十二国記ラジオ

yom yom (ヨムヨム) 2009年 10月号 [雑誌]
yom yom (ヨムヨム) 2009年 10月号 [雑誌]


十二国記シリーズ最新作の『落照の獄』が面白いということで、twiitterで海燕さんとはし君、きよさんが話しているのにjoinさせてもらって、11日の10時からやる十二国記ラジオに参加させてもらいます。僕は読んでいないので、即アマゾンで頼みました。

おおっ!、僕と海燕さんがラジオを始めるきっかけになった、あの!「はしきよラジオ」への初参加とも考えられる。うーむ感無量だなー。いつか誘ってねーとその時からいいつつ、一度も誘われてなったが・・・はしきよラジオ(涙)。 僕は基本は、有言実行にしたいと思う人なので、誘ってもらえないと凹みます(と、暗にはし君への攻撃をしてみる)。

ちなみに、小野不由美さんの十二国記は、素晴らしいファンタジーですよ。読んだことがない人は、即本屋かネットへゴーです。ふと思ったのだが、『獣の奏者』と同じように、これも人にとても厳しいファンタジーだなーと思う。特に最初の陽子の即位の話『月の影 影の海』なんかは、、、、こんな物語が人に受けるのだろうか?と思うほど、全編苦しみに満ちている。それでいて面白くて絶大な人気を誇るんだから、恐るべき小野さん。

ファンタジーというジャンルは、「ここではないどこか」に逃げ込みたい出ていきたいという人間の心性を利用している。この物語の倫理上の基本プログラムは、その世界に「逃げ込む」のを許すことなく、もう一度もとの世界に戻ってきて(=rebirth/再生)異世界で得た教訓や心の成長を現実に反映させるというスタイルをとることが多い。もちろん、まったく異なる異世界を体験したいというセンスオブワンダーのみで終わる場合もあるが、それだとスペースオペラというように馬鹿にされてしまうような雰囲気が批評の世界にはあるように思える。これはつまり、わざわざ異世界を構築して物語を読者に提示するからには、「戻ってきて再度現実にコミットする力を与える」という異界体験をさせるのが、倫理上かなっているという暗黙の了解があるということなんだなと思う。そういう場合には、二つのケースがある。ひとつは、「癒しコース」だ。つまり自分がより幸せに癒される経験を体験して、生きる力や希望を取り戻すコース。もう一つは、「告発・さらにやばい状況をサバイバルコース」だ。つまり、より激しい経験をすることで、自分の隠れた能力や意志力を見つけ出したり、自分のへたれな甘さをたたきのめされたりすることで、もう一度現実の世界をコミットする意思をもつということだ。エンターテイメントとしては、だいたいこのハイブリッドで、どちらかというと自分に気持ちいいことで誘いこんでという仕組みになっている。「契約・再契約」の概念と同じですね。こういう軸を考えると、この作品は、本当に厳しさに偏っている。この傾向で、世界を作者がどう見ているのかが分かって興味深い今日この頃。小野さんにとっては、世界はこんなにも厳しく峻厳に美しいところなのか、、、と。

小野不由美 十二国記シリーズ最新作『落照の獄』 死刑判決はほんとうに正しいのか。/ アセティック・シルバーhttp://d.hatena.ne.jp/hasidream/20091001/1254407066

ちなみにはしくんの記事は、とってもネタバレすぎなので、読んでいない人は避けましょう。


華胥の幽夢(ゆめ)―十二国記 (講談社文庫)