことは、観客のだれもが知っています。


だからこそ、最後は、どのように落とし前を彼がつけるのかが、物語のエンドポイントになるのは、わかりきっています。彼は「自分の才能を十全に開花させるという喜び」を得るために、それまで持っていた大事なものをすべて裏切っているのですから。彼は自分の才能を開花させ、その力をふるう喜び(自己実現)を最後まで伸ばしきることで、生を充実させたのです。しかし、それは同時に、だれ一人、彼との思いを共有することがない、孤独の地獄に彼を連れていくことになります。・・・そして、それでも彼は言います。「楽しかった」と。彼は、ウォルターは、それを「選んだ」のです。


50話:51歳/Fifty-Oneで、じわじわと、スカイラーとの仲が崩壊しているがわかるんだけれども、スカイラーが、子供たちを家におきたくないと言い出すときに、口論が面白かった。これ、パワハラ上司との、できない部下との会話なんだよね。「具体的にはどうするのか?」と追い詰める。こういう時に、人間としての強さ、という格の違いがあらわになるなぁ、と思う。ようは、スカイラーは、自分の為した罪を受け入れる覚悟が持てなくて、壊れていっているのだ。シーズン1-2のウォルターそのもの。ここは難しい問題だ、と思う。人を殺すような、これまでの世界と違う世界に行きながら、それでも自分を取り戻して自分を正当化できるのは、大したものであろうともう。普通の世界で粋がっている多くの人は、「普通の世界」というルールの中だけで、いきがれる臆病者だからだ。でも、じゃあ、それが悪いことなのか?と言えば、臆病者が正しいという風な、ルールを作ってきたのが、現代の社会なんだろう。ウォルターは、「この善悪の次元」に逃げるのではなく、それを超えて、「力の次元」に才能で足を踏み入れた。その違いが、ここでははっきり分かれているのが興味深かった。




シーズン5エピソード14、いわゆる神回「オジマンディアス」


www.youtube.com


詩「Ozymandias」は、イギリスの詩人パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley)(1792-1822)

古代の国エジプトから来た旅人はいう
胴体のない巨大な石の足が二本
砂漠の中に立っている その近くには
半ば砂にうずもれた首がころがり

顔をしかめ 唇をゆがめ 高慢に嘲笑している
これを彫った彫師たちにはよく見えていたのだ
それらの表情は命のない石に刻み込まれ
本人が滅びた後も生き続けているのだ

台座には記されている
「我が名はオジマンディアス 王の中の王
全能の神よ我が業をみよ そして絶望せよ」

ほかには何も残っていない
この巨大な遺跡のまわりには
果てしない砂漠が広がっているだけだ

I met a traveller from an antique land
Who said: “Two vast and trunkless legs of stone
Stand in the desert. Near them, on the sand,
Half sunk, a shattered visage lies, whose frown,
And wrinkled lip, and sneer of cold command,
Tell that its sculptor well those passions read
Which yet survive, stamped on these lifeless things,
The hand that mocked them and the heart that fed:
And on the pedestal these words appear:
‘My name is Ozymandias, king of kings:
Look on my works, ye Mighty, and despair!’
Nothing beside remains. Round the decay
Of that colossal wreck, boundless and bare
The lone and level sands stretch far away.”


この詩をどう解釈すべきでしょうか?


オジマンディアス。当時の超大国エジプトの王の中の王とうたわれたラムセス二世。


明らかにその「孤独」を歌った歌です。


いやはや、Vince Gilligan、さすがだよ、と唸りました。


ちなみに、もともとスカーフェイスなどのピカレスクロマンもの視点で、僕はシーズン4を評価しましたが、ブレイキングバッドが、この「悪人の自己実現」について、到達点を示していると思います。スカーフェイスが典型的ですが、悪党のもともとの動機は、「伸し上がること」であり、それをわかりやすく示すのは、酒、ドラッグ、タバコ、女などとにかくお金を使いまくる金ぴかの生活です。もちろん、そういうのを最初は端的に望んでいたのでしょうが、「そこ」に到達すると犯罪者モノのは、どんどん気が変になって、意味不明の行動になる。それは要は彼が目指していたものは「その先」にある、自分の才能が世の中に認められることであるからです。認められるだけでなく、「純粋に才能をこの世界に行使すること」です。端的に言えば、スカーフェイスの場合は、家族に認められるという部分が、つまりは、妹との関係なのですが、主人公が成功するにしたがって妹の人生が壊れていき、最後は死んでしまうのは、彼の望みが受け入れられないさまを示しています。そうやってすべてに絶望して、破滅に向かっていくというのが、ピカレスクロマンの醍醐味なのですが・・・・・僕はこれを見ると、一つ不足するものがある、と思っていました。それは、「自覚」です。何のために悪を為すか?と言えば、悪をの為したいからではありません。これらの喜びは、理由や動機はどうあれ、「力を、才能をこの世界に示すことそのもの」なのですから。彼らは、正しい形でのビルドゥングスロマン(成長物語)を通して、自己実現がしたかったのであり、その才能と舞台が、犯罪だったというだけです。しかし、「そうだった」ために、既に破滅の道しか、残されていません。そもそも、受け入れてもらえたい母親や妹を裏切るような構造になっていれば、それは正しい道へは至りません。しかし、、、、それでもなお、自分が大事なものを裏切っても、「自分の才能を世に示す」ことをしたかった、それが達成されること、自分自身の「力をふるうことの喜び」を感じたかった!、何と引き換えにしても!(家族を殺してでも!)という「自覚」がなければ、僕は、本当の悪の才能としては、甘い、と思っていました。ここまで言葉になっていたありませんが、ウォルターの生きざまを見て、見事!!と思ったのは、彼の自覚が、ここに到達していたからです。それは、孤独と引き換えに、善悪の彼岸を超えた「力の次元にいたること」。


この結論に対して、さらに二点みたい。



■状況に流されるだけのジェッシーは汚れない
アメリカ社会の置かれている状況、、、どうにもならない負の連鎖の中で、もうそこから、どんなことをしてでも抜け出そうとするもがきへの共感


実は、共感することができない「純粋な悪」として自信を純化していき、すべてを裏切っていくウォルターに対比する構造として、ジェッシーがいます。この二人にの構造、対比、対立がずっとこの物語を締めることになります。


というのは、僕の言葉でいうと「状況に関わる」ことについて、この二人は対極の反応を示すからです。


「状況に関わる」、、、言い換えれば「状況を自分を主体的判断によって変化させる(=現実を支配する)」ということは、主体的な人間の前提条件でもあります。しかしながら、実は、それはほとんど不可能ともいえるほど難しい。その中で、どのレベルで、起きてしまった現実を受け入れ、世界の不可避は変化を受容して認めていくかというのが、人間の在り方を決めます。もし、シーズン3で、ウォルターが、ジェシーの恋人を見殺しにすることがなければ、彼は、あそこまで堕ちて悪に純化していくことはなかったかもしれません。けれども、「彼は状況支配する」ことを、望んだ。自分の「能力によって現状の困難を打開する!」ということを主体的に選んだのです。そのためには、殺人も辞さず。


この現実を支配する!という発想を、マチョイズムやマスキュリン(masculine)などの「男らしさ」と結びついていることはよく指摘されますが、それ以上に、マクロの社会状況が、コントローラブな度合いに差があるように僕は思っています。社会がコントローラブルな状況ならば、すべて自己責任でいいし、すべて個人の責任です。けれども、往々にして、社会は、個人ではどうしようもない構造や出来事であふれています。この度合いで、物事は、全然変わってしまうと思うのです。

petronius.hatenablog.com


Hell or High Water (2016) Scene: "I've been poor my whole life..."

2008年からこの物語は放送されていますが、これが日本でいうリーマンショックの年であり、その後不況で転げ落ちていくスタート地点でもあります。また、2013-2016年は、オバマ政権の第二期で、理想的で高潔なリーダーが何もできずに、国がスタックして理想が実現しない失望の年でした。また、レーガノミクスから始まった、新自由主義的な政策とグローバリズムの行き着く先として、中産階級がどんどん衰退して苦しくなっていくことに、一切歯止めがかからないことが、はっきりとした時代でした。


こうした背景の中での絶望が、アメリカをして、トランプ大統領を選ぶことに結実しました。


ラストベルトを支持基盤とした広範な中産階級の支持は、あきらかに、衰退し、解体されていく中産階級の叫びであったことは、現在(2019年)ではわかっています。国は分断され、どうにもならない状況が続いています。こうした、「どうにもならない負の連鎖から抜け出れない地獄」を脱出する手段として、極端なこと、「これまでとは違うこと」、また理想はまったく信じられなくなったこと(オバマ政権は手も足も出なかった)、などのを求める切実さ。「コントローラブル」ではない感覚の、深い絶望が背景にあるのは、明白です。


『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』シーズン3 USA 2008-2013 Vince Gilligan監督 2008-2013年のアメリカは、正しくあろうとあがくことで怪物になり下がっていく自分たちの虚無を見つめたのかもしれない - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために



この2点が重ならないと、アメリカの2008-2013の当時に置かれていた背景が見えてこない気がします。



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さて、やっとこさ、シーズン5すべての解説を終えました。物語自体の分析もそうですが、それ以上に、このような暗い物語が、アメリカで絶賛されてた背景や、なぜ主人公がいきなり人生に絶望してしまうかなどは、アメリカの社会の肌感覚を理解しようとしないと、なかなかわからないと思うのですが、そのあたりが、少しでも理解する、感得するのに役に立ったら幸いです。


■過去の記事履歴

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8月17日開催のオフ会イベント〈第一回アズキアライアカデミア〉の参加者募集


宣伝するパワーがないので、とりあえず告知!。

もう結構恒例だけど、アズキアライアカデミア、としてリブランディングしてからは、第一回目!、たぶん、来年はないと思われる(僕が帰国しないと思うので。。。。)