ルルーシュの動機が解体され、何もなくなっていく絶望していく様子が苦しかった〜TURN13〜20

■主人公をここまで絶望させていくと、なかなか感情移入している側にとっては苦しい

TURN20の『皇帝失格』でやっと、ほっと一息つけました。というのは、TURN13ぐらからルルーシュの信じていたものが、どんどん奪われていくことが、物語の流れ上正しいとは分かっていても、苦しかったんで、やっとひとごこちついた気がします。なぜならば、最終目的の次元へ物語がシフトしたと思うので。とりあえず、僕はこの物語を3層の構造があると仮定していたので、5話?ちかく残りがあるはずですが、としても、3番目の「皇帝シャルルの目的と神殺しの話」に物語の焦点は移ったと思うので、この中身はどうなるかまださっぱりだが、それでも、目的があるいてど定まると安心する。

ちなみに「神殺し」というのは、まだ定義付けていないものので、ナショナリズムにせよインターナショナリズムなど戦争と人間存在の「現実」から逸脱したディメンション(次元)での物語、と思ってくれればいいです。この話にもいろいろ類型があるので。


■R2は、ルルーシュの動機が解体されていく物語

そういえば、『マブラブオルタナイティヴ』を、主人公のタケルの動機が解体されていく(=層を明らかにする)ドラマツゥルギーと書いたことを連想するんですが、この物語も、GiGiさんが指摘するとおり、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという少年が、そのすべてを奪われて絶望していく物語なんですね。これを通して谷口監督は、何をいいたいか?というのは、まだ置いておくとして、とにかく、少なくともR2の20話まで、ルルーシュには救済(=サルベージ)される要素が全くない。いくつかあげると、

1)ナナリー(=妹)を守るために起こした戦争だったはずが・・・・自ら起こした戦闘のせいでナナリーは死亡


2)自分を愛して全てを受け止めてくれるはずだった恋人シャーリーは、その父親を殺し絶望させたうえで、自分が手駒として飼っていた弟(というウソ)のロロによって殺害されてしまう


3)嘘でも自分を心から兄として愛してくれたロロに、それが故に恋人のシャーリーを殺され、自分を窮地から助けるために死なせてしまう


4)仮にナナリーを守るための手段だったとしても、人生をかけて戦った黒の騎士団の仲間に裏切られてしまう


5)人に深く愛されていた妹の皇女ユフィを自らのギアスで操り、日本人の大量殺戮をさせてしまう。そのことによって、親友であったスザクにも、仲間である黒の騎士団(=日本人)にも、云うことすらできない十字架を背負ってしまう(もちろん、すべてばれる・・・)


主要なことで、これだけのことが揃っていて、そのすべてが、ルルーシュが、ギアスというウソを使って、支配したということにすべての原因があるという構造になっている。何が言いたいかというと、すべて言い訳ができないほど、はっきりとしたルルーシュの自覚的な罪によって起きたことだ!ということだ。


もちろん、ルルーシュが、その非人間的な行為のキングス弁には、常に、「妹のナナリーを守るため」という言い訳が存在した。この物語のドラマツゥルギーの核の中の核だ。その限りなく純粋で透明な「動機」が存在する限り、どんなに地にまみれても、本当はルルーシュは、救われるはずだった。が、ナナリー自体の思いを無視した押しつけであり、ナナリーが総督としてユフィの夢を継いだ時点で、ルルーシュの生きる目的は半分失われてしまった。そして、もう半分のナナリー自身も自らの戦闘で殺害してしまうことになる。そう、もう、ルルーシュには、救われる方法が残されていないし、たとえどんな理由や言い訳があっても、もうここまでのことをしてのけたからには、他人から仲間から理解されるということはありえないだろう。どんな理由があろうと、自分を騙し駒として使った、しかも日本民族解放のために戦っている黒の騎士団にしてみれば、日本人の殺戮を手段として利用したゼロ(=ルルーシュ)を許す理由が存在しない。


と、こうやって、救済の逃げ道が存在しないところまで追い込まれる(=絶望する)のが、R2の19話までの基本的なストーリーであった。


■閃光のマリアンヌ(ルルーシュの母)とアーニャの関係

ちなみに、ナイトオブシックスのアーニャは、実は、ルルーシュの実の妹なのでは?という説を僕は唱えていたのですが、これはまだ生きています。というのは、アーニャは、時々記憶を失ってしまい、そのことを苦慮して写真を撮る癖がついたという設定ですよね?。


そして、マリアンヌ(=ルルーシュの死んだはずの母)の人格として振る舞うアーニャがこの20話から登場しますが、マリアンヌの人格が出てくるときはすべて、ギアスがかけられた状態の赤い眼をしていますよね。これって、ギアスの力によって、アーニャの人格にマリアンヌの人格が割り込んでいるって考えてもいいではないですか?。つーか、僕はアーニャ大好きなので、マリアンヌのようなパワーねじふせ型が本人格であってほしくないって、願望からいっています(笑)。



■「たとえ嘘でも、本気で願うことは、本当だ」というドラマツゥルギーをも解体?

えっと、これってロロの物語と同じなんですが、ロロって、あの自分のエゴのためにシャーリーとか殺しているし、えっと、どうなのそれ?って壊れたキャラクターなんですが、「ルルーシュを兄と慕う気持ち」は本物でしたよね。


本物であることを示すことが、自分の命を投げ出すことでしかできないなんて、なんて不毛な・・・と思います。


これって、「たとえ嘘でも、本気で願うことは、本当だ」というドラマツゥルギーなんですよ。でもね、これって、まだ一つルルーシュの落とし穴が残っているということで、ナナリーを救うために起こした、、、母である閃光のマリアンヌ殺害の真実を知るために、故郷であるブリタニアに反旗を翻した、その記憶さえも、すべて嘘かも知れないって、可能性があるわけじゃないですか。マリアンヌの目的がなんだったにせよ、ルルーシュは、本当に「何も頼るもながない」「すべてが嘘だった」ことからスタートしている可能背が大なんですよね。そのためには、ナナリーが妹ではなかった!という設定のほうが、僕はいいと思うので、、、、って、書いていて、さらに苦しくなってきた。

えっと、くどく長いな、僕の文は、、、、えっと、


「嘘でも信じたことは本当じゃないか?」


「嘘から始まったことでもナナリーやアシュフォード学園や黒の騎士団との同じと気を共有した事実は本当ではないか?」


というロロのドラマツゥルギーの感動的なものはさ、でもさ・・・・ルルーシュぐらい複雑に、すべての、信じていたものが解体されてしまうと、


そもそもルルーシュの自由意思ってなんだったんだよ?


って思いません?。


ロロは、まだわかりやすい。新興宗教教団に騙された子供とか、少年兵になった子供とか考えればいいわけで、その果てに、殺し合いだけではないものを、「兄ルルーシュとの日常」という幻想を本物にするべくかけた、ということは、生きる目的としては非常によくわかる。物語としても、仮に、信じたルルーシュとの関係が嘘であっても、最後の最後でルルーシュの心に届いているんだから、あれはロロの物語としては勝利ですよね。


でも、、、ルルーシュは?


ナナリーさえも嘘で、母のマリアンヌすらも、何かの目的で動いているとしたら、、、、ここまで動機を解体されてしまうと、、、そもそもなんでルルーシュは生きているの?ただの人形じゃないか?って、ものすごい絶望感があります。ちょっとかわいそう過ぎて凹みます。ただ、結末をどうもってくるにせよ、主人公の信じるものをすべて解体していくそのメタ的な物語の進め方は、ああやっぱり00年代以降の現代の物語なんだなーと思います。だって、『崖の上のポニョ』や『スカイクロラ』と同じテーマになるじゃないですか、やはり。


この堅い現実の地平が信じられない、、、っていう。


追記

あっ、ちなみに一つだけ救済の可能性があって、ナナリーが生きていた、ということがあれば、かなり予定調和的にルルーシュには、人間としての救済の可能性があります。でもまーこの流れで、そんなハッピーエンドにするかなぁ、、、とかも思います。ただ、そうすると、あまりに希望とか「頑張ろうという意志」を解体することになるので、見ている側にカタルシスの全くない作品になってしまう。そこは、どう考えるか?監督??って思う。ちなみに、思いっきりルルーシュの自我を破壊して、救いを完膚無きまでになくせれば、伝説のカルト作品として、残ることになるだろうし。そうでなければ、とても見事にまとめた秀作ということになるだろう。