『Knock Down the House』2019 Rachel Lears監督 アメリカの最前線を伝えるAOC(アレクサンドリア・オカシオ=コルテス)のサクセスストーリー

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評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★4つ)


2019-10-04【物語三昧 :Vol.41】『Knock Down the House』2019 Rachel Lears監督 アメリカの最前線を伝えるAOCのサクセスストーリー-46




2019年8月28日に、これを書いている。偶然、ネットフリックスで見つけて。アマゾンプライムで『This Is Football』を見つけたときにも思ったけれども、昔よりも、ドキュメンタリーがうまく見つけやすくなっているし、良質なものが多い気がする。Occupy Wall Street、We are the 99%、ヒラリークリントンを追い詰めた2016年の大統領選民主党予備選のバーニー・サンダースの躍進、民主社会主義(democratic socialism)という米国では毛嫌いされる共産主義の匂いのする政策や理念の浸透、民主党の左への偏り、極左の躍進、これらの雰囲気の果てに、、、、にもかかわらず、2017年に米国では第45代ドナルドトランプ大統領が登場している。僕は、2013年から米国に住んでいるので、第二期オバマ政権末期からのこの米国の雰囲気を肌で感じているのですが、ずっとトランプさんの支持は根強いな、陰りが見えないなと、2019年の8月の現在感じます。なのに同時に、民主党の左への傾斜が止まらないのも肌で感じるのです。2018年の中間選挙の結果が、まさにこの不思議な感じを裏付けていると思います。民主党が下院を奪還するも、上院は共和党過半数を確保。

www.asahi.com


とはいえ、もし共和党に、ドナルド・トランプ大統領に勝つのならば、論理的にマイノリティ、女性、そして左右の対立ではなく(実際は極左だろうが)貧富の差の分断を意識した人が、民主党側のリーダーになっていく構図は容易に予測できる。なので、

The day after Donald Trump's election, Rachel Lears began working on her new documentary film.[8] She reached out to organizations such as Brand New Congress and Justice Democrats to find "charismatic female candidates who weren't career politicians, but had become newly galvanized to represent their communities."[8] The search led her to four female candidates: Alexandria Ocasio-Cortez of New York, Amy Vilela of Nevada, Cori Bush of Missouri, and Paula Jean Swearengin of West Virginia.[8] Lears raised $28,111 for the project through Kickstarter.[8]

Knock Down the House - Wikipedia

wikiにこうありますが、監督のRachel Learsが、"charismatic female candidates who weren't career politicians, but had become newly galvanized to represent their communities."を探したて、Alexandria Ocasio-Cortez、Amy Vilela、Cori Bush、Paula Jean Swearenginの4人を追い始めたというのは、さすがの視点だと思いました。こういうのドキュメンタリー作家の凄さだなと思います。


そして、その果てに、いまでは、民主党の左派の顔ともいえるAOC(アレクサンドリア・オカシオ=コルテス: Alexandria Ocasio-Cortez)のサクセスストーリーに仕上がっている。最後のシーンで、NY14区の民主党予備選で重鎮のジョー・クローリーを倒すシーンは、全米中にものすごい勢いで放送されたので、知っていたが、「それまでの過程」を映像でちゃんと見せられると、感慨深い。とくに、追跡している4人のうち3人は、現職に全く歯が立たず、実際のところ、現職の既得権益をひっくり返すことが、どれだけ不可能に近い困難なのかが、これでもかと描かれている。それが故に、この中間選挙での下院の女性議員、マイノリティの躍進が、どれだけすさまじいことだったのか、それだけの草の根のエネルギーが動いたのかが、これでもかと伝わってくる。


そして、AOCの見事なサクセスストーリーと、民主党左派のリベラルの運動がこれだけ激しく深く広がりを持ちながら、トランプ大統領の支持率や安定が揺らいでいない(少なくとも僕はそう思うし、44%あったら大統領選挙で勝った時の数字と遜色ないと思う)というのも、ほんとうに興味深いことだと思う。矛盾することが、同時に起きるのが世界なのだなぁ、と思う。アメリカの分裂ぶりの凄さに、感嘆すると思います。




Knock Down The House | Official Trailer | Netflix


閑話休題




ちなみに、ドキュメンタリーは、今を感じるのに素晴らしい機能を果たすと思う。ので、めちゃくちゃ感動した下記のやつもメモでというか紹介。素晴らしいですよ。



This is Football - Official Trailer | Prime Video


2019-8-6【物語三昧 :Vol.37】『THIS IS FOOTBALL』2019年の今の地球を俯瞰するドキュメンタリー-41

『天気の子(Weathering With You)』(2019日本)新海誠監督 セカイ系の最終回としての天気の子~世界よりも好きな人を選ぼう!


2019-8-25【物語三昧 :Vol.39】『天気の子』新海誠監督 セカイ系の物語の最終回として-44

評価:★★★★★星5
(僕的主観:★★★★★5つ)

先日、8月にコミケで同人誌(マインドマップで語る物語の物語の4巻と5巻)を発売したので、日本に夏休みで帰ってきました。その時に、これはいかにゃーならんだろうと、見てきました。なんとか時間をひねり出して、自分で見に行くのと、子供と一緒に見に行くのができてよかったです。奥さんも見に行けたみたいなので、だいぶ売り上げに貢献したかな、うちの家族(笑)。見た直後のおおざっぱな感想は、物語三昧チャネルの方で、やりましたので、こちらを見ていただければ。

まだ全体の位置づけとかはっきり自分の中で定まっているわけじゃないんですが、とにかく、面白かった。批評的な分析の視点よりも、やっぱり、自分がどういう風に「感じるか」がまずは大事だし、それこそが、同時代性にみんなで盛り上がるという部分の良さだなので、まずは素直に、自分の感想を考えてみました。

まぁこれって、明らかにセカイ系の物語の同じ問いを、これでもかってくらい新海誠さんの作家性で作りあげているので、究極は、


世界と好きな女の子とどっちが大事なの?


という問いだと思うんですよ。もっと具体的に言えば、陽菜を助けたいと思うかどうか?って話。監督がほんとはどう考えているかはもちろんわからないですが、そもそも作家性の文脈でも、『ほしのこえ』から考えれば、そうとるのが論理的だよね。


でね、理屈とか、背景とか、いろんなことは抜きにして、感情的に「そりゃ助けるでしょう(男の子が観察者でいるのはだめだよ)」「助かって当然じゃないか(=世界の責任を背負うとかおかしい)」と言い切れるし、少なくとも僕は感じました。ああ、「今の時代にマッチした話なんだ」と感動しました。そして、自分が、ちゃんと、それに感情的に納得というか感得できているんのは、ちょっとうれしい。ちなみに、いまの若者がどう考えるか?は、少なくともうちの子供たちは、めちゃ猛烈に感動してたんで(笑)、僕は、なんというか正しい時に出た物語なんだろうなーと思っています。というのは、なんというか、新海誠さんの作品って、作家性が強すぎて、時代との関連とかでいろいろ批評するのを受け付けない気がするんですよね。そういう問題じゃなくて、おれはこれがやりたいんだ!という感じが常にする。なので、時代との関連が自分的にはよくわからなかったんです。この作品もやっぱり、言葉にうまくできない感じがするんだけど、、、でも、なのでまずは「感じて見たかった」というのがあって、リアルタイムで日本で見れてよかったと心底思います。なかなか日本帰れないので。


えっと、話を戻すと、LDさんが「セカイ系の最終回」という言い方をしていたんですが、まだアズキアライアカデミアメンバーとは話していないので、それがどういう意味かは分からないのですが、僕的な文脈でも、まさにそうだよなと思いました。ちなみに、次のラジオでは、『天気の子』かな、と思います。


で、自分の話に戻ると、僕は、Youtubeでも言及しましたが、ちょっと自分の中のマッチョイズムな思い込みがあったなと、その発見(自分の中で)におおーと唸っているのですが、


好きな女の子を救うためには、


世界を救わないと、女の子を救えない、


という思い込みがあったんだなって思ったんですよね。まぁ、セカイ系の典型的な構造ですが、ある意味論理的だとは思うんですよ。人を救済しようとしたら、その背景まで救済できないと、どうにもならない、というのは。ここで具体的に落とし込んでみれば、陽菜ちゃんを救おうと思ったら、何が一番重要かっていうと、、、、、金ですよ!(苦笑)。未成年には、もう救いようがないんですよ。ようは、彼女のすべてを守るためには、その責任をとれなきゃ話にならない。この話をする時、いつも『ハチミツとクローバー』の話を僕はするんですよね。何かに苦しんでいる大切な人を救おうと思ったら貯金(笑)がないとダメだ、、、って話。


これとても具体的な話ですが、物語的にも、好きな子をまるごと救おうと思うと、例えばその弟とか、すべて面倒見れなきゃダメじゃないですか。


、、、という思い込みというかマッチョイズムが自分にはあったんだなぁ、、、と。ようはね、帆高くん、何もできないじゃないですか。実際、何もできないんですよ、金と権力がないと(笑)。


でも、それでも、無理でも、間違っていても、自分の好きな人を守りたい!と叫んで、思って、何が悪いって。


実際、「具体的、物理的、現実的に救えなければ」、全部ファンタジーだ無責任だ、といってしまえば、それは凄い正論なんですよね。正論過ぎて、マッチョイズムに思えるって、自分ですごい感じたんですよ。だって、僕らが生きている厳しい世界では、そんな正論で、どうにもならないじゃないですか。具体的に救える力がなかったら、何も言うなって、そんなこといったら、何にもできなくなってしまう。



ああ、これは、新海誠監督の、若者への、次世代の子供たちへのメッセージだなって思いました。これ、大人には、違和感がある脚本構成なんですが、子供に、間違っていても、正しくなくても、好きな人、大事な人のためを思う原点をあきらめるな、という感情を伝えるためには、完璧なシナリオなんですよ。むしろ大人が、それは無理だと、と違和感を感じるところからの飛躍がないとダメなんだろうと思う。



間違っていても、その気持ちが本当ならば、叫んで行動に移せばいいじゃないか!って。



それがものすごい説得力を持って、感じたのは、エピローグというか、だいぶ水に沈んでしまった東京の「日常の風景」が丁寧に描かれているところです。この世界が滅びてしまった風景って、押井守さんとか、いろんな人がずっと描いてきているじゃないですか。でも、僕には、何となく、とてもマイナスかつ否定的なものに感じたんですよね。「ちゃんと世界を救えなかったから」「正しい決断や成長をできなかったから」だから、「こんなふうに世界は滅びてしまいました」みたいな。でも、脱英雄譚の話ですが、そんなのを一人の少年や少女(勇者やヒロイン)に押しつけるの卑怯じゃない?というのも、もう凄くみんな実感しているんだと思うんですよ。


世界がめちゃくちゃになっても、それって、天災であって、「それでも日常は続いていく」のであって、それをおれが、僕が、あなたが、私が、責任をとる必要はないんだ!、ってすごい言われているような気がしたんですよね。


セカイ系の類型って、大きな文脈として、本来を世界を救う(竜退治をする)男の子が善悪の問題(何が正しいか)に疲れ果てて、無気力になってしまったので、すべてそれを女の子に押しつけたという構造なんだと思うんですが、、、、じゃあ女の子がヒーローに勇者になればいいのかというと、それは一つの系なんですが、それでも「世界の責任を個人に押しつけている」構造は変わらないんだよなって。


これからの時代を生きる人々に、そんな難しいことを背負わなくてもいいよ、と言っている気がしたんですよね。だって、東京が沈没したって、世界がどう変わったて、その世界で、人は生きていかなきゃならない。そこに個人の意思なんざ、ちっぽけすぎて、意味をなさない。


唯一意味を成す、大事なことって、好きな人のために、大事な人のために、なりふり構わず動けたかってことだけだと思うんだよね。少なくとも、僕はうちの息子に、娘に、世界の責任を考えるような感情ののらないマクロのことで悩む暇があったら、大事な人のために動ける人であってほしいと思う。もちろん、マクロの責任なんか、無視しろと言っているわけじゃなくて、、、、まずは「原点はどこにあるか」「最も大事なことはどこにあるか」を確認しなかったらだめだろう、と。


最後に、陽菜ちゃんが祈っているシーンがあるんだけど、何を祈っているの?って、色々なところで話されていたけど、、、僕は、帆高に会いたいって、祈っててほしいんですよね。きっと、半分は、世界のためにも祈っているとは思うんですよ。そういう子だと思うので。でも、そんな責任を、感じるのはおかしいと思うんですよね。大事なのは、世界が、セカイが壊れたって、一緒に生きたい人がいるかどうかってことだよって話は、動機をめぐる原点だと思うんですよ。あの二人が、その後、結婚できなかったり、分かれたりしても(笑)、僕は、「そういう気持ち」を持てたかどうか、で世界の鮮やかさは全く違うと思うんですよね。少なくとも、そう思って生きてほしい、そう思うのが、人としていいことだって、思いましたよ、この作品を見て。


という、キラキラしたポジティブ感が、水に沈んでしまった大災害の後の映像でガチに語りかけてくるようで、、、、僕は、あの映像の美しさに、打ちのめされてしまいました。


この映像をもって、僕は、セカイ系に対する一つの明確な答えを出した感じがしました。なので、僕の言葉での「セカイ系の最終回」というのは、世界を救うより、まず大事な人を選ぼう!そこからスタートしなきゃいけない!、そして、セカイの、世界の責任を一人でしょい込もうとするな!、時には、世界よりも大事なものがミクロの世界には、自分の気持ちの中にはあるんだってことを忘れるな、ということを言っているように感じました。


僕の感想でした。

続いてサブタイトルとなった「Weathering With You」について、新海は「『Weather』という気象を表す言葉を使いたくて。これには嵐とか風雪とか、何か困難を乗り越えるという意味も含まれるんです。映画は何か大きなものを乗り越える物語でもあるので付けました」と語った。

https://natalie.mu/eiga/news/312098


ちなみに英語のサブタイトル、Weathering With Youの意味は「困難をあなたとともに乗り越える」です。


世界を壊すような天災のその後、あなたと共に生きていきたい、という意味に感じて、僕はグッときました。


以上


以下は、自分がこの感動を将来思い出すための、メモメモです。

【合本版】イリヤの空、UFOの夏 全4巻 (電撃文庫)


セカイ系の本質は、「男の子が観察者になってしまう」「世界の謎も解かないし、竜退治もしないし、女の子を救いもしない」という無気力と、その不可能性の部分にあるので、この辺は、上記の作品や、『最終兵器彼女』を見たいところです。

最終兵器彼女(1) (ビッグコミックス)

あっちなみにセカイ系という言葉は、地雷ワードで、みんなそれぞれの思いの定義があるので、あんまり定義とか考えないで、ざっくりイメージで考えてください(笑)。どういう風に考えているかは、マインドマップの新刊を見てもらえれば(笑)。

booth.pm


■参考記事

gigir.hatenablog.com

ちなみに、GiGiさんのここ記事良かった。

その後やって、アズキアライアカデミアのラジオ。


Academia/天気の子 2019/09/01