少年漫画の王道とは?〜スケール勝ちとは時間軸の因果が逆転することをまわりに感染させること

先週のラジオの「王」論が非常に広がりを見せて、LDさんが喜んでいました。ツイッターで、相当さらに広がったしね。そのあとで、mixiでいずみのさんが、僕の言っていることは3年前から変わらないって、ほめて(?)くれたので、確かにそうだなーと過去の記事を、掲載してみます。これって、僕のいつも考えていることの核心の議論なんで、これよく読んでおくと、あらゆることにつながると思うので。ちなみに、明日の11時からもLDさんと続きのラジオをする予定です。

http://ameblo.jp/petronius/entry-10019433285.html

↑この記事の再掲ですね。あともう少しで、アメブロの記事はほとんど(60%ぐらい?)移し終わるので、そうしたらどこかで閉鎖しようかな〜と思っています。実際にどうするか分からないですが・・・・。このときは、ネギまのゆえと超の話で盛り上がった・・・3年前くらいですね・・・なつかしいです。


■少年漫画の王道とは?〜スケール勝ちとは時間軸の因果が逆転することをまわりに感染させること


いずみのさんが、少年漫画の王道 とは、


>で、それは何かって言うと、少年漫画の主人公は「スケール勝ち」さえすればいいんだ

と、いっていました。身も蓋もないが、いわれて見るとあまりにおおっと唸らせられる言葉で少年漫画の本質を言い当てていた。すごい、これは本当に本質を言い当てていると思います。あまりのこの言葉が興味深かったんで、これを僕なりに分解してみたいと思います。


超鈴音編を少年漫画のワクに落としこむには?第一部(いずみのさんより)
http://www1.kcn.ne.jp/~iz-/man/garon/1024/1024_a.htm



根拠のない自信と大言壮語なんだけど(笑)、


ネギがエヴァに勝った後で「呪いを解いてあげますから」と言うと、


エヴァは「すぐには無理だろ」、って怒るんですけど、


一瞬ひるんでるんですよね。


いずみのさんより

魔法先生ネギま! (3) (講談社コミックス―Shonen magazine comics (3311巻))

ここが3巻のエヴァのセリフなんですが、これを一つの類型と捕らえると、ようはね下記のような論理の逆転が起こるポイントなんだと思うんですよ。





①論理に正しいので、→勝つ




が逆転して、




②勝つから、→振り返ると論理的



つまりね、ここでいう「勝つ」というのは「何か目的を達成すること」と置き換えてて定義づけてみる。そして、ある目的があったとします。その目的が、達成できるかどうかの確率を考える時は、どう考えるかというと、「それが可能となる条件」と「不可能になる条件」を並べていって、実際問題できるかどうか?という道筋で考えます。そのへんが、物語の整合性が取れている漫画だと、伏線でも全てが終わった後に振り返っても、論理的な整合性がとられている場合が多い。この論理的整合性を持って、その作品の成否を読み取る人は多いようです。


それは当然で、この整合性が破綻していると納得感が薄れるからなんですね。人間の常識的な体感原則からいって、こういう考え方が普通です。

さてこう見ると、物語が、レベルの高いもので成立するためには、


勝つ=目的を達成するための、論理的根拠・整合性があること


が重要なポイントであるのは、わかると思います。


しかしながら、そうするといずみのさんがいった「スケール勝ちをする」ということと矛盾するんですね。だって、スケール勝ちというのは、「根拠が薄弱な時点での確信」を言っているからなんです。つまり、論理的に不可能であればあるほど、そのスケールがでかいと言い換えられますから。単純にいうとね。



ここって、実は面白い分析ポイントだなって僕は思いました。


つまりこれをまとめると、物語の主人公とは、物語の時間の流れの中で、A地点жでは、論理的にはCにしか到達できない状況下にあるにもかかわらず、最終的には○に行きます、と宣言することにその機能的な価値があるとするわけです。Aの地点からは明らかに、丸に行くのは不可能にもかかわらず、です。ところが、いざ物語が終わってみると、○に到達していました、というのがビルドゥングスロマン・少年漫画であって、その○という最終地点から見ると、なるほど、○に来るのはおかしくないな、思わせているということなんです。


жA→B→C    ・・・・→○


精確に言うと、ビルドゥングスロマン・少年漫画とは、○に到達することが目的ではなくて、Aの地点であるにもかかわらず、○という可能性の極限(言い換えると論理的には不可能なレベル)に対して、コミット(=絶対達成する)という宣言をするものである、とすべきで、必ずしも目的が達成される必要は無いと思っています。


つまり、時間軸で考えると、因果が逆転しているんです。


①論理で正しいので、→勝つ


逆転して、


②勝つから、→振り返ると論理的



と先ほどいいましたが、われわれ一般人は、たいていの場合は、快感原則、体感原則の世界で生きています。その常識から沿うと、時間というのは、過去から現在、未来へと流れて行きます。それは同意できますよね?。Aの次はBで、Bの次はCで、、、、という順序のルールが守られていく感じです。これが常識です。


ところが、物語の主人公は、この一般原則に従った時間のルールを、いきなり飛び越えるんですよ。つまり、いまある現実から、実現可能性を考慮して到達する地点をイメージするのではなくて、いきなり目的をどかんと投げつけるんです。


「来週どこに旅行にいこうか?、、、温泉?それとも思い切って海外?」


とか質問したら、


「やっぱりアンドロメダ星雲か、、、いや40億年前の地球でもいいぞ!」


みたいな、意味不明の会話をしているんです。意味が伝わるでしょうか?。本来は、アルファベットの序列であったものに、いきなり違う記号体系を持ってきて○ですとくるわけなんです。そして、上記の表記では、右から左への序列ですが、目的が基準になると、左から右に序列が変わるんです。



жA←B←C    ・・・・←○



わかります?。


因果の見方が、通常の状況から全く逆転することを描いているんですね。上記のエヴァにネギが言ったセリフも、3巻時点で明らかになっている情報を条件として考えると、まったく不可能な話です。実現可能性から考えると、せせら笑う話です。でも、エヴァが、動揺しているでしょう?これは、現実の実現可能性ではなくて、主人公の中にある強い目的志向によって因果が逆転される可能性を垣間見たことへの動揺なんですよね。


つまりは、スケール勝ち、という現象は、時間軸の通常の流れ「現在」から「未来」ではなくて、「未来=到達視点」から「現在」を解釈し直してしまう思考様式の変換を迫る行為だと分析できます。

言い換えると、物語の主人公の中に、こうした因果を逆転させてしまうような、なんらかの「可能性の極限への到達の希望」を、主人公の周りのキャラクタターたちが「感染してしまう」、そしてそれを読んでいる読者が「感じ取ってしまう」現象が起きることを、スケール勝ちとも定義できるわけです。ここでいうスケール(規模の尺度)で勝つという表現は、尺度を全く異なるものへ変換してしまうということを納得させること、といっているわけです。







いずみの@講義中 の発言:


武装錬金』の主人公性ってのが最近だとわかりやすい例なんですけど



悪役に


「二つの命があるとして、一つだけ救えるとしたらどっちを選ぶ?」


って言われて


「俺は両方を救ってみせる!」って言うのが主人公であると(笑)

武装錬金 (1) (ジャンプ・コミックス)


これなんか典型ですね(笑)。聞いてるほうは、はぁ???とかなるんですが、論理的に考えると(笑)。けど・・・・その勢いとか決意に打たれちゃうんですね。


実はこの「打たれる」って言葉が、次へのキーワードです。



ビルドゥングスロマン・少年漫画の本質とは?〜聖性に打たれるとき



さて、僕がなぜ、このスケール勝ちという問題にとてもこだわって分析したかというと、

HUNTER×HUNTER』 23巻 富樫義博著/偉大な物語の本質について
http://ameblo.jp/petronius/entry-10009768304.html

ハンター×ハンター (No.23) (ジャンプ・コミックス)

以前↑ここで書いた大きな疑問がテーマとして僕の中でくすぶっていることへ対して、大きな光を投げかけてくれた気がしたからでした。







というのは、「人を巻き込む」というのは、どういうことか?ということです。


ビジネスの世界では、『人を巻き込んでシゴトをしろ』と、『巻き込む力を身につけろ』とかいいます。僕も、あるプロジェクトでプジェクトリーダーをしたときに痛感したのですが、大きな目的を達成する時は、一人ではできないのです。そんな時、リーダー(=主人公)は、たくさんのキーマンに声をかけて口説きます。「一緒に目的をめざそう!」と。けれども、そこではたと悩みます。このPJが、成功したら、誰が得するのだろうか?ということです。




それは間違いなく、リーダーである自分です。当然ですよね。




けれども、なにも無いところのに「新しい大きな目的」を作り出すときには、そのスタート時点では、ほとんど無償で極めてヘビーなコミットメントを「仲間」に要求することになります。報酬が保証されているようなものは、たいていダメです。けれども、たいてい、そのときに何か報酬の形で返せる『見返り』は、ほとんどありません。だから無償なんですよね。そんな『得するのは自分だけ』という状況で、仲間たちに動機付けする『理由』とはなんなんだろう?と思います。論理的には、あまりないんですね、損得で考えると。これは、現実の世界でも同じですし、物語世界でも『仲間』という単語を使うときには、同じです。ビジネスの世界でも、リーダーリップ論の大きなポイントは、周りの人間や自分自身を、どう動機付ける力を生み出すか?というのが実は究極の問題で、それ以外は枝葉末節の技術論なのです。




ある時、記者がカルロスゴーン(現ルノーCEO)に対して、経営で最も重要な技術は何か?と瞬間的に聞かれて


『Ability to motivate Pepole(人々を動機付けることのできる能力)』



と答えたといいます。これは見事な答えだな、と思います。

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ルネッサンス ― 再生への挑戦
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