絶対視思考と相対視思考について

物語の主題と各エピソードによるガジェットの比率とは?http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090526/p2


コメントいただいていて、気になってい考えているのですが、まとまらずに、LDさんといろいろ会話している最中です。ちなみに、ここにLDさんの記事がありますので、ご紹介を。というかほとんど僕も同意見なのですが、自分の言葉で語ることが出来ないのと、どういうウェイトで語ろうかが固まっていないので・・・。自分の理解がちゃんと「腑に落ちる」ところまで行っていないと、なかなか軽く書けないのですが、LDさんの「位相」というのは、なるほど、と凄く思っています。そもそも議論の作法として、これは、ちゃんと意識していないとだめで、逆に意識できるスペースを作れれば、かなりいろいろな議論の整理がやりやすくなる気がするように感じました。


今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)/絶対視思考と相対視思考について

http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/06fb37c8864a033a789f1a794f41dd07


このペトロニウスさんのエントリー自体は、おそらく別の主題を提起をしていて、引用箇所は文章の流れから軽く触れた見解に過ぎないと思うので、ちょっとリンク取ろうかどうか迷ったのですが…。しかし、コメントをされている方々は、正に“ここ”に反応して、レスを返されている。…なぜ、そこが琴線に触れるのか?…というと「絶対と相対の対立」があるからなんですよね。そこらへんの構造の話をしたく喚起されたので、ちょっと論点違いで申し訳ないと思いつつも引用させてもらいたいと思います。(すみません)


おたくの……多くは形而上的な界隈の議論において「絶対視思考」の意見と、「相対視思考」の意見の対立を目撃をしたり、あるいは当事者になった事がある人はけっこういるのではないでしょうか?まあ、議論をすれば対立はかなりの高確率で起こるものなんですが、この二つの思考の対立はけっこう根が深いですよね。…なんでかって言うと、いつまで経っても平行線な考え方だからなんですけどwその為、互いに忌避する(嫌っている)関係をとっているように思えます。「絶対視思考」者にとって「相対視思考」は「結論を出す事から逃げている思考」に思え、「相対視思考」者にとって「絶対視思考」は「勝手な意見の押しつけをする思考」に思える……と、細部の見解は人によって違うとしても、そんな感じの対立でしょうか?

ちなみにLDさんが指摘してくださっているように、そもそもの議論の目的は、別のところにあるんですが、なぜこういう議論に非常に人が喚起されるのか?(僕のブログはコメント少ないのですが、これには凄くビビットに反応が帰りましたので)というのは、実はいつも気になっていて、あまり抽象論を重ねるのは、めんどくさいので、言葉でいろいろ話しているものが多いのですが、ここはちゃんと語っておくべきところなのかもしれませんね。たぶん、大元の議論の主題文脈とエピソードの解離問題のも、パラフレーズされるものの一つだと思いますし。