ちょっとめもめも。

成長をやめたら幸せになるの? 池田信夫
http://agora-web.jp/archives/1643290.html



池田信夫さんは、去年ぐらいから佐々木俊尚さんに並んで、神がかっているというか、旬で凄い追っているんですが、イヤー興味深い視点ですねー。そんで、読んでいてふと思ったことをメモ。現代日本を見るときには、対立構造が2つあるように思えます。


1)大都市(東京)と地方(その他)


2)高齢者と若者


もちろんこれ以外にも、たとえば、もう少しあやふやものでは、移民受け入れVS移民受け入れ拒否とか、保守層とリベラルとかもあるんですが、実態がしっかりあって、イデオロギーに毒されていないで、はっきりとその対象が規定できるのは、この2つかなーと思う。また、現代日本の未来をリデザインするときに、この二つの対立構造にどう答えるかが、その人のイデオロギーや立場を示すと思うし、解決の方向がしっかり打ち出されてかつ、将来の「理想とすべき日本の像」が明らかになるような気がします。なので、この切り口のどちら側に立つ思考を自分がしているのか、もしくは自分が好きなオピニオンリーダーがどっちら側によっているか、というのは物事を考える上で、理解しておかなきゃいけない点だろうとちょっと思いました。


ちなみに、今のぼくの意見は、1)においては、大都市(=東京)の経済成長を促進させるのが、これからの「成長」を担保する唯一の方向だと考えられるので、東京一極集中、そしてそこへの投資が正しいと考えています。なので、逆の言い方をすると、成長可能性のない地方は切り捨てろといっているに等しくなります。とはいえ、切捨てと声高に叫ばれますが、ぼくはそうは思っていません。それはイデオロギー的な、嘘(=宣伝洗脳作戦)だと思っています。基本的に、大都市(=東京)での成長と差別化が加速できれば、日本全体の効用は上がると思います。またグローバル化に勝ち残れる場所がなければ、日本全体が沈むので、これはイデオロギーの問題ではなく、必然であるとも思っています。ない袖はふれないものだからです。ちなみに、この大都市圏でグローバル化に生き残ろうという方向に大阪の橋本さんは名乗りを上げていたのですが、選挙で否決されたので、この競争に大阪は取り残されるのが決定したと思っています。なので、東京以外は、グローバルには魅力はありませんし、勝ち残る力もありません(いまのところ。ほんとはいろいろ方法はいくらでもあるんだけど、、、、)。ともあれ税の中央集権体制の問題など、現在の成長を基本とする日本のスキームから解放されて、自律的に動けるようにならなければ、それこそ地方はボロボロになっていくとぼくは思います。とはいえ、一旦小さな政府的に、大きなメスは入れたほうが、地方の生き残りには正しいと思っています。このまま既得権益層を大事にして、現在の体制を維持し続けるほうが、実は長期マクロ的には害が大きいでしょう。


この視点を見るときには、大きな政府VS小さな政府という対立軸で見ないとだめだと思っています。これは財政規律の問題に接続されると思うのですが、ようは、現在の既得権益を守るためにばら撒いているのがいいことなのか?という視点です。ギリシャの問題とかと凄い似ていると思うんですよね。ただし、日本社会には、小さな政府の伝統は、非常に弱い。すくなくとも左翼側のかなりの知的エリート層にしか、これってない気がします。基本的に、そうでなくともアメリカを除くすべての国が大きな政府思考の病からなかなか抜けきれないことを考えると、この伝統が薄い日本は、かなり厳しい。レーガノミクスサッチャリズムなど、あきらかにこれ(大きな政府)に対抗した政策を採用したアングロサクソン圏内が、高い成長率とイノヴェーションを維持していることは、重要なポイントです。


ただこれは日本の戦後民主主義を形成する団塊の世代が作り上げた「国体」(苦笑)、文化そのものの破壊につながるので、どうもリベラルと保守の対立とか、戦前を正しいという被害者意識の強い右翼と加害者としての日本の反省を重視する左翼との対立とか、イデオロギーや思想の対立にからまってしまうので、よくわからない不透明になっているような気がします。まぁ、小さな政府は、普通右翼的なポジションが掲げる政策なんですが、日本ではどっちかというと左翼の伝統に様な気がするので、よくわかりません。何でなのかは、もうちっと勉強しないとだめだな、と思います。


2)の高齢者と若者という世代別の対立構造においては、団塊の世代Jrの僕は、微妙にこの真ん中に位置するようですが、はっきりと若者側に立ちます。個人的な理由は二つ。それは、次の世代を形成するのが自分の子供の層なので、自分の子供の未来を考えると、高齢者の側に立てないからです。また、僕は、多様性を好んで(そもそも今日本に住んでいませんし)、グローバルな競争の中でも、まぁ生きていけるかなと思っている人なので、日本の過去のアンシャンレジームにこだわって、既得権益を守ろうという気がほとんどありません。既得権の喪失が、自分の人生の没落を意味するならば、なかなかこうは思えないでしょう。自分が、団塊の世代で、グローバルにこれからも稼げると思っていないのだったら、きっとこうは言わないと思うんですよね。マクロ的にいうと、もう既に日本の害悪は、成長を機軸とした高度経済成長に適応したレジームのせいだと考えているので、これを変えないとだめなんだと思います。


とはいえ、この問題も、現代日本のアンシャンレジームを「一旦壊す」場合は、小さな政府的な方向に大きくなたを振るわなければならないので、現状のギリギリにいるラインの人々には、すさまじい攻撃になるんで、切り捨てるのか?という結果平等的な視点からのイデオロギー論争になるようなんですね。このあたりの、現実的には、一旦壊したほうがいいとマクロ的にわかっていても、できるだけソフトランディングに、しかもそれによってめちゃめちゃな目に会う人をいかにケアするか?は、これに反対する勢力がいないと、暴走しますからね。やらなきゃいけないんのは、たぶん歴史の趨勢だと思うんで、議論の余地はあまりない気がします。ただ、どうやるか?には、相当考慮の余地がある。


かといって、日本の意思決定の遅さや、全体がめちゃめちゃに破壊されるまで、大きな戦略変更ができないという悪癖は、結局のところ、みんなで死ねば怖くないっていう感じなので、、、、それって最大多数の最大ダメージを受け入れれば、誰もが納得するってだけだと思うですよね(苦笑)。それって、何もいいことが無いと思うんですが、どうせ我慢しなきゃいけないならば、すべての人を引き釣りこめっていうルサンチマン的で、だめな構造だと思います。まぁ、とても結果平等思考的ではあると思うんですが・・・・。結果の平等は、究極のところみんなで不幸になるという結論に陥りやすいのですね。機会の平等は、逆に格差の肯定になってしまいやすいんでしょうね。バランスってのは、本当に難しいのですね。



いろいろ眺めるときに、こういう風に見るのかなーと、ふと思ったので、メモです。メモなので、まだぜんぜん整合性とかありません。結局、よくわからなくても、仮説を立ててアウトプット立てないと、さっぱりわからないし、、、「自分で考える」って趣味をレベル上げするには、まぁ、こつこつ考えていこーと思っています。