『フタコイ オルタナティブ』 監督 逢瀬祭 シリーズ構成 金月龍之介  論理的な脚本構造、テーマに対する回答など、バランスがとても優れている作品

フタコイ オルタナティブ DVD-BOX

評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★☆星3つ半)



■バランスがとても良い作品、掲げた3つの大きなテーマをすべてきっちり回収している
トータルの評価としていえば、見る価値はない、と断言できる(笑)んですが、とても完成度が高い作品でびっくりしました。漫研でルイさんに紹介されて、「見ろ!」っていうもんだから見た作品なんですが、さすがお目が高いねぇ、と感心です。たぶん彼やLDさんが押している部分と僕の感心した部分は違うような気がするんですが(←どうですか?)、僕はこの作品が、物凄く論理的でしかもbならんすが良い作品で、13話で掲げた大きなテーマをちゃんとすべて収束させていく手際に、感心する思いでした。

まぁルイさんがおっしゃったことなんですが、この作品のテーマは、三つのドラマトゥルギーが用意されているんですよね。

フタコイはとにかく△なんでしょうね。

関係性も△なら、自らを形成するのも愛、家族(血筋)、共同体の△。全て物語が開始した時そこにあって、でもそれはおぼろげで曖昧。ちゃんと見つめてないから当然ですよね。漠然と10年100年先もあるなんて、それは…それら全て見つめ、失った上で「やっぱり俺はこの△」と認め、取り戻して肯定してみせる。それが「2人を愛すること」であり「好きなのに別れちゃった」父の気持ちを知りなお踏み越えることであり、それでいてイカ(笑)から町を救う形で共同体・ニコタマという社会で生きるという事、なんでしょうね…つまり恋太郎の父は、マクロ(商店街ですが、作品の意味として)の英雄ではあったけれど、「好きなのに別れちゃった」…身近な大切なものとは両立しきれなかった男性なのでしょう…



ルイさんコメントより


1)愛(二人を愛する)


2)家族
(「好きなのに別れちゃった」父の気持ちを知りなお踏み越えること + 共同体を守るために命をささげた父を超えること)


3)共同体(イカから商店街を守る(笑))


この3つのテーマを、恋太郎は、すべて解決するという物語になっています。3)が物凄い飛躍なんですが(笑)、なんというか、これぞアニメーションだよっていう飛躍っぷりで、アニメでないと表現しにくいよな(ハリウッド映画でもない限り)、というようなハチャメチャ・バトルシーンが、とても気持ち良くカタルシスを感じさせてくれるので、僕は感心しました。いきなり、イカかよっ!って(笑)。ああ・・そういえば、一話の冒頭の意味はここにあったのか・・・と。


僕が凄いと思ったのは、13話程度で、この大きなテーマをそれぞれ、かなり消化しきってまとめ上げている力技です。


しかも、1)と3)は、僕がいうところの「日常(=固定した世界の中で関係性を深掘りする)」という部分と、「非日常(=目的へ向かって世界全体やマクロのことへ戦いを挑む)」という水と油のテーマであって、これを同じくらいのボリューム感で同時に描くのは、うんまいっ!て思いました。

特に、「双子に愛されるなんていいよね!」というおバカな夢からの企画であるこの設定では、どう考えても、真面目に心理描写することは考えつきません。どちらかというと、男性視点で、恋太郎の「好きなのに別れちゃった」父の気持ちを知りなお踏み越えること、というドラマツゥルギーの解決に引きずられているとは思うものの、それでも、3人の心理描写を、淡々とした日常の中で追っていくところなんかは、うまいなーと思いました。いや、もちろん、もともとが双子とラブラブというおバカな「記号」が前提にある作品なんで、キャラクターの心理をいかに積み上げたところで限界こそあるんですが、それでも、そのスタート地点で「あるにもかかわらず」ここまで、キャラクターに記号性を超えた重さを持たせられるのは、脚本家の力量だと思う。


■分からない分野の膨大な情報を追う時には仮説を立ててみる〜必ずしも作家主義で話を終わらせているわけではありません
アニメーションの現場がどういう風になっているのかはよく分からないので、このような双子の沙羅と双樹の「気持ち」を丁寧に描写しようとしてそういったエピソード作成してそれを成し遂げたのが、「誰で」で「どの役割」の人になるのかは、僕にはよくわかりません。なんとなく、ルイさんが、金月龍之介さん(ほとんどのエピソードの脚本を書いていますね)の、というような作家主義的に集約した言い方で、この作品をすすめてくれたので、こう書いているに過ぎません。えっと、ほんとうは、ユーフォーテーブルという企業が、その傾向が強いようで、、、と、説明の仕方はいろいろあると思うのですが、誤解を生みたくないので断っておくのですが、僕が作家主義的アプローチのような、ある名前や人に集約してその人の性質だ、という場合は、ほとんどの場合は、まずはそうやって集約して物事をシンプルにして、「わかりやすくしたい(=自分にとって)」という目的があります。このブログは、僕の思索のメモなので、それが真実だとか、一般化しうるとか強烈に主張したのではなくて、まずはなんとなくそれっぽい情報に集約させて、そして全体像を経時的に追いやすくするという目的のためです金月龍之介さんとか、ユーフォーテーブルというものも、そもそもなかなか継続的に追っていない分野の情報を効率的、体系的、経時的に追うには、シンボライズして追った方が効率が良くなるので、やっているに過ぎません。途中で、そのシンボライズと合わない情報や流れが出てきたら、適宜変えるつもりでやっています。まぁ、仮説みたいなものです。仮説はバンバン立てて、情報解釈を効率化していかないと、この情報過多の世界では、ついていけなくなるので、僕はそういう習慣をしております。ということで、そういう風に、このブログを読んでもらえると、うれしいです。ということで、金月龍之介という人の少し興味が出たりして・・・。

フタコイ オルタナティブG